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この美しい空の下で

東日本大震災から二年たった11日の「黙祷」の時を、広島市の平和祈念資料館の佐々木禎子さんをパネル紹介されている部屋で迎えました。

頭の中には何も湧いて来ず、おかしな話ですが、自分はいま、どんな言葉でもってこの時の「祷り」にあてようとしているのだろうと、わからないまま、短い時を終えました。

その場には、アメリカ人であろう若者のグループも、かなりお年を召したご夫婦も、おしゃれな若いお嬢さんもいました。皆さん黙って黙祷しておられました。資料館で見た若い人々は、どなたも、とても真面目で真摯な態度でした。

・・・その前に「…過ちはくりかえしませんから」の石碑にも向かい、峠三吉の詩碑、原爆の子の像、いろいろなモニュメントに向き合って来、もちろん、これは初めてでは無い「原爆ドーム」を見上げてもいました。

私の胸を去来したのは、なんて静かなんだろう、いま、とても静かだ、というような感慨だったと思います。

おととい11日の広島市は、温かく空の青い、私の脚にも歩きやすい乾いた風のさやさやと吹く気持ちのいい日で、ドームのそばのベンチで私は、元安川を背に、とても心地いいひと時を過ごしたのでした。

目の前の、爆風で破壊された姿のままだという旧・産業奨励館、原爆ドームは、からりん、と乾いて春の陽を浴びていて、ボランティアの方々が指さして語っておられる対象が、その、黙然と立っている「世界で初めて原爆を落とされた国の、その象徴である建物」といった「重さ」と、どこか無縁のあっけらかんとした感じで。手入れが行き届いているのか、清潔感が漂って。

ドームの周囲は、高い建物があり路面電車が走りバスが往来し、国籍はさまざまだがいろんな人々が、カメラを向けて写真を撮っていました。

初めて、あるいは遠くから来る人々は、そうして、写真を撮る。そこに住んで暮らしている人々には、原爆ドームは、ずっとそこにある、特別なものでもない、存在なのだと思いました。

今回は、資料館を尋ねようと決めていたので、うろうろと歩きはじめ、方向音痴だから、丁寧な案内板があるにもかかわらずぼやぼや歩いて、すれ違いそうになった若い女性に、資料館へはこの方向でいいのか、と聞きました。

肌の美しい彼女は、そうですよ、と優しい声で応じ、しっかりご覧になって来て下さいね、と言いました。

その言葉に、何か打たれるものを感じたのでした。

しっかり、見て欲しがっておられるのか。

私は旅先で、多くの場合、とても親切な人と遭遇する確率が高いです。

ああ、あそこか。とてとてと近づいて中へ入ると、ガードマンの服装の男性が、手を取るように寄って来て、「あそこで50円払って下さいね」と柔らかく言う。え?と言うと、50円でいいのですよ、と。50円払って、初めの部屋へ入りました。

主に本や、ネットで見たことのある写真や物が、沢山ありました。ここにもボランティア(だと思う)の人々がいて、真剣に語り、やんちゃそうな服装の男の子たちが、真剣に聞いていたりしました。

「…そして、今、北朝鮮のジョン恩が」、と、背の高い女性は、「今」の「核」についての危機感を語っていました。

ここは、そういう危機感を、直に発信して行く場でもあるのだな。

それはそうだ。

遺跡の展示場ではない。単に過去の「悲劇」の落とし物を集めてあるのではない。67年前から今までは、一瞬の途切れも無い時の中につながっているんだもんな。





佐々木禎子さんは、折りヅルを千羽折れたら元気になれる、と信じて、折り続けて、でもやはり、放射線障害から逃れることは出来ず、なくなってしまった女の子。

無数の無名の「禎子」さんが、いた。

当時の広島市民がおよそ35万人だった、9万人から16万6千人という数の人々が、原爆投下後2~4か月で、亡くなったという。

短期間に亡くなったのがそれだけである、ということ。




「黙祷」と声をかけられて「祈り」の言葉を胸に描けなかった私は、ものすごくゆっくりと資料館の中で過ごし、出て、再び平和公園内のベンチに腰をおろし、黄昏せまる広々とした公園で、ぼんやり、考えていました。

・・・この、風化させてはいけない、と守られている場所。

もし、例えば風化してしまうようなことがあるなら、それはそれでいいかなあ。

同じような、似たような、あってはならないことが、ずっと起こらないでいられるなら。

それでいいじゃないか、でも、しかし、次の大きなことが、起きてしまったものなあ、始まったばかりだものなあ、これは、ほんとに、なんということなんだろう・・・。

祈り。できなかった。

あやまちはにどとくりかえしませんから。

誰が、誰に向けた言葉なんだろう。

また、繰り返される、かも、しれないじゃんか。

でも、止めようがないんだものなあ。原爆を、落とさないことは、選ぶことが可能だけど、原発が、どうかなることは、選択の外。

この、美しい空の下で。

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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
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四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

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