FC2ブログ

KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

  1. 今の思い
  2. tb: 0
  3. cm: 14
  4. [ edit ]

たいせつに思ってしまう


八月という季節は、もの思うこと多い季節です。

青島からの引き揚げ者で、戦争によって運命を無茶苦茶にされた一人でいらしたうたの師は、こんなうたを遺されました。

  ハイビスカス ブーゲンビリアの赤い花 平和といふは痛みのごとし

口に出しては言われませんでしたが、美智子さんのことが大嫌いでした。威厳とユーモアに満ち、何につけ抑制の効いた方が、美智子さんの話題になると変わられた。わたしを可愛がって下さいました。師のことも、あれこれと思い出す八月です。

・・毎日訪問してはあれこれ学ばせていただいているブログの最新のページにあった、特攻に散った方々の辞世。

引かせてもらいます。



国のため   父母にうけたる  精神(こころ)もて

     我れは散るなり   桜のごとく

    《 松尾 登代喜 19歳 》



皇国の  弥栄(いやさか)祈り  玉と散る

     心のうちぞ  たのしかりける

     《 若杉 潤二郎 24歳 》


今更に  我が受けて来し  数々の

     人の情を 思ひ思ふかな

     《 鷲尾 克己 22歳 》


人の世ハ  別れるものと  知りながら

     別れハなどて  かくも悲しき

     《 上原 良司 22歳 》


大命の  まにまに逝かむ  今日の日を

     吾が父母や  何とたゝへん

     《 渡辺 綱三 18歳 》


しきしまの  大和心を  一ひらに

     こめて散りゆく  若櫻花

     《 高田 豊志 19歳 》


櫻花(はな)と散り  九段に還るを  夢に見つ

     敵艦屠らん  我は征くなり

     《 浅川 又之 23歳 》


来る年も  咲きて匂へよ  櫻花

     われなきあとも  大和島根に

     《 長澤 徳治 24歳 》


   君がため 雄々しく散らん 櫻花

     《 上成 義徳 25歳 》

来る年も  また来る年も  とこしへに

     咲けと祈りて  我は咲くらむ

     《 桂 正 21歳 》


君が代を  寿(ことほ)ぎまつり  我れゆかん

     死での旅路は  米鬼もろとも

     《 國吉 秀俊 21歳 》


かへらじと  思ふこゝろの  ひとすじに

     玉と砕けて  御国まもらん

     《 菊池 誠 22歳 》


岩が根も  砕けざらめや  武士(もののふ)の

     国の為にと  思ひ切る太刀

     《 熊澤 弘之 22歳 》



      【 死出の旅 】 


古郷の  梅をながめて  さまよひぬ

     これも遂に  最後となりぬ


死出の旅と  知りても母は  笑顔にて

     送りてくれぬ  我くに去る日


広き広き  ホームに立ちて  見送るは

     母と妹と   共二人のみ 


奉げたる  生命にあれど  尚しかも

     惜しみて遂に  究め得ざりき


我が生命  捧ぐるは易し  然れども

     國救ひ得ざれば  嗚呼如何にせん

     《 小林 敏男 23歳 》  


>終戦を数か月後に控えた昭和20年春・・・・

>紛れもなく、愛する者を守るために散った命があったのです


>靖國に眠る英霊に、感謝こそすれ愚かにも否定する

>現代人たちを見て、私は言いようの無い淋しさと

>恥ずかしさ、そして小さな怒りを感じています


>この問題は無理強いすべきものでもなく、日本人として

>どう向き合うべきか自身が判断すればよい事でしょう


>日本の元首である天皇、政(まつりごと)の長である総理大臣

>多くの日本人が素直な心で参拝したときに、英霊は成仏できるのだと

>私は思っています。

 

・・引用ここまで。ありがとうございました。


わたしの孫息子は、甲子園にはまったく無縁のフツーの高校の野球部員。夏休みのいまも、毎日、弁当とサブの弁当と二つの水筒を持って出かけて行く。家族旅行も今年は無いようです。テレビを見る時間は無くても、イマドキですから今日の試合はどちらが勝って、誰それがこんな記録を、などということもよく知っています。教えてくれます。野球が好きなのですね。

好きなことにうちこめているのはそれだけでシアワセ、などと要らんこと言うばあちゃんに、そうだよね、と、素直にうなずいております、今は。

雄々しい辞世をのこして、片道分だけの燃料を、おもちゃみたいな飛行機に積んで。明日は俺が征くからなと笑顔で見送る同輩に、笑顔でこたえて発って行った若桜たちは、でも、その多くは、望みが叶わなかった。

恰好の標的にされて撃ち落とされたり、体当たり地点に至ることができないままに墜落して海の藻屑になったり。

散華は、多く、叶わなかったのでした。

特攻に行かれた方々は、辞世に添えられた年齢も数え年で云った時代ですから、夢の甲子園で明日は準決勝を戦う球児たちと、ほとんど変わらない。

そんな風に、考えてしまうのです。

平和のこの世の球児たち。精いっぱい、頑張って欲しい。いまは、それが、できるのですから。


自分が若かったころは、こんなにも、人の命を惜しいと思うこころはありませんでした。

ひとの気持ちを、今のように大切なものと感じるこころを、持っていなかったと思います。




スポンサーサイト





  1. 2017.08.21 (月) 16:59
  2. URL
  3. たまき
  4. [ edit ]

当時、鹿児島に住んでいた姉のところに遊びに行った事があります。
かれこれ三十年前になりますね。

せっかく来てくれたのだから、と義兄が張り切って桜島やら、西郷どんやら見せてくれて

じゃあ、あとは知覧に行ってみようか?ということになり…

姉の義兄、甥と姪と私で知覧に向かったのでした。
けっこう長い時間クルマに乗っていた気がします。

姉の作った創作怪談で甥と姪がきゃあきゃあとはしゃいでいました。

さて、知覧に着きました。
ここで私はたいへん後悔することになるのです。

戦争で散って行った人たちの残した手紙、写真…
特に今日出撃するという日の写真…

みながみな、晴れ晴れとした笑顔なのです。どこにも「恨み」も「つらみ」も「なぜに俺が?」という迷いもなんにもない。
晴れ晴れとした笑顔なのです。

一時間後にはこの世から居なくなるという怖れさえひとかけらもない。

号泣でした。
嗚咽でした。
我慢しようとしても次から次へと涙があふれて…

これを家族に見られたくなかった。
素の自分を見られたくなかったたのです。

ハンカチはぐしょ濡れ。

クールで怜悧な私のイメージが崩れ去った瞬間です。

ま、私の家族は優しいので見て見ぬふりをしてくれていましたがね。

特にお母さんや妹、弟に残した手紙は…どれもこれも胸うたれました。

あの頃の二十歳のなんとオトナなことか?なんと肝が据わっていることか?なんと気高いことか?
驚くばかりです。

  1. 2017.08.21 (月) 20:20
  2. [ edit ]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2017.08.21 (月) 22:11
  2. URL
  3. tibineko
  4. [ edit ]

その瞬間まで確かに生きた方々

江田島の海上自衛隊第一術科学校教育参考館に行った時の事です。
ここには、海軍関連の様々な資料が展示されており
その中には、多くの御英霊の遺書や遺品が展示されています。
遺書には、血痕のついたものも残されています。
ですが展示されているのはごくわずかとの事、
理由は、血痕が気持ち悪い・・・気味悪い・・・
そういう意見が多かったので・・と説明が有りました。

その血を気味悪いと思うのなら、何故ここに来るのか!
思わず叫びそうでした。

悔しくて涙が出るのを止められませんでした。

すみません・・支離滅裂な文章になりました。

  1. 2017.08.21 (月) 22:19
  2. URL
  3. 黒猫アビ
  4. [ edit ]

KUON様

今晩は。
ブログの更新ありがとうございます。

美智子さんの「A級戦犯発言」があり、心の底から
怒りがわきあがり、毎月靖国神社参拝に行くようになりました。

今でも
遊就館でゼロ戦を見るたびに涙が滲み
拝殿・社頭掲示を読むたびに涙がでます

今の日本の姿を詫びながら、靖国神社参拝しております。




  1. 2017.08.21 (月) 22:25
  2. URL
  3. 埼玉のおばちゃん
  4. [ edit ]

kuon様、こんばんは。

伏見ブログ閉鎖されました。自主閉鎖ではなく、goo事務局の措置でしょう。
お天道様は見てますものね。
今後の進展を見守ります。
  1. 2017.08.22 (火) 09:45
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

・たまき さん

クールで怜悧なイメージが崩壊。あら、ほうかい(ごめんなさい・・・)。そんな姿、同行のどなたの目にも停まらなかったと思いますよ、そんな、たまきさんがハナミズ涙、大放出で・・なんて。でも、皆さまの胸の底には、たまきさんの人としての熱さ情愛が残ったでしょうね。連れて来てあげてよかった、と、思われたでしょうね。

私もハネムーン先をそっちに選び、同じく説明不可の衝動につき動かされ。同行者には既に正体はバレていたので、貸切タクシーの運転手さんに腫れたまぶたが恥ずかしかっただけでしたが、運転手さん呆れるどころか、とても親身な案内をして下さいました。

>みながみな、晴れ晴れとした笑顔なのです。
>どこにも「恨み」も「つらみ」も「なぜに俺が?」
>という迷いもなんにもない。晴れ晴れとした笑顔なのです。
>一時間後にはこの世から居なくなるという怖れさえひとか>けらもない。

。。。この通りでした。忘れようがない、ずっと胸の底に貼りついている、あの若桜の笑顔。

引用していて、いま、あふれ出して来て、また、涙がどんだけでも流れて来ます。

本当に、なんとも言えない笑顔で。惜しい。

  1. 2017.08.22 (火) 10:01
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

・ヒミツの〇さん


そうですね・・・一瞬、虚脱状態になりました。本当のことで責められるのでなく、無茶苦茶だったので。言われたことのない言葉を浴びて、自分の世間知らずを再認識しました。

あれこれと何度もお気遣い下さり、感謝しています。

ありがとうございました。でも、これから、の気もしています。どなたも、傷つかれること少なく、と、願っています。


  1. 2017.08.22 (火) 10:59
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

・tibinekoさん


>遺書には、血痕のついたものも残されています。
>ですが展示されているのはごくわずかとの事、
>理由は、血痕が気持ち悪い・・・気味悪い・・・
>そういう意見が多かったので・・と説明が有りました。

>その血を気味悪いと思うのなら、何故ここに来るのか!
>思わず叫びそうでした。

>悔しくて涙が出るのを止められませんでした。

悔しいですね。悔しいです。

その血痕は、どんな風にどんな方が流された血だったかと。

それを「気持ち悪い、気味悪いと」と身をそらす日本人、そんな意見を受け入れて排除したのも、日本人。

恐ろしいと思う。ふざけるな、と、思う。

ずっと以前、ハワイの真珠湾の戦争記念館(?)で、「武運長久」の文字の周囲を寄せ書きで埋めている日章旗を見ました。記憶では数か所に、もう黒いシミになっている血痕がありました。

同朋の血痕と思い、それが、私には見せしめのように大きく広げられて展示されている日の丸のシミだと気持ち揺らいで眺め止められず、涙は止まってくれず。

どうやって今、授かっている平和なのだと、心は、揺れに揺れます。

ものすごく悔しいです。




  1. 2017.08.22 (火) 19:49
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

・黒猫アビさん

>今でも
>遊就館でゼロ戦を見るたびに涙が滲み
>拝殿・社頭掲示を読むたびに涙がでます

わたしが初めて「特攻機」を見たのは、30年以上は昔と思う、大阪のデパートでの戦争展だったかと思います。もしかして奈良だったかも。

とにかく「桜花」というその飛行機は、これも昔むかし、デパートの屋上にあった、子ども用の飛行機の乗り物くらいペコペコで、小さくて薄っぺらで。これに人が乗って飛んで行って、アメリカの飛行機に体当たりした? 船に突っ込んだ? と。あまりのことに立ちすくみ、悔し涙が出たのが最初だったと思います。子どもたちに、できるだけ色々なものを見せたいと連れ歩いていた頃でした。

遊就館のは、桜花を見た目にはまだ、すごく立派というイメージでした。
特攻隊員は、恐怖心を薄くするために、何かの薬を与えられていたとか、雑多な「実は」の話も聞きますが。

自分のことだけ考えていたのでない雄々しい若者たちが、散って行かれたのは本当のことで。事実で。思うだけで涙が溢れます。

社頭掲示、幾つも幾つも拝見しました。ここで取り上げさせてもらったら、辞世の主のお身内の方からコメントいただいたこともありました。

まっとうに、靖国に思いを寄せる、参拝をする。そのことがなぜ、今のようにややこしいか。

美智子さんは絶対、行きませんよね、あのひとは。夫君は,妻のしないことはしない、と。

9月3日までは、何と言われようと、黙っているつもりです。

残暑の候、お互い体には気をつけましょうね。
  1. 2017.08.22 (火) 20:01
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

・埼玉のおばちゃん さん

こんばんは。

自主閉鎖は在りえないと思っていました。ブログを、お金の入るための手段にしていたと聞き、驚き、自分の世間知らずを再認識しました。ただ、やり過ぎてしまった、と思います。

それがつまり、

>おてんとうさまは見ていらっしゃる。

だったのか。母方の祖母は、文字は読み書きできましたが、自ら無学の者で、と名乗っていた。その祖母も、そういう風に言っていました。今に思えば、ものすごく生活面で賢い人だったなあと。

おてんとうさまも、時には雲に隠れられることもありますが。変わらず絶対的な存在で、いて下さる。

日本人の思いようには、全く無理の無い言葉ですね。

汚い心にならずに済むよう生きながら、まだまだ見ていることが多いようです。

ありがとうございました。
  1. 2017.08.23 (水) 11:33
  2. [ edit ]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2017.08.23 (水) 13:54
  2. [ edit ]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2017.08.24 (木) 08:55
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

・ヒミツの〇さん

初めてのコメント、ありがとうございます。

大変長文で、デリケートな問題を含んでおられ、かつヒミツとなると、お返事が難しいのですが。

できるかぎりなんとか、させていただきたく。

・・熊本在住の方、地震時の詳細は伏せたままにしましょうね。

停まったガスの開栓予約など、どこもここも大変でいらした
5月初旬。

>天皇皇后両陛下が熊本に来るとの報道を耳にしました。
>私は皇室反対派でもなんでもありません。
>ですが、この気持ちがわいてくるのをおさえられませんでした。
>「なんで今来るの!?迷惑な!!!!」

・・・>当時はまだ公共交通機関も完全には復旧しておらず、消防、警察、自衛隊の支援も受けており、行政も新年度の通常業務に加えて地震関連の業務も多々あり、そちらに駆り出される職員が沢山いた。

(KUON)それはそうだったと思います。

・・・>でも通常業務を滞らせるわけにはいきません、消防は火事や救急要請など、警察は地域の安全に気を配る通常業務をこなしていかねばなりません。

(KUON)で、自衛隊が来て下さったのですね、その当時。

・・>自衛隊はたまたま旧・知人が遠方から指揮官として被災者の生活支援(給水や入浴、炊き出し等)に来ていましたが、トップが抜けた部隊を残りの自衛官で守っていた、少なくなった人数で仕事を必死に回していたことだろうと思います。

>そんな時に。

・・>特別な警護が必要な人たちが被災地に来ることで、消防警察自衛隊はもちろん、一般行政もそちら関係の仕事が増え、人員も取られる。
私たち市民はそれにより、通常の行政サービスを受けられなくなるかもしれない。

>そういう思いが一気によぎりました。
>猛烈に腹が立ちました。
>そして確信しました。
>「あのご夫婦は国民のことを『ほんとうに』は思いやってくださっていない」

>それまで今上夫婦の色々なことについて書かれたブログをお読みしてもイマイチピンと来てませんでした。

>幸い、両陛下は自衛隊のヘリでの訪問だったため、公共交通機関が乱れるとか渋滞がひどくなるとかいうことはありませんでした、私も無事時間通りに

(KUON)うごくことがお出来になったのですね。

>しかし。
・・>その間ただでさえ人員不足になっている公務員たちはとんでもなく忙しい思いをしたのではないか、ほんっとうに迷惑、とも思いました。

>まとまりませんが、被災地の一市民はこんなことを感じました。
・・>自然に心にわきあがってきた「迷惑!!」の気持ちをどなたかにわかっていただきたい、と思い、勇気を出して投稿しました。
文章が稚拙で恥ずかしいので非公開にさせてください、ただ、こういうコメントがあった、とKUONさまのお言葉で紹介していただくのはかまいません。
本当に読みづらい長たらしいだけの文章を・・失礼しました。

・・>自衛隊の災害派遣の指揮官として来た旧・知人の実家は全壊、高齢のお父様は車中泊をなさっていたそうです。

・・>(自分も)元公務員として、自衛官でなくともこういう事態が生じたら「自分や家族は一番あと!」ということは「当たり前のこと」として理解していますし、(かつて)公務員時代に自分も災害に遭い、たいしたことはしておりませんが家族、小さな子を置いて住民の安全確保に奔走した同僚の姿を見ております。

ですので自ら被災しながらも家族を置いて住民の方々にまず心を寄せなければならない公務員たち(消防警察自衛隊、全員公務員です)のことも少々はわかるのです・・・


・・・ヒミツの〇さん、二回目のコメントはこの次に持ってもって来させてもらいますね。(KUON)

  1. 2017.08.24 (木) 09:16
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

・ヒミツの〇さん、続きです。

・・>なんで地震の時の思いをこの記事にコメントしたのかと申しますと、(地震前に気軽に)、前述の旧・知人とも昔の同級生のよしみでチャットなどしていて感じたこととがつながったからなのです。

知人の言葉の行間から、心から仕事に誇りを持っていることが強く、強く伝わってきました。

(実際には知人自身の専門から考えますと)、有事の際も前線での戦闘をすることはないと思います。

しかし、そういう戦闘時に(自身の立場からの業務に)常に覚悟はできている。

それを知人が言った、書いたわけではないのですが伝わってきて、こんなに仕事に誇りをもっている人がどのくらいいるのだろうか、Aちゃんも立派になったなあ、と感慨深いものがあり、特攻で散った方々のうたとつながるものを感じたのです。

そして、お願いですが、こんな駄文をお使いになることはないと思いますが、(すでに特定されるようなことは無いと思いますが、もしも)迷惑がかかってはいけないので、もし知人のことを出されるときはぼかしてくださるようお願いします。

・・・・・・・・・・・・・以上です。

〇さん、お気持ちに添う紹介ができたかどうかわかりませんが、他の方々も、読んで下されば胸に来るコメントと感じ、いつもは、人さまの文章に勝手に手を加えたりは避けておりますが、こんな形で公開させていただきました。

まことの日本男子、それを理解して感動なさったかつてのお知り合い。胸に迫るコメントをありがとうございました。

警察消防各お役所の方々、コンビニ店長さん、ごくいっぱんの、助け合われた方々。井戸の水を分かち合われた話、粉ミルクやオムツを融通された話。

さまざま、お聞きしています・・・。

自衛隊の皆さまに、深く深く感謝します。その自衛隊機の日章旗を、見えないようにさせて利用する天皇夫婦に、心からの侮蔑の感情を、日々、向け続けています。


 管理者にだけ表示を許可する
 

trackback


ブログカウンター

プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・