KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

  1. ゆれ・ふら・とーく
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銀ちゃんの誕生日

4月3日。

今日は銀蔵の誕生日。6歳になる。アーモンド色の(茶色、でなくそういう形容をするそうだ)トイプードル。よくなついてくれた。ソファの上で私にもたれて眠った、寝言を言った。愛しい犬だった。

奈良に、娘婿の名義で家を買って、何とか収まったころ。犬を買ってもいいかなあ、と、娘婿のSから電話がかかった。私は、いいんじゃないの? どんな子? と胸が弾んだ。犬を飼いたいと彼は、その前からずっと言っていた。。その日は夫婦で買い物に出て、下見してあったペットショップに立ち寄り、話をまとめたようだった。
ほどなく帰って来た時、Sは玄関先で犬を放し、ころころした小さな犬が、玄関の左側の私の部屋へ走りこんで来た。抱っこしていいか、と尋ねた私に、いいよ、ばあちゃんに一番先に、と言ったのは娘だった。私は犬をつるんと抱いた。胸が轟いた。子犬の鼓動もだく、だく、と聞こえた。

どうや、と部屋の外から尋ねるSに私は、

「かわいい。名前は?」

見上げて聞いた。Sは答えた。

「ぎんぞう」

と。いい名前だ、と思った。めっちゃいい名前だ、と。

銀蔵は、ケージから出されると必ず、私の部屋へ飛び込んで来た。ジャンプしてお腹をピタッとつけて四肢を四方にひろげて、顔を上げてにこにこと笑う。はじめのうちは、部屋中のどこへもおしっこをした。おしっこされても可愛かった。

娘の運転する車で、初期のいろんな検査や注射を受けに行った。おとなしく診察台に載って、不安そうでも鳴かず、からだを支える私の腕に顔を押しつけていい子して注射されていた。待合室で、リードをたぐってしっかり持って、膝にのせて撫でていると、精悍そうな大きな犬の飼い主や中型犬の「お父さん」や、太りすぎだと明らかにわかるおじいさん犬を、たまらないように抱えてぎゅううっとしている「お母さん」などが、やさしい笑顔を向けて来た。

「まだ赤ちゃんなんです」言うとき幸せだった。

子どもの頃、いつの間にかいついた雑種犬の面倒をみていた。皮膚病を患っていたその「ゆうちゃん」に、それがいいのかどうかわからないまま、毎日、茶箪笥にあった薬を塗りこんでやった。犬は長い温かい舌で、いつまでも顔をなめてくれた。淡い塩味の赤ちゃんせんべいを一緒に食べたりした。そのせんべいは、犬の上顎に張り付きやすくて、よく、口を開けさせておいて爪ではがしてやった。犬の目は黒くて優しいものだと知った。小学校の、二年生か三年生のころだったか。

私には大切な犬だったが、子どもの私にはどうすることもできないまま、ゆうちゃんは私のそばから消えてしまった。

結婚した時、婚家にはマルチーズがいた。誰かが飼えなくなって手放した犬を、育てているのだと聞き、それはいいことだなぁと思った。

犬を飼育する環境は、今とはずいぶん違うとはわかる。もう四十年以上も前のことだ。

そのマルチーズは去勢を施されておらず、はじめに私を驚かせたのは序の口、姑は書道の教室をひらき短歌結社の本部を引き受け、親戚も膨大に多くて人の出入りの多い婚家だった、のだが、だれかれ構わず脚にしがみついて腰を振りまくる犬だった。いやがられていたと思う。いやがられていることを知らないでいる犬が、私には、哀れでもあった。

手術を受けさせてやったらどうか、と、遠慮しながら提案してみた。何度か言ってみた。そんなこと、と姑は耳を貸さなかった。当時はお金の無い家ではなかったのに。

家の庭に出して用を足させるくらいで、ほとんど散歩にも連れ出さず、姑は外出の多い人であって犬は家に閉じ込めて出かけるのが常の人だったから、留守をする犬は、家のいちばん奥の和室の畳の上に、おしっこをしてしまっていることが多かった。そこは予備の部屋ではあったが、においは染みつく。

帰宅して姑は、臭いの汚いのとぶつぶつ言いながら、始末をしていた。私がいれば私にさせた。すでに十分な大人の犬だったが、トイレの場所も決まっていなかったのだ。

いま、こうして書いていて思い出すのだが、なんといいかげんな扱いを、あの、基本的にはおとなしく愚痴を言うでもなかった犬に対して、していたのだろう。

逃げたいわけではないが私は、何かが違うと思いつつ、その当時の「嫁」の立場の人間として存在するしかなく・・犬に対してどうしてやりようもなく、体も大きくなりすぎて目の下の毛のいろも、オレンジ色に染まってしまっているような犬の、飲み水を替えてやるくらいしかできなかった。そっと撫でてやるくらいしか、できなかった。散歩に連れてゆきましょうかと提案したが、毎日してくれるんやなかったら、気まぐれにそんなことせんといて、と言い渡された。

あの犬は、かわいそうだったと思う。途中から引き受けるなら、それなりのやり方があったと思う。叩きながら、本人に向かってワルクチ言いながら飼うって、どうだったのだろう。

ほどなく犬は死んだ。私は、犬の棺に、たくさん、花を入れてやった。見ているしかできなくてごめんね、と、心の中で謝りながら(そのころには姑たちと別居していて)自分の家にたくさん咲かせていた花を、手当たり次第に切って持って行って、落ち着けないまま死んでしまった犬に、手向けたのだった。手向け花は、自己満足でしかなかったとしても、犬の骸をせめて花で飾ってやりたかった。硬くなっているからだの下には、ソーセージやビスケットを潜ませてやれた。姑は

「義理は果たせたていうことやわ」

と言った。その人のそういうところが、嫌いだった。

もっと積極的にかかわってやればよかった。いまの私のような、ずぶとい自分であったなら、もっと何か、してやれただろう。いまも、ベアちゃんごめんね、の気持ちは残っている。カットになんか行かず飼われていて、目に覆いかぶさっている髪(?)を、寄せて、頭のてっぺんで痛くないゴムで束ねてやると、丸いくりんとした目が現れて、その目は、いつだってまっすぐに私を見つめてくれたのだ。

それ以後も姑は、近所の、飼い主のおばあさんが亡くなった猫を、娘さんから引き取って、ふすまが、障子が,においが、口が贅沢で、など、文句たらたら言いながら一緒に暮らしていた。そのマリーちゃんは、20歳くらいまで生きたが。引き取られた時、かなりの高齢猫だったし、耳が遠くて、ひっきりなしの姑のボヤキ、いやみが聞こえにくかったのかもしれない。

戻って銀蔵の話である。

娘婿のSは、それは丁寧に犬の面倒を見た。ケージの中をきれいに拭き上げ、シートもきちんと敷き,しつけしっかり愛情たっぷり、朝と、仕事から帰っても散歩に連れ出し、銀蔵のお腹の具合のわるいときは、納得ゆくまで排泄物を調べていた、食べるものも厳密に選んだ。

昼間、家にいるのは、自室で仕事をしている私だけ、のことが多かった。

銀蔵は、生まれつきの骨の病気とやらで、右後ろ脚の大手術を経験していた。

家に来てから数か月たつうち、抱くと悲痛な悲鳴を上げるようになり、受診してすぐに手術の日取りが決められたようなけっこう大きな手術で、その足は、筋肉が他の脚より育ちがよくなくて細く、走るにしても、四本の足で地を蹴って、というわけにはゆかず、浮き気味の脚だった。

私は銀蔵に、太陽の光をたくさん、浴びさせてやればいいのではないかと考えた。運動はさせた方がいいとは、S自身から聞いていたし、南側は生垣と三本の樹のほかは芝しかない庭で、存分に日光浴をさせ、走らせ、してやればいいと考え、Sに諮った上で、そうしていた。洗濯物を干しに出る時、銀蔵に声をかけて一緒に庭に出て、しばしの間、自由にさせる。嬉しそうに銀蔵は跳ね、走り、立ち止まって風のにおいを嗅いだりハチを追いかけようとして慌てて私に抱き寄せられたり、庭でのひとときを楽しんでいたのだ。

走りすぎたとき、悲しいことに時にバランスが崩れ、左足を払われるように横向きに、すったーんと転ぶのだった。

すぐに起き上がって、人のいい顔を私に向けて、なんだかわかんないけど転んじゃった、みたいなおうような表情を浮かべるのだった。

食べるものも、Sの選んで与えるドッグフードばかりでなく、バナナや犬用のジャーキー、時に自宅で焼いたお好み焼きを少し、など、銀蔵が喜んで食べ、結果的にお腹にコタえないものを、注意しながらわずかずつ、与える楽しみを味わっていた。

銀ちゃんは、スイカが好きだった。しゃりしゃりと、美味しそうに食べていた・・・。

・・・あまり言わないことにしたいけど。

Sは、Sで、思うことがいっぱい、あったのだろう。

男の孫も女の孫も、家の中で誰より優しいじいちゃんと、とにかく美味しくてできるだけ体にいいごはんを作って食べさせることに意欲的なばーちゃんである私に、たいそう、なついていた。保育園の送り迎えも運動会の応援もお弁当つくりも学校から帰った時の話し相手も。すべて、ひとときじーちゃんばーちゃんだった。赤ん坊の時から、子供はツマの親が同居しているのだから任せておいて、週日は仕事のある自分たち夫婦は、休みの日くらい、夫婦ででかけたい、旅行も夫婦でする、そういう親だったから、それに馴染んで、親がいなくても気にならない子どもに育ってしまっていた。

言い訳しておけば私は、自分なりに、お父さんお母さんが一番なように、子どもたちにとってそうであるように、そちら向くようにつとめていた。それは事実だったと思う、今も。

私にとってはそうであっても。SにはSの、胸の底にたまる思いがあったのだろう。勝手だとは思うが、認める。仕方ないこと、人はみんな、勝手なのだもの。

・・・愛する銀蔵は、銀ちゃんだけは、ばーちゃん一番は、避けたい。イヤだ。そうはさせない。

Sが、そう考えていたとしても不思議はない。私にはそんな気持ちはよく見えていた。

銀蔵に関して、小さなことが、ちょくちょくの不満の種になって行っていたようだ。

Sは私に、いろんな「してほしくないこと」を示して来た。

ばあちゃんの部屋で、へそ天に転がって銀蔵が、いびきをかいて眠っている昼間。

庭を走り回って、その時に口に入れた草の葉が、そのまま排出されていたことへの不安、不満。

あれこれ、あれこれ。銀蔵のこととして言う以外、言いようがなかったのだとも、私は思っている。Sの立場になってみれば。

・・・私の部屋でメモの切れ端を食べたのだろう、消化されずに出て来てしまった。そう、Sは言い、昼間も庭に出すとき以外はばあちゃんの部屋には置かず、ケージに入れておいて欲しい。

そう言われて、なるほどSの大事な犬だものなと受け入れ、守ろうとしてみてしばらく。

「出して欲しくて銀ちゃん、お昼間、私を見るとわんわん鳴くのよ」

「鳴かせといたって」

「のどから血が出るんじゃないかと思うくらい・・」

「鳴かれて気になるなら、鳴かせんようにそういうモンがあるから、銀、鳴かんように電気でバシッとなるように、しよか」

「そんな可哀そうな」

私は引っ込んだのだ。

銀蔵は、事情がわかったのかどうか、昼間ほとんど鳴かない犬になった。

庭に出してやれば喜んであと、部屋に入って来ようとするから、私が、銀蔵を拒否するのがつらくて、庭にも出さないようになった。

銀蔵の「ボス」であるSの言い分を、聞き入れた。

娘は、独自の銀蔵への接し方をしていたし、孫たちは、父親の対・銀・統治が厳しいので、かわいがってきた犬に、あまりかかわらないようになっていった。

Sは、皆が自分の部屋へ上がってしまったリビングで、銀蔵を体の上や横に置いて、一人でテレビを見ていた。銀蔵もくつろいで柔らかくなって眠っていた。それは、平和な光景ではあった。

時に。

銀蔵のケージの据えてあるリビングで、夕食後、Sの家族が銀蔵を出して、かまって、銀蔵も喜んで吠え、皆は笑い、私は食器の洗い物をしたりしている時。

自分の中に、どんよりした明るくない気分が、粘着質に広がって行くのを、しばしば、感じるようになった。

夫は私の味方ではない。わかっている方が自分を抑えて、わかるまで見守ってやるしかない。それが、夫の、三世代同居の暮らし方への基本方針なのだった。理屈では、私も、わかっているつもりだった。

でも、もう、や~めた。

夫が脳梗塞の発作を起こして数日間の、いろんなこと。・・・いや。それ以前からの、小さい薄い他愛のないようないろんなことが、雲母のように積り、重なり、気持ちがミシミシして行っていたこと・・・

私は出て行こう、もう若いひとたちと一緒にはいられない。日頃はあまりグダグダ言わないことにしている・・・言っても仕方のないことが多いのだし・・・のだが、夫に、言ってみた。

夫は、今までなかった言葉で応じた。

「そうしようか。」

びっくりした。

「あんたも頑張った、ぼくももう、今までみたいに皆の助けにもなられへんし」

夫は、家じゅうのゴミ出しから孫たちの「明日学校でいるものが無い」の要請に応じて買いに走るやら、上げれば切りのない「無給,無休の、有能な爺や」として、十年以上、娘の一家を支えて来ていた。私も、家庭内に於いては無給、無休の、おさんどん、洗濯物係、なんでもお金出す係、その他なんでもやっちゃうばあちゃんとして、存在して来た。

してやったと言うつもりは無い。納得して、していた。孫たちと暮らすのは幸せだったということ、嘘ではない、ぜんぶ。

でも、もう、いいでしょう。

切り口上を口から出したくない。でも、ここで出します。

「じいちゃん、ばあちゃんの老後のめんどうは俺がみる」

そう言う(言ってくれる)Sに、ありがとう、よろしくね、と、ずっと答えて来た。おそらく、言葉だけでもありがたがるべきことなのかもしれない。

でも私は、それを嬉しがれる可愛い純情なばあちゃんではないのだ。残念だが、そうなのだ。

「じゃあ、出て行くよね」

「ああ。前から探してた、あのへんで」

話は早かった。夫は体力気力に自信が失せ、私の出て行きたい理由・・・もお、けっこう、もういいよね、先はわからんが、行けるとこまで自分らで行くわ。・・・とは異なる理由で、GO、としたのだろうが。

私は引っ越し先を探し、申し込みに走り、直観にたよってためらわず住まいを決め、お金を用意した。息せき切って、走った。そして、すべて決定してから、娘と娘婿に話した。

「私たち、出て行きます。会社のそば、じいちゃんが歩いて通えるとこ。

孫たちももう手がかからないし、夫婦でちから合わせて頑張ってね、祖父母業はとりあえず引退させてもらう、自分たちのためにこれからは生きるわ。まだしばらくは仕事しながらね」。

娘は虚をつかれた顔になった。

娘婿は、反対する理由も権利もない、と言った。

孫たちにも話した。孫たちは、じいちゃんばあちゃんの住まいに遊びに来られる。と。来てね、会いたいからと。

高校一年生の男の孫が、ばあちゃんの味方ができなかって、ごめんな、と、目を赤くしてぽつんと言った。詳しくは言わなかったし私も聞かなかったが、家の中でそんな思いをさせてしまっていたのかと、胸が痛んだ。そんなことないよ、と私は言った。彼は少しの間、黙って泣いていた。胸がつぶれるくらい申し訳なく、苦しく、そして、嬉しかった。事情があって、ほぼ育児放棄に近かった娘のサブとして、この子とは、片時も離れることなく暮らして来たのだ。

中学一年生の女孫は、うつむいてやはり泣いていた。抱きついて来て、ばあちゃん大好き、ぜんぶ大好き、と言ってくれた。

時間もお金も気力体力も、使って来てよかったと思った。・・・たまに小さな例外はあったが旅行もせず、贅沢もせず、この子たちの大きくなる手助けに没頭して来て…没頭できて・・・、本当によかった、と思った。

嬉しかった。

先日も、春休みになったからとて、二人で一泊で遊びに来たのだ。

・・・夫の体調が気になるので、引っ越しは、お金で済むことはすべてお金に頼って、迅速に進めた。

最後の荷を出す日、夫は運送業者を家で待って荷を出すことに決め、実行した。私は前夜から、新しい住まいに先に行って待つことにした。

やがて夫は頼んでおいた方に車に乗せてもらって、着いた。家を出る時、娘も娘婿も、玄関へは出てこなかったようだ。それに怒ったりがっかりする甘さは、私には(たぶん夫にも)すでに、残っていない。

今まで丸投げしていた食事つくり、弁当つくり、洗濯を干して出て帰って取り入れること、大量に出るごみを分別して捨てること、光熱費など必要なお金を支払うこと、すべて、自分たちでするようになって、大変なようだ。アホか、と私は思う。どこの共働き夫婦もしていることだ。当たり前にしている。しっかり頑張れ。まだ間に合う、親たちが必死になっている姿を、子どもたちに見せてやれる、まだ今は。間にあったのだ、きっと。

いい年をした大人である娘と娘婿、二人の、自立の、じゃましていたのは、夫と私の咎だと思う。始まりからの都合や何やで、そうなってしまっていた。

私はもう、お節介な手や口やお金を出す気は無い、こちらから、なめられながら、やさしいばあちゃんでいようとすることは、無いだろう。困ったら言ってみてとは、声をかけてある。

いろんなこと、最後の方では私を完全に無視していたようでもあった(ばあちゃんは鬱陶しかっただろう、それはわかる)Sが、懸命にあれこれ、尋ねる電話をかけて来る。彼は必死なのだ。根っこはまじめで小心者で、そして、頑固。ちゃらい男でなくてよかったと思う。娘は、自分で夫を選んだのだから何がどうでも仕方ないが、孫たちの父親が、あのSでよかったと、これは本当に思っている。

電話は好きでないので、あまりかけて来て欲しくない。落ち着いたら、言わなくても、私になど、かけては来ないだろう。そう思って見ている。

今日は、奈良にいる銀蔵の誕生日だった。本人(本犬)に、そんなこと、わかってはいないだろう。あたりまえ。でも、先日来た孫たちが、帰る時、銀ちゃんのお誕生日は、〇〇とかでデリバリーとって、銀ちゃんは食べられなくても、皆で祝ってあげてねと、いくばくかのお金を託しておいた。

晩御飯が済んで、テレビで水泳を見ていた時、娘から電話がかかった。

ピザとサラダと何やらを、とって、皆で銀蔵の誕生日を祝った。Sが銀ちゃんに、ばあちゃんが銀に会いたがっているやろな、と、しみじみ言ってたよ、と言うから、ああ、そう、ありがとう、と答えておいた。

銀ちゃん。ばあちゃんは、確かに、銀ちゃんに会いたい。会いたくないことは無い。会いたい。

でも。最後の日、きちんと、お別れしてきたから。ケージに入ったままの銀ちゃんと、目を合わせて。

さよならだよ、銀蔵。そんなに遠くへ行くのではない。帰る気なら帰れる、だけど。ばあちゃんは、おそらく当分、この家には出入りしない、だから銀ちゃんにも会えない。この家は、ここの家族四人と銀ちゃんの家。ばあちゃんは、あちらで、じいちゃんを大切にして(これは言葉のアヤです、事実はあまり大事にしていない・笑・夕ご飯の後の片付けなんぞもしてもらっています)自分の時間を大切にして、ゆっくり、暮らしているからね。

そう、決めたの。

会える時には、会いたいね、銀ちゃん。元気でいてね。

お誕生日おめでとう。

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  1. 2018.04.04 (水) 00:51
  2. URL
  3. ドラえもん
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春風のように・・・

こんばんは^^
銀蔵ちゃんも6歳になったのですかぁ〜♪
おめでとうございます♪( ´▽`)
よく銀ちゃんがKUONさんのお腹の上に乗って可愛いと話されてましたね。

>先はわからんが、行けるところまで自分らで行くわ。
うんうん!そうそう!ガンバレ♪───O(≧∇≦)O────♪

昔、KUONさんが私に言った『春風のように話せる人、私好きですよ』と。

KUONさんのいろんな思いを今、春風に乗せて話しているようです(#^.^#)
  1. 2018.04.04 (水) 01:54
  2. URL
  3. ラピスラズリ
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棺に入れた花

夏目漱石の俳句を思い浮かべました。

有る程の 菊投げ入れよ 棺の中

私も17年以上生きた老犬が死んだとき庭に咲いていた赤紫色の小菊を箱に飾ってやりました。
厳寒の頃で他に咲いていた花がなかったのでしたが最高の手向けになったのかなと思っています。
両親の時は全くそんな心の余裕がなかったことに今初めて気づきました。

私も盛大な花は要らない。
野に咲く小さな花を飾ってくれたらそれで十分。
何処かでただ一筋の煙となって消え果てるのなら一生の儚さを改めて思います。
  1. 2018.04.04 (水) 09:13
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

・ドラえもん さん

傷つきやすいお方とわかっております、ソフト~に、でも、違うといいたいことは正直に、記させてもらいますね。

>よく銀ちゃんがKUONさんのお腹の上に乗って可愛いと話されてましたね。

>昔、KUONさんが私に言った『春風のように話せる人、私好きですよ』と。

これ、この「KUONさん」、わたしでないです。私は銀蔵の話とか、めったに人さまに言いません。自分の子やペットが可愛いのは、基本的に自分だけだと考えているので、そういった気持ちを、まれにはブログにつづっても、駄々洩れにしたくないと、おもっているのです。

春風のように話せる人が好き・・・こんな優しいロマンチックなことも、どなたかに言った記憶、無いんですなぁ・・・

何より。あなた様には一度もお会いしたこともなく。ブログを通しての、いささかの関りだけ。前回のコメント中の「におい袋」も、経緯がちょっと違いました、覚えていてくださったのは嬉しい気もありますが。

どうしようかと迷いましたが、多くのことには大雑把で無頓着で厚心臓のKUONですけど、自分の言葉に関しては、違うことは違うよ、と、そういう気持ちなだけで。

ね。


・ラピスラズリさん

全くちがうお返事になるかもしれませんが。

短歌の先輩になる方が詠まれたうた。

「涙垂りてくれずともよしその胸に小さきわれの墓標たまはれ」

過去の記事にも書いたことがあります、この一首、心に残って離れないのです。

お子さんの無い方で、夫君とお二人、身を寄せ合って生きておられた。お優しいだんなさまでした。

もうとっくに亡くなられて、お墓の場所も知らず、知っていても詣でることは無いと思う。でも、この方の一首は、私の中にずっと在って、私が死ぬ時まで、離れないと思います。死ぬ前に、忘れてしまうなら、それはそれ。

まだ当分この世の楽しみをむさぼっているつもりです、コメント読ませていただいて、思い出したことでした。




  1. 2018.04.04 (水) 10:31
  2. URL
  3. ドラえもん
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そうですか...

おはようございます。
私も言葉は大事にします。嬉しかったり、気になった言葉は、その人の名前を書いて一言一句ノートに書きとめています。
それに、昔のことはきちんと言葉もよく覚えています。

勿論、お会いしたことはありません。
でもKUONさんとお会いした方とは4人ほどお話したり、その中の一人の方から、今日の女性の方たちにKUONさんからプレゼントとして頂きました。
KUONさんからプレゼントを頂いて、単純に嬉しかっただけです。

私の表現がKUONさん的には、イヤだなと感じたのなら、謝ります。
  1. 2018.04.04 (水) 19:48
  2. URL
  3. まりりん
  4. [ edit ]

KUONさま、こんばんは。
三世代同居、娘家族でも色々と難しいものですね。
私は隣に息子家族が住んでいて、お嫁さんは専業主婦で私は仕事をしているので、学校関係で子供を預かる時位、頼られます。
私も干渉しないので、いい距離感で自分の為に時間とお金をを使っています。
ラクチンです(笑)

お姑さんはご自分が一番大事でわんちゃんを飼うには適さない方ですね。
わんちゃんはかわいそうですが、運命はどうしようもないですね。
  1. 2018.04.04 (水) 20:40
  2. URL
  3. チャー
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ありがとうございます

はじめまして。
くおん様のブログ、常々こっそり楽しみに読ませていただいておりました。
今日の心に染み入るお話に たまらずコメント?させていただきます。
コメントではなく、お礼です。
心が洗われるような涙が出ました。
本当にありがとうございます。
くおん様。

  1. 2018.04.04 (水) 21:22
  2. URL
  3. チャー
  4. [ edit ]

ごめんなさい

連続で申し訳ありません。
言葉足らず、表現できずで 気持ちがくおん様に伝わらないですよね(..)
何とかお伝えしたいのですが如何せん語彙が少なく( ;∀;)
楽しい記事ではないのは理解してます。
心が洗われるって言うのは適切ではないかもしれません。
でも、本当に本当にストンと私の気持ちに入ってきて、お礼しか言いようがないのです。
  1. 2018.04.04 (水) 22:12
  2. URL
  3. かりそめ
  4. [ edit ]

失礼かもしれませんが......

KUONさま
ぜひ小説として書いてください。
きっと心に響く作品になると思います。

私も今年、分野は書きませんが、本を出します。大したものではありませんが、出版ってけっこう楽しみなものですね。
  1. 2018.04.05 (木) 00:36
  2. URL
  3. ラム酒
  4. [ edit ]

こんばんは。

うーん…と唸ってしまいました。

娘さんとお住まいと拝見していたので、
もっと、水入らずな…と勝手に想像し、
羨ましく感じていたのです。

犬って、
犬自身、
一時、いっとき、が大事で…
だから、kuonさんの部屋に行ってた頃の方が幸せそう。。。

一緒に暮らしていると、
有り難さが薄らいで、当然になってしまうのかしら。。。
人からの優しさが、当たり前になってしまうのかしら。。。

この春は、
kuonさん御夫婦の門出だけでなく、
娘さん御一家に取られましても、
新たな門出…試練ですね。
当分は、慣れるまで、食事や洗濯も、大変ですね。

お孫ちゃん達、
銀ちゃん、
頑張ってー
  1. 2018.04.05 (木) 02:43
  2. URL
  3. ラム酒
  4. [ edit ]

目が覚めたから、
ちょっと、一言書かせて下さいませ。

わんこのトラブルの
紙の切れ端、木の葉っぱ、、、

これって、わんこの成長の過程なのですよ。

わんこの下痢なんて、
子どものかすり傷、否、それ以下の虫刺されみたいなものですよ。

家の中に、自分が絶対的に制御できるものが、欲かったのかな…?
(盆栽みたいに…)

わんこ、二十年弱の命、
籠の中より、
いろいろ経験させてあげたい。。。
  1. 2018.04.06 (金) 03:42
  2. URL
  3. モエ
  4. [ edit ]

はじめまして

いつも読み逃げさせていただいました。
私も姑と言われる世代です。娘さんご家族と同居なさっていたのですね。大変でしたね。
私は息子しかいなくて、それぞれ独立しているので同居は、まだ考えたことはないのですが、将来的にはあるかも…です。でも、娘と息子では、またちがうのでしょうね。娘さん家族と同居していらしたkuonさんは、きっとなんでもこなす完璧なおばあちゃまで、それに娘さんは、甘えていたんでしょうね。母親なら、可愛い娘や孫達に何でもやってくれて当然だと…私も、息子達や孫達にはしてあげたいとは思いますが、あまり手出し口出しは、避けるようなしてました。この春から息子が単身赴任になり、嫁と幼い孫二人の三人になりましたが、嫁の実家も近くにあるので、私は、何かあったら連絡してね。としか言っていません。嫁が仕事を始めて下の孫が保育所に行くことになり、何かと気にはなりますが、こちらから連絡するのも迷惑かも?と思ってました。私も嫁だった頃は、自分の実家の方が居心地が良かったですしね。(笑)
でも、嫁としては、義実家にも目一杯気を遣ってました。世代、時代の違いなんでしょうね。
愚痴になりすみません。(笑)

更新、楽しみにしています。
  1. 2018.04.06 (金) 16:14
  2. URL
  3. [ edit ]

No title

 子供もワンコも、楽しい時や嬉しい時は全身で表現します。

 KUON 様の考えられた、「存分に日光浴をさせ、走らせ」は、銀蔵くんには、まさに最良の治療でしたでしょう。

 本能的に相手が幸せになるやり方を会得しておられる KUON 様とご家族との、度量の違い、人間の大きさの違いを、読ませて頂きました。

 そして私も、「ちゃらい男でなくてよかったと思う」と仰る大きな心持ちを、お手本にさせて頂きます。

 
  1. 2018.04.06 (金) 21:54
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

こんばんは。

お返事ゆっくりになってしまいました。

・ドラえもん さん

ただ自分のことを申しますと、私は不器用で、ひとさまとの距離感の取り方がわかりにくく、うまく取れずにモンモンとした時期が長く。年と共に(ひっかき傷をおったりおわせたりの挙句、とも言う(笑))なんとなく、自分流のそれが、少しだけわかった気もして。

これ以上どう言えばいいかわかりませんが。。奈良ホテルのご子息の結婚式、いかがでしたか(他の方のブログで知りました)おめでとうございました。桜もたくさん、ご覧になれたのでしょうね。


・まりりん さん

歩いて行く道ひとつとっても、比較的なめらかな道、少しくらいは曲がり路だったりの道、あるのかも知れません。私の道はそして、つぎはぎだらけ。そこをまた、子どもたちにも歩かせてしまっていた自覚があります。十代から二十代のそんな時期に。
なんとか一緒に来てくれて、なんとか人らしく生きるようになってくれた娘たち、心の中ではありがとう、なんです。

>私も干渉しないので、いい距離感で自分の為に時間とお金を使っています。
>ラクチンです(笑)

さらりとこういった風に書かれるの、すてきですね。ずっとお幸せにいらして下さいね。私も今はラクチンです(笑)。


・チャーさん

あららら、らりるれろ。ものすっごくよく仰って下さって。恐縮・・いや、ありがとうございます、恐縮ですけど。ありがとう。私のこころまで洗って下さったようです。

ないしょで、話します、けっこう、ひらがなで「くおんさん」と呼んでもらうのも好きなの~(笑)。この「くおん」は、二人の孫の名前をバラシて一部分ずつ組み合わせたものなんです。久遠、というのは、漢字の字面の美しさと(見た目はこの際、気にしない)久遠、永遠、という自体が好きなのと、です。小学校の時に「ステンカ・ラージン」というロシアの歌の歌詞に触れて、歌いだしが
「久遠にとどろく ヴォルガの流れ~」だったのです。なんか、いいなあ、と、憧れたのも、ありましたかしらん。聞かれていないこと書きましたね(笑)。


・かりそめ さん

物語は、書き始めています。嬉しいエールをありがとうございます。

どんなジャンルでか、本を出されるとのこと。素敵ですね。あえて「どんなんですか?」とはお尋ねできませんが、本心は、知りたい、知りたい、うずうずうず、です。
専門書? 。うずうずうず。

・ラム酒さん

実際よく、娘さんと同居、いいわねえ、お幸せねえ、と、言っていただき、えへへそうです、幸せですよ~と、臆面もなく答えておりましたのです。

今、このタイミングで、ちがう形の「しあわせ」授かったのでしょうか。計画して成ったことでなく(そういうことが私には多いのです)このことも、あらら、こうなっちゃったわね、やった~、だね、という感じに近い気もします。

娘婿クンは、いい子なんです。腹の立つことも多くあったが、それはお互い様でしょ。いろんな方面から見て考えて、彼の気持ちは、私流にですが、わかっていたつもり。今だって怒っていないし、腹の底にそんなにきちゃなく残っているものは無いです。・・人って、現場でしかわからないこといっぱいです、私が甘やかして、いい気にさせてしまったとこはあります。ごめんね、と言うつもりは無いですけど。(笑)。仕方がないのです、いろんなことは。

自分がいま、幸せなので、ヨユーで言っているだけかもしれませんが。わがままな自分でいられるようになって、幸せなんです、いま。

孫たちと銀蔵に、エールを、ありがとうございます。孫も銀蔵も大丈夫、と思えているので、これもいいな、と自己満足、ですかしらん(笑)。

・モエさん

初めまして。コメントありがとうございます。

私は、決して決して完璧であることは無かったです。手抜き得意で。。・・・自分のことを考える時、娘には、自分がしてもらえなかったことをしてやりたい思いは、たくさんありました。甘やかしてしまった自覚はあります。とはいえ、娘二人、大人になったらとっとと結婚して出て行って、その場で幸せになったらいい、姓は残らなくていいと(姑には内緒(笑))本気で考えていました。それがそうはゆかず。

むかし人間の姑にも、ずいぶん苦い思いもしていただいたと思っています。姑の世代、生き方では受け入れがたいこともあったと思います。いま91歳ですが、しゃっきりしておられます。身ぎれいにしておられ、プライドも高くお持ちで、腹の立つことも多いが(これもお互い様、若い時はわたし実際、未熟でしたし・・ほんとにそう思いますもの)今の姑、立派だなあと、思う気持ちに偽りはないです。思い描いた老後ではない、とおっしゃるのを聞くと、何とも言えない気分です。そうだろうなあ、と。複雑でもあり。

自分ならもっと、年取ったらだらっとしてしまうだろうなと思いますし。確定ですね、これは(笑)。

なんだかあれこれ書いておりますが、よろしければ、また、コメントしてくださいね。


・青さん

今日は雨、で、海の色も空も、灰色でした。

空が青いと、海の色も濃いブルーになったり。海を堪能しつつ暮らしております。部屋は夜も静かで、昼間も静か。

銀蔵のことを思うと、おへそ、天井に向けて寝ていた姿、何かと思えばイビキの音だったことや。カットした毛で、友人が作ってくれた小さなぬいぐるみを(ワタシとぬいぐるみは似合わないのですが)ソファに置いて。ぺたんこになってしまってる・・

本当にあの犬は、娘婿に大切にされているのです。ぶれない愛情で、見守られている。それは本当のことで。

思うことは、当時も今も多々ありますけど、私は、銀蔵無しで生きていられるのです。充分平気。娘婿は、そういうわけにはゆかないのです。きれいごと言う気は無いですが、Sのために、銀ちゃんには、長くいて欲しいと考えています。そう思うくらい、Sには銀ちゃんが大切。

切ないですね、愛してしまうってこと。切なくても、愛の対象は欲しいですしね。愛し方は人それぞれ、ですしね・・










  1. 2018.04.07 (土) 14:13
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

ええと。コメント下さった〇〇さん。
はじめ「非公開でお願い」と読んで、ブログを見たらばっちり、ふつーに公開されていました。うきゃ、いいのかなこれ!。

内容そのまま、私に再び読めるようコピーして、ご希望のごとく非公開になるよう、表のコメント欄は消してしまいましたが・・よろしかったのかしらん。いけない内容でなかったし、私が要らん事してしまったのなら、ごめんなさいと申し上げます。

いつでも公開させていただけますので、よろしければ仰って下さいね!。

内容へのお返事は・・

・よかったですね、素敵なものになる、絶対に、と、ふれ~、ふれ~。

・秘密のコメントへのお返事になるので自粛しますが、いちばん最後のこと、大丈夫です、そんなことはありません、今後もどうぞどうぞ、と、本気で熱く申し上げます。

・たいへん嬉しいお言葉をいただき・・・励もうと思います。励みます。

  1. 2018.04.07 (土) 18:04
  2. URL
  3. ○○です
  4. [ edit ]

気になさらないでください。
ただ、職業とかあまりにプライベートなことを書いてしまったので、非公開にしていただきたかっただけです。

ネットって怖いですから。
KUONさんを焦らしてしまったことに気がひけて、KUONさんにだけは知ってもらいたくて書いたものなので、やはり非公開のままでお願いします。
  1. 2018.04.07 (土) 19:18
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

・〇〇さん

わかりました。すべておーけー、ですね。

すてきなものができあがりますように。

で、やっぱり、教えていただきたいです。

教えて下さいね、それから・・・。

私も励みます。大昔、亡き井上 ひさし さんに「生まれつきの嘘の天才」と言っていただいたことが、つぎはぎだらけのわが人生の、誇りでありますからして。

嘘つきとしてりっぱに仕上げたいもの、ございまする。

  1. 2018.04.08 (日) 21:44
  2. URL
  3. ○○です
  4. [ edit ]

お返事ありがとうございます。

KUONさんの物語、とっても楽しみです。


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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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