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返事の中までKUONです。

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爆弾低気圧、というらしいですね。

自分の微小な知識では、そこへは帰れないのではないかと考えている地域へ、人が、帰って行かれます。帰っていいよと許可が出て、帰られます。私には信じがたいことです。でも、どうすることも、もちろん、できないのです。

もう何も申し上げずにいたいのですが、お尋ねがあったので、かつて書いたことをもう一度、書かせていただきます。

今日のこの爆弾低気圧とやらで、壊れた原子力発電所からの放射性物質はどうなるか、ということです。

私が聞いた基本的なことは、以下の通りです。全く異なる意見もあるようですけれど。

去年、事故直後に、T県で一時間に10兆ベクレルとか(ヨウ素)一時間に1兆ベクレルとか(セシウム)出ていたことが、隠蔽されていたとか。今日のニュースですけれど。

セシウム。

セシウム137-半減期が約29年から30年と言われている137について、記します。

セシウムは、一価の陽イオンです。私にもこの詳しいことは、わからんです。

性質の特徴は、とにかく、くっつきやすい。

ナトリウムやカリウムと同じような動き方をします。

ナトリウムやカリウムは、生物(人間を含む)にとって、絶対に必要なもの。そういう有機物と、セシウムは、結びつきやすいのです。じっとしていない。

何かの表面にセシウムが付くと、ナトリウムやカリウムと入れ替わろうとし=ナトリウムは放り出され、セシウムは、中へ、中へ、内部へ、入り込んで行く。

人体へも、樹木にも、道路にも。

コンクリートにはへばりつきにくい、というか、スルーしてくれやすいのですが、アスファルトは、有機物(大きな意味で)なので、道路に降ったセシウムは、中へ(下へ)中へと入って行く。上から降って、つまり、道路に沈んで行きます。

分子レベルではありますが、一年たったら、10センチくらいは、確実に、潜りこんでいるのではないか、と。

土壌の場合は、もちろん、土の中へ、中へ、と、深い方まで、セシウムは、入って行っています。

去年の三月以降に降り積もった放射性物質は、今は、かなり、潜って行っている、と考える人の考え方を、私も、とっています。

フタが無いのだから、今でも、わずかずつでも出続けている放射性物質は、今日の大風で、想像されるような状態になっているのではないかと思われます。案じられます。

過去に降った分が、ものすごく舞い上がってしまう、かどうか、ということは、想像の範囲を超えられない気がします。それらは既に、土や水の中にいるのではないか、と。。

きちんと測らないし、測っても事実を隠すことしかしないのなら、わかりようがない気がします。信じたくなければ、すべては無いも同然。

去年三月の、10兆ベクレル、なんて話を、いま、聞かされて、どうすればいいのでしょうか。

もろくなっているようなお家におられる方に、どうか、これ以上に辛いことが、起きませんように・・・・・。


「朱音」四回目です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして。
 いつの間にか父の傍に座って父の方に傾いて、同じように目を見開いて私を見ている、花柄の女性に。
 車の中で私は黙っていました。
 帰宅しても、母に何かを言う、その何かがわからなくて、洋間のソファにかけて、アヤさんが運んで来たお茶を飲みながら、ほうっと、テレビの画面を眺めていました。
 見る時にだけつけるよう厳しく言われていたテレビをつけ放しに、ニュース画面を眺めながら、自分の身の上に起こっていることが、もちろん、信じられないのでした。
 父は、離れてしまっていた。
 もう、ここの人ではないのだ。
 私には、今日見たものが意味することが、実は解っていたと思います。
 詳しくではなくとも。
 父が、知らないうちに、違うものになっていた。
 父が以前の父なら、いち早く、カラーテレビというものが、我が家に入って来ていたでしょう。そんなことも、考えの中に入ってきました。
 カラーテレビが出たら買おうな、と言っていた。
 新しい珍しい物が大好きで、売り出されればすぐに買って来て、皆を集めて皆の前で包装を解いて、嬉しそうに自慢げにお披露目をした父。
 タッパウェアを、サイズのありったけ、大小、買って来たのも父でした。
 汁が漏れないんだ、すごいぞ、朱音も、学校の弁当のおかずを入れて行けば、カバンの中がべとべとにならないぞ。
 そう、喜んで言っていた。私は、お弁当用にタッパウェアを使うことはなかった。流行していたから、イヤだった・・・。
 当時。
 忙しい忙しいと、父の帰宅はますます遅くなり、しかしほとんど毎夜、遅くに帰って来てはいて、母を相手に一膳のごはんを食べるのが、父の日常となっていました。
 コンニャクを煮たものとか、里芋を炊いたものとか、そんなおかずで。
 母は黙ってお給仕をし、父は、株の話やお仲間や銀行の悪口や、もっとトラックを増やしたい、みたいな話を、しているようでした。
 あまり知らないのです。
 お風呂を済ませたら私は、自分の部屋にいたから。
 家ではもうガスのお風呂になっていて、風呂を焚いたり庭の掃除をしたりしていたオノダのおじいさんも、いなくなっていました。
 明日からは来ない、という日、オノダさんは、私に、透明の袋に入った花の模様の薄桃色のハンカチをくれました。
 何度も兵隊にとられ、最後の戦争に行って敗戦を迎え、シベリアという寒い所へ連れて行かれて、遅く帰って来たから、とオノダさんは言いました。
 空襲というもので、家も家族も焼かれてしまったのか何も残っていなくて、一人だった、だんな様に拾ってもらうまで、と。
 恐ろしそうな話なのに、オノダは、昨日ラーメンを食べた話をするみたいに教えてくれました。
 それからは結婚せず、子供もおらず、朱音ちゃまが可愛かったのだと。
 へだての無い性格で、と、オノダさんは、赤くなった目をぱし、ぱし、させ、私には、何も言えませんでした。
「朱音ちゃまが、幸せになりなさるのを、こそっとでいいから見せてもらいたかった」
 言われて俯いて私は、黙っていました。
 元気でいて下さいや、と、オノダさんは、最後はさっくりと言い、腰を屈めたまま、裏門から出て行きました。
 私が何を考えていたか、覚えています。
 オノダさんは、私のせいで辞めさせられるのだと、思っていました。
 腕や背中を撫でる、と、父や母の前で言ったからだ、と。
 母は、とても怒っていました。
 他に何か無かったか、何か隠しているのではないか、と、私を問い詰めました。
 とてもいけないことを、私が、してしまったかのように、口を歪めて怒りました。
 屈辱感、がありました。
 以前、初めて生理になった時、すべてを用意してくれていたイクさんに、真っ先に告げて、母には言わないでくれと頼んだ。
 そんなこと、イクさんには無理な話で、何日もたって聞かされた母は、大変な勢いで怒ったのでした。
 薄情だ、と。なんというやり方なのだ、と。
 母に告げにくかった私の気持ちも、思えば不可解、というものでしょうが、ごめんなさいと、意味の不明な謝罪を繰り返しながら、私は、醒めていた。
 そんな感じの、あの時の母の怒りようでした。
 オノダは違うだろう、そんなんじゃないだろう、と宥める父に、もっと怒っていました。
 あなたには分かるはずがありません、と、言い捨てていました。

 ・・・本当に私は、少しでも触れられるのは、実際、いやだったのですが、でも。
 オノダさんは、いつも私に親切で、優しいおじいさんでした。
 まだ、そんなには「おじいさん」ではなかったかも知れない。
 なのに。
 ・・・くれたハンカチが、好きな模様でないと。
 歳をとった女の人が使うようなハンカチだと。
 考えていたのは、そんなこと。
 私は、何がなんでも、タータンチェックがいい、と、当時、思っていたから。
 私はきっと、オノダさんに、ひどいことをしたのだと思います。
 きっと、そうだったんだ。

 父とは、あまり顔を合わせず、言葉を交わすタイミングも合わなくなっていたのです。
 休日には父は、朝から出て行きました。
 ゴルフだと言って。
 ゴルフが好きで、上手かったのは本当らしいです。
 見たことも無いので、ゴルフってどんなことをするのか、知らなかった。
 初めは玄関先に立てかけられていたゴルフの道具の入った長い鞄も、いつの間にか無くなっていました。
 カップやトロフィーは、父の部屋の床の間に、飾られていました。
 床の間にトロフィーは、似合わない気が、私にはしていましたが、誰も移動させることも無く、床の間の掃除が済めば元のように置かれ、父の自慢の柾目の柱に並んで、父のカップもトロフィーも、鈍い光を放っていたのです。
 当時。
 

 母は、着々と準備を進めたのでしょうか。
 父は、せっつかれるのをはぐらかしきれなくなったのでしょうか。
 私が中学三年生になる春。
 初めて父と、家の外の父の子供を見た日から半年ほど経った頃。
 父と母とは、離婚の話し合いを始めたようでした。
 ずっと家に帰って来なくなっていた父が、ある夜、帰って来て。
 自分の車を、自分で運転して帰って来て。
 玄関の真ん中に、いつものように、ぱっぱと靴を脱ぎ捨てて。
 振り返って、脚を伸ばして、靴を、適当に揃えました。
 手を、ズボンの腰のあたりで払うようにして、洋間に入りました。
 そこには母が、父を待って、背筋を伸ばしてソファに掛けているはずでした。
 入って来る父に、お帰りなさいと立ち上がって頭を下げ、父がソファに沈む頃合を見計らって、お茶を淹れるはずでした。
 洋間には、沢山の洋酒・・・ウイスキーや、ブランデーというお酒や、が、何本も洋酒棚に収められていて、昔、仕事の関係の方などが、家を訪ねて来られていた頃は、機嫌よく父は、新しいお酒の栓を抜いて、お勧めしていました。
 あれやこれや、つまみの食べ物を沢山お出しするように父は言いつけていて、サイドテーブルにまでお皿を載せて、大きな声で、笑いながら、何だかだと話に夢中だった父。
 母は嫌っていたけれど、私は時には、父の膝の間に入って、普段は食卓にのぼらない食べ物・・・チーズやサラミソーセージ、などを、父の手からもらっていたものです。
 時には私に、ビールの泡をなめさせることもありました。
 お客様方は笑い、私を、お父さんに勝てるたった一人の人だね、などと言いました。
 父の手が頭に置かれ、煙草やお酒や、好きではないのにどこか楽しい気のする匂いの中で私は、いつまでも、ちやほやされていたかった。
 と同時に、その場にいる自分が、いやでいやで仕方なかったのではなかったか、と。
 後になって思いました。
 何度か、そんなことがあった後、私は、父の酒席に出て行かないようになりました。
 家へお客様がお見えになることも、無くなりました。
 父自身が、徐々に、私たちの家から遠ざかったのですから、洋間が、冷え切った部屋になるのは、当然のことだったのでしょう。
 その部屋で、父と母が、話し合っている時間。
 二階への階段の踊り場で、落下防止の高い柵越しに私は、部屋の様子を伺っていました。
 不安でした。
 いつもは出来ている息の仕方を、忘れてしまったようでした。
 三月半ばの踊り場は、垂らしたインクのぽったりと沈んだ水の底のようにしーんと冷えていて、私は、セーターの袖口を引っ張り、ウールのスカートの裾で、階下を覗いて屈んでいる膝を包み、自分の部屋に戻っていていいのに、と自分に言い訳しながら、その場から離れられないでいました。
 ・・後ろから、ふんわりとケットを掛けてくれたのは、俊也でした。
「風邪引くよ、朱音ちゃん」
 人前では「姉」と呼ぶようになっていても、二人でいる時は「朱音ちゃん」でした。
 長い間、小柄な弟だったのに、一気にしゅっと背が伸びて、小学校の高学年になろうとしている俊也は、私とほぼ同じくらいの背丈、声は、でもまだ、優しい子供の頃の声のままでした。
 いっそ風邪を引いて高熱を出したい気分よ。
 そう、私は言いました。
 目は、階下の、洋間のドアに吸いつけられたまま。
「どうして」
 私に並んで屈んで俊也は、そんなのつまらないよ、と言いました。
「つまらない?」
 意外な言葉に横顔を見ると、
「そうだよ」
 俊也の声は、とても静かでした。
「風邪を引いて辛いのは朱音ちゃんでしょう」
「・・・ 」
「お父様やお母様は、ちっとも辛くないよ」
「え」
「朱音ちゃんが風邪を引いて、苦しいのは、朱音ちゃんだけ。馬鹿馬鹿しいでしょう、そういうの」
 ね。
 横顔を見ている私に、向いて、俊也は、ね。もう一度、言いました。
 踊り場を照らす灯りは、ぼんやりとした明るさで、俊也の、鼻や、頬のてっぺんや、長いまつ毛の先っちょが、明かりを映して光っていました。
 小さな顔の小さな男の子だった俊也は、母に似た面長の、とても綺麗な少年に・・・そういう言い方を許されるなら・・・周囲の、どこにもいない、誰より整った面立ちの、落ち着いた大人びた物言いをする人になっていて。
 自分のことは自分で守るんだ。
 そんなことを言うのでした。
 誰も助けてくれないと思って、病気になったり怪我をしたり、しないようにするんだ。でないと、やられる。
 俊也は言い、
「お父様が、何度も、僕に、そう言った」
「・・・私には、そんなこと、一度も」
 どぎまぎして、声がかすれました。
「お父様は、朱音ちゃんを、自分が守ってあげようと考えていたのでしょう」
 弟の声は、あくまで冷静で。
 私は、震えました。
 寒さに。
 いきなり大人なことを言い出して、息も乱れない俊也に。
「お父様は、お帰りのようだよ」
 立ち上がって俊也が、階下を、しゃくった顎で示しました。
 言うように、父が洋間を出て、後ろ手にドアを閉めて、肩を、一度、大きく上げ下げしたところでした。
 玄関まで、見送り無しに進んで、父は、何かを感じたのか、私たちのいる二階の踊り場に目を向けました。
 見上げながら眩しそうに目を細くし、顔をしかめました。
 俊也。 
 父が呼びました。
 朱音。次に、私の名を。
 黙って俊也は、階段を下りて行きました。
 私も降りて行きました。
 洋間から母が、出て来ました。
 俊也の前に立つ父は、背が、ずんと低くなっていました。
「・・・ 」
 ふと背を向けて胸のあたりをごそごそして父は、大きな額のお札を一枚、取り出しました。
「これしか無いが」
 ひゃらっと父は、笑いました。お小遣い。そう言いました。
「二人で、分けてくれるか?」
 いいえ。
 要りません。
 口まで出しかかった私を制して,俊也が、ありがとうございますと言いました。
「姉と、半分ずつにして、頂きます」
 父の手から紙幣を摘み上げました。
 二つに折って、もう一度折って、手の中に入れました。
「ありがとうございます、お父様」
 父は、突っ立っていました。
 スリッパも履かず、自分の家の玄関で、子供二人に見つめられて、半眼の微笑を保っている和装の母に傍らに立たれて、黙って立っていました。
 そして、ぎくん、と脚から動かして、上がりがまちに腰をおろして、靴に足を入れました。
 引き戸に父が手をかけ、引き、体を外に出して、こちらを向いて、俊也を見、私を見つめ、俯いて戸を閉めるまで、私たちは・・・私と俊也は、そして母は、家庭を出て行く父親の姿を、じっと眺めていました。
 そうです。
 父は、それきり、家へ出入りすることをしませんでした。
 私の不在の時にはともかく。
 私が中学部を卒業し、母と共に家を出るまでの一年間。
 父と、家の中で会う機会はありませんでした。

                                 (4)

えまさん。

ようこさん。

読んで下さり、ありがとうございます。暴れる風、恐ろしかったでしょう!。
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  1. 2012.04.04 (水) 21:36
  2. URL
  3. yuuta
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NoTitle

KUONさん こんばんは

ご心配いただきありがとうございました
姪もどうやら落ち着きました
嵐の被害もなくホッしています

「朱音」
クリームソーダやもんじゃ 三越の眼鏡売場
懐かしい情景がオーバーラップします
などと読み進んでいたら、、、

この先が見逃せません

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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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