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ジュリーを「見た」日のこと

よく晴れた日で、風はそよそよと吹き、気分のいい日。

頭の中にも乾いた風を入れて。

今日は私はお休み。DVDやCDの整理をしていて。

ジュリーのことを、思い出した。

ジュリー。

はい、沢田研二。大スターだった、大歌手である、ジュリーのことです。

初めて小さなステージで見て、衝撃を受けて、また見に行った。
今では考えられないが、私は、胸元と袖口に大きな波のレースのついたブラウスを着て、モスグリーンのベストスーツを着て、先の丸い革靴をはいて、GSの王子様ファッションでジュリーに「会いに」行った。見つかったら停学・・・退学まで行く?。

次に見た時には彼は、スターだった。

まつ毛の長い、唇の赤い、肌の美しい、GSのスター。

夢中になった。

学寮の自治会の役を引き受けたのは、役員には、起床の際や「おやすみなさい、消灯しますよ」の合図のレコードを選んで、会の予算の中から買いに行ける権利があったから。
多くの人は「テイスト・オブ・ハニー」とか「マサチューセッツ」とか、日曜の朝はベンチャーズとか、夜にはモツァルトが流れたり、ほぼ洋楽方面でまとめていて、ビートルズ以外は音楽にあらず、派もいたし、どんなんがいても、学寮は、楽しかった。
冬には、たった一つの暖房器具である火鉢を囲んで、食堂から巨大なやかんを自主借り受けして来て(やかんでラーメン作るのは禁止されていた、後でお湯がまずくなるので)、大量の水が、乏しい炭によって熱い湯になるまで待ちきれず、早めにラーメン入れてしまって、奇妙な茹で具合になって、でも、夜勤でいない以外の同室者みんなで(奪いあうごとく)食べたので、おいしかったのだなぁ、素・インスタントラーメンが。
あの時のあの子たちが、大人になって食べ物のウンチク垂れたりするの聞くと、つい笑いたくなる、性格悪いわたしです。
脱線。

私は、もう、選曲は、タイガース一本だった。毎晩「きみだっけに~、きみだっけぇに~」と、沢田研二の艶のある甘い美声に、みなのものよ、ひれ伏せ。そう願っていた。

もの書きになりたい理由は幾つもあるような、別に無いような感じであったが、初めて原稿料、としてのお金をもらったのは早い、十四歳の時。
雑誌の読者欄に投稿して、五百円もらったりした、そういうのでなく、原稿料。
抒情文芸という、いつまであったのかな、あの本は、そこで、四千円もらいました。一番はじめ。
昭和三十九年でしたか。私には、四千円は、大金だった。
へええ、何か書いたら、お金がもらえるんだ。
ひゃっほ~、って感じだった。
早く、自分の吸う空気を、自分で買いたいと思っていたから。

で。
そこから飛んで、二十歳の私。
ある日、ある時、千代田区にある大きな出版社の、煙草の煙モーモーの編集室にいた。
ちょっと待っててと言われた。インタビューがあると言う。インタビュアーは他にいて、そこに同席すると言う。
「タイガースの沢田」。
胸の中でファンファーレが鳴り響いた。ええええええ。
「私も行きたい」
編集者は、えええ?という表情で、私を見て、ああ、とうなずいた。
「先生は、ジュリーがお好きでしたねえ」
答えずに私はにらんでやった。
行けることになったが、黙っていろと言う。
うなずいた。
喋れと言われても、口が動かないだろう。
傍で、見られたら。それ以上の望みは無かった。

見ていました。
インタビューを受けているジュリーを。
一メートルくらい離れたあたりで。
白い艶のあるブラウスを着て、サッシュを巻いて、黒いずぼんをはいていた。
美しかった。
滑らかだった。
真っ白で、髪はぬれぬれと黒くて、目の、白目の部分が青かった。
サンドウィッチと、コーラを卓上に置いていて、時折、サンドをつまみあげて口に運んだ。
全く生々しくな食べ方だった。食べ物は、ジュリーと呼ばれる静かな男の、指先から、違う空間へ移るように、消えて行った。感心し、感動した。
ジュリーは、満月の夜の、蒼い雫、蒼い月光のようだと思った。

あんなふうに、生々しくなく、美しくものを食べるおとこを、二年ほど前に発見した。
べ ヨンジュン。彼はすべてが美しい。

ジュリーと私の間には、それ以後、長い月日の隔たりがあった。

もう三年ほど前になるか、京セラドームへ、ジュリーの還暦コンサートに行った。
素晴らしいステージだった。
彼は、デビュー以来の持ち歌のすべてを唄った。
聴衆と自分の間に、楽譜台を置かず、唄った。
声は変わらず艶があり、よく通り、歌と歌の間の僅かな喋りに、ジュリーらしさがあった。
涙が出た。
沢田研二は、美貌の男として長年を来たが、この人は、自分の美貌を恃んでいたのではないということが、よくわかり、痛ましい気さえした。
ちっとも顔をいじっていない。
あの美少年のジュリーは、年をとって、還暦を迎えた、そのままの沢田研二の顔で。

沢田研二は、歌手。ずっとそうだったのだと感じた。すごい歌手だ。

少しだけ長く喋った時、沢田研二は、こんなことを話した。
10代で芸能界に入り、まさかこの年までこうしていると考えていなかったが、一生懸命、自分の仕事をして来ました、と。
しごく当たり前の話、と、思う人は思うだろう。
私は、胸を打たれたのだ。
この人は。
ジュリーは、こんなにもまともな心を持って生きて来ている、とてもすごい人だと。
だからどうなんだ、と問われると、いや、これだけの話です、と言いますわたし。






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  1. 2011.06.24 (金) 00:23
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  3. yuuta
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No title

KUONさん 寝る前にこんばんは

ジュリー  同じ世代のナムジャですね

一緒に働いてた子かな ものすごく好きだったのね
ジュリーのこと 
日劇でウエスタンカーニバルというのがあって
そこに行きたい ジュリーを見たい でも1人で行く勇気がない
どれどれ しゃあない 付き合ってあげようか てな感じで
行きましたわ

そしたらステージ見るだけじゃなくて 花束かなんかあげるって
裏口の方にまで行って待たされた

みんなワーワーしてて いろいろ出てきました
そんなに大きくなくて痩せていて さっさと行っちゃうの
今思えば当たり前なのだけどね
K-POPの男の子を無愛想にしたみたいな雰囲気、、かな
そんなに男前の人はいなかった なんでこんなんがいいのかな~っておもってた

そうしたら 奥からすーっと違う空気が流れてきて
見るともなしにみたら ジュリーだったの
あら~こんなにきれいな顔の人がいるのね~ってビックリしたわ
日本人でも美しい人がいるんだ、、、って変な感心をした
いかに自分のまわりが不細工かって、、、それもそうだけど
あきらかに ジュリーはほかの子と違ってた
で、なにを見てそう思ったのか忘れましたが
繊細なお顔に似合わず骨太なんだな、、と思ったこと

好きにはならなかったです 
中年になってからの彼が良いと思ったわ

KUONさんは作家さんの面もおありなのね
文章に引き込まれるのは そうか だからなのね
これから益々楽しみにしていますね

全然関係ない事だけど 誰かの男の子に出す手紙代筆したことあったっけ
読み直してもちっとも面白くない手紙だった
そんな昔の事思い出しました 
おやすみなさい

  1. 2011.06.24 (金) 00:59
  2. URL
  3. やさい
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日劇ウエスタンカーニバル

ませた中学生だった私・・・・

中学一年生のとき、
「タイガースの出るウエスタンカーニバルに行きたい!!」と
泣いて駄々こねて、
とうとう、父が連れて行ってくれました。

開通したての新幹線に乗って!初めて行った東京!!!!
フリフリのブラウスに黒のベルベットのベスト・・・・
はい、私も、GSファッションv-402

あれから~美男大好きメンクイ女王の好みは変わっていません(笑)
去年、ヨコハマにサンヒョク夫と旅行したとき、ジュリーの家、見てきた・・・v-400




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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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