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KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

  1. 今の思い
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海に散りたい

ごぶさたいたしました。

前回から一週間も経ってしまいました。月も変わってしまいました。あの時の気持ちとも、じゃっかん変化したことも、ありました。

叔母が自分で「ここがいい」と決めた、陽が当たって風も吹き通って見晴らしも良かった、あの名古屋・平和公園の墓が無くなって、街の中のコンクリ造りの納骨堂の一角に納まっていたのが、衝撃だったのでしたけど。

娘二人息子一人が話し合って、いちばん揉めない形で決着したとのことでした。姪であるわたしたちや、ふたりの娘たちには、誰より優しく雄々しい母性的な叔母ではありましたが・・・おそらくそうだったからこそ・・・三人目に生まれた男の子・長男の、奥さんと、うまく行かなかった。

その奥さんは、私たちともとてもうまく付き合ってくれた素敵な女性、いとこの最愛の妻、それなのに、姑である叔母と、どうにもこうにも、なのでした。珍しい話でも無い、よくあること、でもそれが、叔母の死後、仏壇のゆくえを巡ったいさかいを呼び、

「僕は長男だから仏壇の守りはする、ただし、お姉ちゃんたちには家に来て欲しくない」

それが、一人息子であるイトコが妻や子や孫を守りたい気持ちの、表出だったとのことでした。

で。納骨堂ならだれでもいつでも墓参りが出来る決断になった・・・と、叔母と一番近しかった次姉が、淡々と語ってくれたのでした。

叔母が大切に磨いていた仏壇、いとこたちが毎朝、お仏飯を供えていた仏壇、仏壇のことだけでも、その家に世話になること多かった私には、思い出の数もたくさんあります。

でも。

納骨堂の中の叔父、叔母の写真の笑顔は、とても明るくて幸せそうで。元のお墓は坂道を登らなくてはならなかったし、ここならまた、いつでも来られる。

そう、自分で思って。また来させてもらうわね、叔父さま、叔母さま(名古屋人はこうして「さま」をつけて呼ぶことが多いのです)、と、もう一度手を合わせ、辞して来たのでした。その「また」がいつなのかは思わないで。

それから、平和公園の実家の墓、次姉の婚家の墓へ詣でて来ました。

どちらも緩やかでも長い、坂道の奥です。

私はもう、そんなには来られないな、と実感。11歳年上の長姉は鳥取在住で、やはりしばしばは墓参叶わないと言います。次姉は近くにいるので、両方の墓の掃除を、こまめにして来てくれていたのですが。

広い広い墓苑。膨大な数の墓石。戦後、名古屋中のあちこちに散在していた墓地を集めてできた、巨大な墓地公園。


・・・40年以上、毎月、婚家の墓に詣でて来た私は、未だにそこを、自分の永眠の地だと思い描けないでいます。

墓碑にある名前のほとんどは知らない人、せいぜい、10年少し前に没した舅を知っているくらい。ここに、姑が入り、夫が入り、私が入るのが、順番。といえば、そうなのでしょうが。

死んでしまえばもうなにを思うことも無い、そうなのでしょうが。

私は、一人で勝手に、海の風に散らされ飛ばされて、溶けてしまいたいなあ。私の好きな海に。

どこにどうなっても、思い出す誰かは思い出してくれるでしょうし、いつか忘れ去られたとしても、それがどうなのよと思う。

いま、ひとよの終わりに近い時期に、こんなこと考えながらぼおっとしていられるのは、幸せと思います。

なにかもう、形のあるものにこだわらなくてもいいんだよなあ、と、ぼんやり、考える。

今夜は雨が降っています。

静かな秋の雨の夜です。




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  1. 2017.10.03 (火) 09:01
  2. URL
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おはようござます
体調は大丈夫ですか?

うちも親兄弟、姉妹、娘息子もいて
信心もあった家だったんですがねぇ…
昭和の中高年の考え方も
ご時世なんでしょうか

わたしは瘋癲と道連れだと決めたころから
親にも世間にも許されない
はぐれ瞽女のような思いで
生きるにも死ぬにも 自分一人なんだと
いい聞かせてます
それにしては、いちびった毎日ですが
(*≧∀≦*)

婆さんもお墓が叔父の建てた所へ移り
そちらはそちら、
私は分骨してもらったの天王寺一心寺で
お墓があった時は
お彼岸の時くらいしか行かなかったのに
今はなんだか、散歩がてらに
月に2〜3回 徘徊してますσ(^_^;)

手合わせるのも自分がどう納得するか
じゃないですかね
毎日小さな骨壷にほうじ茶御供えして
自分は納得しています

家族があっても寂しい
一人はなおさら寂しい


Nちゃんより

  1. 2017.10.03 (火) 13:59
  2. URL
  3. わすれんぼ
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kuonさんは海がお好きなのですね。
私は若いころスキューバダイビングをやっていました。
伊豆諸島で足ひれだけつけて沖まで一人で出て行ってしまったり。
今考えれば、海流に流されたかもしれないし、
フカに襲われたかもしれないし、考えただけで怖いのですが、
当時は怖いものなしで海の中で波と遊んでいました。
あがってきたら、心配して見ていたらしい観光客の人に、
地元の人ですか?って聞かれましたが・・。
あの人が見てなくて、流されていたら、行方不明になっていたのかも。
嵐が近づいてほかの船が出て行かない海に一艘
舟を出すような仲間もいましたっけ。
その私が、今は、海は怖い対象です。
いつからか不明なのですが、海は人を寄せ付けないもののように思えます。
長いこと、大波に飲み込まれる夢を何度も何度も見ていました。
スキューバでは時々人が亡くなります。 
新聞で、昔同じクラブにいた方がなくなった記事を読んだことがありました。
慎重、真面目でしっかりした人だったのに。
ともかく、海は怖くて、海に散骨されるのは絶対に嫌です。
山がいい、と思っています。
  1. 2017.10.03 (火) 15:57
  2. URL
  3. たまき
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私の頭の中では、きれいな海の崖に一列の人の列ができていて順番が来たら先頭の人から、「ほなら、順番来たからさいなら」と海に飛び降りて行くイメージです。
死ぬってことは。

いつのまにか、先頭から数えた方が早くなっているのにびっくりしますが、飛び降りる時は潔く行こうと決めております。

お墓や仏壇の事を考えると眠れなくなるのであまり考えないようにしています。
雨の夜なんかは特に。

僅か9週で流産した子も影も形もないままであまりにかわいそうだと出血に当てたナプキンを婚家先のお墓の近くに埋めて…

でも、離婚したのでそれっきりです。その地面にスズランの花が咲いたので、名前はスズランちゃんです。

人間は、どこから来てどこに行くのですかね〜?

離婚を決めたのも、死んでから一緒にいたいか?いたくないか?で
結論はいたくないで離婚決断。

もはや、死んでいるのに
どこに何があるかもわからないのに

不思議ですよね?
死んでからも一緒にいたくないということ気持ち。
  1. 2017.10.03 (火) 20:03
  2. URL
  3. さやか
  4. [ edit ]

海に散りたいというお気持ち、わかるような気がいたします。
私は海辺で生まれ育ち、嫁ぎ先は離島でした。若い頃は都会に出たいと願い、趣味は登山でしたが、縁あったのは離島住まいの夫でした。
生涯海から離れることはありますまい。
子どもたちは島を出て行くでしょうし、墓仕舞いをして、私は海に溶けて漂っていたいと時折思います。
時折、子どもたちが私のことを思い出してくれるだけで良いなあ、と。
ただ子どもの、日本人として先祖を敬う心を育てるには、墓参りは最も効果的な方法であるとも考えていて、ゆっくり考えたい課題であります。
  1. 2017.10.03 (火) 20:16
  2. URL
  3. アルジェリマン
  4. [ edit ]

KUON様、この記事、ありがたいです。

父は、よく、海に撒いてくれ、と言っていました。
死を目前にした頃は、海にとは言いませんでしたが、
とにかく墓はイヤだ、土の中はイヤだ、と。
山もイヤだ、と。
景色のいいところで、す~っとするところ、と。

景色のいい伸びやかな場所に合祀を考えていましたが、
海に、という父の希望を思い出しました。

父は泳ぎが得意でしたし、釣りも好きでした。

手を合わせるのは、墓じゃなくても、位牌があるから問題なし。
小さなお仏壇に手を合わせ、朝晩話しかけるのはほっとする時間です。

今度、「海、どうする?」と聞いてみます。

  1. 2017.10.04 (水) 10:02
  2. URL
  3. わすれんぼ
  4. [ edit ]

ここ10年の間に父と母がなくなり、
仏壇の事、墓地や法事の事でいろいろ考えることがありました。
兄弟、親戚とか、いろいろと揉める種は尽きませんね。
2人姉妹で、婿さんをもらった姉の所にある仏壇には、
確執があって嫌がられるので、今は行くことはありません。

死んだら人は何処に行くのか? 魂は?
人が死んで骨だけが残るのはなぜかしら?
墓の無い文化の国もあるけど、あれもいいのではないかしら。
“千の風に乗って”が流行って、墓の中に私はいないと言っていたけど、実は墓参りに行っても、私は、少しも父母に会ってきた気持ちにはなれません。
むしろ家にいて父母の写真を眺めて語りかける方がはるかに、落ち着いて父母のことを思うことができます。
形が要らないとは思いませんが、墓はどうも苦手です。(苦手になったのには事情があります)

私は、骨を残すのもあまり好ましく思えないので、
やはり散骨を選ぶことになると思います。
自分というものが何もなかったところから、又何もないところに戻るのが自然な気がします。
こういう話は、人の育った環境・文化に深くかかわることで、本当に深~い話ですね。
(私は文章が苦手で、やたら長くなり要領を得なくなります。短くわかりやすくしようとすると時間がかかり嫌になってやめます。今回2回投稿してしまいましたが、こちらがまとまらなくて一度やめた本文?で、先の投稿は余談でした。)
  1. 2017.10.04 (水) 19:13
  2. URL
  3. 古希
  4. [ edit ]

やさしい嘘?

KUONさん、お晩でございます。
いつも、ご丁寧なお返事を頂きましてありがとうございます。

こちら関東の在所も、朝夕だいぶ冷え込んでまいりました。
今宵は、中秋の名月・・雲間から冴え冴えとした十五夜お月さんが見えてござります。
孫娘の帰りを待ってすすきを取りに行き、帰りに月見団子を買って縁側に供えました。
小6の孫娘が「私が子供の頃、ばあばが月には兎が居て十五夜さんにはお餅を搗くって教えてくれたじゃない。あれって<やさしい嘘>だったのよね」と。
思わず笑顔で頷きましたが、小6の孫が「私が子供の頃」って?
早速、嫁に話して笑い合いました。

カルチャースクールで一緒だった方の友人が亡くなり、樹木葬だったというお話を聞きました。
嫁がれた二人の娘さんの負担になるからと、お位牌も残さなかったと、どのような形での葬送だったのかは分かりませんが、しがらみに捉われないご家族の在り様も現代的なのかなと思いました。
代々のお先祖様が眠る墓所に入ることしか考えられない私は、海に散る夢もお花畑を舞う夢も叶いません。
せめて、お花もようの綺麗な骨壺に入れてと遺言を残そうかと思いました(笑)
  1. 2017.10.04 (水) 22:43
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

こんばんは。

中秋の名月ではあるが、今夜の月は完璧な満月でない、そのわけはなんちゃら、と、今朝の新聞にありましたが。なあに、りっぱに美しい月にておじゃります。今宵は雲の姿も見えず、中天にはただ、皓皓と照る月ばかり。


・Nちゃん さん

はぐれ瞽女。このごぜ、という字、パッとは出てくれませんで。ごぜ宿もごぜ歌も、存在そのものも。平成の世にはもう、遠いものでありますかなあ。自らはぐれて生きんとする女、今だっていてはりますのにね。

あの映画、はぐれ瞽女おりん、三回くらいは見ました。雪の中を歩くのには、足袋などはかず裸足でなければ、の、あの冷たそうな白い足。西田敏行の無茶苦茶ないろけ。

話題が逸れていますが。その

>わたしは瘋癲と道連れだと決めたころから
>親にも世間にも許されない
>はぐれ瞽女のような思いで
>生きるにも死ぬにも 自分一人なんだと
>いい聞かせてます

直には触れられない、言ってみればハナであるはなちゃんの、純で全くお利口でないおんなの気持ちが、痛くて、触れられないのですよ。カツオ寺には必ず行きます。


・わすれんぼ さん

スキューバダイビングやて。かっこええ。憧れましたが、憧れと言うにはわが現実とは遠すぎて。エエやろなあ、海のなか、とうっとり思うばかりです。

実は海はこわい。小学校三年生の時に溺れかけて。周囲に他の子も、その父兄などもおられる中、浮き輪にはまっている私の足の指先が海底から離れ、焦っても脚の下に海の底は無く。波に運ばれて沖へ行く感じ、誰も気付いてくれない。
このまま死ぬのかなあ、うちの母も来てくれていたら、わああ、と騒いでくれるだろうか、など、妙に冷静で、ガバッと波をかぶってひっくり返ってぶくぶく・・引率の子ども会長さんが、体を海から出してくれました。

以来、海の中には入っていません。でも海が好きなんですよ(笑)。見る海、ですね。


・たまき さん

>いつのまにか、先頭から数えた方が早くなっているのにびっくりしますが、
>飛び降りる時は潔く行こうと決めております。

はい。私も、望みは、潔く、です。

メメント・モリというのはラテン語で「死を忘れるな」という意味だそうです。昔見たドラマで、根津甚八さんが、渋い声で言うてはりました。なるほど、と腑に落ちたのでした。

スズランちゃん。可愛い名前です。おそらく、お母ちゃんだけが記憶しているスズランちゃん。私にも、生まれることのできなかった子がいます。もしも今いたら、けっこうなオッサンになっているでしょう。宿して失った者だけが覚えている子ですね、きっと。死ぬまで一緒ですね。

離婚か。いろんな経験されたのね。これ以上言えません、死ぬまで生きていましょうね、いろいろあっても。


・さやか さん

>時折、子どもたちが私のことを思い出してくれるだけで良いなあ、と。
>ただ子どもの、日本人として先祖を敬う心を育てるには、墓参りは最も効果的な方法であるとも考えていて、ゆっくり考えたい課題であります。<

・・うちの夫は、ずっと長男だから長男だから言われ続けて来た人で、とうぜん私はその妻として、たんまりとあれこれ、あったのでした。

舅は八人(一説にはもう数人)きょうだいの長男。姑は五人きょうだいの長女です。時代は、一般的な庶民でも何やら冠婚葬祭あれこれ張り切った時代。うちも庶民ですが少し古い家でもあったことで、法事や盆や正月や。しょっちゅう誰かが来ておられて。わたし、なんとか頑張って来たと思うのです。

で、夫は、娘は二人であるし、長女の初めの結婚は(おばあちゃんがあんたが墓守りであると子ども時代から洗脳して来て・笑)次男坊さんとレンアイしたのをいいことに、お養子さんになってもらった。が、数年で破局した(仕事上の付き合いは継続)、次女は普通に相手の姓になった、で。なんと。

おふくろが死んだら、仏壇の中身(そう言います)は例のお寺に引き取ってもらう、と言うております。墓もそのうち要らんやろ、長女は今度は嫁ぐと言い出しておるし、次女はもう問題なし。この人がこんなこと言うか、とびっくりでしたが、親戚付き合いどっさり経て来て、もういいんじゃないか、の心境、きっと疲れたのだろうと思います。私には願ってもないことです。ほんとにいっぱい、ありました。会社が倒産して莫大な借金抱えて、楽になったのです。笑えますが。

>墓仕舞いをして、私は海に溶けて漂っていたいと時折思います。

ホントにこう思いました。娘には、墓や神棚に手を合わせる習慣はついていますが、今は、こんなこと言う、母ちゃんが
グレた、とか、申しますのですが。(笑)。

海のそば、いいですね。と、書いてしまっていいですか?


・アルジェリマンさん

そうでしたか。よかった。グレたこと書いてしまったのでしたが。

>手を合わせるのは、墓じゃなくても、位牌があるから問題なし。
>小さなお仏壇に手を合わせ、朝晩話しかけるのはほっとする時間です。

そうなんですよね~。手を合わせて向き合う対象は、やはり、欲しいです。いまは朝晩「みたまさま」に向かって拝をしています、お菓子なども備えて。

叔父叔母の納骨堂は、永代供養をされたとのことです、実は私の母の実家も、本願寺さんに永代供養をお願いしてあって。最後の一人のいとこも未婚、その後は、本願寺さんへ詣でる人もいないでしょう。

墓は要らんなぁ、症候群の渦中のKUONです。


・わすれんぼ さん

10年の間にご両親、失くされたのですか。私の両親は、きっちり50年を隔てて、あの世で再会した・・・のかどうか(笑)。

>“千の風に乗って”が流行って、墓の中に私はいないと言っていたけど、実は墓参りに行っても、私は、少しも父母に会ってきた気持ちにはなれません。

>むしろ家にいて父母の写真を眺めて語りかける方がはるかに、落ち着いて父母のことを思うことができます。

>形が要らないとは思いませんが、墓はどうも苦手です。(苦手になったのには事情があります)

まあね。いろんなこと、事情、ありますよね・・しみじみ。江戸時代くらいまでは、庶民の死って、もっとシンプルで簡単だったことなども、思います、叱られちゃうかもしれませんが。これも叱られるかも、ですが、私は「楢山節考」の世界っていいなあ、と、ずっと以前から考えていたりして。尊厳死の問題も、あそこにはあって。

>こういう話は、人の育った環境・文化に深くかかわることで、本当に深~い話ですね。<

なんかダラダラ自分語りをしてしまい、お許し下さいね。上に書かれていること、本当にその通り、と思います。
深~い話ですよね。


・古希さん

奈良の空にも今宵は、冴え冴えと明るいお月様が出ていて下さいます。

>孫娘の帰りを待ってすすきを取りに行き、帰りに月見団子を買って縁側に供えました。

>小6の孫娘が「私が子供の頃、ばあばが月には兎が居て十五夜さんにはお餅を搗くって教えてくれたじゃない。あれって<やさしい嘘>だったのよね」と。<

>思わず笑顔で頷きましたが、小6の孫が「私が子供の頃」って? <

すてきなお話をありがとうございます。優しい素敵なおばあちゃま、素直な賢い、ちょっとおしゃまな孫娘さんなのですね。

私も中一の孫娘と暮らしています。仲よしです。今夜は、いつも九時に二人で犬の散歩に出る父親と、お月さまを見て来たと申しておりました。お月見団子もいただきました。

>やさしい嘘。

すてきなフレーズですね。ちゃんとわかっておられるのね。

「樹木葬」この頃よく耳にします。実はパンフレットもあったりします、偶然ですが。その形式を選ばれた方も、真摯に考えられて、娘さんたちのお幸せを考えて、だったのでしょうね。

全ては今の平和が続いていることが前提だと、余分なことも、あれこれと考えてしまいます。骨壺の御花模様のことは、まだ遠い話ですよね(笑)。


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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

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