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兄がいました。

福島県以外の風評被害、東電が賠償拒否

 原発事故をめぐる賠償の線引きはどうあるべきなのでしょうか。福島県に隣接する栃木県のゴルフ場が訴えた風評被害への賠償をめぐって、東京電力側の賠償に対する姿勢が浮かび上がります。

 栃木県那須町にあるこのゴルフ場は、原発事故の後、2割近くを占めていた韓国からの客が来なくなりました。去年3月から8月までの売上は、前年と比べ4000万円も少なくなり、風評被害を受けたとして東電に賠償を求めましたが・・・。

 「補償金をお支払いさせていただく条件を満たしておりませんでした」(東電からの回答)

 なぜ、賠償ができないのでしょうか。今年3月、東電の担当者が説明に訪れた際の映像。

 「どれだけ那須町のゴルフ場が落ち込んだか、分かると思う。一目瞭然」(ゴルフ場の田代憲司支配人)
 「あくまで中間指針で立場的に国で決められた基準でやらざるを得ない」(東京電力担当者)

 東電が持ち出したのが、国が定めた賠償の「中間指針」です。ゴルフ場や飲食店などのサービス業の場合、当面の措置として福島県内の業者が賠償の対象に認められました。東京電力は、この中間指針を理由に「福島県外の業者には賠償する必要はない」と主張したのです。

 「基本的に(栃木県の)ゴルフ場については、サービス業なので原則対象外」(東京電力担当者)

 日本ゴルフ事業協会によりますと、栃木・茨城・群馬の3県で賠償請求をしているゴルフ場は60あまりに上りますが、回答があったものの半分近くが賠償を拒否されていて、それ以外もほとんどが交渉が難航しています。

 「サービス業だと福島県内だけ。2、3週間で賠償金が出るよと言っていた。それを待っている間に倒産したゴルフ場もある」(日本ゴルフ場事業協会・大石順一専務理事)

 ですが、中間指針を作った文科省を取材すると・・・
 「東京電力は被害者の実情を検証して、賠償すべきところは賠償すべき責任がある」(文部科学省原子力損害賠償対策室・松浦重和次長)

 担当者は「福島県の業者には必ず賠償をすべきだということであって、他の県の業者が対象外だということではない。東電の解釈はおかしい」と答えました。

 原子力損害賠償紛争解決センターによると、中間指針を理由に賠償を拒否されたという苦情は、ゴルフ場以外の業者からも相次いでいるといいます。

 賠償問題に詳しい専門家もこう批判します。
「東電が本来なら原発事故とは関係ないと立証しなければ、 本来免責してはいけない話だ」(保田行雄弁護士)

 誠実な対応など、「被害者の方々への5つのお約束」を掲げている東電ですが・・。
 「救えるところはできるだけ私ども手を握りたいので、ただ、救えないところもある」(東京電力担当者)

 いま、その姿勢が問われています。(10日14:26)


さすが東電!ブレない!
自分たちのボーナスやレジャー費13億円、住宅手当4万/人は削らないし、福島県以外は賠償もしない
一流です。




・・・中電の社員氏が公的な場所で、福島の事故で死んだ人はいない、と発言されたこと。

私、思うのです。

そうなの?????????。

これは本当に、考え込みました、私は。

広島や長崎の原爆。どかーんと落とされて、沢山の方が亡くなり、生き残った方々もずっと、放射線の影響を引きずっておられ、それは、今も続いている。

福島の事故は、広島・長崎が「世界で初めての原爆被災地」であるように、「世界で初めての長期の低線量被爆者」を、膨大に生み出したのです。

チェルノブイリでは、事故後すぐに石棺…コンクリートで固めて封じ込めてしまいましたが、福島では、そのまま、ふたも無し。

どんな症状が出るのか、それを、誰がわかってくれるのか。

認めない、ということが、まずあることが、中電の社員の言葉でもわかる。

即死でなければ、放射能の死者ではないのか。



・・・わたしの兄は、その前年に被曝してしまった母から生まれました。

生まれて三日目に死んだ。おへそのくくり具合が悪くて、そこから出血して死んだ、と、聞かされていましたが、毎度おしめを替えていてわからなかったのか、そんなこと、あるだろうかと、だんだん、疑問が湧きました。

名前ももらわないまま死んでしまった、父母にとって三人目の、初めての男の子。母は、ひそかに「ゆきおちゃん」と呼んでいました。黄ばんだ写真が一枚だけあり、それは、棺の中に、百合の花に囲まれている赤ん坊の写真でした。

真っ白な赤ちゃんで、手の指が六本あったことを、姉たちは母から聞かされていません。知らない。

母は、被曝の後に生まれて育った私にだけ、それを教えた。

母は体が弱くなり、父との仲もうまくゆかなくなっていた。父は外でお酒を沢山呑んでいたらしく、肝硬変で四十二歳で死にました。姉も私も、母親から離れて学生時代を過ごしました。姉は、母を、恨んでいると言っていました。

小さなことがあれやこれや、うまく行かないで。母は、被曝のことを、私が後に病気をして問い詰めるまで、黙り抜いていました。私は、一度ならず、お腹にせっかく宿った子を失ったこともあります。

母一人のことからさえ、小さなさまざまなことが、生まれました。

こういうことが、いっぱい、出て来るんだと思うと、悲しくてたまりません。

私より四年も前に生まれて、当然、会ったことも無い、兄。

たった一枚の息子の写真を、生涯、身の周りにおいて、黙り抜いて死んだ母。

生きている間に一度「今は生まれて指が多くても、すぐに切ってくれるんだってねえ」と言ったことがあります。

私は若くて思いやりに乏しい娘だったので、そうだよ、と、それだけ答えた覚えがあります。

「ゆきおちゃん」のような子ども、そういう子が、もし、これから先に出ても「福島の事故で死んだ人はいない」と言うのでしょうか。


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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
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四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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