FC2ブログ

KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

  1. 悲しいこと
  2. tb: 0
  3. cm: 1
  4. [ edit ]

水質ってなんだろう・・・ランキングって・・・

峠三吉といえば「ちちをかえせ ははをかえせ」の詩が有名ですが、他にもたくさん、原爆詩と称される凄惨な言葉群があります。

下の詩もその一つです。

何故こんな目に遭わねばならぬのか

何の為に

なんのために


このフレーズから、滲んで来るものがあります。


仮繃帯所にて

 

あなたたち

泣いても涙のでどころのない

わめいても言葉になる唇のない

もがこうにもつかむ手指の皮膚のない

あなたたち

 

血とあぶら汗と淋巴液とにまみれた四肢をばたつかせ

糸のように塞いだ眼をしろく光らせ

あおぶくれた腹にわずかに下着のゴム紐だけをとどめ

恥しいところさえはじることをできなくさせられたあなたたちが

ああみんなさきほどまでは愛らしい

女学生だったことを

たれがほんとうと思えよう

 

焼け爛れたヒロシマの

うす暗くゆらめく焔のなかから

あなたでなくなったあなたたちが

つぎつぎととび出し這い出し

この草地にたどりついて

ちりちりのラカン頭を苦悶の埃に埋める

 

何故こんな目に遭わねばならぬのか

何の為に

なんのために

そしてあなたたちは

すでに自分がどんなすがたで

にんげんから遠いものにされはてて

しまっているかを知らない

 

ただ思っている

あなたたちはおもっている

今朝がたまでの父を母を弟を妹を

(いま逢ったってたれがあなたとしりえよう)

そして眠り起きごはんをたべた家のことを

(一瞬に垣根の花はちぎれいまは灰の跡さえわからない)

 

おもっているおもっている

つぎつぎと動かなくなる同類のあいだにはさまって

おもっている

かつて娘だった

にんげんのむすめだった日を


今日は何年かぶりに・・・もしかして何十年ぶりに、朝八時十五分からの広島の平和祈念式典というものを、テレビで見ました。

広島市の市長さんの挨拶があり、広島の子どもたちの代表だという男女の子どもたちが述べることを述べ、野田総理大臣が、長く喋りました。

献花があり鳩が舞い、きちんと整えられたセレモニーでした。

その時はともかく、済んでしまえば、後になれば、どんな風にでも振り返ることのできることが多い気がします。

私は、原爆のこととか、被曝だとか、染色体への影響とか、ピカが残したものとか、そういった一切、済んだこと、かつてあったこと、終わったこと、だと、感じていました。白血病(ある時期には貧血の一種のように手当された)、癌(食生活や生活の変化によって増加したことになっている)とか、甲状腺の異常にしても、なぜか、中年期の女性に多いとか、ひとつひとつ、なっちゃったなら仕方ないんだ、治療できるならする、無理なら仕方ない、と、そういう風に、私そのものも、受け取っていた気がします。人生は不条理である、歴史に「~れば」も「~たら」も無い、現実に起こっていること、それが事実であり、自分にできることは、それをどう受け止めて噛み砕いて行くか、と、そんだけ。その観点から思えば、そうでしかないのです。

噛み砕いて、呆然としつつ飲み込むほかに、うーむやっぱり要らんぞ、とする選択のあることも、老いて来てようやく知りました。

今日も、原爆の放射能と病気の関連についてはわからないことが多い、という言葉も聞きました。

このことは、今後も絶対に、この結論で語られ続けるでしょう。

放射能との因果関係??いやあ、そんな簡単に認められませんよ、の線です、きっとずっと。

・・・・・去年、原発事故が起こり、その時に放出された放射性物質は、広島原発の168倍であると、今のこの国では、知っている人は知っている。

数字で知っても、その「意味」は、なかなか分かりにくい。

なんとなく。たくさんの人が思っている。

自分は大丈夫。

自分は「そんなことにならない」。

何の保証も理由も無いことを、ばくぜんと信じている。

たとえば、事故現場から○○圏内・・・立ち入り禁止になっている区域は、大変なことになっている。ますます、どんどん、大変になっている。

私が(今日は怒り犬になっておりますわん)聞くたびにムカついて、血圧が上がりそうになる一言があります、なんの変哲も無い(であろう)言葉、普通の(であろう)言葉。

未だに人々は云々、この未だに、という言葉だ。どこにでも使われている。神経を、やすりで擦られている気分になるのです。

未だに、じゃ、な~~~~~い。

これから、なんじゃ~~~~~~~~~。

一番危険なセシウムの134という方は、半減期がおよそ二年。あと半年ほどもたてば、放出されたセシウムのうち、134の半減期になるから、総量も、めちゃくちゃ大雑把に言って、およそ半分になった、という言い方が、できるようになる。まとめて言って、セシウムは減って来た、とか。

人間が減らしたのでなく、減ってくれるのですけど。

後には、セシウム137、半減期29年が残っている。29年で無くなるのでなく、29年で半分になる、のです。微量になっていますが、今も事故炉の蓋は開いたまま。

それが、土に潜り込み、水に紛れ込み、している。セシウムの性質は、しつこい。へばりつく。

・・・怒っていても仕方ないですね。


福島の方には、本当に申し訳ないことですが、以下の記事に私は、痙攣するような変な笑いを禁じ得ませんでした。

不謹慎なら申し訳ない。でもこれ、私には、痙攣笑いの・・・悲しい笑いなんです、これはほんとです、の、モト、になってしまいました。

本当は、福島の方が、怒ることだと思うのですが・・・悲しい記事です。



荒川(福島市)2年連続日本一 
平成23年一級河川水質ランキング
福島民報 ( 2012/08/01 08:08 カテゴリー:主要 )
 
国土交通省は31日、
国が管理する全国164の一級河川を対象にした平成23年の水質調査結果を発表した。
福島市の荒川は2年連続で水質ランキング全国一となり、東北では9年連続で1位となった。
 
調査は、河川の水質を示す代表的な指標である生物化学的酸素要求量(BOD)の「年平均値」と、
1年間に12回測定するうち4番目に悪い数値「75%値」を基準とする。
23年の調査で荒川は年平均値、75%値ともに検出上、最小値に当たる
1リットル当たり0・5ミリグラムだった。
同じ数値で1位となったのは全国で全12河川あり、東北では荒川だけだった。
 
荒川は19、20年と連続で全国1位だったが、21年に10位となり、22年に1位に返り咲いていた。

福島河川国道事務所は
「流域住民の水質浄化活動や河川愛護団体などの取り組みのおかげ。引き続き協力をお願いしたい」
としている。
 
本県と新潟県にまたがる阿賀野川・阿賀川は平均値が1・0ミリグラムで全国92位、
本県と宮城県を流れる阿武隈川は1・3ミリグラムで135位だった。


・・・・・・・・悲しいと言うより、悔しいです。

ようこさん

せっかく、ぎゅってしてあげたいとまで言うて下されているのに、申し訳ないですが、奈良から福島まで行くのは、わたくしではありませんの。

KさんとかHさんとかが、入れ替わり立ち代わり行っておられて(途中で合流する数人あり)私は、行ってらっしゃ~い、頑張って、気をつけて、と、願うだけのヒト。

でも、こっちから行く組もあっちの組も、本気で地道に頑張っておられるので、ようこさんのお気持ち、ありがたいことです。

ようこさんも、新たなるチャレンジ、おにぎり持って、テキスト持って、張り切っておられるのですね。

がんばれ。がんばれ。これからは、蝉の声きくと「頑張っていた、あの夏のワタシ」を、思い出すでしょうね。

体にだけは気をつけて、時々ヌキながら、頑張って下さいね!。


sarahさん。

うふふ。

お会いしたことも無いのに、本当に、やさいさん部屋から生まれた「何か」は、つながっている実感がありますね。絆、なんて、軽々言いたくないヘソまがりのワタクシですが、私も、うんとこしょ、どっこいしょ、と、少しずつでも、行きたい。

行かんと欲する方へ。




スポンサーサイト





  1. 2012.08.06 (月) 17:27
  2. URL
  3. やさい
  4. [ edit ]

空まで燃え尽きた朝。

私と、その次に弟が生まれたとき、父と母は、まず、指の数を数えたのです。

被爆者が父になり、母になったとき、手足の指が5本以上ある赤子が多かったといいます。

原爆との因果関係?そんなこと、誰も口にしません。

「ピカの子は指がようけ生えてくるんよ」と、お年寄りがボソっと呟いたくらいのことです。


父は、毎年8月6日の朝、静かに黙とうするだけです。

一言も、あの日の朝見たことを話そうとしません。





 管理者にだけ表示を許可する
 

trackback


ブログカウンター

プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・