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日本でいちばん美しい村

こんばんは。今日二度目です。

今日は机の前にいて、このようなものも読みました。

・・・・・・・・・・・・・・・

福島県飯館村の酪農家・長谷川 健一さんの講演です。
福島第一原発から約40㎞の飯館村は、風向きにより、放射線量が高くなったことから、村全体が計画的避難区域となりました。長谷川さんは、大多数の住民が避難した今も村に残り、見回りを続けています。

長年、飯館村で酪農を営んできた長谷川さんは、4月末、酪農を「休止」するという苦渋の決断をしました。出荷制限のため、原乳を絞っては捨てざるをえない日々。わが子同然に育ててきた牛に、十分なえさを与えることもできず、次第にやせ細り、結局別れなければならないという現実。

長谷川さんは、飯館村前田地区区長、福島県酪農農業協同組合理事として、住民・酪農家を守るために、その先頭に立って体を張って奮闘されてきました。

SPIIDIの情報を知らせずに住民に無用の被ばくをさせたことに怒りを爆発。
(KUON.注=先日来書いている、斑目・でたらめ氏の話です)

事故直後ジャーナリストを集めてさまざまな情報を集めた。チェルノブイリ、スリーマイル島、劣化ウラン弾等々、20年後の飯館村を予想するために。

御用学者がどんどん村に入り、「大丈夫、心配ない」を連発。

「こんな高い線量の所に人が住むなんて信じられない」と主張する学者もいたが。

村長は、村を守る、村が誘致した企業を守る、ゴーストタウンにしたくないという方針だった。しかし、村人、子どもが被爆しているのだ。命が大事か、村が大事か。

除染と言うが、効果はないと思う。村長はあくまで除染して村を守りたいというが、村を出ていく選択肢も保障しなくてはならない。

長谷川さんの主張は、福島弁も交えながら、本当に「酪農家としての叫び」でした。
将来、福島出身ということで差別を受けないか心配である。
差別のない社会をつくってほしい。そして、この事故を決して風化させてはならないと締めくくられました。

絞った原乳を捨てる日々、わが子同然の牛との無念な別れ、壁に遺書を残して自殺した酪農家、牛舎につながれたまま餓死させられた牛の屍などの映像が次々と映し出されました。

脱原発運動を「センチメンタリズム、ヒステリック」と称している石原東京都知事。
酪農に命をかけて村づくりをしたにもかかわらず、今その生業を絶たれ、日常生活と未来を奪われた人々の悲痛な叫びが届いていないのか?!

長谷川さんは近々「原発にふるさと追われて」と題する著書を発行予定だそうです。

この記事を読み、また、2月18日にNYで講演されたという、飯館村村長であられる菅野典雄さんの話を、偶然のように聞かれた女性がアップされたものを読み・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

菅野氏がステージ上に現れた。
以下↓は、彼の講演内容を、走り書きしたもの。(なので、聞き飛ばしてしまったり、書ききれなかったりした部分があるが、そこはご容赦を!)

『自分が良ければ、他のところ(人)はどうでもよい。
近年、効率やスピード、お金に焦点が当てられ、人と人の間が希薄になってきていると感じていた。
自分の村だけは、もっと住み心地の良いものにしたいと思っていた。
村の十年ライフとして、スローライフというスローガンを掲げたところ、
仕事が遅いのが役所の悪いとこなのに、もっとスローにするつもりか!と怒られた。

戦後、スピードは善いことで、スローは悪のように捉えられる傾向にあった。

スローライフ→までいライフ

『までい』とは、小さい頃、年寄りがよく口にしていた言葉。
*「こんなふうに、真手と書きます」とおっしゃり、この写真と同じ紙を、客席に向かって掲げられた。

 
この真手(まて)が『まで』→『までい』になったのだと思う。

『までい』とは、『真手』という古語が語源で、左右揃ったて、両手の意味。
それが転じて、手間ひま惜しまず、丁寧に、大切に、心をこめて、つつましく、という意味で、現在では、東北地方で使われている放言。
今風に言えば、エコ・もったいない・節約・思いやりの心・人へのやさしさ、というところ。
奥が深く、内容の濃い言葉。

(中略)
 
自分達の地域で、あたたかな、他力本願ではなく、自力で進む力を蓄えていった我々の村は、6000人全員避難している。
3000頭の牛がいた。
全村民、全牛の避難に、二ヵ月を費やした。
1700世帯だったのが、今は2700世帯になってしまった。(KUON。注=ひとけた違う?)
三世帯、四世帯の同居が当たり前だったのが、今はいろいろな事情で、家族が離れて暮らさなければならないからだ。

以前のように働けないこと。学校や仕事のために、一家離散の状態にあること。
それがどれほどすごいストレスになっているか。

日本で最も美しい村に認定されていたのに、今は見る陰も無く、ゴーストタウンそのもの。

除染が始まる。
どうなるかはわからない。
この焦燥と苦しみは、当人でないとわからない。
愚痴を言っても始まらないので、努力を重ねて、村をもう一度、以前のような村に再建したい。

大量生産、消費、破棄を繰り返してきた我々は、お互い様、という環境作りが今こそ必要なのではないか。
私はそれを、小さな村の生き残り策と思っていたが、30年、40年後を見据えた、日本のとるべき思想だと思う。

基準を少し変えただけで、世界はうんと変わる。
スピード、効率、お金が大事。今まではそうだったが、21世紀は、バランスの時代。

『無いものねだり』から『あるもの探し』。

戦後から、日本は立ち上がってきた。

「いい国を作ろう!何度でも!」

原発事故との戦いは、我々だけの問題ではない。
世界中に暮らす人々が、自分のこととして考え、取り組んでいくことが大切。

物を充足する。これは足し算。
物だけではなく、心や命を大切にする。これは引き算。

原発事故は、本当の幸せとは何かを考え直す、天から与えられた日本への試練、あるいはチャンスかもしれない。
古代ギリシャでは、新しく市民になる際、わたし達が引き継いだ時よりも良い世界、美しい世界にして引き渡します、と誓いを立てなければならなかった。

自然の災害の場合、ゼロからスタートして、徐々に元の状態に戻れる。
けれども原発事故の場合は、目に見えない放射性物質の汚染により、マイナス10、いや、どれほどのマイナスかわからない状態になってしまう。
次の世代のために、前を向いて、この災害と向き合い、努力をしていく』

以上が講演内容で、以下はアップされた方の感想です。

村長の講演の後、休憩があった。
ロビーに出て、カウンターに置かれた『までいの力』という本を手にとった。


繋がっていれば、決して負けない。負けない……の先にあるものはなんなんだろう、と思いながら。


すると、どこかのテレビ局の人がすぐ横に立っていて、「インタビューをさせてください」と言ってきた。
すっかり混乱していて、村長の講演の内容を文字にしている時も、何度も何度も声を上げそうになった「放射能と闘わないで!」という言葉が、わたしの頭の中でグルグル回っていた。

こんな時にインタビューなんかされても、ちゃんと答えられるわけがないのに、引き受けてしまった。
案の定、「日本から遠く離れて暮らしてらっしゃるあなたが、飯舘村からやって来た村長さんの講演を聞いて、どう思われましたか?」と聞かれて、
「実際わたしは、飯舘村どころか、東北の地を訪れたこともない人間です。
原発のことも、危険かもしれないと思いながら、けれどもどうしようもないじゃないかと、自分で自分に言い訳をしながら誤摩化してきました。
事故が起こって、東北のことを知り、学び、自然や人々の素晴らしさに触れ、悔しい気持ちでいっぱいです。
毎日、欠かさず、なにがしかの記事や文献を読み、自分なりの方法で学んでもいます。

放射能汚染のこと、原発マフィアのこと、ここまでに至ったシステムについて、わたしは専門家のように知る者ではありません。
けれども……」

飯舘村の方々だけではなく、汚染のひどい地域に今も暮らしておられるすべての方々に、即刻その地から離れて欲しい。
避難して欲しい。
放射能と闘わず、その思いとエネルギーを、新しい地で、『までいの村』の再建に注いで欲しい。
その地を、政府から獲得するために、全力を尽くして欲しい。

村長の、飯舘村の土地への、執着とも思慕ともいえる強い思いを聞いた後に、どうしても言えることではなかった。

なので、言葉を濁していたら余計にわからなくなって、マイクを差し出している女性にとっても、きっと意味不明だろうなあと思いながらしゃべり続けた。


まだ、菅直人氏が総理をしていた頃、こんなニュースがあった。
情報の発信源は当時の内閣官房参与松本健一氏。
彼が、首相との会談直後に行った、記者団への説明で、菅首相が、

「10年住めないのか、20年住めないのかということになってくると、そういう人々を住まわせるようなエコタウンを考えなくてはいけない」ということを言っていた、と発言。
それを時事通信が、首相発言として速報した。

今となっては、この意見が、国民の命を最優先に考えた、最もまともなものだとわたしには思えてならない。
そういう人々を住まわせるようなエコタウン。
狭い国土だと言われるが、それでもきっとあると思う。

もちろん、元の村や町と、全く同じ条件の同じ環境のものなどは無理にしても、
飯舘村のように、すでに村づくりに取り組んできた人々にとっては、その知識やノウハウを生かせる再現の場となるのではないか。

過疎が進んだ農村に嫁いで、13年あまりを過ごした。
農民の、先祖代々受け継いできた土地や仕事に対する思いの強さを、その間ずっと見てきた。

自然とともに生き、自然を敬い、自然に苦しみ、自然に育てられ、この世の中で最も、ダイレクトに、自然に抱かれる人々。
だからこそ、より力強く、より簡潔で、より粘り強い。
その素晴らしい資質を、どうか、放射能の汚染との闘いなどに浪費しないで欲しい。

本を買った。
これが思いやり『までい』ピンポン大会の様子。(KUON=中略部分です)。


この子供達は今、どこでどうしているのだろう。

以前も書かせてもらいましたが、この村長さんは、とても素晴らしい方と思っています。

そして、これをアップされた女性のように、素晴らしさを認めつつも、待てよ、と感情が動きます。

同じように叫びたい。

放射能と闘わないで、と。

そう言いたい。

戦わせないで、と、言いたい。


・・・ネットに、今日、この記事もありました。


福島県民の外部被曝線量の分布

 東京電力福島第一原発の事故による福島県民の外部被曝(ひばく)線量について、県は20日、県民約1万500人のうち原発作業員らを除く一般住民約9750人の最高が事故後4カ月で23.0ミリシーベルトで、20ミリシーベルトを超えた人が2人いたと発表した。年20ミリシーベルトは、政府が決めた帰還、居住の目安になっている。

しつこく何度も書きますが、事故前にはこれは、内部・外部合わせて「してもいい被曝」は、年間1ミリシーベルトだったのです。国際的にも、その量になっています。

最高は47.2ミリシーベルトだったが、行動の記録から原発作業員とみられる。

推計値は、各自が記入した事故後4カ月間の詳細な行動記録を基に、放射線医学総合研究所が開発した独自のソフトを使って計算した。

自然放射線量は含まれない。全県民約200万人を対象に今後30年以上、被曝の健康への影響を見守る「県民健康管理調査」の基礎データになる。

今回、結果が出たのは、空間線量が比較的高く、県民の健康調査で「先行実施地域」に指定された飯舘村と川俣町(山木屋地区)、浪江町の住民約2万9千人のうちの1万468人分。昨年12月に発表された約1730人も含めて分析、公表した。これらの人たちの大半は現在、同地域から避難して生活している。

このうち721人が、原発作業など「放射線業務」に従事した経験があった。

それ以外の9747人の外部被曝線量は、1ミリシーベルト未満が5636人(58%)、1ミリシーベルト台が2081人(21%)、2ミリシーベルト台が825人(8%)など、5ミリシーベルト未満が約95%を占めた。5~10ミリシーベルトは457人(5%)、10~15ミリシーベルト61人(1%)、15ミリシーベルト以上は10人だった。

20歳未満の1693人の61%は1ミリシーベルト未満、最高は18.1ミリシーベルトの男性だった。

一般住民で20ミリシーベルトを超えた2人は、ともに成人女性で、いったん避難したものの、その後、3カ月間以上にわたり空間線量が比較的高く、プルーム(放射性雲)の影響も受けた計画的避難区域に滞在していた。

内閣府の有識者会議「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」は昨年12月、年20ミリシーベルトの被曝は喫煙など他の発がん要因と比べて「低リスク」とする報告書をまとめた。これを受け、政府は、地上から高さ1メートルの放射線量が年20ミリシーベルト未満の地域を「避難指示解除準備区域」とし、住民に段階的に帰還してもらう方針を示している。(林義則、大岩ゆり)

この検査、統計には、あの、例の、山下俊一 ・100ミリでも大丈夫・センセイが、深く関与しておられ、もちろん、この程度では「今のところ」どうちゅうことは無い」と、発言しておられます。

飯館村は、文中にもあったように「日本でいちばん美しい村」と称えられた場所だったのです・・・。

・・・追記。

上記の女性の記事を、さっき必死で読んでコピーさせてもろうたのですが、いま、ソースとして解っておこうと探しても見つかりません。
探して、失礼の無いようさせていただくつもりです。
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  1. 2012.02.21 (火) 10:58
  2. URL
  3. yuuta
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KUONさん おはよう

読者のみなさんおはようございます
えまさん 先日の地震にお声をかけてくださってありがとう
関東人を代表してありがとうを言わせてください

今朝もズシンときましたが大丈夫です
でも感性が慢性化してきたみたいでちょっとやそっとでは動かなくなってきました
ニャンコのゆうたもちょっと顔をあげたくらいで動じません
これはあまりよくない事ですね

KUONさん
街づくりの話を聞きながら KUONさんが紹介してくださった文を読みながら考えています
誰かがやらねばならないことを一番最初にするって 大変なことですね
理解を得られるようになるまでには長い日々と労力が要りますね
苦労して育てたものを目の前で廃棄しなければならない人の気持ちは いかばかりでしょう
お金ではないですものね
その過程に心が入っているからだよね
たかだか家庭菜園で作った貧弱な菜っ葉でさえ捨てるのは悲しいのに

sarahさんが教えてくださった牛さんの話も
捨て去る人がいれば この方々のように助けるかたがいらっしゃる

なんという世の中なんでしょう

今日の一日が元気で過ごせますように
ありゃ、もう半分過ぎようとしてますね
では、また
  1. 2012.02.21 (火) 15:41
  2. URL
  3. ようこ
  4. [ edit ]

kuonさん こんにちは

飯館村の酪農家長谷川さんが講演で
言っておられた
「福島県出身ということで差別を受けないか
心配である」
私も行き着くところはそこが心配です。
これから長年を費やして解決しなければならないことが無限大にあることでしょう。
気が遠くなることでしょう。
私は自分なりに忘れず、風化させず
守る気持ちで福島県を見ていきたいです。

飯館村の村長さん
「までいライフ」をスローガンにと言っていましたね。
「までいに」という言葉、今も私は使っています。
丁寧に、大切に・・・をさして言っていますが
kuonさんの記事を読んで、はじめて語源がわかりました。
これからは「までいに・・・」と言ったとき
飯館村のことを思うでしょう。

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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
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四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

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