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今夜の思い



やさいさんが、ご自分のブログで、今は血液の癌・・・白血病を患っておられるというお父上のことを、書いておられた。

膀胱癌、胃癌をのり超えて来て、いま、ひろしまで原爆症と呼ばれる、白血病だという。

やさいさんは、被爆者であられるお父上の娘さんで、いわゆる被曝二世といわれる立場の方だ。当人も子も、そのことを、口に出すのを、はばかる時代が長くあり、ついに黙したままこの世を去った人も多くいるし(私の母も)、二世であることを隠したい人も沢山いた。いる。

私の記憶の中にも、そのあたりの事情、当時はわからなかったことが、後にわかったという事象がいくつもあって。

市内で被曝して、ひどいケロイドのあった優しいおば(母のいとこ)については以前に書いたが、家へ遊びに来ていたおばと、連れだっていった銭湯で、初めて、被爆者を見る人の目、というものを見たのは、十歳の頃でもあったか。

胸から腕に、ひきつれのあるおばと、湯ぶねに近づいて行くと、湯に沈んでいたオバサンが、いきなり立ち上がった。ばばっと出て、なんでっと、とか、意味の知れない憤りの言葉を残して、出て行かれた。

おばは、ゆったりとした性格の人で、銭湯の帰り道、みかん水を飲ませてくれて、ゆっくり帰りながら、言っていた。

「だ~れが、あいたくて、ピカにあったか、な~あ」。

もう慣れていて、怒りでもなく、唄うような調子だった。

四十代で亡くなったおばは、生涯「アメリカ嫌い」で「反戦論者」だった。

白血病で亡くなった。

・・・私より十一も年が上で、反対を押し切って学生結婚をして、ものすごく貧乏をしていた、長姉の住むアパートへ、初めて一人で訪ねて行ったのは、中学一年生の時。

六畳間が一つあるきりで、小さな板の間が台所、お風呂があったか無かったか、記憶に無いが、とにかく、そんな小さなアパートで姉は、露文中退の夫と、シアワセそうに暮らしていた。

お金も無いのに、なんとかサラダとかのしゃれた食べ物を出してくれ、ネスカフェというインスタント・コーヒーを、甘いアイス・コーヒーにして飲ませてくれた。

お隣の奥さんは、ヒバクシャだと、話していた。姉たちと同じ広さの部屋で、二段ベッドを入れて小学生の子ども二人をそこで寝かせるようにしていたのだが、病いがちになっているお母さんが、ほとんど、ベッドを使っているという話題だった。

だるくて、だるくて、時々、とんでもない熱が出て、家のこともできないらしくて、と、姉は、練乳の缶を逆さにして、コップに白いミルクを貯めながら、言っていたのを覚えている。
姉も次姉も、被曝する以前の母から生まれている。

その後、その奥さんは亡くなったと聞いた。だんなさんが、死ぬ前にだけ、体を伸ばして、足を延ばして寝かせてやれた、病院で、と、泣かれたそうだ。

ヒバクシャ、という言葉は、なぜか、声をひそめる感じで発音されていた。

ホーシャノーはうつる、と、言われていた。それで、多くの人が苦しんだ。

・・・今までは、被曝、は、過去のものだった。

被曝された方々は、少しずつ、時の流れの中に吸われて消えてゆく存在だった。

そのうちに、無くなってしまうかもしれないことだった。

去年の事故があって、再び、被爆者、が、増える。

原子爆弾の被曝と、今回の事故機からの被曝は、同じこととしては語れないかも知れない。

低線量被曝については、これから、詳しいことを、知って行くのだ、皆は。

まだ、こういう目に遭った人はいない。大雑把な言い方だが、いなかった。

どうなって行くものかは、わからない。

ただ、どういう条件の中からも、生き抜く人は生き抜くし、早くに去ってしまわれる方は、残念だが、そう。

やさいさんは、無口で優しくすてきで大好きなお父上が、病んでおられるので、さまざまな思いがおありだと思う。ご当人が口に出されないことを、私がずけずけ書くのもナンだが、別れの迫っているいま、なんとも言えない気もちでおられるだろう。

私は、八年前に亡くした母の最晩年について、悔やんでも悔やみきれない思いを抱き続けているようで、思い出すと、本当に、ずっきーんと胸が痛む。母を、みすてた、母を、きちんとみつめられなかった、悔やまれる思いが、山盛りにある。ああするしかなかった、ああしかできなかった、一番たいへんなことが重なっていたもの、と、自分に言い訳しても、そんなのダメだ、自分で通らない。自分を責めるしか無い。

母は、体を抜けて一気に自由になった魂で、飛んで来て、私の心を慰めてくれたけれど。

あの不思議な一瞬に、私は、救われているけれど。


どうぞ、存分に、おとうさんとの限られた残された時を、温めて下さいと、願っています。














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  1. 2012.05.30 (水) 22:10
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  3. やさい
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ありがとう

KUONさん、今ね、自分のブログへ頂いたコメに返事してきたとこです。

なんだか、その返コメを、私が書くより先にKUONさんが知っていたような・・
あるいは、私が先にここを読んで返コメを書いたような・・

そういう錯覚。します。 ね。


私が子供のころ、体がだるくてだるくてしょうがないという大人が、ヒロシマには多かったんです。
そういう人たちは、「原爆ぶらぶら病」だと、働かないでブラブラして怠けていると陰口言われてました。

怠けものと言われていた大人たちは、実際、体の中に鉛を詰めたように、わが身を持て余す位だるかったんだと、今はわかるけど。



私は、東京電力の本社を福島に移転したらいいのにと思う。

重役室の窓から、毎日、立ち入り禁止区域が見える位置に新社屋を建てたら良いと思う。
移転すれば、建築費用、近隣の施設、商店街、少しは経済効果があるかもしれないじゃない?
都内の一等地にある本社は売却して、保証金の一部にでもすればよいと思う。

東電は、事故の責任を消費者に転嫁しようとしてるように思うんだけど。
そんな下品でずるいことする人がトップにいちゃいけないと思う。


  1. 2012.05.31 (木) 15:34
  2. URL
  3. えま
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No title

kuonさん こんにちわ

kuonさんのご主人様の事
そしてやさいさんのお父様の事
胸がいっぱいで
何て書いていいかわからないで数日読み返しております。

なぜ・・・放射能を撒き散らすような恐ろしいものを
人間は作ったのでしょうか。

心からお元気になられる事
お祈りしています・・・



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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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