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さまようセシウム

おはようございます。

11日の記事について「お誕生日おめでとう」と、何人ものお方に寿いでいただき、恐縮です。嬉しい。ありがとうございました。
去年は、自分で自分の誕生日を、自分のブログでばらして祝っていただくなど、夢にも思っておりませなんだ。
育ちゃん・・・育正くん。皮肉な名前をもらっていたね。私はあなたを忘れていないから、ネタにしたこと、許してね。

小児科病棟に勤務した、高校三年、四年の二年間。
それ以降、私は、キャップをかぶることはありませんでした。
違う道へ行った。
だから思い出も朽ちないのかもしれませんが、本当にさまざまなことを見聞きしました。

小児心臓外科の権威であられる医師がおられたので、近辺だけでない遠くの県からも、縋って来られる親子さんが引きも切らない状態の病院、病棟でした。前に記したように私は、病児室に入ることが多かったのですが、夜勤の時は、人員も足りないし、ベビー達が眠っている時には外へ出て、掃除やおむつ畳みや、ガーゼ畳みや少しは雑談、時にはお菓子タイム、こなしていたのです。

心臓カテーテルという検査を受けるために、まず入院しているお子供たち。
手術日が決まって、風邪をひかさないように、お腹をこわさせないように、ピリピリしている親子。
同じ病気を持つ子の親同士は、情報を交換し、支え合い、術前の子供たちのいる大部屋は、独特の緊張感に満ちていました。
沢山の顔を覚えています。

多くの子供さんたちが、祖父母や両親やきょうだい達の晴れやかな笑顔の中心の笑顔となって、退院して行きました。
そうでない子供さんもいました。
書いていて、胸が詰まって来るのですが、思い出されてどうしようもないユウ君のことを、少しだけ、書き残したい。

今もそう呼ぶのか、ファロー四徴症。心臓に、顕著な四つもの疾特徴が見受けられる、心臓の病気。
何年も子供を待ちわびたお父さん、お母さんのところに生まれて来たユウ君に託されたのは、そんな心臓でした。
食が細い、息が苦しい、風邪を引き易い、肺炎に移行し易い、他の菌にも感染し易い。
四歳でしたが、小さな小さなからだでした。
まっすぐに、しゃきんと立つことも叶わなかった。
血の巡りがよくないので、全身、薄むらさき色の男の子でした。
ちょっと咳き込むと、さあーっと、むらさき色が濃くなる。唇や爪のいろは、黒に近いものになるのでした。

ユウ君は、とても賢い男の子でした。
採血や注射の時、泣いたことが無い。ボクがよくなるためだ。そう言うのです。立派なご両親でした。
細い腕には、内出血の後がいっぱいなのに、ぐっとこらえているのです。
・・・書き始めると止まりません。
ユウ君は文字は当然読めたし、ベッドの上が世界のほとんど、という日常の中で、たくさんの本を読んでいました。いろんなことを知っていた。いざ手術、となると、あれこれ問題が起きて延期される繰り返しで、入院生活は長くなっており、新しく来て、不安で泣いているような子には(そのお母さんにも)、折り紙あげようか、本を貸そうかと声をかける、優しいと言うには切なすぎる、よい子でした。

そのユウ君は、いよいよオペ室へ向かい、そしてユウ君のために用意されていた術後のユウ君を支えるためのベッドに、帰って来れませんでした。

死ぬ、亡くなる、ことを、ステルベンと言います。ドイツ語だとか。
婦長が、短く、
「ユウ君、ステったよ」
と教えました。
私達は、その言葉をドキっと受けとめ、目を伏せて一瞬ユウ君の冥福を祈り、担当のナース以外は日常の仕事を続行しました。

日勤が終わって、誘って下さってた先輩ナース・Aさんと落ち合って、地下の霊安室に向かいました。
小さな小さなからだだったユウ君は、小さな棺に納められて、そこにいました。
優しく賢い子のユウ君にふさわしい方だった(というのも変な言い方ですが)お母さんが、全身ばらばら、という感じに,泣き続けておられました。
わー、と、私達を見て、泣かれました。二人の名を呼ばれました。Aさんと私は、黙ってうつむいていました。
見てやって、会ってやって、ユウに、と、お母さんは叫ばれました。
この子、こんなにきれいになったの。
死んで、こんなきれいな顔色になったのよ。

目の前のユウ君は、白い、本当にきれいな色で・・・顔も首も、胸で組んでいる手も・・・真っ黒だった爪の色も・・・。静かい目をつむっていました。
生きている間は、薄むらさき色だったユウ君。
手術の間に、結局もたなくて、止まってしまったユウ君の心臓。
それがもう、動かなくなって、ユウ君は、白い可愛い子供の顔で、棺の中で、しん、と、もう、息苦しいこともなく。

・・・逆縁ほど苦しいことは無い。
敗戦の翌年、三人目にやっともうけた長男を、生まれて三日目に亡くした母は、晩年、何度もつぶやいていました。
娘どもが親不孝だと、ぶつぶつ言い、あの子が生きていたらと、何度も。
シニカルな長姉が、娘とうまくやれないなら、息子のお嫁さんとおばあちゃんが、うまう行く道理がないとからかうと、澄まして「お嫁さんにはいい顔ばかり見せるもの」と、笑わせてくれた。
母の嘆きはもっともだったと、思います。

今日は、さまようセシウムについて書きたかったのに、脱線方向へ行くばかり。

地下水からストロンチウム検出と、出ています。そんなもの(という言い方はないですね、すみません)以前から出ていたし、今年限りでジャーナリストをやめると言っておられる上杉氏も、以前から、ダイジョブじゃない、と、わんわん書いておられました。

出たからどうなんだどうすればいいんだ。
子供を、どう守ればいいんだ、と、泣きたい若いお母さんが、大勢おられると思う。

その気持ちを、すくい上げてくれる、わかってくれる、対処を教えてくれるヒトは、どこにもおられないのでしょうか。
せめて、どうすればいいか、知りたいと思うと、思うのです。
諦めきれない切実なお母さん達は。




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  1. 2011.06.13 (月) 21:14
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  3. stainless steal
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心が痛い事ばかりですが。。。

KUONさん 遅まきながら お誕生日おめでとうございますv-81
遅刻で もうしわけありませんv-39

心が痛い事の方が多い世の中ですが 今年は一段と
重苦しい事態で。。。

子供は宝と 育ててますが

「子供は親を 選べない」 ずうっと前に 身近な人から この言葉を聞いて あれ以来 良くも悪くも
何時も 頭の片隅だけど でも 主張しているんです

子供は 自分の身体の状態を選べない。。。
子供は 自分を取り巻く環境も選べない。。。

大きくなるまで
自分の足で歩き 自分の頭と心で 選択して
生きていけるように そう おもって 毎日を暮らしてます

明日が 今日より 安全でありますように

KUONさん お身体を大切にv-22
  1. 2011.06.14 (火) 00:33
  2. URL
  3. yuuta
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55年前の事

KUONさん こんばんは

看護の仕事をされていた時 それも多感な年頃に
その時だからこそ鮮烈に思いが残っておられるでしょうね

若い頃どんな職業につきたいか、、、と友達と話していて
看護婦(今は看護師というのだった)と保育士は自分には無理と
最初から圏外においていたいくじなしでした

KUONさんのお話を読んでいて 私にも記憶が甦ってきました
何歳だったでしょう 六つか七つか、、、小一だったように思います
夜中にふと目を覚ますと なんともいえない優しい静かな歌声が
小さく細く聞こえていたのです
その声で目が覚めたのか 何かを察して目覚めたのか

隣の部屋が少し灯りがもれていて そちらにいってみると
母や父 姉達がベッドを取り囲んでいました
当時裕福ではなかったと思う それでもベッドはあったのね

上から二番目の姉がそのベッドに寝ていて 
眠りながら歌を口ずさんでいたのです
「Tちゃん 夢を見てるんだね 楽しそうだね」って
母がいったのを覚えています

そのあとの記憶がまったくなくてその部分だけがほわ~んと
残っています
17歳 高校二年生だったそうです
今なら手術で早くに治るのですか 心臓弁膜症は
あの頃でも手術はできたのでしょうか
母は口癖の様に「手術を」と言っていた

姉妹のなかで一番きれいで優しかった姉でした
いつもほっぺとくちびるが紫色で 
それがひときわ他人と違う雰囲気をかもしだしていた

KUONさんのお話は大好きです
これからもたくさん聞かせてね
心配なことも多い世の中ですが時々思い出にひたるのも
いいものですね

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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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