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赤いハート


とってつけたように、この日だから阪神大震災のことを書く、というのは控えようと、なんとなく思っていたのですが、とってつけたようでも、少し書かせていただこうと考えました。

あの朝、奈良は震度4の揺れだったとかで、熟睡していた私は、夫に起こされるまで自分の基盤が揺れているのに気付かず、目を開けたら揺れていました。

不謹慎なたとえになります、遊園地の、大きな船がぐいんぐいんと揺れて、そのうち上下はそのままに一回転する、あの遊具に乗せられている気分でした。なかなか揺れが止まらず、これって・・・と、呑気な自分も不安が増大してきた頃、やっと揺れは止まった感じでした。長い時間でした。夫がすぐに、テレビをつけました。

震源地は神戸、マグニチュード7、8。そう、始めは見ました。その数字のもつ意味が、本当には理解できていない自分でした。あの時以前に、地震がこわくて逃げたのは、名古屋にいた小学生の時くらいだったと思う。揺れた時、母が私の手をとって玄関へ出ようとし、たまたま来ていた高齢の祖母が、真剣な表情でよちよち、ついて来たのを、とてもすまない気分で振り向いた記憶があって・・おばあちゃんに、優しい孫などではなかったのでしたが・・。

・・もう、18年も昔のことになるのですね。

当時はまだ元気にいた老母の部屋の、箪笥の上の博多人形が落ちて、そこが布団の上でしたので壊れもせず、わが家はそれだけのことでした。

壊れ物ばかり。90パーセント以上は壊れ物という小店を、あの時期営んでいたので、家は大丈夫と見込みをつけたらすぐに、向かいました。途中、近鉄電車の小さな駅の、ホームに人が溢れかえり、とにかく出勤しようと出て来たのであろう人々が、来ない電車を待ちながら、ある人は駅員にくってかかったり、夢中で少ない情報を交換していたりの姿が見えました。

家を出る前に私がテレビで見た、見て信じがたかった、阪神高速道路が横倒しになっている映像を、見ていない方々だったと思います。

若い駅員は、あちこちから質問攻めになってどうしようもなく、目も眉も吊り上ってしまったような表情だったのを、覚えています。

どうなっているか・・・。

何とも言えない気持ちで開けた店の、中は、ほとんど何の変りもなく。前夜、片付けて締めて出た、そのままの静まりようでした。

ガラスのお雛様を幾種類か、もう店出ししていたのでしたが、そのうちの、丸っこいのでなく、スリムなタイプのお雛様の、内裏様が前へ転んで、烏帽子がぽきんと折れていました。

あと、小さな幾つかは、倒れて欠けたりしていましたが、想像した被害は無かったのです。

その店のあるあたりは、1200年以上、平城京の都のあった当時から道筋の変わっていない、大変強固な地盤だったのです。大家の奥さんが見に来てくれて、そう言って、自分の言葉に感心していた・・。

そんな日にも、お客さんは来て、どこか興奮した雰囲気のまま、小さいものをつまんで買ってくれたりしました。

ほとんど、お客さんはいなかった。朝、子らと母にだけ食べさせて大慌てで出て来て、朝食も食べず弁当も作らなかったので、いったん店を閉めて、お昼を食べに行きました。そんなことを、しようと思ったことも、したことも無かったです。

メニューは特に珍しくも特別に美味しくもないが(すみません)、ご飯も味噌汁もいつも熱く、キャベツたっぷりで出してくれる、馴染みの定食屋へ行きました。

温かいものを、座ってゆっくり、口にしたかったのです。

しかし、現実には、ゆっくりもしっかりも。いつもは店に無いテレビを、客用の卓の一番奥の一つに据えて、そこの奥さんが、わあ、わあ、と、声を出しながらテレビにくぎ付けでした。

日替わりでいいですかといきなり問われて、いいです、と答え、座って、無残な神戸の姿を、見ることになりました。

燃えていた。壊れていた。目の前で新たな火が噴きあがり、傾いでいたビルが、倒れた。ヘリコプターが飛び回りながらあれこれ伝えようとしていた。

画面は、火と、煙と、ぐっちゃぐちゃになっている街と。自宅の方面がまとまって燃え上がっている様子を、口を引き結んで見上げている男性、そばで泣きじゃくる女性。

食堂の奥さんは、わあ、わあ、とわめいているばかりで、これも顔なじみのパートタイムのおばさんが、私の定食を運んで来たのですが、お腹がすいているのに、箸を取れなかった。

かなりの時間そこにいて、ほとんど手をつけなかった食事の代金を払おうとしたら、パートさんが、今日はいいです、と言う。私は、お金は払いたいので、首を振ったら奥さんが振り向いて、どっちみち募金あつめるやろから、せっかくやからもろときます、いつもおおきに、と言ってくれた。

定食屋を出て、少し歩きました。

奈良の町には、通りには人が沢山いたけれど、自分が受けている衝撃のせいでそう感じたのか、なにか、みな、浮足立っているというか、どこかでびんびん興奮している感じがしました。

パチンコ屋の前に、いつものように自転車がぎっしり停まっていて、そこを通る時、不思議な感覚に襲われました。

こんな日にも、パチンコしてるんだ・・・。

後に、家族全員と布団をとりあえずバンに押し込んで、奈良へ逃げ出して来たという人が、

「川超えて大阪へ出た時、ネオンがついていて、パチンコ屋がはやっているのを見て、夢みたいな変な心地になった」

と言うのを、聞いたけど。

どこも、商売だから、お客さんが来なければ従業員の給料も払えなくなるわけだけど、非難の気持ち、というより、ただ、不思議でした。

バレンタイン向けに、ハートの形をしたガラスのかたまりを沢山仕入れていました。ペーパーウェイトというには小さすぎ、軽すぎる。しかしとても美しいルビーレッドのガラスのかたまりで、一個200円ほどのもの。プレゼントに添えるのにもいい、と、500個、仕入れていました。吹きガラスの手作りグラスが好評をいただいている店でもあって。グラスのおともにもいいなあ、と。

赤いハートは、結局、ほとんどを、差し上げることになりました。

阪神方面から奈良へ来ている、と聞くことがけっこう多く、はじめ、ガラスは綺麗だけど今は何も買えないわ、と言われた方に、赤は元気の出る色です、と、押し付けたのをきっかけに。

さまざまな方に、もらってもらった。

あの人は奈良の人よ、嘘ついてハートもらったのよ、と、そういうことも教えられることはあった。でも、いいと思った。

赤いハートは元気の出るハート。あの無茶苦茶だった時期、私自身が、そう思いたかった、信じたかったし・・・もしかして、私の独善に触れて、望まぬ方向に行ってしまった誰かの思いも、あったかも知れない。それはそう、自省しています。

喜んで下さった方がほとんどだった。そう、勝手に解釈しています。

あの時、あの頃、あのハートを、仕入れていてよかったと、今も、思っています。

気づいてみると、私の手には、1個も残っていませんが。

店の中で、いろんな人の、いろんな話を聞いた。一緒に泣いていた、号泣になってしまったこともある。

地震以降、割れ物ばかりの私の店の売り上げは、目に見えて減少したのは事実で、再び上を向くことは無かったです。

今日は、毎年そうですけど、あの地震後に触れ合った一期一会の方々のことを、ふんわりと、思い出していました。

犠牲となられた皆様の、静かな安らかな眠りを、奈良の地から、お祈り申し上げます。



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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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