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返事の中までKUONです。

  1. 残念なこと
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経過なくして結果なし

連休明けの五月八日、皇后さまは、全国日本赤十字大会にご臨席だったそうです。

腕や首の痛みは軽減しておられる、とのこと。

代々の皇后陛下がそうだったように、名誉総裁であられるとか、なんとなくは知っていました。

副名誉総裁の秋篠宮紀子さま、同じく常陸宮華子さまも、出席されました。

雅子さんは、出ていません。

今のまま行けば、雅子さんは、次期・名誉総裁に就かれるはずなのですが。

徳・満たずして成らざれば、誰のせいにするかな~。

ご体調がよろしくなかったのでしょう。

今回調べてみれば、雅子さまは最近はずっと欠席。でも、同日に行われた日本ユニセフ協会の方へは、出向かれたことがありました。

風の吹くまま、気の向くまま。浮浪雲のごとき行動は、つづまり、野垂れてのラストを迎える覚悟を秘めるもののすること、と、あの「浮浪雲」のダンナが言うてた・・・違うかな。

それは、それとして。

自分が、雅子妃を「違う」と考えることを、過去のことをほじくるようでありますが、自分の気の済むように、一つずつ、アトランダムに、書いて行こうと思います。

既にあちこちで十分に、知らされていることではありましょうが。

書いて気の済む問題でないのですけど。


・・・皇室に、というより、天皇家にお子さんがお生まれになると、さまざまな「決まり」にのっとって、いろんな儀式や行事があるようなのです。

命名とか、お食い初めとか。七五三、とかは、普通の家庭でもします。実は私は、正式な場所とか服装とかいろいろのこと一切、面倒くさくてイヤ、な雑なヒトなのですが、何とかオコナッテ来たのです。そういう「よめ」さん、多いのでは。


普通でない気のする「賜剣」と「着袴」の儀、について、東宮家の内親王さまの場合を、調べてみました。


<<<緊張の東宮大夫=桐箱取り落とし一瞬ヒヤリ-賜剣の儀〔ご出産〕

(時事通信) 2001年12月1日(土)18時33分
天皇陛下から新宮に守り刀を贈る「賜剣の儀」は、ご誕生から約2時間後の1日午後4時半から、宮殿の表御座所で始まり、約30分間で滞りなく終了した。(下線・KUON)

伝達役の古川清東宮大夫は午後4時35分、授けられた刀の入った桐(きり)箱を恭しくささげ持ち、宮殿西車寄の玄関前に姿を現した。緊張した面持ちで、ゆっくりした足取り。箱は菊の紋が付いた紫色のふくさに覆われ、袴(はかま)の目録を持った宮内庁事務官が付き従った。

緊張のためか、古川大夫は箱を取り落とし、慌てた大夫が箱から飛び出した賜剣を踏みつけてしまう場面も。事務官が剣を拾い上げ、事なきを得たが見守るマスコミ関係者は一瞬あっけにとられた。
その後、事務官が代わりに皇太子ご一家の待つ宮内庁病院に入り、刀は無事にお子さまのまくら元に安置された。>>>

<<<知識あれこれ

賜剣の儀(しけんのぎ)= 皇室に子供が生まれた際に、天皇から子供の健やかな成長を願い子を守る目的の守り刀を授かる儀式。小刀は白木の鞘で赤い布に包まれ桐箱に入れられ、宮中で天皇の意思を受けた使者(勅使)に託され、勅使が代行として子の元に赴き、子の枕元に供える。

胞衣埋納の儀 胞衣(胎盤)を納めた壺を地中に埋める。少なくとも、清宮貴子内親王の誕生までは行われていた[1]。 浴湯の儀(よくとうのぎ) 誕生7日目に行われる。部屋を二つに仕切り、一方で女官が子を湯浴みさせる。もう一方では衣冠単姿の読書役(とくしょやく)が古典の一説を朗読し、鳴弦役(めいげんやく)が掛け声とともに弓の弦を引く。なお、湯浴みは状況に応じ真似だけの場合もある。

命名の儀(めいめいのぎ) 誕生7日目に行われる。子の名を筆で記した和紙と、子が身の回りで使う物に記す「お印」を記した和紙を一緒に桐の箱に入れ子の枕元に供える儀式。この儀式の翌日に正式な皇室の一員として皇統譜に名が記録される。一般における「お七夜」。

三殿奉告の儀(さんでんほうこくのぎ) 命名の儀と同時刻に、宮中三殿に子の誕生と命名を奉告する。 賢所皇霊殿神殿に謁するの儀(かしこどころこうれいでんしんでんにえっするのぎ) 誕生後50日目に賢所、皇霊殿、神殿の宮中三殿を、子が初めて参拝する儀式。一般における『お宮参り』。

お箸初め(おはしぞめ) 誕生後100~120日目に子の健やかな成長を願い、新しい椀や箸などの膳に小豆の御粥を用意し、それを子に食べさせる儀式。しかし実際には食べる真似だけである。一般における『お食い始め』。>>>

守り刀を落としたり踏んでしまったり。あっけにとられた、なんてのどかな感じではないようですが、誰に悪気あってのことでなし。当時は古川東宮大夫の名誉のため、伏せられたことらしいです。

これが「滞りなく」なら、多少のことは滞らないな、と考え、このお子さんのその後が、なかなか、なので、やはり大変なことだったのか、と、思っています。。



<<< 着袴の儀(ちゃっこのぎ) 子が数え5歳の時に、『賜剣の儀』の際に贈られた袴を着用する儀式[2]。

男子は滝の意匠をあしらった和服「落滝津の御服」の上に白絹の袴、女子は濃色(こきいろ:濃い赤紫色)の小袖と同色の袴を、それぞれ着用する。

女子の場合、さらに袿を着用し、衵扇(あこめおうぎ:檜扇とほぼ同義)を手にして儀式が終了したとされる[3]。

深曽木の儀(ふかそぎのぎ) 着袴の儀に引き続き行われる。着袴の儀で着用した和服と袴に加え、さらに童形服を別室で着用する。子は松と山橘の小枝を持って碁盤の上に乗り、子の髪を少し切った後、子は掛け声とともに飛び降りる[2]。 もともと、着袴とは独立した儀式だったが、近世までに同時に行うようになった。

1970年(昭和45年)の礼宮文仁親王の後、2011年(平成23年)の悠仁親王の際41年ぶりに行われた。従って、この間女子皇族(内親王4名および女王5名)について深曽木の儀は行われておらず、少なくとも現代においては男子皇族のみ行われる儀式である。
着袴の儀・深曽木の儀の終了後、宮中三殿を参拝する。>>>

愛子内親王の場合

<<<2006年(平成18年)4月11日、学習院幼稚園に入園。同年11月11日に、袿(うちき)と袴をつけ「着袴の儀」を行った。このとき着けた「濃色(こきいろ、濃い赤色)」の袴は、誕生のときに天皇から贈られたものである。>>>

これについての動画を、見ました。




巷間、さまざま書かれています。

動画にある、赤い(と書かせてもらいます)お召し物が、本来の、陛下から贈られた衣装のようです。これを、着せてもらっている画はあるのですが、本番の画は無い。

一言で言えば、愛子さんの「着袴の儀」は、行われなかったのではないか、という説が有力です。

着袴の儀には、どなたか皇族の立ち合いがあるとのことですが、秋篠宮さまは「着袴」・・・う~む、と、言葉を濁された。と。

「着袴の儀 」の後である、と報じられている東宮家三人の写真では、愛子さんは、陛下から贈られたと言う赤いものでなく、ピンク色を着ておられる。

私は全くこの方面の知識に乏しく申し訳ないのですが、皇室の色、材質でない・・・と思う・・・。

髪も。

結婚式の朝、今はどうだか知りませんが、私が早朝、美容院へ行って髪をしてもらう時、そこの「先生」は、ざんばら髪で仕事をして下さいました。髪は、ある時には不浄の扱いをするらしく、およめさんの髪をする朝には、美容師は自分の髪に触れないのだと。

いつもより念を入れてざんばらだった美容師さんが、教えてくれました。

↑のような意味なのでしょうか、着袴の儀の朝は、当該のお子さんの髪は、櫛を当てないままにしておくのが正式だというのですけど、当日の愛子さんは、きちんと前髪も後ろ髪も、梳き梳かれていたのが、目立ったことだったらしいのでした。

細かいことを、重箱の隅を、とは、私は、思いません。

ここ、という時に守るべきことは、変なアレンジをしないで、伝わるままに、という世界が、あると思うのです。

同様に、ご両親の姿も。

晴れの儀式であって、皇太子さまは正装されています。

雅子さんは、シルクか何かは存ぜねど、どんなに素材が良くても高価なものであっても、正装でない、白いスーツ姿です。

どうしても、決まりを守りたくないとしか、今、考えても、思えません。

悠仁さまの着袴の儀の秋篠宮家は、宮様が洋装の正装、妃殿下も、和装で。お並びで、素晴らしいです。



そして。

愛子さまの「扇」は、いずこへ行ったか。

着袴の儀、が、あったかリハーサルだけだったか、それ以後。

天皇皇后両陛下は、それまでお呼びになっていた「敬宮」という呼び名でなく、愛子、と、お孫さんを呼ぶようになられた。徹底しておられます。

とか知ると、なんだか、やっぱり、あれこれ、いろいろ、ちゃあんと解って・・・いらっしゃるかどうか、そんなことを勘ぐるわけにはまいりませんが。


古い記事を一つ、持って来させていただきます。

<<<山陽新聞WEB NEWS

愛子さまの写真

 少し古い話になりますが、昨年十一月十一日に皇太子家の長女愛子さまの「着袴(ちゃっこ)の儀」が行われました。この日は社会面の担当でしたが、写真の選択で迷いました。一つは当日の儀式を終えられ皇太子ご夫妻と一緒の写真ですが、愛子さまは着替えられていました。もう一つは、七日の「予行演習」の写真。こちらは儀式用の童形服(どうぎょうふく)を女官らの手で、身に着けているところです。「本番」の写真はありません。通常は、記事と同じ日の写真を使うのですが、愛子さまの表情がよかったことと、記事の内容に合う正装姿ということで、朝刊では四日前の写真を掲載しました。写真説明には「7日、東宮御所(宮内庁提供)」とあるのですが、読者に当日の撮影と誤解されるのではないかと悩みました。新聞が刷り上がってからも差し替えようかと思ったほどです。
 記事の選択についても、なかなか決定できないことがあります。同じ会見や法案でも通信社によって、記事の書き方が違います。強調するところや視点が異なるからです。時には、見出しが正反対になることもあります。裁判物などでは、両論の談話やサイド記事を掲載して、偏った紙面にならないようにしています。
 紙面が出来上がった後、机の上には、気になった原稿がいくつか残っています。何を選択するかについては、微妙な個人差があると思いますが、バランスの取れた紙面になるよう心掛けています。難しいことですが、バランス感覚は新聞製作に大切なことだと考えています。
 (整理部・平松恭輔)>>>

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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
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四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

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