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オモニのこと


ここ以外に、このことを書く場所は無いと思われるので、精神病院で勤務していた数か月のあれこれを、自分式に記しておきたいです。

灰色の壁、天井、厚い鉄扉の内側にずっと、自由に出られないまま暮らしていた方々。ほとんどの方が、すでにこの世におられないでしょう。おられるとしても、私が思い出して書いて失礼になることは、無いと思います。


女子閉鎖病棟 1

   オモニ

オモニ、という言葉が、韓国の言葉で「お母さん」の意味だと知ったのは、そこで「オモニ」と出会ったのが最初だった。私が二十代初めだった昭和四十年代半ば過ぎ。韓国、というより、朝鮮の言葉、と意識した記憶がある。

S精神病院、女子閉鎖病棟、5号室。だだっ広い、廊下から直接上がる、ドアも戸も無い、何枚も畳を敷きつめてあるだけの、壁際に、くるくると巻いた各自の寝具が押し付けてあるだけの「病室」の、自分の位置に、いつもオモニは座っていた。

大工の棟梁みたいな刈り上げ頭。頭髪のカットは、月にほぼ一度、ナースとしてベテランになって、患者の髪をどうこうするにも慣れたAさんが、行う。オモニの髪型は、一番やりやすい、バリカンでの刈り上げだった。

私が勤務したのは、暑い時期だったから、オモニは毎日、綿のシャツを着替えさせてもらい、下は週に二回穿き替えるモンペだった。

朝、目覚めて、歯は自分で磨いた。顔も、つるんと撫でて洗う。そのままあぐらをかいて座る。

食事に呼ばれれば、立ち上がって、並んで、食堂の自分の定位置に座る。患者さんに薬を飲ませるのは、時に、入院して間もない患者は特に、大変なことにもなるのだが、オモニは違った。

オモニのごはんには、薬が振り掛けてある。ずっと以前からそうだという。色も変わっているし、おそらく味も、違ってしまっているのだろうが、オモニは、自分の座る席の、目の前にある食べ物を、率直に食べてしまう。

何も残さず、すべて、食べてしまう。好き嫌いは・・・あったかどうか。

オモニの感情を、推し量るのは、難しいことだった。

話しかける言葉が、どの程度通じているかが、まずわからない。オモニ、と呼ばれているのが自分だとは、理解されていたようだ。

ご飯ですよ、と言われれば、立ち上がる。入浴の時には、洗面器とタオルを見せると、手を伸ばして受け取る。

布団を敷いて、と声をかけられれば、敷き布団の端を持って、引っ張る。布団と言っても、スポンジの、へにゃへにゃのものである。週に一度、患者自身がシーツを替える。初めてそれを「布団」と教えられた時は、少なからぬカルチャー・ショックを覚えないでもなかったが、薄くて軽くて、丸洗いできるそれが、実際には便利なのだと、すぐに悟った。

布団を敷けば、寝るものとして、横になる。まっすぐに上を向いて、すぐにいびきをかき始める。

決まりきった日常のことは、条件反射のように、こなすオモニだった。楽と言えば楽な患者だった。

患者、ではなく・・・長期に、行く場無く、入院しているひと、だった。精神病者ではなかったと思う。

初めて病棟に入った日、挨拶した。新しい看護婦さんです、こんにちは、と、自分を指さして、話しかけてみた。無反応だった。顔だけは上げてくれたが、それだけだった。シワの中の小さな両目は、私に向けられたものの、何を伝えてもくれなかった。

オモニは、自分の部屋の自分の位置に、時々移動する大きな岩のように、存在していた。

作業室と称する、オセロやダイヤモンドゲームがあり、一台だけのテレビがあり、女性の下着に付ける用の小さいリボンを作ったり、レースの花の模様を、糸切りはさみで一つずつ切り離したりの「作業」をする大広間にも、足を運ばなかった。

朝、ナースが、前日の排泄の回数を聞きに回ると、必ず「一回と六回」と答えた。その時だけ、オモニは声を出した。

カルテを読むと、その二十年近くも前の、入院当時のことが、大雑把に記されていた。

N駅の裏の、戦後の闇市の名残りが色濃く残っているあたりで、背中に大怪我をして錯乱状態で泣き叫んでいるところを、保護された。がっしりとした体格で、身元を察しさせる何物を持たず、ただ、その土地の周辺の状況と着ていたものの形状から、もしやと呼びかけてみた「オモニ」という言葉に、反応したと。

年齢も名前も、履歴も、家族の有無も住処も何もわからない、おそらく朝鮮籍の女性として、オモニは、入院して来た。オモニ、という、唯一の反応をしめした呼び名が、実際の「お母さん、母親」を意味したものか、単に「オモニ」と呼びかけられていたものか、それも不明。病院は、保護された患者として受け入れただけで、わからないことは、わからないままだったのだろう。

カルテから知ったが、オモニのワッセルマン反応はプラスだった。梅毒に罹患したかどうかの、記録。梅毒は恐ろしい病気で、かかれば治療は(少なくとも当時は)難しく、伝染力が強いし、見かけが治ったようでも、血液の中に、その病気の記録が残る。性病ではあるが、脳を犯されれば、廃人になることもある。目を損なわれることもある。

オモニだけではない。他にも、特に老齢の患者に、プラスの人はけっこう多かった。
全く普通の家庭の主婦だった人にも、いた。男が・・・夫か恋人か、客という立場の誰かか・・・遊んで、その病気をもらって来て、移すのだ。そういうことが、昔は、沢山あった。

オモニはおそらく、梅毒のスピロヘータに脳を侵された人だったのだろう。

・・・先日、この病院での、患者さんのおやつの買い出しについて書いた。

あの記事は、患者さんのウワマエをはねる話だったが、今回の話は違う。

オモニに、チマ・チョゴリを着せた話だ。

月々、身よりの無い患者さんにも「お小遣い」と呼べるお金が入る。まことに微々たるものではあっても、公のお金。下着や歯磨き粉を買える程度のお金ではあった。

オモニは、おやつの注文も自分ではしない・・できなかった。ナースたちが、種類など考えて、皆がおやつを食べる時にはオモニも楽しめるように、はからっていた。

そうして使っていたけれど、徹底的に要求が無いのだから、長い間には少しずつのお金が余って来る。オモニにもしも、のことがあっても、その時には、それ用の最低限のお金が用意される。残ったら、公に返還する。他の人ならともかく、欲望と言うものを一切知らないオモニの余剰金を返すくらいなら、と。

婦長と、古株のおばちゃんナースたちが考え付いたプラン。

オモニに、チマ・チョゴリを買ってあげよう。

もしかして何か、感じてくれるかも知れない。

選抜隊が、どこにあるやも知れぬその衣類を買い物に出かけ、苦労した~、と持ち帰って来たのは、私も、本格的なそれをその時初めて見た、美しい水色の・・・もしかして一般的な言い方では「派手」な・・・民族衣装だった。

着付けの時には、私も、その場にいさせてもらった。

全く抵抗なくオモニは、シャツを脱ぎモンペを脱ぎ、水色の、ふわ~っと裾の広がったチマ・チョゴリを身に着けて、すっくと立った。

無表情だった。

みんな、見上げて、なんとなく笑って、周囲を見回して、オモニを見上げて、ぱちぱちぱち。拍手した。

婦長も、古株さんたちも、新卒の張り切りナースも、私も、拍手した。

何事か、と見に来て、一緒に拍手している人もいたし、自分には何の関わりも無い、とばかりの、固い表情の人もいた。

オモニ。

それからほどなく私は、その病院を去ってしまったのだけれど。

あの時、どんな気持ちだったのだろう。

オモニ。私たちは、なんだか面映ゆく、なんだか嬉しくて、少し、涙ぐんでしまったりしたのだけれど。

オモニ。あの何年も後に、お棺に、入れてもらったかも知れないね、あの、美しいチマ・チョゴリ。

日本人たちの、思いつきの傲慢なんかじゃなかったよね。

本当に、着せてあげたい、着てもらいたかったの。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

yuutaさん。

早々にコメントありがとうございました。

私は、太陽を飼う、という言葉に、力を感じたのだけれど。それで書いたのですけどね。

犬と住む人、猫と住む人、ハムスターを傍に置く人。

いろいろあるのだから、月を飼いたい人がいても不思議ではないですね。


えまさん。

トマト、育てるのに夢中の可愛い(失礼)姿が想像できます。

ものを育むって、大きいことですよね。素直なえまさんのトマト、まっすぐに、お日さまに向かって、すくすく伸びろ!。

楽しんで下さいね。


tsuruさん。

向田邦子って・・・嬉し過ぎ・・・ちょうど今、向田邦子さんの一番下の妹さん、長く「ままや」を営んでおられた和子さんという方の「向田邦子の恋文」という本を読んでいるので、びっくりです。

身近にいた、大切だった、突然消えてしまったお姉さんを、惜しみ、愛おしみ、悼む内容で、生活の仕方の雑で大雑把な私は、ふむむむむ・・・と、声も無く心惹かれて、読んでおります。

この歌、そうそう、ラヂオで聴いていました。幾つの頃だったか・・・同じくらいの頃でしたか・・・ま、それは。

ラテン男の生命力旺盛な声でした。いっちょ、行くか!。







 
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  1. 2012.05.23 (水) 23:39
  2. URL
  3. sarah
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こんばんは

オモニ・オンマ・ハルモニ・アボジ、サラン・・・。
ペ・ヨンジュンv-344を知ってから知った言葉です。

チマ・チョゴリも大好きです。

きれいなチマ・チョゴリを着た童女のようなオモニが眼に浮かびます。

日本と朝鮮半島。
たくさんの喜びや悲しみが行き交ったことでしょう。
ソウルの街を歩いていると、なぜか懐かしさを感じます、少しの痛みとともに・・・。
  1. 2012.05.24 (木) 20:30
  2. URL
  3. えま
  4. [ edit ]

No title

kuonさん こんばんわv-484

優しいお返事・・・ありがとうございますv-398
トマトは真っ直ぐ伸びてくれていますがv-22
わたくしめは、決して素直等ではなく・・・
ねじれよじれのヒネクレ者ですから
恥ずかしいですv-356

オモニ
何十年経っても忘れられない人・・・
なんですね。

  1. 2015.03.14 (土) 06:43
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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
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四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

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