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パーンと打ちたいなあ。

 

  <魂よいづくへ行くや見のこししうら若き日の夢に別れて>

前田夕暮の短歌です。

声に出して読むと、うす水色のさみしさが胸をひたします。

魂よ いずこへ行くのか 見残した うら若き日の 夢に別れて

たった三十一文字の中に、ぎゅうっと詰め込む思い。

夢に別れて、の、別れて、というひとことが、飛行機雲のように胸に余韻を残します。



  <あの夏の 数かぎりなき そしてまた たった一つの 表情をせよ>
                             
作者は小野茂樹。

いとしい人の、おそらく笑顔でしょう、その表情を、どんなにいつくしんだか。

今朝、ついていたテレビが、飯館村の「今」を報じていて、なんとも言えない気持ちになって、昼休みには、短歌の本を読んでいたのでした。


yuutaさん。

同じ気持ちを示して下さり、嬉しいというかなんと言うか。

私も、そう思います。

テルテルパパの気持ちも、わかる、と言っていいですかしらん。

現実が、厳し過ぎるところへ来てしまっているし。

でも、何がどうであれ、毎日を生活して行くしかない、明るいこと、楽しいこと、美しいこと、を、感じたり。

伊集院静氏が書いていました。

作詞家の阿木耀子さん。一緒にゴルフをした時、1メートルくらいのパットで入る距離なのに、思い切り、パーンと打つのですって。

もう少し、ちょっとでいいのではないか、と言うと、だめ、と。

それじゃすっきりしないから、と。

この話を聞いて、はは、と、笑いました。

パーンと、打ちたいですなあ。





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  1. 2012.05.09 (水) 23:05
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  3. sarah
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こんばんは

飯館村の文字に・・・。
満開の美しさを愛でる人は誰もいないのに、けなげに咲いている飯館村の桜並木の写真を見て、
涙がこぼれたことを思い出しました・・・。

人間はなんと罪深い存在であることか。

ちょっと長文ですが、
いいなあと思った文章を書き留めました。

「夜半、商店街を抜けて小さな川に掛かる短い橋までくると空が少しひらけ、少しだけ星が見える。
それは遥かな時間と空間の果てからこの瞬間に地球に届いた微光だ。

くるまの流れる環状道路を渡って住宅街を行くと暗い真っ直ぐに延びる裏道になって、
街灯がぽつりぽつりと小さく光り連なっている。
五十代に入った頃から人影の途絶えた深夜そこを歩くと、
自分が時間の中に入って行くような錯覚がする。
今は右へ曲がるが、いつかその道の果てで永遠が自分を待っている。

時間とは奇妙なものだ。
空間には上下があり左右があって、目にも見えそこを自分の意志で動くこともできるが、
時間は見ることも触ることもできず、そこを行き来することもできない。
ただ誰もが平等に、時間とともに永遠の果てへと近づいて行く。

詩人ノヴァーリスは、人々がすべて死すべき運命を共有していることを悟る時、
虚しい諍いは止み、地上に平和が訪れると言う。
自分の限界を知れば傲慢にはなれず、
他人もまた自分と同様に限界に悩みつつ生きると知れば、
その過ちに対して居丈高になる自分の醜さが見えてくる――。
人間の限界を知ること。
それがすべての知恵の根源となる。
間もなく年が明ける。」

柴田翔「ノヴァーリスの言葉」から

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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
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四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

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