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返事の中までKUONです。

  1. ゆれ・ふら・とーく
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てがみ。

[健康と元気はちがう」

先ごろ亡くなられた俳優の大滝秀治さんの言葉だそうです。

そうだな~、と、しみじみしました。

しみじみの延長で、昨日久しぶりに目にした、こんな「手紙」を。


 おまイの。しせ(出世)にわ。みなたまけ(驚き)ました。

 わたくしもよろこんでをりまする。

 なかた(中田)のかんのんさまに。さまにねん[毎年)。よこもり(夜籠り)を。いたしました。

 べん京なぼでも(勉強いくらしても)。きりかない。

 いぼし。ほわ(烏帽子=近所の地名 には)こまりおりますか。

 おまいか。きたならば。もしわけ(申し訳)かてきましよ。

 はるになるト。みなほかいド(北海道)に。いて(行って)しまいます。

 わたしも。こころぼそくありまする。

 ドか(どうか)はやく。きてくだされ。

 かねを。もろた。こトたれにもきかせません。

 それをきかせるトみなのれて(飲まれて)しまいます。

 はやくきてくたされ。

 はやくきてくたされはやくきてくたされ。

 はやくきてくたされ。

 いしよの(一生の)たのみて。ありまする

 にし(西)さむいては。おかみ(拝み)。

 ひかし(東)さむいてはおかみ。しております。

 きた(北)さむいてはおかみおります。

 みなみ(南)たむいてはおかんておりまする。

 ついたち(一日)にわしをたち(塩絶ち)をしております。

 ゐ少さま(栄晶様・・僧侶の名前)に。ついたちにわおかんてもろておりまする。

 なにおわすれても。これわすれません。

 さしん(写真)おみるト。いただいておりまする(神様に捧げるように頂く)。

 はやくきてくたされ。

 いつくるトおせて(教えて)くたされ。

 このへんちち(返事を)まちてをりまする。ねてもねむられません。



福島県の現・猪苗代町生まれの、野口英世博士のお母さん、シカさんが、渡米12年。もう12年間も会えない息子に書いた、ただ一通の手紙です、有名な手紙です。過去、何度も眼に触れたことがあり、その折々に胸を打たれたり感動したりしました。

東北の寒村で、貧しさのあまり諍って出奔した両親に代わって祖母に育てられた野口シカさんは、今の言い方で無学文盲の女性だったそうです。

囲炉裏の灰に書いて練習した文字で、生涯に一通、書かれた手紙。


はやくきてくたされ。はやくきてくたされ。はやくきてくたされ。

・・・博士は手紙を受け取って三年後に帰国し、母と再会を果たして孝養を尽くされたそうで、その三年後に、お母さんは、スペイン風邪で亡くなった。

享年66歳。

このお歳と、ネットで調べて見かけたお写真の、本物のおばあさん、という感じに、改めて、ずか~ん、と、衝撃を受けたのでした。

中途半端にかしこくなった人間(自分のことです、たぶん)に、こんな手紙は書けない・・・こんなに一途に、自分以外の誰か、何かを、愛せない・・・と、思った。

 
sarahさん。

「お上のことに間違いはございますまいから」

死を覚悟して言い放った16歳の少女の一言に、目をとめて下さってありがとうございます。

凛とした気迫に満ちた、すごいひとことですね。

皮肉、なんて軽い言葉で言い表わせない、すごい一言。この少女も、いわば「ミジンコ」の一人であるはずなのですけど。

もしかして少女は、本気で、偽りない心で、この言葉を吐いたのだとしたら、それはそれで、胸の詰まるような一言であるわけです。

どちらにしても・・・・・・・・・・・。

こういう誇り高い、おもねない日本人が、目立たない普通の世の中に、きっと、今も、沢山いる・・・と、信じていたいです。

うろうろ、おろおろしながらも、自分も、こういう人としてありたいな~、と、願ったことでした。

今まで読んだことの無い作家です、沼田まほかる、という素敵な名を持つ作家の「猫鳴り」という一冊。

いやあ、もう、ぐいんぐいん、来ました。

よかったです。私には。

・・・悲しいことは、たくさんあるけど。

今日は、元気でいられます。

皆様、いつもいつも、私の心に「何か」を送って来て下さって、ありがとうございます。


原子力寄生委員会が、もしもの4原発の事故時の放射性物質拡散について、30キロとか100ミリシーベルトとか、数字を出しておられます。

100ミリシーベルト、という数字は基準になりません。今までの日本の国は、年間に1ミリシーベルト以下は、してもいい、というか、空の旅行や検査など、その程度は仕方がない、という法律でした。

無限大の恩恵を受けている太陽は、放射能の塊ですし。

しかし、ぼーんと爆発して、一気に100ミリシーベルト。そんなことは考え得ないことでしょう。

30キロ圏というのも、その基準から出ているとすれば。

よ~わからんですが、去年の福島の事故の時、アメリカという国家は、在日米人に対して、80キロまではダメだ、逃げろ、帰って来いと、最初に数字を出して呼びかけていた。子どもにレインコートを着せて、最小限の荷物を手に、もう帰らない、室内の荷物は処理を頼む、と、そそくさと成田をめざしたアメリカ人が、沢山いたのです。日本人だって、すぐに国を後に出来る人々は、出て行って、紀伊国屋スーパー他が一気に閑散となった、という事実があります。

その頃福島では、山下俊一があちこち、100ミリシーベルトでも大丈夫、と、言ってまわっていた。逃げそこなった、ではない、逃がされそこなった方が、沢山生まれました。

アメリカの政府は、自国民に、逃げろ、と言った。

それが叶わぬ方々は、日米の関係を保つために、犠牲になってくれ~、という考えだったと聞いております。

私個人は、どこの原発にせよ、もう一度、原子力発電所に大きな事故が起こったら、その時すぐに、ではないにせよ、日本は終わりなんじゃないか、と、恐怖をもって考えています。

現在ですら、認める、認めない、認めたくない、に関わらず、危険なものは拡散しております。

今でも、これからも、十分、危険です。

そう、私は、考えています。
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  1. 2012.10.24 (水) 21:06
  2. URL
  3. ようこ
  4. [ edit ]

kuonさん こんばんは

シカ母さんのてがみ
胸にせまります
12年間も息子に会えなくて
会いたくて
会いたくて
涙をためながら、一文字一文字書いたのでは
と、想像しました
亡くなる前会えて、本当に良かった

kuonさん 「てがみ」にかこつけて
私はおっとの「てがみ」がほしかった
一行でもいいから私への「てがみ」がほしかった
とうとう書いてもらえなかったけど
あの世とこの世をつないでくれる「てがみ」が
ほしかった
不安がらず、自信をもって
その時をむかえるために
ジェホのような言葉を言ってもらえなくても
みえない「愛」にささえられているあかしが
ほしかった

kuonさん
8月~9月に行われた福島県民調査で
「福島に住み続けたい」6割
その他にも項目あれど
豊かな自然や豊富な農産物など
「震災前に福島に誇れるものはあった」79.6%
しかし
「震災後に誇れるものなくなった」21.3%
でした
「誇れるものなくなった」・・・
この悲しみの深さを福島県民の心の叫びを
わかってほしいです
  1. 2012.10.25 (木) 19:44
  2. URL
  3. えま
  4. [ edit ]

お引越しはお済ですか?

kuonさん、ようこさん、皆様こんばんわv-34v-35v-34v-35

すっかり、秋を飛び越して北関東、東北以北は冬の様相で、急な変化に対応が難しいのでは?と気になっております今日この頃ですe-252e-252e-252
本当に寒くなりましたね。

kuonさんはお引越しでお忙しかったと思いますが
少しは落ち着かれたのでしょうか・・・
〈健康と元気はちがう〉
大滝秀治さんのお言葉
あぁ、ほんとそうだなあって私もしみじみ思います。
私健康じゃないけれどとても元気ですから。

野口シカさんのお手紙
子供の頃から何度も何度も読んで、
何度も泣きました。
何で、こんなに泣いたのか、泣けてくるのか
よくわからなかった子供の頃。
kuonさんのお陰でとてもよくわかりましたv-398
ありがとうございますv-410

少しだけこの場をお借りします。
ようこさん
急に本当に寒いですね・・・
ようこさんのお顔を思い出すと
とても幸せな気持ちになりますv-398
ご主人のお手紙、なかったのですね。
でも、ようこさんはご主人から貰った愛に溢れていると感じましたよv-352v-352
ようこさんのお人柄は、ご主人からの愛と私は確信しています。(ぺこり)

福島は誇れるものがなくなった・・・
そんな風に福島県民の心がなって行く事
それが本当に辛いです。

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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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