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返事の中までKUONです。

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牛とごぼうの炊き込みごはんを

晩御飯にいただきました。
あづぐで、あづぐで、あとは冷奴やら、おくらと納豆のぐるぐる回しやら、無火料理。六月でこれです。

午後二時半の駅前で、小柄なばーちゃまが、目の前でふらふら、と屈みこまれ、びっくり。駅員の若いにいさまが飛んで来てくれて、その懸命かげんが、嬉しかったです。増えるでしょうね。
どこも冷房を弱くしていて、そりゃあ、お客さんに対しても、堂々と、経費節減できるわけで。
暑いのがいやなら、げんぱつ認めて下さらんとね、ってわけか。電力会社は。

かつて、日本での保証人にならせてもらっていた女性が、院まで無事に出て母国へ帰って、ばりばり仕事されていて、時折連絡をとっている程度なのですが、彼女が便りをくれました。
メールでは、内容がうまく届かないことがあるようで、エアメールをくれるんです。

いわく。
日本はどうですか、地震の跡は大丈夫なのでしょうか。など見舞いの言葉が続き。
日本人は、怒ることも暴れることも出来ない、抑圧されている、と聞いて、心配しています。
あの国と同じことが起きているのかと、本当に心配です、と。

ユーモアのセンスも抜群の、とても賢い女性なのですが、どうも、本気で書いてくれているようで、ちょっと考え込みました。
そんな風に、国の外から、見られているのか。
文化大革命で、一族離散の憂き目にあった家の一人です。
わたしってお気楽なんだなあ、と、考えましたね。

えまさん、知らないでいられた方がよかったかも知れないことですね。
ショックを感じさせてしまい、ごめんなさいね。仰るように、現実なのです。

私が小児科のナースだった時代があることは、先に、書かせてもらいました。
そこで、薬害をもろに蒙った子供たちに、たくさん、出あってしまって、当時は、サリドマイド・・母親が服んだ睡眠薬・・の影響で、主に上肢の欠損した子供達が、つぎつぎ生まれて来て、大きな社会問題になっていました。
肩から、直接、手首なんです。
腕が無いこどもを、たくさん見ました、抱っこしました。
腕が無い子は、抱っこしにくいんです。
ぎゅうっと、落とさないように、強くしっかり、抱っこしていました。距離が近くなるので、、頬と頬が触れやすくなりました。
せっかく少しある指を、あるというには使いにくいので、という感じで、切ってしまわねばならない。
そんな手術を受けに行く子を、抱っこして、胸が詰まって、どうして泣いているの?と、自分の頬で、涙を、うん、うん、と首を振って、消してしまおうとしてくれた子がいました。

あまり長くは書かないけど、人間の体って、ということを、マジメに考えていました。
学寮でジュリー!と叫びながら、ある時間には、一人で、人間のもろさ、つよさ、など、考えていました。
催奇性、という言葉を知ったのは随分あとです。
それは、簡単に口に出せない言葉でありました。
神通川も水俣も、そこで起こったことは、みな、事実で。

パニック回避なのか何か、自分の口から、体を通した言葉を発しようとしない、そういうひとたちを見ていて。


yuutaさん。
出待ち、なんてことをされたのですか。お付き合いとはいえ。
痩せてて、大きくなくて、って、本当にそうでしたね。
皆、長髪でなきゃいかん、みたいだったけど、ミリタリー・ルックなんて、後から見れば「おぬし正気か」なんて衣裳だったけど、似合わないことおびただしい、なんてGS君もいましたね、たくさん。
今はごっついおっちゃんになっている、安岡力也。
あの方は当時、ものすごい美丈夫でしたよ。好き、とかではなかったが。

私を、ウエスタン・カーニバル、なんて憧れの祭典の場でなく、地味で暗くてダサかった(しー、ないしょ)大阪の「ジャズ喫茶」である「ナンバ一番」へ連れて行ってくれたユリちゃんは、そういう非・王子様な感じの一人に、ぽあ~となっていました。
ご存知ですかねえ。オックスってバンド。
赤松愛ちゃんなんてキーボード・あんど・ボーカルの子が、まるで女の子、演奏中に気を失って倒れてしまうのが話題だったグループ。そこのリーダーの○井さんが、好きで、好きで。
えへへ、あのひと、こんにゃく屋の息子やねん。丸ぽちゃのほっぺたを緩ませて、ユリちゃんは嬉しそうだった。
しんじつ、まことに、いかつい顔、典型的日本人体型の○井さんに、ロングヘア、オックスの赤い衣装は、お似合いでなかった。
でもユリちゃんはシアワセだった。
世界で、一番かっこいいおとこの人を、見つけた気持ちでいたのですね。
世界で一番かっこいいかどうかは、わかりませんが、福井さんはきっと、よき夫、よき父親、よき息子として、GSブームの去った後を生きられた気がします。
あのねyuutaさん。
ジュリーって、一見やさおとこだけど、あれで空手使いだったんだよ(って、自慢そうに、わたしが言うことではないですね)。
誰かさんと一緒だ~、わーい。

そしてやさいさん。
お父様を泣き落として、東京へ、日劇へ、うえすたんかーにばるを、見に、連れて行っていただかれたなんて。
なーんてすてきな、羨ましい、燦然と記憶に輝く出来事の主になられたのでしょう。
お父さまにも忘れられないでしょうね。
やさいさんのごり押し・・いやおねだりって、珍しかったのではなかったですかなんて、すぐに妄想が始まるわたし。
日本が、右肩上がりに豊かになって行った時代。元気だった時代。
ジュリーは、1966年の11月に新幹線こだまに乗って上京。
12月に「僕のマリー」が出た。
私はずっと、ラヂオで、ビートルズを聴いている女の子でした。
それが、まだジュリーじゃなかったジュリーを、見て。
青春が(あー恥ずかしい言葉ですが)濃かった気がします。
そんなに選択肢の無い中から、これ、と定めて、一直線だった。
毎朝、テレビで「7・20」セブン・ツー・オーという番組を、見てから、学校へ走って行ってました。
毎朝一組、グループサウンズの歌を聞かせてくれたのだった記憶があります。
いろんな、トンデモなグループもいて・・・。
学寮の食堂の、端っこに、白黒のテレビが一台だけあった。
百人ほどの寮生の、それが、ただ一台のテレビでした。
始まる七時二十分には、皆、着替えも他の用意も出来ていた。
数分、食い入るように画面を見つめて、終わればテレビを切って、固まって見ていたみなが、ばらばらとばらけて、玄関へ向かう、靴をはく、ダッシュする。

朝から学校へ行き、夕方からも学校へ行った。
いつも眠くて、もっとおいしいものが食べたくて、東京に住んで、自由な暮らしをしていr(らしい)女の子達が、羨ましかった。

最近、いろんなこと思い出して、書いたりして、あの頃よかったよなぁ、なんて、思っています。
前述のユリちゃんは、私の同期生四十八人の中で、二番目にとっとと逝ってしまった子です。
脳幹を、突然襲った血栓で、くたっと、倒れて、そのままだった。
自分が婦長を務める病棟で、倒れて、そのまま、植物状態に。
ユリちゃんの耳元で、オックスの歌を流してあげた。
ぴくりとも反応しなかった。
子供を三人産んで、仕事をやめないまま、育てた。
過労だったのだと思います。
ナースって、自分の過労を、危険だと察知しにくい職業だと思う。
もう逝ってしまった人たちのことばかり、書いている気がしますが、なんか、覚えてるよ、忘れていないよ、と、呼びかけたい気が、しきりにするんですね。
















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  1. 2011.06.25 (土) 08:51
  2. URL
  3. えま
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ご飯つながりで・・・

e-429牛と牛蒡の炊き込みご飯おいしそうですね
おはようございますv-278
今朝は朝早くから目覚め
朝のおいしい空気を胸いっぱい吸い込みました。
ああ気持ちいい・・・
と思った瞬間ジェホを思っていますv-286
kuonさんに触発され、朝から炊き込みご飯作ってしまいましたv-410ジェホがおいしそにもりもりご飯を食べてくれる、その食事の姿を想像しながら・・・ほんとうに品のいい食べ方・・・

kuonさん知らないほうが良かったなどと
ぜんぜん思っていません。
知らないほうが怖いです。
知らされないほうがいいという方は目をつぶり、耳をふさぐでしょう。それは、選べますものね。
知りたくても知る事ができない方も世界にはたくさんいるでしょうし、幸い私達はまだ自由です。
だから、教えて下さい。
私もついつい感情的になってしまいがち・・・の今日この頃
申し訳なくおもいます。
反省v-356
  1. 2011.06.25 (土) 12:54
  2. URL
  3. yuuta
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No title

KUONさん こちらに集うみなさん こんにちは
お玄関が さわやかなブルー!
v-20を連想させるさわやかブルー!

オックスしってますよ 観に行ったそのステージでも倒れたと思ったな

子供の頃から きらきら ひらひら したものには興味がなくてどちらかといえば 喧嘩 火事に スワッ急げ、、、ていうほうでした
ままごとするより棒切れふりまわす 赤胴鈴の助 少年探偵団(古い! 知らないかな古すぎて)
恋愛映画よりは時代劇 剣の道に精進する孤高の剣士みたいな、、
キャハ~ こうかいてみると恥ずかしいですね

でも「太王四神記」見てタムドクに堕ちたのも
王の言葉よりなにより 若タムが雨の中で1人孤軍奮闘する姿
あのシーンの美しさ 厳しさ 哀しさ 
こんなに美しく決闘シーンを演じられる この役者は?!?!でした


ところで話はがらっと変わりますが
テルテル三兄弟のママから電話もらいまして
一週間ばかり奈良のほうへ行っていたみたいです
1人は鼻血が出ていて ほかの子は喉のゼロゼロが続いたり
三人ともまるで青菜に塩したみたいに元気がなかったのが
おかげさまでとても元気になりました、、と
彼らは普段エネルギーのかたまりみたいな子供で それだから
三人まとめて孫育するのはとうていムリということで 私までかりだされていたのです
そのおかげで こちらは幸せをもらっていたようなもの
そんな子らが元気をなくしてしまったので 親は危険を早く察知できたのだと思います

帰宅してみたら まわりの子供達に同じ症状が出ているそうです
今学校や市に働きかける動きが 少しずつ始まっているよ、、
私のところに子供として せっかく生まれてくれたのだから
そのことで彼らに後悔させたくない 良かったって思ってもらいたいから 頑張ります、、って
夏休みを過ごすところをいくつか検討しています、、って

さまざまな条件の下 身動きがとれないご家庭もあるでしょう
で、「チェルノブイリへのかけはし」の野呂美加さんからお聞きしたことをいくつか
野呂さんからの承諾はいただいています っていうかごく当たり前のことで つい見逃してしまうこと 軽く考えていることですかね それと自分なりにまぜあわせました

もし、その土地を離れる事ができなくても
空気 水 食物 体、、、これに徹底して気を配る

空気・・・放射線量が高い時は外にでない 
どうしても出なければならないときはマスクをする

水・・・・徹底して除染しましょう活性炭とゼオライトで
KUONさん 頼りにしてまっす

食物・・・美食でなくバランスの取れた素食
放射能に汚染されていない遠くの産地の高い 手に入りにくい野菜に必死になるより買いやすいものを きれいな水で洗う さっとゆでる 少し手間をかけましょう
ミネラルやカリウムの入った食物(つまり果物かしら)を意識して摂りましょう
添加物は極力さける工夫をしましょう

体・・・・なんとなく元気がないな、、、と感じたらムリさせずゆっくりと休ませてあげよう
ゴロゴロ ダラダラしているのは具合が悪いから
子供は元気になるとじっとしていられない

 野呂美加さんからの言葉  
『母親 あるいは父親でも あまり心配しすぎて暗いと
それを子供は敏感に察しています
それではダメよ 限られた条件下で工夫して よりよい生活を
送ってください
いままでの意識を変えてください
子供は外で元気に遊ばなければ、、、という考えは捨てて下さい
いまはそんなことができる環境じゃなくなってるの
子供とと本を読んだり 工作したり 室内で楽しく過ごす工夫を 
不安になったら千羽鶴折って 
福島原発で頑張ってくださっている方の健康を祈ってください
そういう親の姿を子供は見ているんですよ
みんなで力を合わせてがんばりましょうね』


私達世代はこういうことは当たり前と思うけど
若いお母さんの集まりに参加してみて 
ひとつひとつ丁寧に説明してあげることが大事なのだな、、と思いました
KUONさん ブログを若い方々に読んでほしい 
いえ、若くなくても わたしと同世代の方でも ほんの少し気をつけるだけでもいいと思います
これからの生活を元気に過ごすためにも
ずいぶんと長くなってしまいました ミアネヨ

メールしました


 

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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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