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返事の中までKUONです。

  1. くおんの万葉集
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朝川わたる

万葉集とは、7世紀後半から8世紀後半にわたっての長歌、短歌ほかをまとめられた、わが国最古の歌集です。天皇・貴族から農民、防人などのうた、およそ4500首。全20巻。大伴家持(おおとものやかもち)の編纂になるといわれています。

難しいことはボチボチ行くとして、今日はまず、恋のために我を忘れた、恋に突っ走った皇女のうたに触れてみます。


人言を繁み言痛みおのが世にいまだ渡らぬ朝川渡る

  ひとごとを しげみこちたみ おのがよに いまだわたらぬ あさかわわたる     0116


但馬皇女(たじまのひめみこ)のうたです。

天武天皇の皇女の一人。彼女が恋したのは穂積皇子(ほづみのみこ)、この皇子も天武天皇の子です。母親は違います。当時は、母親が違えば問題はなかった。

但馬皇女は人妻でした。相手はかなり年上だったとされる高市皇子(たけちのみこ)。この皇子も天皇天武の息子です。

千数百年も昔の、天皇周辺のひとびと。

大方のおひめさんは、眠ったような生活の中で、大きく心を揺さぶられることも少ないのではなかったか。名前さえとりあえずの呼び方、女性はつまりは道具、あっちからこっちへ動かされたりとつぜん尼寺へ入ることになったり。

花を愛で月を愛で、の宴が、時に催されました。日をかけて手間をかけてわくわくと周囲は用意を整えて行く、着物に香を焚きしめる、総出で一夜を愉しむための手管を尽くし・・・たって、余韻はつまり、ほどなくして色あせる。

だからこそ、カチーンと何かがはじけた時の衝撃、余波は大きくとどめようのないものではなかったか。

何をすることも無い皇女の暮らしです。

髪を梳くのも食事を口に運ぶのも人任せ。用足しですら身の周囲で済ませてしまう暮らし。

楽器に触れたりうたなどを書きちらしたり・・・だって、それに関心が向いた性格でなければ、たださらうのみ。気持ちから打ち込むものも無ければ。

そんな中で、

何より「来る」ものは、

恋でしょう。

但馬皇女は恋に落ちました。恋の思いの熱さをしりました。

会いたい、会いたい、ただあのひとに会いたい。

思い立って車のキーひっつかんで、どこ行くのどうするのと背後からのママの声なども吹っ切って、夜の街を走る、飛ばす、あの人のところへ、あの人の窓へ。

灯りが見えたら心がくがくです、膝もガクガクですが、階段なんぞは駈けあがってしまう・・・なんてのはアナログの「恋」、相思相愛だったら今なら、ぜんぶ打ち合わせて、無駄なく効率よく合理的に、会えるのかな。

ひめみこの時代の恋・・・乞い、は、そうではありませなんだ。

会う事さえままならなかった。ひめみこは、住まいの外へ出ることさえ、めったに無かったのでした。

が。

思うだけは自由、心を放つだけは自在です。実際にはどんな「逢い」を紡ぎ得たのか、一度の会いへの思いを、引き伸ばして、つないで、いっしんに但馬皇女は恋をしたのでした。

ひめみこは万葉集に、四首のうたを残しています。


秋の田の穂向きの寄れる片寄りに君に寄りなな言痛かりとも

  あきのたの ほむきのよれる かたよりに きみによりなな こちたかりとも

                                                     0088


秋の田んぼに稲穂が風のまにまに傾くように。あなたに寄り添っていたい、どんなに人が噂しようとも。人の言葉が痛かろうとも。あなたのそばにいたい。

この「寄りなな」の、後の「な」は、寄り添っていたい気持ちを強調する「な」です。もとのうたは「万葉仮名」と呼ばれる、すべて漢字のような形で書かれており、漢字ばかりのそれを、後世読みやすい形にしてあるのです。

だから、同じ作者の同じうたでも、微妙に違ううたになっていることも多いです。

多いですが、前述の「な」のごとく。ただ一文字で、強い気持ちを感じさせることの可能なのが、この世界なんです・・・わたし演説していますね・・・。

「寄りたし」でも同じようなものですが・・・いや、違うのです。あくまで、君に寄りな「な」寄っていたいのよ、あなたに、愛しいあなたに。こうでないと。

この頃のひめみこは、二十歳代の若い女性だったと思われます。

まっすぐに、恋する男性の方に心を吸い込まれてしまいました。

とうぜん、ひそやかに囁き交わされるようになり、声は大きくなって、二人を離さんとばかりに、穂積皇子の方が、遠くへ遣られたりのこととなり。

そうなれば募るばかりの恋心。

残されて思いふけっているばかりなのはイヤです、追いかけたい、あなたに追いついて行きたい、そんな私のために、道の辺にそちこちに、目印をつけておいて欲しい、離されてしまっているのは、苦しい辛い、どうぞ道しるべを、と切々たる一首も、ひめみこは詠んでいます。

そして。

冒頭のうたに戻ります。

人言を繁み言痛みおのが世にいまだ渡らぬ朝川渡る

  ひとごとを しげみこちたみ おのがよに いまだわたらぬ あさかわわたる     0116


私たちに向けられる人たちの言葉。いろんな人がいろんなことを言います。そんな言葉が。声が、痛くても辛いものでも、いいえそれだからこそ諦められない、あなたに会いたい、わたし決めました、会いに行きます待っていて下さい。

ひとりで。素のままの足で、朝の川を渡ります。会いたいから行きます。

・・・但馬の皇女の、

「私の生の中でしたことの無いこと、朝の川を渡って。越えて。あなたに会いに行きます。」

こういう思いのうたなのです。

もう一つの解釈として、会いに行って、その後、帰らなければならない身、急いで「朝川渡る」であった、という感じ方もあるようです。

帰りであれば、気持ちもからだの状態も、とうぜん、違うことになりますね。

どちらだったのでしょう。

川は水の流れている場所であり、水は浸かれば濡れるものであり、そこを「渡った」というのは、大人の関係を示しているという考え方もあります。

私は、走って行って恋しい人と夜を共にして、朝日のなか、堂々と晴れやかに臆さず顔を上げて川を渡る・・・この「川」は、本来ならば仲を堰く働きをするもの、の、譬なのかもしれませんが、もうどう言われてもいいわ、のひめみこだったと考えます。

ともあれ。天武天皇の娘として生まれ育った、藤原の鎌足の孫娘でもある皇女の、恋の話。

周囲の忠告など、恋する彼女にとっては、どんな言葉も「繁み言痛み」のものでしかなかった、とも知れます。ダンナさんの立場・・・はあ、まあ、それも、はあ。

但馬皇女の夫は、この当時、太政大臣の座にあった人なのでした。

相手である穂積皇子の気持ちなどに、今日はまったく触れていませんが、ひめみこが突っ込んで行っただけでなかったことが。

彼の方にも、辛いだけの恋の果てに隠遁させ、一人ぽっちで死なしめてしまった皇女のことを、つよく思っていたことを偲ばせるうたがあります。

それも私の好きな一首で、胸を締め付けられるような男のうた、次回に書かせていただくことにします。





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  1. 2017.07.12 (水) 10:15
  2. URL
  3. 黒猫アビ
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KUON様

おはようございます。

私には苦手なお歌ですがKUON様のわかりやすい説明
ありがとうございます。

日本語の言葉づかい
「な」と「し」の使い方でこんなにも思いが違ってくるんですね~

昨晩は、はるか昔の中学1年の時の初恋?を
思い出し懐かしんでおりました。

蒸し暑い日々が続いております
お身体に気をつけて下さいネ。





  1. 2017.07.12 (水) 11:06
  2. URL
  3. カエル
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ご無沙汰しておりました。
私も、勉強させていただきます。
  1. 2017.07.12 (水) 12:22
  2. URL
  3. かりそめ
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恋......

KUON様

万葉集のおうたの紹介とすばらしい解説をありがとうございます。

秋の田の穂向きの寄れる片寄りに君に寄りなな言痛かりとも

の「な」の働きとそれを力をこめておっしゃるKUONさんが素敵です。

次回が楽しみです。男の恋歌
  1. 2017.07.12 (水) 14:34
  2. URL
  3. ワッ・タ・シ熟女N〜
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KUONさま

こういうのが好きです、いいです!

恋して夢見られるのも初めのうちだけ(笑)
いつまでも夢みるような純真さを
自分に欲しいと思いますが
汚れちまった悲しみに・・・・ですわぁ

万葉集も学生時代読んで
好きそうな歌をノートに書いてましたが
なんとなく分かったような感じだけで
今となっちゃ忘れてしまってるし

もっとたくさん、解説してください
楽しみです〜



  1. 2017.07.12 (水) 14:38
  2. URL
  3. たまき
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会いたい男に会いに行くとき、身分の高い人は、侍女とかつくのですかね?

侍女もいたとして、その侍女は逢瀬の間どこにいて何してたんでしょ?

大奥なんぞ、テレビで見ますと
その間、次の間に控えていて何事があったとき即座に対応できるようにしていたとか、いないとか。

男女の睦み合いを見られて恥ずかしい気持ちになるのは下々のものだけで、身分のある人にはなんちゅうことないことだったのかしらん?

また、湯殿とか用意してくれるのかしらん?
あの幾重もの着物を着ての用足しも
大変だとおもいますわ。

その恋より、周辺が気になる私です。夫有る身の恋うつつも、おおらかに許されていたのかしらん?
  1. 2017.07.12 (水) 15:51
  2. URL
  3. lavinia
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楽しいです♪

KUONさま、KUONさまのお歌の解説とお話、楽しいです!

昨日はウィキで但馬皇女の事を調べ、もう一度こちらで記事を読み、うふうふしてました。
少し前に万葉集と古今和歌集の代表的な歌を解説した本を読みました。
恋愛のエネルギーってすごいですね。
恋して、歌を詠んで、発信して。
つまらない日常がいきなりドラマティックになるって素敵です。この続きも楽しみです。

私も久しぶりに図書館で「泣き虫弱虫 諸葛孔明」という小説を借りてきました。三国志は詳しくないけど、かなり面白いです。そういう楽しみ、忘れてました。

毎日暑いです。ご自愛くださいませ。
  1. 2017.07.12 (水) 20:26
  2. URL
  3. アルジェリマン
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寄りなな

KUON様

「寄りなな」の歌、若いな~いいな~とニタッとしました。
・・・スケベだ、私・・・。

歌垣というものがあって、皆、奔放に恋をしたのかな?
ちょっと刹那的な感じもして意外です。
昔の人たちって、なんと大胆だったのかしら、と。

短歌というすばらしい文化に気づき、
近頃、新聞の短歌や川柳欄に目を通すようになりました。

  1. 2017.07.12 (水) 22:57
  2. URL
  3. KUON
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お風呂あがって冷やしておいた部屋でゴクラク、ゴクラク。完全下戸の私には、以前ある方に頂いた、ずどんと背の高いグレーの、材質はなんじゃ、アルミ?ぢゃないよね~、とにかくデカい容器にたっぷりのつめたぁいアールグレィ、これが最高。

手すき和紙に姑が草書体で書いてくれた万葉集全巻。これ私の宝物の一つですが、いつもは大切にしまってありまして、手軽なタイプの万葉集を読んでいます。

この楽しみを、当分味わおうと。けっこう賛同者がいて下さり、それも嬉しいのです。


・黒猫アビさん


暑いですね。ほんま暑い。でも。苦手なら無理なさらないで、でも、言葉って面白い、ご一緒に、愉しんで、1300年も前の人びとの思いをたぐってみませんか。ね。


・カエルさん

勉強というより(私も系統だった勉強をしたのではありません)、日本人に残された、いにしえの人びとの息吹を、一緒に感じてみませんか、です。

すてきなんです、集の中に脈々といのち繋いでおられるひとびと・・・。


・かりそめ さん

いやはは。あまり過大な期待、評価をしていただきませんよう・・・でも。

自分流に、まっすぐに、読んで感じて行きたいのです。


・ワッ・タ・シ熟女N〜さん


Nさんにこう言ってもらえると、嬉しいです。

万葉集には、強烈な個性のメンバーがたっぷり。

ホントにいろんな人々が、いろんなこと思って生きていたんだな~、と。


・たまき さん


そうですね。マジメにお答えしますと。

この時代の身位の高い女性たちは、めったに外へ出ませんでした。大奥の時代とは何百年も離れているし、後世の大奥の存在した時代にも、おひめさんは外出しませんでしたね、きっと。江戸時代には詳しくないのですが。

だから、皇女である但馬が「朝川渡る」と詠んだことの意味が深いのだと考えます。

顔さえ見せずに暮らしていたのです。風呂に入る習慣は無く、髪も洗わない。ツゲなどの目の細かい「梳き櫛」で侍女が梳かしつけていた。用便はおまるを使いました。このおまるにも、興味深い話がありまして・・今は略。

だから香をたいていました。フランスの香水と同じ。香の種類で、顔も見えない恋人の匂いを嗅ぎ分けたり。

湯殿なんかありませんでした。

あるとしても、貴人は突っ立って脱がせてもらい、着せてもらい。

恥ずかしくなんかないとされていました。今の感覚と違う。周囲に仕える者は、上から下まですべて用途が異なり、おまるの始末だけする者もいたし、同じ人間などと言う感覚は無い時代です、口など利かないし、言うと長くなりますが、その一部が引き継がれて、女性の関わる祭祀の際に、何もしないで潔斎のことすべて人に委ねる、これが、美智子さんはイヤだったし、まさこもイヤなのです。

そう言う事実もあります。

>その恋より、周辺が気になる私です。夫有る身の恋うつつも、おおらかに許されていたのかしらん?

この疑問も、お持ちになるのは自由ですが。

「そうだった」「そうでなかった」など、さまざまな形があるのが万葉集であり、不倫許さじ、の観点からだけ見れば、私の書いて行きたい方向と違って来るのかもしれません。

うたをたのしみたいのであり、倫理道徳にあてはめてどうのという気ではないのです。

社会的地位のある男の妻妾であった但馬の恋が、おおらかに許されたかどうか。

でなかった証拠に、但馬皇女は、その一夜のために大きなものを失いました。おおらかであり、時にそうでなかった。そのあたりの機微を探るのも万葉集を読む楽しみと考えています。

どうお感じになり、どうお考えになるのも自由ですが、こういう具合のお答えは、実は本意でないKUONのわがままを、笑って許して。(笑)。


・laviniaさん


現代の皇室は、なんか変にリアルなきちゃなさが勝って、なんというかこう。

しばし間を置こう、置きたいと、心底願ったのでした。

三国志も(詳しくないけど)面白いですね。

自分で自分をたのしませてやりたいですね!。



・アルジェリマンさん

>・・・スケベだ、私・・・。


いやいや。スケベがすべてを生み出すのであります。言い方悪ければ、情熱とか言っておきましょうか。

>歌垣というものがあって、皆、奔放に恋をしたのかな?

この歌垣なるものは、庶民の世界のものであり、夜をくぎってどんちゃかと刹那のちぎりを、とばかり在ったものでして。

昔は庶民層はそんなにあちこち移動しなかった、年齢的にふさわしい男女が知り合うにも限度があり、結果的に血のつながりの濃いカップルが子をなすことになり、それが、あまりよくないことだとは、遺伝云々しらない時代にも、経験的にわかっていたのでしょう。

遠くから来る若いモンも、歌垣の夜は混じることを許し、二人になってどこかへ消えたりがあり、身ごもる娘も現れ、しかし生まれた子がどうで、とは問わないで、村中で育てていた、ということがありまして。。

庶民も生き延びるために必死だったのですね。

皇族貴族はそれと違っても、確かに奔放でした。婚姻届なんて無かったし。連絡手段も限られていたので、実行する、しかなかったとかもあり。

でも、都合のよくない赤ん坊はよくあやめられました。幼いうちに尼寺へ入る皇女も。

話し始めるとキリがないですが。



  1. 2017.07.13 (木) 05:52
  2. URL
  3. たまき
  4. [ edit ]

お風呂なかったんですね。

少し調べました。
現代のように浸かるお風呂になったのは江戸時代あたりで、昔は蒸し風呂だった。その蒸し風呂も万葉集より後のことで、回数も少なかったとか。しかし、この梅雨の時期は辛かったでしょうな。濡れた布で身体を拭くくらいはしたのかな?

そういえば、何かで読んだ記憶がありますが…
女のあの長い長い髪を洗うことは滅多にないので、コトが終わり男が女の髪の痒いところをかいてやるのが愛情表現のひとつだったとか。

当然、歯ブラシなんて無いですから
歯もどうしてたんでしょ。

色々、興味深いですね。

  1. 2017.07.13 (木) 13:30
  2. URL
  3. 花橘
  4. [ edit ]

悲恋でしたね

但馬皇女は藤原の血をひく姫ゆえに、初めは穂積皇子と添わすつもりだった高市皇子ですが、穂積では若すぎて藤原の台頭を抑え切れないと判断して但馬皇女を邸に留めた…と大学の万葉集の授業で教授の解釈を聞きました。私の専門は新古今和歌集、主に式子内親王なので万葉集はさらっとしか勉強しなかったのですが、技巧的な新古今に対して万葉集のおおらかさには改めて感動します。
よくぞ残っていてくれたと感謝すると共にやはり日本人は言の葉を編んだものは大切にする民族なんだと思いました。謀反人とされた大伴が編纂した和歌集だけど誰かか大切に時が来るまで保管してくれたのでしょう。
但馬皇女の朝川の歌。
若い頃は渡れなかった、愛する穂積には会えない哀しい川と読んだのですが、全てをかけて逢いに行った朝の川と読むと趣がまったく違いますね。
男が逢いに来る時代に女から逢いに行った但馬皇女の誇らしさすら感じます。
背景の政治的なものを考えると軽率さはあるのでしょうが、逢いたいから逢いに行った皇女の恋心を素直に歌った歌はよむ人の心をうったのでしょう。
  1. 2017.07.14 (金) 16:24
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

・たまき さん

日本の家は、冬より夏を過ごしやすく考えられるそうで。

貴族の住まいなどは、風の向き陽のあたりようなど工夫を凝らしてあったでしょうね。

体を拭く、は、あったと思います。おひめさま立たせておいてね。他あれこれ、思うことありますね。


・花橘さん

新古今和歌集は、絢爛豪華、言葉の綾や技を尽くしての独特の世界、貴族の世界、むせ返るような「洗練」の世界ですか。蕩ろけこむような美の世界ですね。

私が先に触れ、入り込んだのは万葉集で、途中で新古今にも興味を持ち、いますぐに正確にあげられませんが、芳香に満ちた世界であることに、ウロウロしました。(笑)。私は大学で学んでうたに触れはじめたのでないので、学校でじっくり和歌を勉強するというの、楽しいだろうなあと思ったりします。

>男が逢いに来る時代に女から逢いに行った但馬皇女の誇らしさすら感じます。

仰るように、世のしがらみから自ら外れたことになった但馬皇女の「誇らしさ」、これが、胸に来ます。結果はわかっていて(それまでの日々には戻り得ない)それでも、逢いに行った、行かずにいられなかった。

いい、悪い、でなく。彼女はそうした、ということ。

穂積皇子の悲傷のうたがあって、悲恋ではあったが、二人のことは完結したのですね、きっと。

潔く、誇り高い。

なんとなく許してもらってそれなりの暮らしをしよう、とは、考えなかったのだと思います。周囲もそうはしませんでしたし。

新古今集、また読みたくなりましたね。





式子内親王

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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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KUONの久遠

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