KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

  1. ゆれ・ふら・とーく
  2. tb: 0
  3. cm: 15
  4. [ edit ]

アラミス


嗅覚が無い。

いつのころからなのかはっきり覚えていない。手づくりガラスがメインの小さな店を営んでいた当時は、におっていた。店内に香をたいていた、香が好きで、控えめな薫りのものを選んでくゆらしていた。何人かいてくれたスタッフたちには、私が用意するもの以外は使わないでと頼んでいた。大学に通いながらバイトしてくれていた若いSちゃんが、インドのお香もいいですよと力説していたが、それもそうだったのだろうが、私は、奈良の古くからの店に置いてあるお香を、楽しみながら選んで買って来ていた。

店を閉じて十五年になる。

気づいたら匂わなくなっていた。(私の)知らないうちに舅の会社の借金の抵当になっていた家を追われて、家を借りて住むようになって。家を借りるのに必要なお金も無くて、娘たちが出してくれたのだ。それは当然、今では返せているけれど。

七人の家族のおさんどんや家事のいろんなことや、まだ幼かった孫たちの世話などに日を過ごしていたあの頃は、左の耳も聞こえづらかった。

いよいよすべてがダメになった時点の、前後。舅も義弟も、どうしてそんなことができたのか、私の名義で(も)大きなお金を借りて、借りたお金を返すあてもその気も無くて放置していたから、私に電話がかかった。じゃんじゃんかかって来た。私には対応のしようが無く、耳は逃げたかったのか、聞きたくない声をシャットアウトするようになった、ということか。

夫は私を守ろうとしてくれていた。でも、夫も、真面目で非力だった。でも、私の前に立ちふさがろうとしてくれていた。そうとしか言いようが無い。

移って来た家には広い庭があって、大輪の真紅の薔薇が咲き盛っていた。その紅いいろを、初夏のある日に気づいて以来毎朝、不思議なもののように眺めていた。

初めから、あったよね? 薔薇、赤かったよね?。

https://youtube/pop6-6F7Jvc

家を失くして、何色もの薔薇や七株もあった紫陽花や盛り上がって咲く連翹、クリスマスローズもいっぱい咲いた、花水木も百日紅も豊かに季を彩ったあの家に、五年、住ませてもらって。

大きい家過ぎて、借主が見つからなかったのだというのだが。

その間に舅は亡くなり、舅が亡くなった翌日、夫を信用して引き立ててくれる会社との話が本当にまとまって。舅の葬儀のさなか、もしかして、もういいのか、なんとかなるのか、と、悲しくも気の毒でもなく、そんなことばかり考えていた。義弟は、舅の亡くなったその日に、舅のカードを使って、一万円と十九万円、引き出していた。後でカード会社から連絡が来て、それを知った。

「出せるかな、とやってみたら一万円出たので、残りいっぱい十九万円、出さはったんちがうか。」

独身時代からの親友は世の中に詳しい、そう解説してくれて、よお、そこまで、しはるわ、と。眉をひそめた。吐き捨てた。

舅も姑も、自分たちの長い不仲の間に立って、うまいこと甘える可愛い次男坊だった義弟に、何もかも使い尽くされた形。夫にも私にもどうすることもできなかった。旅行三昧して、旅はタマシイを高めるため、と言い放った人たち。旅行くらいなら可愛いものだった。

話はどんどん脱線します。

借家にいる間に、生活して行くめどは立った。後から思えば、真っ赤な薔薇の色がはっきり見えた頃まで、私は、色覚までおぼろになっていたのだと思う。

電気もガスも止められてしまっているのに、電話をかけて来て、植木屋さん来てもらわなあかんからお金持って来て、と高飛車な姑に、初めてした口答え。失くした家での最後の頃。

「〇さん(夫の名)毎日、債権者と必死で話し合いしてはります、逃げへんって言うてます、庭の植木なんか今、目をつむっていて下さいませんか」

姑は怒った。何を言うてくれるの、と。近所にかっこ悪いやないの。それに

「お金のことなんか〇にわかるもんか、あの子はクソマジメなだけや、お父ちゃんのやったことの後始末はぜ~んぶ、かわいそうに△(義弟の名)がかぶってる、ええかげんなこと言いな」

・・私は思う。お金に無責任な人間は、ダメだ。自分たちの分以上の生活を平気で続けられるのも、ダメだ。人のものと自分のものの区別のできない人間はダメだ、手の上に載っていないお金を、入ると勝手に想定して使える人間はダメだ。

何か書き始めると、過去のムセムセのうっぷんが、ぶわぁああっと噴き出して来てしまう、今ただいまのKUONみたいなんも、あかん・・・。

薫りの話だ。


数日前、美容院へ行った。引っ越して来てやっと見つけた美容院、二回目だった。

ついてくれる美容師は、あまり要らん口をきかない、職人タイプの三十台前半かな? の男性。うるさくないのがよろしい。髪型も一回目、気に入ったし。

その彼と、風邪の長引いた話になり、実は自分は、と、鼻の具合がよろしくないことを彼は話し、私はつい、長い間「鼻ツン」である。ことをしゃべった。おとなしい美容師は、それは治さんとあかんのちゃいますか、と。

「匂いって大事ですやん。美味しいもんも匂い、要りますやん。もったいないですよ、治るんやったら、治さはった方がええですよ。僕も副鼻腔炎、手術しますんです」

何日も入院しての手術だと、彼は言った。その前の時、ニューヨークへ行きたいけど、二日くらいしか連休がとれないと言っていたのを、私は覚えていた。手術、大変やろけど、頑張って受けてね、と私は、鏡の中で柔らかく微笑んでいる彼に向って、似合わないガッツポーズを作って見せた。

ありがとうございます、と美容師は笑い、〇〇さんも美味しいもののために治療なさってくださいね、と言った。

・・・さて、どうしたものか。

嗅覚はある方がいいと思う。・・・私は食いしん坊だ、食べ物の匂いは、それは、あれこれと、魅力的と思う。鶴橋の焼肉通りなんぞを通ったら、ぶっ倒れてしまうかも。

で・・・レーザーでの治療を受けて・・・嗅覚が戻ったとして・・・いっせいに、身の回りのいろんな匂いが、押し寄せて来たら、どんな感じだろう。いい匂いだけがあるわけではない。好きでない匂いも、私には、たくさんあった。

いま海の近くに暮らして。潮の香りはいいだろうなあ。

嗅覚を、取り戻す。もう少し迷っていたい気がする。今のままでいいじゃないか、と思えるほどに、この状態に慣れている。馴染んでいる。

で。全く何の脈絡もないことを、最後に書きます。

むかし「プアゾン」という香水を使っていた。濃厚な香水だ。失くしたはずの嗅覚、鼻の奥の方に、その「ポイズン」・・毒、の香りの記憶が残っている。自分が匂わなくなってそれを使うのは止めている。

・・アラミス、という男性用の香水がある。私の記憶の中に無い香りである。その香りを、知ってみたい気持ちがある。

かつて知らなかった匂いを、思い起こすことはできない。

単に淡い願望ではあるが。アラミス。どんな薫りなのだろう。







  1. ゆれ・ふら・とーく
  2. tb: 0
  3. cm: 5
  4. [ edit ]

たけのこ

友達とほぼ一日、しゃべった。会いに来てくれた。

新西宮ヨットハーバー。ついこの前まで桜が咲き盛っていた。いまは葉桜の時、新緑がまぶしい。駅からバスで15分ほど。もよりのバス停は、ベンチが、他と異なりバス通りの方を向いていない。通りに背を向けて、海の方を眺められるように設置してあるのだ。

敷地内には駐車場だけでなく広い広場があり、よく育った桜の樹が整列して繁っており、樹の下に等間隔に多くのベンチが置かれ、海からの風がさやかに吹きわたっている。

大好きな場所の一つになった。犬を散歩させている人がいつもいるが、犬の落し物は見受けられない。皆さん当たり前に、始末して行かれる。

・・外で、緑陰のもと、風に吹かれて話をしてもよかったのだが。

天井の高い、一部分は三階まで吹き抜けになったレストラン・カフェがある。そこへ行こう。

アプローチを行くと、かつて堀江健一さんが「太平洋独りぼっち」、単独で太平洋を横断した時のヨット、マーメイド号が、初夏といっていい日差しを浴びて、白く輝いている。さりげなく置かれている。

こんな小さなヨットで、と、見るたび感動のような気持ちを覚える。ここから、アメリカへ行ってしまった、パスポートを持っていなくて、と、そんな話だった。当時、自分とヨットというものの間には、何の関連も無かった。(今だって無い・笑)。

レストランは空いていた、外に出られるドアがあることは前回、目で確かめていた。友達と外へ出た。海に面したスペース、ウッドデッキに簡単なテーブル・セットが何台も置かれ、そこにいる客たちのほぼ全員が、犬連れなのだった。

犬用の水の容器が無造作に用意されている。犬の食べ物もオーダーできるようだ。

きれいに手入れされた犬たちは、飼い主の傍ら或いは膝の上で、おとなしくいい子している。大きいトイプードル、小さいトイプードル、アーモンド色の子たちがいる。見れば、二か月前まで一緒に暮らしていた銀蔵を思う。

銀ちゃんは、まだ、海の匂いをしらないな・・。

冷たい紅茶を頼んで、なにやかや、数か月ぶりの友達と、話が弾んだ。

体のすぐ脇を、飼い主に連れられた黒い短毛種の精悍な犬が通り過ぎる。よく訪れているブログで写真を見る、おとこまえの垂れ耳の犬を思い描く。一途な目をした犬だ。

黒犬は、ささっと少しだけおしっこをして、知らん顔でデッキを降りて行ってしまった。

何十台、というのか何十艘、もしくは艇、なのか、白いたくさんの⛵がたぷたぷと波に揺られている。

「昔つとめていた会社に、ヨットを持っている家のお嬢がいて」

友達が思い出し笑いをする。

「ここだったかな、誘われたことがある、そのお嬢、私帆があげられないからお願い~って、、男の人たちに当たり前の感じで」

けけ、と笑う、私も、

「乗ることは乗れるけど転んだら起こせないライダーなのね、つまりそのお嬢。

と笑った。そこから「いま」の話題である朝日なんとかの記者の女性の話に飛び、

「お前なんかにせくはらするか、とか言われるの、それ恥ずかしいよね~」

と、うなずき合うのであった。もっとあれこれ話したが、この問題は単線でない、複線。面白がって話はしたが、面白がって書けはしないのだ。

やんごとないあたりも、常に食べ物と体調の話題ばかりが大なる「ひ」、徘徊激増の「へーかがた」、下半身方面への憶測すさまじい「ないしんのう」、鶴田浩二はうたっていました、

「なにからなにま~で~真っ暗あ闇よ~」。

やがていささかの肌寒さを覚え、注文伝票だけをつかんで屋内へ。も一度、中へ座るけどいいですか? はい、どうぞごゆっくり、と。

大変ゆるやかな鷹揚な態度が嬉しいのでありました。

ピザをつまみ(マッシュルームのそれのはずだったが、最近ひどくなった老眼のせいか、もしかして乱視のせいか、ピザの台の上には、チーズしか目視できなかった。それだけがこの日の残念だった、あとは、とても、よかった。

珈琲は熱々で。冷たい紅茶を頼んだら、銀色のお洒落なカップが来て、どーぞ、お好きなだけお飲みくださいと。

椅子にかけてそのままお尻が張り付いてしまった私の、冷たい紅茶のもう一杯を、友はすたすたと取りに行ってくれた。ここに感謝の言葉を記しておきたい、ありがとう。

ありがとう。

彼女はそしてティラミスに見えるケーキを食べ、私はイカのあんよの唐揚げを食べた。

会ってすぐ、お昼には、海鮮丼・上と、それも丼いっぱいありそうな新鮮なアサリの味噌汁を、おなかに収めていたことは、書いただろうか・・書いていませんでしたね・・。

本気でしゃべるとお腹が空く。その格言通り。格言辞典にあるか否かは、存じ上げぬ。

激しくしゃべった、議論はしない。思うことを口から出すだけ、相手の思うことを、耳から入れるだけ。

こいつアホやなと思ったり思われたり、多分。アホがええねん。中途半端なカシコは、好きやないねん。

アホなら、美しい本気のアホがよろしな。中途半端の、お上手な、誠ってなあに、何より大切なものよね、それって、でもでも、そんなもの食べたって美味しくないのよ、って、世渡りなさるお方は苦手、だって負けるもの、こっちは。

負けてもいいんだけどね。負けは、勝ちなの。


友達は、甘えずおもねず頑張って生きている、情の濃い女。

自分で帆を上げられないヨットに人を呼ぶなんてできない女、そんなことするくらいなら人を招かない、自分でポールを立てようとする、それで失敗して下敷きになって倒れていたって、人のせいにはしない女。

ミズカラの恋によってなら男にぶつかって行っても。不毛な「「おしごと」のために自分の「おんな」を使わない女、とても普通の、とても生き辛い女、の、一人なんだ。

夕方まで話して、いったん立って、無料の椅子があったのでまた話した。彼女の悩みを聞かせてもらった、私には何のアドバイスもできない。ただ、また会おうねと言った。可愛い顔して彼女は笑った。

帰宅して、別れ際にもらった朝堀りの筍、自分で炊いたという絶品のタケノコをおかずに。それだけを美味しい美味しいとおかずにして、ご飯を頂いた。用があって出かけていた夫のために、半分を残しておいたのだったが、それにまで手を出してひとかけら食べて、もう食べられないように、二重のラップをかけたところへ、夫が帰って来た。

たけのこ。ごちそうさんでした。ほろ苦さが美味しかったです、また会いましょうね。





  1. ゆれ・ふら・とーく
  2. tb: 0
  3. cm: 17
  4. [ edit ]

銀ちゃんの誕生日

4月3日。

今日は銀蔵の誕生日。6歳になる。アーモンド色の(茶色、でなくそういう形容をするそうだ)トイプードル。よくなついてくれた。ソファの上で私にもたれて眠った、寝言を言った。愛しい犬だった。

奈良に、娘婿の名義で家を買って、何とか収まったころ。犬を買ってもいいかなあ、と、娘婿のSから電話がかかった。私は、いいんじゃないの? どんな子? と胸が弾んだ。犬を飼いたいと彼は、その前からずっと言っていた。。その日は夫婦で買い物に出て、下見してあったペットショップに立ち寄り、話をまとめたようだった。
ほどなく帰って来た時、Sは玄関先で犬を放し、ころころした小さな犬が、玄関の左側の私の部屋へ走りこんで来た。抱っこしていいか、と尋ねた私に、いいよ、ばあちゃんに一番先に、と言ったのは娘だった。私は犬をつるんと抱いた。胸が轟いた。子犬の鼓動もだく、だく、と聞こえた。

どうや、と部屋の外から尋ねるSに私は、

「かわいい。名前は?」

見上げて聞いた。Sは答えた。

「ぎんぞう」

と。いい名前だ、と思った。めっちゃいい名前だ、と。

銀蔵は、ケージから出されると必ず、私の部屋へ飛び込んで来た。ジャンプしてお腹をピタッとつけて四肢を四方にひろげて、顔を上げてにこにこと笑う。はじめのうちは、部屋中のどこへもおしっこをした。おしっこされても可愛かった。

娘の運転する車で、初期のいろんな検査や注射を受けに行った。おとなしく診察台に載って、不安そうでも鳴かず、からだを支える私の腕に顔を押しつけていい子して注射されていた。待合室で、リードをたぐってしっかり持って、膝にのせて撫でていると、精悍そうな大きな犬の飼い主や中型犬の「お父さん」や、太りすぎだと明らかにわかるおじいさん犬を、たまらないように抱えてぎゅううっとしている「お母さん」などが、やさしい笑顔を向けて来た。

「まだ赤ちゃんなんです」言うとき幸せだった。

子どもの頃、いつの間にかいついた雑種犬の面倒をみていた。皮膚病を患っていたその「ゆうちゃん」に、それがいいのかどうかわからないまま、毎日、茶箪笥にあった薬を塗りこんでやった。犬は長い温かい舌で、いつまでも顔をなめてくれた。淡い塩味の赤ちゃんせんべいを一緒に食べたりした。そのせんべいは、犬の上顎に張り付きやすくて、よく、口を開けさせておいて爪ではがしてやった。犬の目は黒くて優しいものだと知った。小学校の、二年生か三年生のころだったか。

私には大切な犬だったが、子どもの私にはどうすることもできないまま、ゆうちゃんは私のそばから消えてしまった。

結婚した時、婚家にはマルチーズがいた。誰かが飼えなくなって手放した犬を、育てているのだと聞き、それはいいことだなぁと思った。

犬を飼育する環境は、今とはずいぶん違うとはわかる。もう四十年以上も前のことだ。

そのマルチーズは去勢を施されておらず、はじめに私を驚かせたのは序の口、姑は書道の教室をひらき短歌結社の本部を引き受け、親戚も膨大に多くて人の出入りの多い婚家だった、のだが、だれかれ構わず脚にしがみついて腰を振りまくる犬だった。いやがられていたと思う。いやがられていることを知らないでいる犬が、私には、哀れでもあった。

手術を受けさせてやったらどうか、と、遠慮しながら提案してみた。何度か言ってみた。そんなこと、と姑は耳を貸さなかった。当時はお金の無い家ではなかったのに。

家の庭に出して用を足させるくらいで、ほとんど散歩にも連れ出さず、姑は外出の多い人であって犬は家に閉じ込めて出かけるのが常の人だったから、留守をする犬は、家のいちばん奥の和室の畳の上に、おしっこをしてしまっていることが多かった。そこは予備の部屋ではあったが、においは染みつく。

帰宅して姑は、臭いの汚いのとぶつぶつ言いながら、始末をしていた。私がいれば私にさせた。すでに十分な大人の犬だったが、トイレの場所も決まっていなかったのだ。

いま、こうして書いていて思い出すのだが、なんといいかげんな扱いを、あの、基本的にはおとなしく愚痴を言うでもなかった犬に対して、していたのだろう。

逃げたいわけではないが私は、何かが違うと思いつつ、その当時の「嫁」の立場の人間として存在するしかなく・・犬に対してどうしてやりようもなく、体も大きくなりすぎて目の下の毛のいろも、オレンジ色に染まってしまっているような犬の、飲み水を替えてやるくらいしかできなかった。そっと撫でてやるくらいしか、できなかった。散歩に連れてゆきましょうかと提案したが、毎日してくれるんやなかったら、気まぐれにそんなことせんといて、と言い渡された。

あの犬は、かわいそうだったと思う。途中から引き受けるなら、それなりのやり方があったと思う。叩きながら、本人に向かってワルクチ言いながら飼うって、どうだったのだろう。

ほどなく犬は死んだ。私は、犬の棺に、たくさん、花を入れてやった。見ているしかできなくてごめんね、と、心の中で謝りながら(そのころには姑たちと別居していて)自分の家にたくさん咲かせていた花を、手当たり次第に切って持って行って、落ち着けないまま死んでしまった犬に、手向けたのだった。手向け花は、自己満足でしかなかったとしても、犬の骸をせめて花で飾ってやりたかった。硬くなっているからだの下には、ソーセージやビスケットを潜ませてやれた。姑は

「義理は果たせたていうことやわ」

と言った。その人のそういうところが、嫌いだった。

もっと積極的にかかわってやればよかった。いまの私のような、ずぶとい自分であったなら、もっと何か、してやれただろう。いまも、ベアちゃんごめんね、の気持ちは残っている。カットになんか行かず飼われていて、目に覆いかぶさっている髪(?)を、寄せて、頭のてっぺんで痛くないゴムで束ねてやると、丸いくりんとした目が現れて、その目は、いつだってまっすぐに私を見つめてくれたのだ。

それ以後も姑は、近所の、飼い主のおばあさんが亡くなった猫を、娘さんから引き取って、ふすまが、障子が,においが、口が贅沢で、など、文句たらたら言いながら一緒に暮らしていた。そのマリーちゃんは、20歳くらいまで生きたが。引き取られた時、かなりの高齢猫だったし、耳が遠くて、ひっきりなしの姑のボヤキ、いやみが聞こえにくかったのかもしれない。

戻って銀蔵の話である。

娘婿のSは、それは丁寧に犬の面倒を見た。ケージの中をきれいに拭き上げ、シートもきちんと敷き,しつけしっかり愛情たっぷり、朝と、仕事から帰っても散歩に連れ出し、銀蔵のお腹の具合のわるいときは、納得ゆくまで排泄物を調べていた、食べるものも厳密に選んだ。

昼間、家にいるのは、自室で仕事をしている私だけ、のことが多かった。

銀蔵は、生まれつきの骨の病気とやらで、右後ろ脚の大手術を経験していた。

家に来てから数か月たつうち、抱くと悲痛な悲鳴を上げるようになり、受診してすぐに手術の日取りが決められたようなけっこう大きな手術で、その足は、筋肉が他の脚より育ちがよくなくて細く、走るにしても、四本の足で地を蹴って、というわけにはゆかず、浮き気味の脚だった。

私は銀蔵に、太陽の光をたくさん、浴びさせてやればいいのではないかと考えた。運動はさせた方がいいとは、S自身から聞いていたし、南側は生垣と三本の樹のほかは芝しかない庭で、存分に日光浴をさせ、走らせ、してやればいいと考え、Sに諮った上で、そうしていた。洗濯物を干しに出る時、銀蔵に声をかけて一緒に庭に出て、しばしの間、自由にさせる。嬉しそうに銀蔵は跳ね、走り、立ち止まって風のにおいを嗅いだりハチを追いかけようとして慌てて私に抱き寄せられたり、庭でのひとときを楽しんでいたのだ。

走りすぎたとき、悲しいことに時にバランスが崩れ、左足を払われるように横向きに、すったーんと転ぶのだった。

すぐに起き上がって、人のいい顔を私に向けて、なんだかわかんないけど転んじゃった、みたいなおうような表情を浮かべるのだった。

食べるものも、Sの選んで与えるドッグフードばかりでなく、バナナや犬用のジャーキー、時に自宅で焼いたお好み焼きを少し、など、銀蔵が喜んで食べ、結果的にお腹にコタえないものを、注意しながらわずかずつ、与える楽しみを味わっていた。

銀ちゃんは、スイカが好きだった。しゃりしゃりと、美味しそうに食べていた・・・。

・・・あまり言わないことにしたいけど。

Sは、Sで、思うことがいっぱい、あったのだろう。

男の孫も女の孫も、家の中で誰より優しいじいちゃんと、とにかく美味しくてできるだけ体にいいごはんを作って食べさせることに意欲的なばーちゃんである私に、たいそう、なついていた。保育園の送り迎えも運動会の応援もお弁当つくりも学校から帰った時の話し相手も。すべて、ひとときじーちゃんばーちゃんだった。赤ん坊の時から、子供はツマの親が同居しているのだから任せておいて、週日は仕事のある自分たち夫婦は、休みの日くらい、夫婦ででかけたい、旅行も夫婦でする、そういう親だったから、それに馴染んで、親がいなくても気にならない子どもに育ってしまっていた。

言い訳しておけば私は、自分なりに、お父さんお母さんが一番なように、子どもたちにとってそうであるように、そちら向くようにつとめていた。それは事実だったと思う、今も。

私にとってはそうであっても。SにはSの、胸の底にたまる思いがあったのだろう。勝手だとは思うが、認める。仕方ないこと、人はみんな、勝手なのだもの。

・・・愛する銀蔵は、銀ちゃんだけは、ばーちゃん一番は、避けたい。イヤだ。そうはさせない。

Sが、そう考えていたとしても不思議はない。私にはそんな気持ちはよく見えていた。

銀蔵に関して、小さなことが、ちょくちょくの不満の種になって行っていたようだ。

Sは私に、いろんな「してほしくないこと」を示して来た。

ばあちゃんの部屋で、へそ天に転がって銀蔵が、いびきをかいて眠っている昼間。

庭を走り回って、その時に口に入れた草の葉が、そのまま排出されていたことへの不安、不満。

あれこれ、あれこれ。銀蔵のこととして言う以外、言いようがなかったのだとも、私は思っている。Sの立場になってみれば。

・・・私の部屋でメモの切れ端を食べたのだろう、消化されずに出て来てしまった。そう、Sは言い、昼間も庭に出すとき以外はばあちゃんの部屋には置かず、ケージに入れておいて欲しい。

そう言われて、なるほどSの大事な犬だものなと受け入れ、守ろうとしてみてしばらく。

「出して欲しくて銀ちゃん、お昼間、私を見るとわんわん鳴くのよ」

「鳴かせといたって」

「のどから血が出るんじゃないかと思うくらい・・」

「鳴かれて気になるなら、鳴かせんようにそういうモンがあるから、銀、鳴かんように電気でバシッとなるように、しよか」

「そんな可哀そうな」

私は引っ込んだのだ。

銀蔵は、事情がわかったのかどうか、昼間ほとんど鳴かない犬になった。

庭に出してやれば喜んであと、部屋に入って来ようとするから、私が、銀蔵を拒否するのがつらくて、庭にも出さないようになった。

銀蔵の「ボス」であるSの言い分を、聞き入れた。

娘は、独自の銀蔵への接し方をしていたし、孫たちは、父親の対・銀・統治が厳しいので、かわいがってきた犬に、あまりかかわらないようになっていった。

Sは、皆が自分の部屋へ上がってしまったリビングで、銀蔵を体の上や横に置いて、一人でテレビを見ていた。銀蔵もくつろいで柔らかくなって眠っていた。それは、平和な光景ではあった。

時に。

銀蔵のケージの据えてあるリビングで、夕食後、Sの家族が銀蔵を出して、かまって、銀蔵も喜んで吠え、皆は笑い、私は食器の洗い物をしたりしている時。

自分の中に、どんよりした明るくない気分が、粘着質に広がって行くのを、しばしば、感じるようになった。

夫は私の味方ではない。わかっている方が自分を抑えて、わかるまで見守ってやるしかない。それが、夫の、三世代同居の暮らし方への基本方針なのだった。理屈では、私も、わかっているつもりだった。

でも、もう、や~めた。

夫が脳梗塞の発作を起こして数日間の、いろんなこと。・・・いや。それ以前からの、小さい薄い他愛のないようないろんなことが、雲母のように積り、重なり、気持ちがミシミシして行っていたこと・・・

私は出て行こう、もう若いひとたちと一緒にはいられない。日頃はあまりグダグダ言わないことにしている・・・言っても仕方のないことが多いのだし・・・のだが、夫に、言ってみた。

夫は、今までなかった言葉で応じた。

「そうしようか。」

びっくりした。

「あんたも頑張った、ぼくももう、今までみたいに皆の助けにもなられへんし」

夫は、家じゅうのゴミ出しから孫たちの「明日学校でいるものが無い」の要請に応じて買いに走るやら、上げれば切りのない「無給,無休の、有能な爺や」として、十年以上、娘の一家を支えて来ていた。私も、家庭内に於いては無給、無休の、おさんどん、洗濯物係、なんでもお金出す係、その他なんでもやっちゃうばあちゃんとして、存在して来た。

してやったと言うつもりは無い。納得して、していた。孫たちと暮らすのは幸せだったということ、嘘ではない、ぜんぶ。

でも、もう、いいでしょう。

切り口上を口から出したくない。でも、ここで出します。

「じいちゃん、ばあちゃんの老後のめんどうは俺がみる」

そう言う(言ってくれる)Sに、ありがとう、よろしくね、と、ずっと答えて来た。おそらく、言葉だけでもありがたがるべきことなのかもしれない。

でも私は、それを嬉しがれる可愛い純情なばあちゃんではないのだ。残念だが、そうなのだ。

「じゃあ、出て行くよね」

「ああ。前から探してた、あのへんで」

話は早かった。夫は体力気力に自信が失せ、私の出て行きたい理由・・・もお、けっこう、もういいよね、先はわからんが、行けるとこまで自分らで行くわ。・・・とは異なる理由で、GO、としたのだろうが。

私は引っ越し先を探し、申し込みに走り、直観にたよってためらわず住まいを決め、お金を用意した。息せき切って、走った。そして、すべて決定してから、娘と娘婿に話した。

「私たち、出て行きます。会社のそば、じいちゃんが歩いて通えるとこ。

孫たちももう手がかからないし、夫婦でちから合わせて頑張ってね、祖父母業はとりあえず引退させてもらう、自分たちのためにこれからは生きるわ。まだしばらくは仕事しながらね」。

娘は虚をつかれた顔になった。

娘婿は、反対する理由も権利もない、と言った。

孫たちにも話した。孫たちは、じいちゃんばあちゃんの住まいに遊びに来られる。と。来てね、会いたいからと。

高校一年生の男の孫が、ばあちゃんの味方ができなかって、ごめんな、と、目を赤くしてぽつんと言った。詳しくは言わなかったし私も聞かなかったが、家の中でそんな思いをさせてしまっていたのかと、胸が痛んだ。そんなことないよ、と私は言った。彼は少しの間、黙って泣いていた。胸がつぶれるくらい申し訳なく、苦しく、そして、嬉しかった。事情があって、ほぼ育児放棄に近かった娘のサブとして、この子とは、片時も離れることなく暮らして来たのだ。

中学一年生の女孫は、うつむいてやはり泣いていた。抱きついて来て、ばあちゃん大好き、ぜんぶ大好き、と言ってくれた。

時間もお金も気力体力も、使って来てよかったと思った。・・・たまに小さな例外はあったが旅行もせず、贅沢もせず、この子たちの大きくなる手助けに没頭して来て…没頭できて・・・、本当によかった、と思った。

嬉しかった。

先日も、春休みになったからとて、二人で一泊で遊びに来たのだ。

・・・夫の体調が気になるので、引っ越しは、お金で済むことはすべてお金に頼って、迅速に進めた。

最後の荷を出す日、夫は運送業者を家で待って荷を出すことに決め、実行した。私は前夜から、新しい住まいに先に行って待つことにした。

やがて夫は頼んでおいた方に車に乗せてもらって、着いた。家を出る時、娘も娘婿も、玄関へは出てこなかったようだ。それに怒ったりがっかりする甘さは、私には(たぶん夫にも)すでに、残っていない。

今まで丸投げしていた食事つくり、弁当つくり、洗濯を干して出て帰って取り入れること、大量に出るごみを分別して捨てること、光熱費など必要なお金を支払うこと、すべて、自分たちでするようになって、大変なようだ。アホか、と私は思う。どこの共働き夫婦もしていることだ。当たり前にしている。しっかり頑張れ。まだ間に合う、親たちが必死になっている姿を、子どもたちに見せてやれる、まだ今は。間にあったのだ、きっと。

いい年をした大人である娘と娘婿、二人の、自立の、じゃましていたのは、夫と私の咎だと思う。始まりからの都合や何やで、そうなってしまっていた。

私はもう、お節介な手や口やお金を出す気は無い、こちらから、なめられながら、やさしいばあちゃんでいようとすることは、無いだろう。困ったら言ってみてとは、声をかけてある。

いろんなこと、最後の方では私を完全に無視していたようでもあった(ばあちゃんは鬱陶しかっただろう、それはわかる)Sが、懸命にあれこれ、尋ねる電話をかけて来る。彼は必死なのだ。根っこはまじめで小心者で、そして、頑固。ちゃらい男でなくてよかったと思う。娘は、自分で夫を選んだのだから何がどうでも仕方ないが、孫たちの父親が、あのSでよかったと、これは本当に思っている。

電話は好きでないので、あまりかけて来て欲しくない。落ち着いたら、言わなくても、私になど、かけては来ないだろう。そう思って見ている。

今日は、奈良にいる銀蔵の誕生日だった。本人(本犬)に、そんなこと、わかってはいないだろう。あたりまえ。でも、先日来た孫たちが、帰る時、銀ちゃんのお誕生日は、〇〇とかでデリバリーとって、銀ちゃんは食べられなくても、皆で祝ってあげてねと、いくばくかのお金を託しておいた。

晩御飯が済んで、テレビで水泳を見ていた時、娘から電話がかかった。

ピザとサラダと何やらを、とって、皆で銀蔵の誕生日を祝った。Sが銀ちゃんに、ばあちゃんが銀に会いたがっているやろな、と、しみじみ言ってたよ、と言うから、ああ、そう、ありがとう、と答えておいた。

銀ちゃん。ばあちゃんは、確かに、銀ちゃんに会いたい。会いたくないことは無い。会いたい。

でも。最後の日、きちんと、お別れしてきたから。ケージに入ったままの銀ちゃんと、目を合わせて。

さよならだよ、銀蔵。そんなに遠くへ行くのではない。帰る気なら帰れる、だけど。ばあちゃんは、おそらく当分、この家には出入りしない、だから銀ちゃんにも会えない。この家は、ここの家族四人と銀ちゃんの家。ばあちゃんは、あちらで、じいちゃんを大切にして(これは言葉のアヤです、事実はあまり大事にしていない・笑・夕ご飯の後の片付けなんぞもしてもらっています)自分の時間を大切にして、ゆっくり、暮らしているからね。

そう、決めたの。

会える時には、会いたいね、銀ちゃん。元気でいてね。

お誕生日おめでとう。



  1. ゆれ・ふら・とーく
  2. tb: 0
  3. cm: 13
  4. [ edit ]

なんということもない一日。

今日はいちにち部屋にいました。早朝から数時間集中して仕事をしました。テレビで高校野球の試合を見ました。優勝候補に挙げられている大阪のあの学校は、あきれるくらいスキが無い。

21世紀枠とやらで初出場、初の甲子園であの学校とぶつかってしまった高校、初回からたったかたったか打たれ走られ点を取られ、見ていて胸苦しいものがありましたが、最終的には2点とって。対戦相手であるあの学校は14点だったから、勝ち負けはともかく、ボコボコにやられたというより、何か、その2点の喜びがあったような気がして、後味はわるくはなかったです。

第一試合で負けて帰る初出場校の皆にとって、今日の甲子園は、おそらく生涯こころに残る一日だったのではないかと思います。

桐蔭高校にとっては、また違う試合だったのでしょう。たくさんこなす、たくさん勝ってゆく中の、その、一つ。でも、そうは言っても、初めて出してもらって次には他の誰かが自分の代わりに晴れの舞台へ・・・100名を超える部員数だそうで・・・という、地味な部員には、今日の試合はやはり、生涯の思い出になるのですね、きっと。

お昼にはチャーハンを作って食べました。だいたいはオリーブオイルとごま油、こめ油の他は使わないでいるのですけど、残りごはん利用の炒飯、ラードを使って作るとおいしい。高菜とたまごの、シンプルなチャーハン。

食べながら考えていたこと。

けっこう前の回になりますか、はじめワルクチを言いまくった朝の連続ドラマ。ひっこしがあって途中見なかったのでしたが、なんだかおもしろくなっていて。

先週のことでした、この住まいに「えぬえいちけー」の人が二人、訪ねて来られて。私は、嘘をつくのも逃げるのもドアをバタンと締めちゃうことも、よしとせず。作り笑いも大変だな疲れそうだなとなるべく見ないようにしながら、言われるままにけいやくを済ませたのでした。

絶対に払わない、とか、よう言わんのです、私、ヘタレなのか。ひどく偏向しているのは事実でも、目の前の相手に言ってどうなる、など、つまり思ってしまうし。実際、台風の時は見ますし。

で、タダのもの苦手なわたし、以後はゆうゆうとテレビを見ていました。(笑)。

伊能栞、という名の登場人物が、失意の中で、おうどんをすすっていました。関西で言う「ええしのボン」で、でもお母さんは正式のひとでなくて、という役回り。いつもいい服を着ていて、それが自然に身についているような。私、数か月前に親しい友人に、彼のことを、痩せたヤギみたいで~、と、ワルクチ言ったことがあります。友人は私の性格の悪さを知っているので、怒りもせず(多分、彼女は彼をいいと思っていた・・俳優を見るセンスのとても冴えている女性なのです)少し何か、その高橋一生の演技は「いい」ということを、穏やかに口にしたのみであったのですが。

見ているうちにだんだん、その俳優が、単なる「痩せたヤギ」でないことが明白になってきたのでした。

いろんなもの、何もかもを失うことを受け入れて、何を恨むでなく。

斜め後ろから撮られるシーンで、その役者は、うどんを、ずぅっとすすったのでした。寂しい姿で、うどんも素うどんっぽい、でも、何というか非常に、そのひとの表に出さない気持ちのリアルに見えるシーンで。

うわぁあ、と、ほんの短いそのシーンを見て、ごめん、高橋一生。あなた凄いです。そんな風にこころの中で謝っていたのでした。

…昨日は日曜日。あのカフェの前を、バスで通りました。日曜は休みの店ですので、窓のカーテンはびっしり引かれていて、暗くて、生気の無い顔つきの店に、昨日は、見えました。

求人の紙は、バスの中からは内容は見えませんが、剥がされずに貼られたままのようでした。




  1. ゆれ・ふら・とーく
  2. tb: 0
  3. cm: 0
  4. [ edit ]

たあいない話

昼間は一人でいます。

4時までは主に事務的な仕事をしている、というかっこうです。時によって土曜日や日曜日に、引っ越して来て近くになった工場へ行って現場仕事や後片付けなどすることもありますし、シンプルに何時から何時までが勤務時間、と言い切れないワタシの立場。

なんでこんなことを書いているかと申しますと。

昼間、デスクの前でオシゴトしているはずの時間に、いろんなこともやっています、の言い訳でしょうか(笑)。
いろんなこと、のなかの小さな一つは、ここへ来て始めたことで。

ベランダに遊びに来るスズメたちの、観察。

そんなには見た目、違いの無さそうなふつうのスズメが、三羽くらい、常連になっています。

太ちゃん、細ちゃん、全体の色彩の薄めのアワちゃん。

みんな揃って来ることはなく、一羽ずつ、飛んで来ます。

ベランダは南向きで日当たりが良く、そこへ、日によって順番はさまざまですが、一羽ずつのスズメが、すううっと降り立つ。

何も置いていないと、ちょ、ちょ、と飛び歩きして探して、へえ、何もないんだ、ふうん。みたいな感じで、行ってしまう。それが何だか気になって。

朝ごはんはトーストにしている、その、パンの端っこをちぎってよけておいて、洗濯物を干す前に、三等分にして撒いておいてやるようになりました。

よく見ていると、一番さきは細ちゃんが来ているようです。撒いてあるパンを、大きな(スズメにしては)形のままくわえて、くちばしでつついて、食べています。けっこうな量を食べています。

次のコのために、また、撒いておく。太ちゃんはパッパと大胆に食べ終えて、窓ガラスの向こうから、部屋の中をのぞき込むような風情でいることもあります。首をかしげて、かわいい。部屋に来てくれるのかな、と、ドキドキしますが。

あえては招き入れることなく、パンのささげ人としての立場を順守しております。

アワちゃんは淡々としたスズメで。欠かさず来る、というのでもありません。来てくれると、来た来た、という感じで、食べろ食べろいっぱい、ぜんぶ食べてね、という気持ちで、ずううっと眺めていてしまいます。

部屋の外では、そんなことが起きています。

部屋の中では、奈良から一緒に越して来たハムスターが、日中はほとんど、おがくずに埋もれて眠っています。

この子も少し、パンを食べます。必ず手の上にのせて食べ物を与えることにしています。ケージのふたを開けると、さーっと寄って来て、差し出した手のひらに載って来て、パンやヒマワリの種や乾燥させたニンジンなどを食べます。ハムスターには頬袋があって、どれだけでも、口に入るだけもらったものを食べて、頬袋に詰め込んでいます。体のカタチが変形しているようなこともあり、感心して眺めていることも、しばしばです。

バナナやイチゴなども食べます。自分でここ、と決めたところへ走って行って、せっせと頬の袋から出して、食物をため込んでいるのです。その、大切な貯蔵物を、ニンゲンはひどいもので、週に一度の全体掃除の際に、取り上げてしまうことをしています・・おがくずなど全て取り換えてしまいますので、掃除の後、ケージに戻されてからのいっとき、ハムスターは、必死で、隠しておいたはずの食べ物を探し回るのです。

ごめんね、ハムちゃん。

あと、いるものといえば。

ソファの上に、おなかぺったりの姿勢か、いわゆる「へそ天」の姿勢の、トイプードルのぬいぐるみの、小銀。

生きているトイプーの銀蔵とは、別れてきてしまいました。銀蔵クンは、娘婿の大事な大事な家族でした。私は、いろんな都合のあって、とはいえ、家を出てくるのだから、銀ちゃんとは別れるしかなかったのです。

最期の朝、銀蔵に挨拶をして、銀蔵の目を見つめながら、

また会えるけど当分は会えない、銀ちゃん元気でいてね、ありがとうだったね、ばあちゃんは銀ちゃんのこと、大好きです。

そう言葉をかけると、何も言わずに、じいいっと、濡れた綺麗な目で見上げていてくれました。

今度いつ、会えるか、実はわからないのです。でも、あの家に、かわいがられて、元気でいてくれます。

小銀は、ほんもの銀蔵と、アーモンド色の体の色と、触れても全く抵抗しないお任せの感じが・・その感じだけ、似ています。









<<NEW ENTRY  | BLOG TOP |  OLD ENTRY>>

ブログカウンター

プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・