今日も元気でいましょうね^^

返事の中までKUONです。

食べもののこと


父親が死んで長姉は高校の寮に入っていた、次姉は、ウチで預かる、と強行してくれた父方の叔母夫婦の家で暮らしていた。

母親と二人暮らしだった子ども時代、あんなこんなはあったものの、鍵っ子になっていておやつの買い食いはけっこうし放題でした。住まいは名古屋のお城の見えるあたり、町中で、それなりに美味しいものも食べさせてもらっていました。母の里の伯父が、戦中もそうだったように、自転車で何時間もかけて、米も野菜もおそらくは祖母に託されたお金も、運んでくれていたのでした。

中学にあがるのを機に、養父の家に引き取られました。

しょっちゅう到来物のある家で、食料タンスには乾物が積み上げられていたし、牛肉も大きな鯛もメロンも、明治屋の缶詰も届きました。私も受け取っていたので知っていました。

食事は寝たきりの親奥さんと、在宅する時は養父と、私より三つ上の長女のHちゃんが、親奥さんの寝間の隣りでお膳でとっていました。

養父の妻は、姑と夫と長女の食べ物は、欠かさず整えていました。親奥さんには朝はバタートースト、昼は煮魚を毎日つけ、魚は、そのたびにお金をもらって買いに行く。御用聞きも来ていたけれど、養母は魚は、自分で買いに出かけていました。

息抜きだったのでしょう。遅いと言って呼び鈴を鳴らして、親奥さんがよく怒っていました。

私より一つ上のそこの長男、二つ下の次女、そして養母は・・・何を食べていたのでしょう、深い記憶がありません。自分の日常食べていたものの記憶も。あまり無い。

ヒトの出入りの多い、来客も絶えずある(以前も書きましたが、宮さまが来られたことも一度ならず・・・学者さんでいらした、その講義や講演のお礼、ひっそりとお渡ししたのでしょう)その家の、財布は、親奥さんがしっかりと握ったままだったのです。いま思うとむごい話です。

大学の柔道部の学生が来るのですき焼きを食わせる、と、飛んで帰って来ていきなり養父が言いつけ、ネギだ豆腐だとおおわらわ、急遽私が肉を買いに。どれくらい買えばいいのか。肉屋で相談して、すき焼きならこれくらいあれば、と、1キロ買って帰って、巨体揃い、十数人の前に、1キロの肉・・・あの時のバツの悪さは、忘れられません。

一人で1キロくらい、食べそうな詰襟の大男たちが・・・。私は中学生だったので。

養父はそこここの学生たちに肉をふるまうのが大好きで、木津川の河原で数十人でのバーベキューも、毎年、何組分か、していました。

養父は旧い家の親孝行の一人息子。できのいいお姉ちゃんが三人、いいとこへ嫁っておられて、運転手つきの車で時々、オカアチャンのお顔を見に、おいでになられた。立派な奥さま方でした、どなたも。姉妹そろっておいでの時は、仕出し屋が届けて来る料理をご一緒しておられた。

長女さんだけはその輪の中。優しい、いい方でした、いまもお幸せです。でも、自分がたべられるものが、弟、妹には無いと言う事には、無頓着だったような。

養母は、養父の女身内さんの中では、無休、無給の、気の利かない女中以下、の存在でした。お手伝いさん、などというきれいごとの言葉では言えません。何度も実家へ帰って、また戻って、の不毛の歳月の後に、諦めの後に私は、養母のお世話になるようになったのでした。

私の立場は、ひとことで言うと、微妙。

おば様方は、私には、それなりの気を配って下さっていた。チョコを下さったりローンのハンカチを下さったり。死んだ父への慮りだったのではありました。詳しく書くのは難しいことなので省略。

一人でおあがり、と、折り曲がって詰められたウナギの重を下さったこともあった・・・でも。

私は、一家のなかで長女さんとは違うグループ・・・その家の当主である養父の、長男であるKちゃんと、末っ子で誰にも見向きもされない次女のYちゃんと同じ群に普段は属していて、上(笑)から下がって来る、焼きプリンの空き缶やどこやら亭の折詰弁当などの残骸を、ただ珍しく見ていたばかり。12歳からの話です。

折詰の中には、紅白の飾り切りを施されたかまぼこや何やらの揚げ物などが、しおれて残ったりしていました。

養母は私に、よかったら食べや、と言いました。長男と次女には言いませんでした。私は「けっこうです」といいました。養母はそのまま引いて、結局かまぼこやフライは捨てられたのかどうか。

お手伝いの、30歳過ぎの女性もいました。実家から仕送りがあったようで、お菓子ばかりヒミツで食べていました。トイレに籠ったら1時間は出て来ませんでした。

・・・あの頃は、麦ごはんと、たまに、養母が仕込んで作る、上等らしいけど舌につぶつぶの残る味噌の汁と、それだけはふんだんにあった到来物の漬物や佃煮と。かつお節だけを扱う店の、木箱の隅に溜まるかつお節の粉。で、主に、食事をしていたのでした。

鯛の刺身も、出る時はどどんと出たりしました。マツタケもそうでした。マツタケの佃煮のようなものを、毎食、食べることもありました。

それしか無かったのです、その時は。

ご飯とかつお節の粉しか無いことも多く、そんな時は台所に、牛肉の甘煮のしょうがの匂いが残っていました。

皆で食べるには量の少ない肉を、養母が、甘辛く煮つけていたのです。味を濃くして、少ない量でご飯がすすむおかずです。

その家の長男Kちゃんは、私とは口をきかないよう、厳しく言いつけられていました。

マチガイが起こってはいけないらしかった。

その言いつけを遵守して彼は、一緒に暮らしている私を、ほぼ完璧に無視していました。私も同様。

飛び級で東京大学を出て来た父親の後を追わねばと、毎日ベンキョウ、ベンキョウ、のKちゃんでした。

財布さえ持たせてもらえない養母は、息子に、ベンキョウ生活を支える栄養のある食べ物を、食べさせてやりたかった。

当然の話です。

私は、外で、自分で食べられるものを食べていました。外食しました。母親とは月に一度、会う機会があり、そのたびに母は私に、何か食べろ、下着も買え、と言うのでした。中学生が持つにはかなりなお金を私は、受け取っていました。

暮らしている家の中で、得られないものを「欲しい」と思う自分を、許せなかったのです。高慢ちきな女の子だった。

挫けないためには、アタマを、思いっきり上げていなければならなかったと、ずっと、自己弁護しています。

自分の家は貧しいと、母子家庭ですし親子で暮らせなくなっていたのですし、普通に思い込んでいましたが、母はお金をくれました。

自分の暮らしを切りつめて、と、これも思い込んでいましたが、そうでもなかったようで。私の母は、セーターは純毛しか着ない人だったし。靴もいいものをはいていました。母が亡くなってかなり経って、姉妹が話をしていた時、不意に、私たちは悟ったのでした。

母には、相続した遺産があったのだと。夫からでない、親からのものが、あったのだと。ずっと後から気がついた話。

父が死んで母が引っ越しをして、帰る家を持たなくなった私たち姉妹は、まったく母の言葉を信じて、嫁いで、頑張って・・・いたのでした。

姉妹もバラバラに育って、ツギハギの育ち方をしたのだと。皆、思い込んでいたのでした、父の死後、残ったものはすべて、母が、当時信仰していた宗教に、つぎ込んでしまったので・・・。

次女の制服代だけ手元に残して。と。母自身がそう、言っていた。家もお金も全部、と。事実、そうであったのですし。

遺産だの何だの、思ってみたこともない。だから、欲しいとも思ったことも無い。

「おばあちゃんは、自分で言うほど、ビンボウで苦労したわけでは、なかったんだがねえ」。

みな三人とも、けっこうなトシになってからのそんな話で爆笑したものでした。

呑気な話、でも、自分たちらしい話で、頼り癖が持てなかったことは、よかったのだと結論が出て、また、笑った・・・

脱線しました。


中学生の私は、自分の暮らす家の中での格差、というかヒエラルキーというか、微妙な差、というか。むずむずと、居心地のよくない思いでいて。

確かに微妙でした。

先に書いたウナギの話。私だけで食べろと仰るのは、大家の奥さんである、養母の小姑さま。

そんなことができるはずもなく相談します。しかし養母はそんな時、必ず、

「そう言うてはんねやったら、〇ちゃん(わたし)がいただいたらええのやで」

でも、ですからとお願いして、大人が分けて、と、私は言う。

「少しずつみんなでいただいたらどやろか」。

気取り屋の私の美意識に反する、オバちゃんみたいなセリフを云わねばならず、もうウナギはいいから、こういうシチュエーションにならずにいたい。

養母には養母の、なんとも言えないこだわりめいた気分は、当然、あったのでしたし。

私は、養父の、いわば「恩人の娘さん」みたいなことで、世話になっていたのでした。それにしては養父は、日々の暮らしの些事には頓着なく、すべてを妻に丸投げで、生活費の自由さえ与えないまま。

養母のやるせない気持ちは、中学生ながら、自分ながら、いささかは解っていたつもりでおりました。

学校に行っている間に日記帳を読まれているのも知っていました、私が、町の食堂で、一人で親子どんぶり食べていた、お好み焼き屋から出て来たと、養母に告げる人があるのも知っていました。

いろんなことが、ありました。

主婦が。

よその子を預かっていて、財布の自由も無くて、夫は母親と嫁いだお姉ちゃんたちに牛耳られていて・・・社会的には全くそんな気配も見せない成功者でしたけれど・・・同じきょうだいでありながら長女は缶のままのゴーフルを与えられている、長男は「ダイドコの子」で、幼い頃は母親である自分を庇って、夫の鉄拳の前に立ちはだかってくれた子で、体は大きくて腹減らし、叶うかぎりに美味しいものを食べさせてやりたい。

これ。当たり前のこと。

と。本ばかり読んでいた私は、なんとなく、理解していたように思います。しかも預かってやっている子(わたし)は、一人で勝手に外でごはんを食べてしまうような金を持っていた。自由な金を持たされていた。

養母は、私が高校の寮に入る時、月に一度は顔を見せにおいでと。

お友達も連れておいでと。

言っていてくれました。行けば笑いかけて、煮込みうどんを作ってくれたりしました。恩知らずなのか面倒だったのか、月に一度も行かなくなりました。せっかくの一人の休日だとの気分があったのでしょう。

どこまで信用していいのかが、まず、わかっていなかった。

・・・私は、養父の家にいる間、家の中にいる一人に、まるきり無視され続けていることが、平気でいられませんでした。

養母に日記帳を読まれていたことにも。それをなじれないことにも。日記帳の中に挟んでいた紙幣の位置が、ずれていて、足らなかった数枚が数日後に戻っているようなことも。養母はきっと、複雑な思いを沢山、味わったと思います。私のせいで。

私は素直な子でなかった、よく嘘もつきました。

外でどんぶりメシ、食べて帰って、今日は天ぷらや、ごはん沢山おあがり、と言われて、おかわりが出来なくて、

「大好きなおかずやのに、なんでやろなあ」

と、言われたりすることも。

とても、とても、平気でいられなかった。小説の新人賞に応募して入賞していたのに、聞かされていなくて、結局、賞は辞退にされていた、そんなことも。

もしかして「将来を潰された」と感じた、そのことが、いちばん、

耐えられなかった・・・早く早く自分でお金を得られるようになりたかった、自分のお金で空気を吸いたかった、気詰まりなくごはんを食べたかった、そんなこんなで。

定時性高校なら寮へ入れる。家から出られる。

ことを知って、反対されましたが、定時制高校へ進学したのでした。

寮では、皆、同じタイミングで同じものを食べられました。

大ヤカンで、火鉢で、一度にたくさんインスタントラーメン作って、ずるずるすすって食べた、八人部屋。


養父にも養母にも感謝しています。この頃は特に。思い出はいっぱい、あります。

養母も晩年は穏やかでした。

心臓を患って、食事制限も厳しく受けて、長い間の闘病生活でした。

私が中年になって、時に、美味しいものをと連れ出して、あれもこれも勧めても、ほとんど何も口にできないでおられました。

・・・・・・・・・・


もっと、食べ物のリアル、自分の中の汚いこころ、食い意地の引き起こす醜い気持ちも、書くつもりでしたが。

中途半端になってしまいました。

1487252623629_201702181214444f0.jpg


「愛子さん」の痛ましい姿を見て。

内親王さんと何を比較するなどの話でなく。

食べものに絡む気持ちの底の事など、書いてみたかったのでしたが。

なかなか・・・きれいごとになってしまったかも・・・

続きをまた、書くかもしれません。

「愛子さん」は、生きていたくないのかも、と思います。理屈でない、本能のところで。

見ていられない姿です。



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コメント

アイコさん

確かに生きる力が失われているような。
親を選べない残酷な人生を与えられてしまったのですね。
影子にしても大人に翻弄されて、
楽しいはずの十代を無惨なものに。
そんなのが皇室とは。。。
バカに特権階級を与えることの
恐さ。
だから普通以下からの入内はならなかったのですね。
普通の国民にさえ敵意を持って
いるのでしょうから。
股子卑は人の嫌がることが
大好きなサイコパス。
かえって、喜びになってしまう
始末の悪さ。

よく、普通が一番といいますよね。
上は上、下は下。
真ん中は真ん中。
弁えがありました。
今は雑多になり下が上を脅してます。

こんなものが

確かにマタマタさんは
性格に問題ありですね。
こんなことを平気で書く人
ですから。
驚きました。
皇室画像さんにありましたので。

http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1487394040216.jpg

放ておいてはいけない!

こんばんは。
一篇の小説を読んでいるようでした。
続きが読めたらいいなあと思っています。

内廷皇族たちは、もう人外の存在なんだと思います。そのシンボルが愛子さん(と言われているだけかもしれませんが)のあの姿。
どんな事情があるにせよ、15歳の少女のあんな状態をほっておくのは、許されないことです。周りのおとなたちは鬼畜?
誰もなにもできないなんて、本当に21世紀の日本の出来事なのでしょうか? 胸が痛みます。

幼い頃、母親が入退院を繰り返していて、そのお金を工面する為に父親は夜の土木工事のアルバイト。。
大人が家に不在になるわけですから、
ふたり姉妹別々に親戚に預けられてました。50年近く前の事です。
従姉妹達が食しているお菓子やコカコーラ等の炭酸飲料を「欲しい」と思っても口に出せず、、コーラやファンタの瓶が空になるのを凝視していた‥‥事を思い出しました。
自分の病気のせいでお金に窮し、母の実家で母が祖母に土下座して、祖母宅の預かりとなりました。私を置いて帰途につく母を見送り、「捨てられるかも‥」と4歳児ながら覚悟しました。
それでも、入院している病院に見舞いに行った時、消毒アルコール臭い寝巻きながら、ぎゅっと抱きしめられた記憶は50年経っても忘れません。

愛子様、或いは 愛子様を騙る子かもしれませんが、、
「お腹が空いてないか」は、愛情の基本だと思います。
その骨ばった手を握るだけで、「どうしたの?!」と親や周囲の大人は気付くはずです。
誰もその肩に手を回さないのでしょうか?
「ただいま」「おやすみなさい」
「いただきます」
その言葉を発する相手さえ居ないのではないかと‥。

食べない事しか、自分の意思表示の手段が無いとしたら、酷い事です。

ある日、皇室で検索していたら、、、皇室問題INDEX設立準備室に辿りつきまして、ざっと読みましたところ

愛子様女帝へ!を合い言葉に
三行広告を出そうと盛り上がっていました。

しかし、その中には愛子様の激やせを心配する声はなかったので

あなたたち、おかしいのでは?
とコメントしたら

よほど気に食わなかったのか
今では呼び捨てです!笑

こういうことをいうのは、愛子様女帝を阻止する為だとか…言われまくりです。

愛子様女帝を望むほど、愛子様が好きならば愛子様の現状を心配するのが普通なのでは?と私は不思議でたまりません。

愛子様おいてきぼりで、愛子様女帝を頑張っておられます。

あと、「アンチの反論は全て論破しています。」だそうですが
単に承認をやめてしまうだけです。

本物の愛子ちゃんとはとても思えない激やせの女の子。

皇太子に似せるため、鼻の整形でむごくひん曲げられたであろう女の子。

頬骨も何に似せてか分からないが、えぐられ削られているように思う。

整形大国の韓国人の手が入っていますね。

このような人造人間にされれば、思春期青春期の心は破壊されるに決まっています。

天皇も天皇夫人も、手を差し伸べている様子が見えませんのは、本当に不思議を通り越して人でなしの仕打ちと思います。

激やせの女の子を救い出せるのは私たち名もない国民しかいないのかも。

ツイッターやフエイスブックで皇室の虐待を全国に訴える運動を起こすべきかもしれません。

また海外特派員に訴えて問題提起を全世界に発布してもらうのはどうでしょう。

日本国が恥をかいても全世界から抗議の声が押し寄せても仕方がありません。

黙ってみている時期は過ぎました。大ごとにしないとひとでなしどもは動きません。

虐待されている女の子を救い出して、皇太子への譲位を阻止して、

内定皇族の朝鮮人夫人と創価学会朝鮮人嫁を追放に動き出す潮時だと思います。

勝手な大人

アイコは本人が天皇になどなりたくはないと思いますよ。
天皇?はあ?何で皆んながきゃーきゃー言って写真を撮るの?
アイドルでもないのに?って感じでしょう。
マタ子もそんな浅はかな認識で入り
病気として公務をほっぽらかしに
すれば安泰とする脳の持ち主です。
歴史も義務も日本の神に対して、
何の尊厳も持っていません。
税金を使っての豪華暮らしが出来る
特権がある。位の知識でしょう。

アイコを天皇と騒ぐバカな者たちも
日本の心を持たない異端者の
集まり。類友たちです。
神さまは正しい者に光りを当てています。
其れが分かるか分からないか?
あなた次第でしょうか。
いづれお沙汰が下ります。

お返事遅くなりました


・硬質憂子さん


バカに特権持たせるとロクなことない。

そうです。あの空港でのおかしな話も。

日本はマシ、とか残念ながら思えないこの頃です。皇室という特殊な地域での、ことさらに問題のある面々が、不幸にも揃ってしまったということで。

初めはまさこのことで目覚めました。それからあれこれ。とにかく、この若い女性が放置されていることで、どんな理屈も通りようの無い、皇室という場所の、何と言いますか・・・

弁えがあった。その通りだと思います。バカに平気でいっちょまえに・・・以下、自粛します、少し(笑)、と入れて起きたし。


・ちりぬるを さん

私もあれ見ました。一応保温しました・・・が。あまりにもレベルのひどいもので。性格の悪さが余すことなく発揮されています。生まれつき、人を慮るとか慎むとか思いやるとか。無いようです、親が、育って行く間に何とか貼り付けてやりもせず、かえって劣化させたとしか思えません。

あれを、入内させた。ものすごく国民は迷惑です。いつか出す日が来るでしょうか。ホントに人をなめた、イヤな性格と思いました。


・白樺ギライさん

私事に対して、恐縮です。あれを私小説風にかなり書きすすめたものを、一年以上、放り投げてあるのです。マジメに申せば、皇室のことで自分の中で「ここまで」と、ケリがついたら、そちらに向かいたいと願っています。

>どんな事情があるにせよ、15歳の少女のあんな状態をほっておくのは、許されないことです。
>周りのおとなたちは鬼畜?

仰るように、どんな事情があるにせよ、です。

いちばん庇ってくれるはずの親や祖父母さえ、どうしてもあげない。

捨ててあげれば、なんとか、その子らしい場で生きて行けるのに、とさえ、思います。


・アラモードさん


四歳の女の子が、捨てられるかも、と覚悟した。うっすらわかる気がします、私の場合は全く違う状況で、五つの時。母親は私の味方では無いと悟りました。悲しいことに、苦労して育てたと言い言いしていた母に対して、三姉妹がそれぞれ、ひどく醒めていて。私がまだ、一番母に「甘い」と嗤われていたのでした。

養母の世話になっている私に向かって、養母の足りない点を言い立てる母を憎んだし。養母は仕方なくさまざまなことを私に感じさせましたが、時にゆっくり話すときなど、自分の子には云わないような気持ちの底の思いを、私に、ぽつぽつ話したりして。思いは複雑だったのです。

・・・何と言ったって実は、老後は特に、愛おしくてたまらない、小柄な母だったのです。

「お腹が空いてないか」は、愛情の基本だと思います。

そうなのです。

愛、という字の語源は、大きいものが小さいものに食べ物を与えることから、と、聞いたことがあります。

>消毒アルコール臭い寝巻きながら、ぎゅっと抱きしめられた記憶は50年経っても忘れません。

すばらしい思い出をお持ちですね。私は母にぎゅうっとされたこと無いですが。

死んで体から離れた瞬間の母の魂が、愛知県から奈良県まで一瞬で飛んで来て、私に知らせてくれたのです。

許してくれたのだ、気にするなと思わせてくれたのだと、勝手に信じました。ですから母には、とても、ありがとう、と、強く、思っています。


・たまき さん


私もその話は聞いていました。が・・・

>こういうことをいうのは、愛子様女帝を阻止する為だとか…言われまくりです。

えらい目にお遭いですね。

>愛子様女帝を望むほど、愛子様が好きならば愛子様の現状を心配するのが普通なのでは?と
>私は不思議でたまりません。

その通りですね。ううむ。

普通に、あの姿を見たら、女帝だのなんだの、そんなことよりまず先に。

ただ心配、まず心配。それだけと思うのですけど。

減るのは脂肪だけでない、筋肉もやせ細る、心臓だって筋肉です、とにかく、ああして歩いているのが何とも。何をお考えか? 卒業の時に出さないための布石? その先にどんな手を打とうとか?


・おとめ さん

愛子さんもしくはあの若い女性は、すでに壊れておられます。

見ればわかる。一目でわかるレベルです。

ツイッターやフェイスブック、なかなか知られて行きません。ブログも、熱心に訴えようとされている多くの方々、でも劇的にはひろがりません。

猫の首に鈴を、つけに、行けない。猫が大きすぎる。

私に関して言えば、個人としてできること・・メールとか。それ以外には、ああだこうだとブログの中でわめいている、それしか出来ない。

それらしい雑誌やメディアにも、送りつけているものもあります。

でも。己の無力を思い知るだけ。

わかっていて、こうして、書き続けるしかできません。

読んで下さっておられる皆さまに、感謝です。

同感を下さってありがとう、と。


・名も無き花さん

>アイコは本人が天皇になどなりたくはないと思いますよ。

はい。私もそう考える者の一人です。

そうとしか考えようが無いです。

もしも健康な内親王さんでも、あの方と皇統は無関係です。それだけのことなのですが。

おかしな者どもが跋扈しております。

・・・本当に、いずれお沙汰の下りる日を待っております。

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やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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