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われても末に逢はむとぞ思ふ

   少シヅツ右寄リニナッテ行クミタイ 友ガ言ヒ我ハ深ク頷ク

四十路半ばのころ詠んだうたです。

学生さんたちが元気にゲバ棒ふっておられたころ、同年代の私は一人暮らしをしていて、あっちやこっちを冷めた目で見るノン・ポリシー。

今は、多分、すこ~し右寄り、の感じでしょうか。いろんな自分がおりますので一概には言い切れません。。


天皇家は今年で2673年間、途切れずに続いている家で、今上陛下は、第125代目の天皇であらせられるそうです。その、世界最古、唯一と称される歴史の中には、

殺害された、またその疑いのある天皇、事故死された天皇、憤死された天皇、呪い殺された天皇、自殺された天皇。

流されたり幽閉されたり隠居を強いられたり追放されたり、逃亡された天皇もおいででした。


私の大好きな百人一首の中のこの一首。77番。

        瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ

この崇徳天皇は、さまざまな逸話を秘められた天皇で。呪いとか憤怒とか悪霊とか。去年の「平清盛」でも、オカルトティックな存在として描かれたように・・・・・そうだ、今日のブログにこれを書きだしたのは、この「オカルト」なる言葉を頂いたから、もあります。

「ずっと真面目にKUONさんのブログを読んで来たのに、オカルトのような呪い記事を読んで悲しい。信じられなくなります」

というメールをいただいて。いつも読んで下さっていることに、とっても感謝です。今日も読んで下さいね。

で。言い訳はしないけど、これについて書きたいな、と思って。

2600年余も続いている、と認定されている「家」に、なんの禍禍しいことの、無いはずが無いと、思ってしまうのです。

そりゃあ色んなことが、あったと考える。

三つで即位して八つで海の藻屑と消えた安徳天皇。

「海の底にも都のございましょうぞ」と、そのセリフ通りかどうか知らねど、かき抱いて言い聞かせて、幼帝であり愛おしい孫息子である安徳帝と共に身を投げた(という)祖母・二位の尼のお気持ち、自分も入水を願ったが果たせず、生き永らえてしまった生母の人生。・・・平家物語が好きなので、ついムキになります。

その、安徳帝入水を下敷きに書かれたのが、ラフカディオ・ハーンの「耳なし芳一」の話。今に伝わる平家カニの甲羅に人面が、という話も。

皇室の歴史の中で、京、奈良に陵の無いのは、この安徳帝(下関)、上にあげた崇徳上皇(坂出市)、淡路島の淳仁天皇のみ。

普通の家にも、何代も遡れば、何かかにかがあるのではないか。

私は、ムキにもなるが、基本的にサメた人間であると思っており、なかなか人の言うことは聞かない、信じない。と言っても、結婚すぐに、断れないで新聞を何誌もとるはめになった、などはあったが、いかにも、な都市伝説の類には、面白がって接することはあっても、身も心も引きずり込まれることは、無い。

祖母が「そんなことしたらバチがあたる」とか「・・・するとどうだ」「こうするとああだ」と、言い言いしていたことは、生活の知恵として納得する感じで。

昔は夜が暗かったので、夜に爪を切ると思わぬ切りそこないをして、破傷風などにかかる可能性もあり、先に死んで、だから=親の死に目に会えないと言うんだ、とか。

ばあちゃんが脅しで言うことは、実はとっても合理的なことが沢山だと、肌で感じていた。

その自分が、小店を営んでいた頃は、欠かさず盛り塩をしていたのは、分析してみると、言い伝えのごとき理由だったと考える。

自宅の鬼門にあたるところに、ヒイラギを植えて「これでいいよね」という気持ちになったり。

トイレをきれいにしているといい、とかは、普通に言いますね。

すべて、意識的にも無意識にも、邪。よこしまなもの。近づいて欲しくないものを、寄せない気持ちだったのだと思います。

よこしまなものや埃は、すぐに溜まる、積もる。せっせと払い続けていないと、汚れが落ちなくなるよ、と言われつつ 、これは実際に、丁寧なお掃除なんぞ、できておらんワタクシ・・・とほほ。

・・・いっさい、そういったものを受け付けない人もいるようだし、よそに向けて自分の思いをどうこうする気は無い、でも、目に見えないものは確かにあると、生きて来た間に実感したことは多数。

その家の最後の一人だった伯母の急死した夜に見た、長い長い白い蛇。

息が停まったと思われる瞬間に体を離れて、愛知県から奈良の私のところまで飛んで来て、別れを告げた母。

・・・このようなこと、ムキになることではないですね・・・。

そういうものに、人は、さまざまな工夫や努力で、立ち向かって来ているのではないかと、思うと、単にそれだけのことです。


天皇家には、歴史の長いなりのさまざまな「こと」も、おありだろう。

けれど、続いて来ている。

天皇皇后両陛下の、深い一心の祈りの心。

国民もまた、存続を願いつづけなければ、続くのは難しかっただろうと思う。

戦争に負けた後、昭和天皇は、自分の身はどうなろうとも国民を、と、パイプをくわえた戦勝国のボスに会いに行かれた。

詳しいことはしりませんが、甘いと言われるでしょうが、マッカーサーは紳士だった、軍人でありつつ教養を備えた人でもあった。

天皇の極限の思いを、理解できる人でもあった。・・・・・それを、利用、と言う人もいるけれど。

そうして、残された皇室だと。


「国家の安寧と国民の繁栄」

ひたすらにそれを祈って、祭祀を行っておられる両陛下。

それが皇室の、あらまほしい姿なら、そうでないものは。

人間の力でなく、法律でなく他のものでもない、皇室を皇室としてあらせるための、何かの力。2600余年の力、のようなものが、さまざまな形で、あらわれて来るのではないか、と、やっぱりオカルトかなあ・・・いや、違いますよ。

ある一家がばかでもどうしようもなくても、それは、もう。

戦後利得者、という言葉があるようです、その言葉は、小和田家について検索をしていた時に知らされた言葉で。

得とかどうとかの世界でない、とく、というなら「徳」の文字こそが天皇家にはふさわしい・・・と書いて来て、あれれれれ。

徳。

せっかくその位置に生まれて育ったが、何の因果か、ふさわしい人でなくなってしまわれているお方、何もかもが見えてしまう現代、その「徳」の文字が、いっそ切のうございます。



末尾になりますが。皇族のお一人の仰ったことの引用を、させていただきます。亡くなられた三笠宮寬仁殿下の言葉です。

<<<「私〈寛仁親王殿下〉は伯父様〈高松宮殿下〉をずっとお手本にしてきたところがあって、こういう言い方は申し訳ないんだけれど伯父様を水先案内人と心得てやってきました。

中でも伯父様が生前よくおっしゃっていたのは、皇族というのはいにしえの昔から国民に守られてきたんだ、ということです。

京都の御所を見てもそのことがよく分かる。あそこはどこからでも侵入できるし、外国の城のような大きな濠もなければ、高い塀もない。ところが長い年月、泥棒が入るでもなくずっとあのままの佇まいで在りつづけているわけです。伯父様は、そのことを見ても皇室がいかに国民によって守り育てられてきたかが分かるとおっしゃっていました。私もその通りだと思います。」
(寛仁親王殿下「皇室と日本人」『文嚢春秋』93年7月号)

また、皇居や御所が過剰に警備されていることに対して、高松宮は喜久子妃殿下に次のように語っていた。

「皇族というのは国民に護ってもらっているんだから、過剰な警備なんかいらない。堀をめぐらして城壁を構えて、大々的に警護しなければならないような皇室なら、何百年も前に滅んでいるよ」(『文嚢春秋』98年8月号)

多くの王は軍事力によって守られていた。高い城壁に深い堀を巡らし、軍事要塞に住むことによって安全が保たれていた。軍事力によって守られる者は軍事力によって倒される運命にあったわけだ。しかし、軍事力を持たずに、国民によって守られてきた日本の皇室は軍事力によって抹殺されることはなかったということになろう。

そして皇室が国民に守られてきたのは、天皇と国民の間が強い信頼関係で結ばれていたからにほかならず、それを可能にしたのは、例外はあるも歴史的に 天皇は政治に関与せず、主な御役割は民の幸せを願うことであったことによる。

天皇に「私」はなく、民全体の幸せのためにあり続けてきたのだ。そのことは、天皇の御日常が質素であり続けたことからも察することができよう。世界中の王宮が賛沢の極みであることと、1000年以上 天皇の居所として使用された京都御所が質素の極みであることを比較すれば容易に理解することができる。>>>


今朝は美智子皇后様の頸椎のご病気についてテレビでも報道されていました。

あまり、痛い思いをしないでいられますように、と、願う気持ちでいっぱいです。


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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
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四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

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