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失って初めてわかるもの

連休の一日。

映画に行きました。「レ ミゼラブル」

今から10数年くらい前の、リーアム・ニーソンがジャン・バルジャンを演じた映画も観ていますが、今回の「ミュージカル」仕立てだと言う作品についての知識も、いつものように、あえてほとんど仕入れないまま、客席の人となりました。

ファースト・シーンから圧倒されました。囚人というより「奴隷」そのものみたいな人々が、過酷な作業に就いている。歌も歌いながら。違和感は無かったです。

画面の中にすっと吸い込まれて、感じていたのは、作り方がうまい、すごい、ということでした。

セリフの一つで、その人間を、説明でなくして判らせる。すごいな~と、引きこまれていた。

長い原作を、すっきり処理して、テンポは速く、感情表現は、歌で、たっぷり聞かせる。

普通に喋るセリフでならあり得ないようなストレートな内容のことを、歌だから、朗々と、ピン・ポイントで、シリアスに謳いあげられる。俳優たちが、自分で歌を、現場現場で唄って行っていると、それは聞いていたので、俳優という職業の人々の秘める可能性の厚みにも、すごいな~、と。

ラッセル・クロウが唄っているなんて。「グラディエーター」が自分には良かったので、あの人がこんなに歌うなんて・・という感慨があった。ジャンを演ずるヒュー・ジャックマンが、体型から表情までを凄まじく変化させるのと対照的に、傲慢で無表情な「法の番人」ジャベール刑事は、最後まで、職業人であり続けて。

その、ヒュー・ジャックマン。痩せこけて目のぎらぎらした元・囚人から、時系列で、印象をまるで変化させながら、その時々の「ジャン」を演じていた。

強欲な悪役に設定される宿屋の主のテナルディエ夫婦は、この作品では、悪役と言うより、呆れたトンデモ人種で、コミカルにさえ感じられた。そう作られているのでしょう。必要な役回りでありました。

この、良心などというものに100億光年も隔たっているかのような夫婦も、度し難く愚かであるが、救われるべき「レ ミゼラブル」の一人です、とでも、言いたいがごとく。レ ミゼラブルって、惨めなる人々、という意味なのだそうですね。

未婚のまま子を産んで(今とは違う時代に)凄惨な人生を歩む女、フォンティーヌ。美しい女優ががりがりに身を絞って演じて、ゴールデン・グローブでしたか、賞をもらっている・・・アカデミー賞にもノミネートのアン・ハサウェイ。良かったと言う人の多いのも納得の熱演でした。。

フォンティーヌが生んで、ジャンに託し、ジャンが一身を賭けて愛を注いで育てた少女、コゼット。

成長したコゼットを演じる女優を見た時、私は、自分的にはこの人は「違う」と感じてしまいました。

金色の髪、水色の瞳。泰西名画の春の女神のような・・・と、言えば言えなくはない、と、う~ん、むにゃむにゃ。初めは、う~ん、だったのでした。コゼットのおでこに、シワがあっていいものかどうか。

ラストに向かって、なぜ彼女がヒロインなのかコゼットなのか、だんだん、しみこんで来ました。歌が素晴らしい。声も、歌も、すばらしい。だからなのね、と、納得した次第です。

マリウスもそう。初めて見て、うっ、こ、これは、マリウスじゃな~い!と、お腹の中で叫んでしもうた。

革命を共に企てるお仲間の方に「この人がマリウスならいいのに」と感じた一人がいて・・・壮絶な最後を迎えたのでした・・・彼は。

これも、観ているうちに、ふむふむ、この感じがつまり、この人がマリウスなのね、と、得心していった。

純真な、堅物だった、若い、上流階級の出であることを仲間たちに恥じつつ、白いシャツをまとって暮らす若者。

革命を語り、突然の恋に落ちればその思いでいっぱいになり、バリケードを築く準備を進める仲間たちに恋の思いを吐露せずにいられない(いわゆる純情KY君)、手近にいる「彼の恋の」対象になり得ない若い娘(隣室の貧しい娘エポニーヌ)の、いちずな思いにまったく気づかぬ朴念仁で(仕方のないことではあります)橋渡しなど頼んでしまい、しかしやっぱり、友と。仲間と共に、祖国を思う気持ちの方へ戻って行く。

もう、死ねなくなりました。恋をして。

とか、どんどん書いておりますが。

アカデミー賞にノミネートの「フォンティーヌ」の歌も、歌唱力を優先でキャスティングされたかも知れない「コゼット」も、共に、素晴らしい歌を聴かせてくれましたのは事実ですが。

私の胸に一番響いたのは。届いたのは。

強欲な両親を持つ、みすぼらしい娘、ひそかに強くマリウスを想いつづける娘、エポニーヌの、歌でした。

容貌も、体型も、美人さん、ではない。サマンサ・バークスという名の女優で、舞台の「レ ミゼラブル」で、この、同じエポニーヌの役をやった、と、見終えて帰ってから知りました。

素晴らしい歌で、私は、両目の涙腺あたりをハンカチでしっかり受け止めて(メイクが崩れると退場の時、恥ずかしいですから・・)、ううううう、と声を殺しながら、歌声に打たれていたのでした。

片思いでも命がけで愛した男の腕の中で、彼女の魂は、天国へ旅立ったでしょう、と、きっぱり思えたのが、救い。

・・・このエポニーヌが、成長した後、初めてコゼットを見かけて。

「コゼットだわ。子供のころ、ひと時、一緒に暮らした」

みたいなことをつぶやきます。

それが今では、あちらはご令嬢、比べて自分は・・・と。

自分が幼い頃は、暖かい服を着せられ、温かい靴をはき、綺麗な帽子を被せてもらって、ろくでなしだが娘には甘い両親に、抱きしめられたりしていた。その頃コゼットは、母親が必死で仕送りをしているにかかわらず、髪は汚れてもつれ、雑巾で作った人形を抱き、夜の森へ水汲みに行かされる時も、裸足だったのです。

そんなコゼットを、エポニーヌは、気にかけていなかったに違いない。

そういうことは、忘れるものなのでしょう。それも、人間と言う存在の、愚かさであるのか。

レ ミゼラブル・・・みじめなる人々、の、一人なのか。

マリウスとコゼットは、死の間際のジャン・バルジャンを、父と再び呼んで、最後の喜びを与えて。

常に「WHO AM I」と自らに問いかけ続けて、己の一生を生き尽くして、善き人となったジャンは、召された。

ハッピー・エンドです。きっと。

子どもの頃、赤い表紙のとても分厚い子ども版「ああ無情」を読んだ。コゼットが、初めて会ったジャンに、憧れの人形をもらう場面でどきどきしました。

そんな頃も、二十歳前後にもう一度、読んだ時にも、思わなかったこと、を、今回、映画で観て、思いました。

革命を志して、マリウスの仲間の多くは死んだ。

悲惨な運命の子どもだったが、神の化身のようなジャン・バルジャンに大切に育てられ、純粋な若者に恋されて結婚する、清純(でしかあり得ない)なコゼット。

二人は、この先、どんな人生を歩むのかしら。

マリウスのお祖父さんの豪壮な屋敷で、仲良く、いつまでも幸せに、暮らす、のかしら・・・。

原作者はビクトル・ユゴー。小説家は、ただ、書いて、読者の前にそれを置くだけ。なんだなあ、と、考え込んだ次第です。



やさいさん。

お言葉を下さってありがとうございました。

「是非に及ばず」

なんとなく知っていたが、深くは知らなかった言葉で、あちこち調べました。

織田信長の、最後の言葉というのですね。

京都の本能寺で。小姓の森蘭丸が、明智光秀が謀反を・・・と、告げた。

信長は「是非に及ばず」と、言った・・・。

どんな心持で、それを言ったのか。少し想像して見ましたが、判るわけが無い。

ただ。無常、というものを、おそらく知り尽くしていた人の言葉として、光秀に対しては、怒り、ではなかった気がしました。

どうしようもない、って。

それで、あの舞をひとさし、舞って。

・・・・・・・・・・・・・・・・

幸若舞(こうわかまい)「敦盛」。

「人間(じんかん)五十年 化天(げてん)のうちを比ぶれば 夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり」。



思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露
水に宿る月よりなほあやし

金谷に花を詠じ
榮花は先立つて無常の風に誘はるる

南楼の月を弄ぶ輩も 
月に先立つて有為の雲にかくれり

人間(じんかん)五十年
化天(げてん)のうちを比ぶれば
夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり

一度生を享け
滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは
口惜しかりき次第ぞ


信長はともかく、エラそーに大物めいたことを書いた私に、やさいさんが下さったこの「是非に及ばず」は、とても温かいものを下さいました。本当に、ありがとっさん。


sarahさん。

こんばんは!。

ベアテ・シロタ・ゴードンさんについても、知りたくて調べました。

昨年暮れに、89歳で亡くなったと。

おっしゃる通り、戦後日本憲法を作る際にその一人になられたと。

「女性が幸せにならなければ平和は訪れないと思いました」

私は全くくわしくないけど、24条という部分に、関わられた。

「婚姻における両性の合意」云々。

それが、昨今の憲法改正の草案から削除される、とか、されないで空白になっている、とかも、このたび、知りました。

・・・なんてことはおいて。

「かの女たちが起草した平和憲法というものも、
ふだんは空気のように意識されないことが理想像なのかもしれない。
そしてまた、あるいはそれは空気のように無意識に吸いつづけることさえ許されない、
繊細な、不断の勇気の下でしか生きつづけられない、
という逆説も同時によぎる。」


「繊細な、不断の勇気の下でしか生きつづけられない」もの・・・。
あれもこれもそうだったと、失って初めてわかるものですね。

書いて下さったこれらのことに、うなずくばかりです。

失ってみないとわからない、沢山のもの。

帰らないもの。

悲しいことに、そういうことが、ものすご~くいっぱい、あって。

・・・頑丈な私の胃袋。食べ過ぎて具合が悪くならないと、いつも黙って頑張ってくれていることに思いが及ばない。そういうことに似て・・・いません!。ふざけてすみません。

今、夜です。雨です。

私の机は窓に向いていて、雨戸に当たる雨の音が、けっこう激しいです。

よしりん(ご存知ですか?小林よしのり、漫画家)の本を買ってしまったので、少し読んでお布団に入ります。

過激な、と評されることも多いですが、これくらいはっきりものを言う、言い続けている人は少ないです。そうだそうだ、と、そりゃ違うよ、と、逆方向にも突っ込みながら読む楽しみを与えてくれます。

おやすみなさい、また。








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  1. 2013.02.18 (月) 23:32
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  3. sarah
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こんばんは^^

信長が最期に舞ったという、
「人間(じんかん)五十年 化天(げてん)のうちを比ぶれば 夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり」

私はこの言葉を想うと、いつも浮かぶ言葉があります。

「露と落ち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」

秀吉の辞世の歌です。

信長と秀吉の最期は真逆のようですが、
「夢」という一言が2人を結び付けている不思議・・・。

人間が欲から解放されたときの真実の想いかもしれません。
死の間際でなければ欲望から自由になることができないのが人間という生き物、とも思います。
最近、いっそう強く感じています。

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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

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