今日も元気でいましょうね^^

返事の中までKUONです。

流れのなかに

三笠宮夫妻は、三人の男児〈親王)をもうけられたが、三人ともの逆縁に遭っておられる。

初めは末っ子、次に長男、最後に次男。(申し訳なくも、順序が違っていましたので訂正、お詫びします)。

1990年代から癌とアルコール中毒で入退院を繰り返した長男の寬仁氏は、平成24年(2012年)、66歳で没された。

翌25年の皇室歌会始儀の、三笠宮妃百合子さまの詠草。


    俄かにも雲立ち渡る山なみのをちに光れりつよき稲妻

       にはかにも くもたちわたる やまなみの をちにひかれり つよきいなづま



急激に不穏な真っ黒な雲が立ってきて、山なみの向こうに光るのは、強い稲妻。

初めて目にして驚いたことを覚えている。

胸の内の動揺、それを見せまいとする克己心、プライドも感じさせる激しい一首。90歳を越えた妃殿下の、あれは絶唱であられたか。

この年が、詠草を出された最後となった。

秩父宮妃は松平家、高松宮妃は徳川家からのお輿入れ。一万石の高木子爵家から18歳で嫁ぎ、戦後は実家の父上の自死を受け止められた。経済的困窮の末の、自死と言われる。が、百合子さまには、お子さん5人は、すべての支えだったと推測するのはた易い。

長女は近衛家、次女は裏千家へ嫁ぎ、結婚しなかった次男さんも、特例のような宮家創設・・40歳で・・・

「このたび、宜仁が宮号を」

賜りました、だったか、許されました、だったか、皆さまお揃いのパーティーで、息を弾ませてスピーチされる百合子さまのYOUTUBEを見たが、いま、探し出せなくている、とにかく、お喜び満開の様子だった。

この宜仁さま・・・桂宮は、このパーティの半年後に倒れて、以後、ずっと病身でいらしたのだが。

親を亡くすのは人の常、子を三人見送った胸の内は、など、誰にも想像できないと思われる。

戦争していた時代には、珍しくもない、どこにもあった話でもあろうが。

・・・私感であるが、夫を先立たせるのは、妻にとって、正直、義務のようなものですら、あるのではないか、と。

オトコを、一人で残したら、カワイソウだ。


・・・・・・百合子さまは葬儀の際も、変わらずご立派でいらした。

車椅子の身でいらしたが、妃殿下然とおられた。

喪主代理、というか、弔辞を読まれたりのことは、長男の長女である彬子さんがなさった。

実質「寬仁親王妃」であるままの信子さまは、どんな理由か、三笠宮長老の葬儀に、参列さえしておいででなかった。

日本の家制度はすでに、実質的に崩壊している、などいわれるが、そうでもない、まだまだ、残るところには残っている、というのが、未だに長男のヨメ業を続けているワタシの実感。

友人たちも未だに一部はそう、冠婚葬祭の折りのヨメの立場のしんどさ、順番を守るややこしさ、まだまだ、抜け出られない呪縛はある、と、感じている。葬式にまつわる諸費用は言うまでも無く自分たちで、という庶民の世界でも、たとえ地味葬になろうとも、こういうことだけは「今風」にはなっていない。


記事の初めの方に、百合子妃殿下の詠草一首をご紹介したが、以下は、最愛の「おとうま」を亡くされて後の、彬子「女王」のモノされた手記。

去年、平成27年、2015年6月のものです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

寬仁親王殿下薨去から3年「父からの最高の宝物──三笠宮家との絆」

月刊誌「文藝春秋」(15年7月号)

この6月6日で父の死から3年を迎える。私にとって父の死は、覚悟していたようで、まったくできていないものだった。正直言えば、未だ失ったもののあまりの大きさに戸惑いを覚えているほどだ。でも、父は最後に私たち姉妹に最高の宝物をくださった。それが今の私たちを支え、力を与えてくれている。その宝物、三笠宮家との絆を、父亡き今、大切に育んでいくことが残された私たちの定めと思っている。 

父を亡くし、母は病気療養中でご不在という状況で取り残された私たちに、手を差し伸べてくださったのは、三笠宮家の方々だった。ちょうど3年前の今頃のこと。父を失った悲しみに浸ることもできないほど毎日さまざまな儀式があり、右も左もわからない状態で、ひっきりなしに来られる御弔問のお客様に対応をしていた寬仁親王邸では、当然のことながら些細な失敗が繰り返されていた。それをどうするかの判断に追われ、本当に訳がわからなくなってしまった私は、恥ずかしながら一切の思考がストップしてしまい、廊下で立ち尽くしてしまっていた。そんな私に「しっかり!」と声をかけ、お客樣方へのお茶の準備の指示をしてくださったのが、父の姉である近衞の伯母だった。また、父の妹である千の叔母も、自ら伯母と共にお茶出しをしてくださった。そのおかげで寬仁親王邸は無事その日の行事を終えることができた。その時ほど親族のあたたかさを感じたことはなかった。

三笠宮家の長男として生まれた父は、将来三笠宮家を継ぐことになることから、宮号を賜らず、寬仁親王家当主として独立した生計を立てていた。本来であれば長男として、三笠宮家を支える立場であったはずの寬仁親王家だが、雑誌などに報道されたように、長い間三笠宮家の中で孤立した存在であった。その大きな要因が長年にわたる父と母の確執であった。私も妹も特別なお祝い事などを除いては、御本邸を訪ねることもほとんどなく、どことなくぎくしゃくとした雰囲気もあって、三笠宮家の方々と深く親交を結ぶことができなかったように思う。

そんな家族の状況にも関わらず、父亡き後、葬儀のことだけでなく、私たち姉妹を様々な場面で面倒を見てくださったのが、祖父母や高円宮妃殿下を始めとする三笠宮家の方々であった。最近では皇室のしきたりなど、わからないことがあると、すぐに御本邸の祖父母を訪ねてご相談をさせていただいている。そんなとき、祖父母の口から語られる父や叔父、叔母たちの他愛もない思い出話は、かつての三笠宮家の姿をよみがえらせるものであり、私の知ることのできなかった父の姿を垣間見る本当に貴重な物語だ。

三笠宮家の方々以外にも、父の死に際して様々な方からお力添えをいただいた。天皇皇后両陛下から賜ったあたたかいお言葉は、どれだけ感謝を尽くしても尽くしきれないほどの大きな心の支えとなった。皇太子同妃両殿下、皇族殿下方から日々いただくお心遣いがどれほどありがたかったことだろう。また、斂葬の儀を始めとする一連の葬儀にあたっては、宮内庁職員、宮家職員、皇宮警察、警視庁の皆が真摯に、それぞれの役割を超えて「殿下のために」と準備をしてくれた。皆の気持ちに頭が下がる思いでいる。

(写真・略)

父の死という悲しいきっかけであったが、三笠宮家と深く絆を結んだ今だからこそ、痛切に感じることがある。それは、いかに長い間祖父母や叔母たちが私たち寬仁親王家のことを気にされ、心配してくださっていたかということだ。そのあたたかいお気持ちを最近まで知るすべがなく、今のような親交を持つことができなかった自分自身に歯痒ささえ覚えている。

母が病気のご療養ということで寬仁親王家を出られて以来、私は10年以上母ときちんと話をすることができていない。再三母に話し合いをしたい旨をお伝えしてきたが、その都度代理人を通じて拒否の旨が伝えられるだけであった。

体調が回復され、ご公務に復帰される母に望むことが二つだけある。一つは心配をおかけした三笠宮同妃両殿下にお目にかかり、公務復帰のご報告と無沙汰のお詫びをしていただきたい。そして私たち皇族を支えてくださっている国民の皆様に公務復帰のご報告をしていただきたい。それ以上のことをこれからも私が望むことはないだろう。

今、私は日本の伝統文化を子どもたちに伝えることを目的に設立した、心游舎という団体で活動をしている。父はよく、「皇族というものは、国民の中に自ら入って行って、彼らが望むことをするのが仕事だ」とおっしゃっていた。父にとってのそれは、社会福祉であり、スポーツ振興であり、青少年育成であったと思う。私には父ほどの力もないし、知識も乏しいので、父と全く同じことをすることはできない。ただ、父がこれらの活動に情熱を傾けられたように、私は日本の伝統文化を次の世代に伝えること、日本の伝統文化が生き続ける土壌を耕すことに自身をかけたいと思っている。そして、そのことが、本当の意味で「父の仕事を受け継ぐ」ことではないかと感じはじめている。亡くなられた今では確かめることはできないけれど、父はいつものように「にやり」と肯定の笑みを浮かべてくださるのではないかと思っている。

父が薨去され、寬仁親王家は三笠宮家に合流することとなった。ありがたいことに祖父母は私と妹に「私たちが責任者になったのだから何でも相談してちょうだい」と仰ってくださる。この言葉はあたたかい毛布のように、私たちをふんわりと包んでくれている。

(写真・略)

父の死から三年ということで、さまざまな媒体から取材のお話をいただいた。こちらへの寄稿と同じように月刊誌からも原稿の依頼を受け、自分の今の状況を整理する意味もあって手記を寄せた。その手記につけたかったタイトルが「父からの最高の宝物」であった。残念ながら月刊誌の手記のタイトルは私が見ることもできず、編集部の方がつけられたようだが、私にとって三笠宮家との絆が、この3年間で得た何よりも大切な財産である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上。賢いお嬢さんであることは、わかる。

この長女さんを、ものすごく自慢していた「おとうま」の寬仁氏は、皇族の誇りを忘れることの無い方だった。

>2001年(平成13年)12月におこなわれた長女彬子女王の成人に伴う記者会見において全国紙が彬子女王を「三笠宮寛仁さまの長女彬子さま」と記載したことに関し、寬仁親王は自身が総裁を務める日本職業スキー教師協会の広報誌の「総裁コラム」において、「私は、『三笠宮』(父の宮号)では無く、『寛仁親王』であり、彬子は身位が『女王』で、敬称は『殿下』でなければなりません。従って正しくは、『寛仁親王殿下の第一女子彬子女王殿下には……』となるべき」と記した[14]。また、柏朋会の会報『ざ・とど』でも冗談を交えつつ、「『三笠宮寛仁親王』でなく『寛仁親王』が正しい」と書いている。

おとうまも、お姫さん(彬子さんが、京都での周囲の住人達から呼ばれていると記す呼称)も、皇族とはこういうもの、の一面に、どっぷりと染まり切り、それを体現しようと生きる方々なのだろう。

こういう人々が「存在していた」のは、まぎれの無い事実で・・・でも、こういうの、もう、要らない、わたしは。

この父子は、

気持ちとしては

「皇族なのに、こんなに気さく」

「皇族だけど溶け込んであげましょう」

「皇族ですけど、ぶらないのが我が家流」

このあたりの価値観を一にして、それなりにつとめておられるのだろうとは、思う。

今の世にも時代にも、宮さまと仲良くしてるのよ、宮さまが後援して下さるのよ、みたいなことが、大好きで嬉しいヒトも、どっさり、おられるのだとも思う。それを、どうこう思わない、私には関係ないことに、目くじら立てる暇を持っていない。

ただ。

皇室の方々に、小さく求めることは、私の場合、エラそうな言い方になるが、三笠宮家流ではない。

気品に溢れて、さりげない。

慎み深くおられながら、匂いたつ特別な方々の感じ、さすが、皇族でいらっしゃる、という・・・

秋篠宮家のご一家に感じる「さすが皇族」感が、私の、唯一のそういう感じだと、ますます思いは深い。

三笠宮の皆皆さんは、自然に、絶えて行く流れの中におられるのは事実だから、もう、気にすることはやめよう。

お気持ちのままに「皇族のワタシ」を貫かれるのか、それはいつまでなのか、今は、語ることでもない気がする。


百合子さまは、ある意味での「最後の妃殿下」かなとも思ったが。

心身ともに、いまは、お楽にいらっしゃるといいのになあ、と、これも自然な感情です。


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こんな「モドキ」も要らない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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弥栄
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コメント

No title

彬子さんの手記を読んだ時、すごい違和感がありました。
姉妹そろって、ファザコンで階級意識が高いなあと・・・
母親を下に見ているんですよね。
信子妃は寬仁殿下が望んで来ていただいた方なのに・・(結婚後、思ったほどお金持っていなかったとこぼしたそううな)
高貴な割には・・・・?

三笠宮家の中で孤立してたのは、両親の不仲が原因って、母親のせいって言っているようなものですよね。
寬仁親王家の当主になるべき信子妃をはずして、三笠宮に合流しても信子妃に支払われる筈の皇族費も渡していない(月にたった十万円だけ)
女王二人の皇族費だけでは暮らせないからかしら・・
だったら、おばあ様といっしょに暮せばいいのでは?
本来なら、麻生家がよい嫁ぎ先を紹介して貰えそうですが、母親をぞんざいに扱い、気位が高くあの容姿で、ただ皇族というだけでは麻生家も関わりたくないでしょうね。

No title

寛仁親王は、皇族を辞めたいと言われた親王でしたね。それなのに最後まで皇族をやめられませんでした。信子妃殿下がお気の毒でなりません。本当にこんな娘要らない状態ですね。二人の娘さんも、御婆様がお亡くなりになったときにお母さまの御気持ちがお分かりになるのでしょうか?

順番が違いますわっ

最後は次男=桂宮様です。

木枯らし一号も吹きまして

街は冬景色に変わりつつありますが、風邪などひかれずお過ごしくださいませ。

Kuonさま、お忙しい中でご更新ありがとうございます。

長男嫁と姑が揃っての指差し画像を見て思うのですが、ド庶民の私でさえ親から「物はもちろんましてや人を指差してはいけない。方向を教える必要がある場合は、手のひらを差し出して『あちら、そちら』と丁寧に知らせなきゃ失礼にあたる」と、小学校低学年できつく言われました。
私はそれが当然のことと思い大人になっておりますが、この長男嫁と姑はおエライので指差ししても構わないんでしょうね。失礼とかいう概念が備わっていません。

ずっと前に見た韓国ドラマで、財閥の坊っちゃんが「自分は何をしても人に謝る必要はない、悪いのはすべて他の人、お金で解決できないことはないし」と言い放つシーンがありましたが、まさにこの感覚の染み付いた人達なんですよね。
あの人達の常識が非常識なのは言うまでもないですが、とにかく下品。そのひとことにつきます。品がなさすぎて見せられる我々の方が、情けなくて恥ずかしい思いをしなければいけない理不尽。
本当にもう人前に出て欲しくないです。

数奇な運命

百合子妃殿下のおうたを拝見させていただきました。

この方は、『死』に魅入られた方なのでしょうね。
御自身に、慶事あれば、身の回りのひとが、亡くなって行く。
しかも、最悪の形で。
御父君の自殺。三人の息子さんの逆縁。
残った子女は、世間的に、評判芳しからず。
お孫さんは、全て女子。
しかも縁遠そう。
お一人は、間も無く?離縁か?

生涯の贅沢な生活の代償。
高いのか、安いのか?

兄嫁達は、家格が、違う。
皇族の良子皇后は、別にしても、あとのお二人は、大藩で華族。
御自身は、かろうじて?華族。
それでも、多産。
二人の妃には、出来ぬことを、いとも簡単に果たしてしまったと言う…。

数奇な運命なのでしょうね。

たぶん、百合子妃は、全てを受け入れる事が、出来たひとなのかも知れません。
だから、あれ程、静かに、皇族の威厳を保っておられるのでしょう。
この方の醜聞は、聞こえてきません(私が、知らないだけかもしれませんが)。

百合子妃と桂宮殿下が、世俗的な三笠系のなかで、真の皇族だったのかも知れません。過去形になってしまいましたが、そう近くない未来に、百合子妃も、現世の苦痛から、解放されることでしょう。

ご長男のお嫁さんの信子妃は、皇室よりも、政治家のお家に嫁がれた方が良かったのかもしれません。
元々、政治家の家系ですし。
ファーストレディの方が似合っているような気もします。

彬子女王については、残念です。
容色に恵まれていれば、才色兼備の皇族として、秋篠宮家のお姫様方に比肩出来たか

御自身を鑑み、お祖母様の百合子妃のように、控えめに、身を御慎みいただけていたなら、好感度もあがったのではないでしょうか?
オックスフォードに国費留学しても、落第するひとが、皇太子妃では、頭の良さでは、皇室の生え抜きで、御自身の方が優れている彬子女王としては、やってられないかもしれません。

戯言にて、失礼致しました。









こんにちは。

今朝の新聞に、三笠宮妃の百合子さまが独立した生計を営む「親王妃」、「当主」として認定、いままで三笠宮に支払われていたと同じ定額の

3050万円が、皇族費として、毎年、支払われるようになりました、と。年間3050万円は、どんな感じですかね。足りないでしょうね、自分たちでは炊事も掃除も洗濯もされない方々ですから。足りようが無い。

今は知人交流の無い知人の娘さんがかつて、T宮家に、行儀見習い、みたいな形であがっていました、ヒデンカはさばさばした方だったらしいです。家の方から、娘に必要なお金は出していました。妃殿下のご病気の都合で戻って来て、当時は、どこか違う、ぴかぴかのかぐや姫みたいな空気をまとっていたのは、本当です。宮家ってすごいインパクトなのねと、実感した記憶があります。

段々ぴかぴかは薄れて行って(母親がガサツな人で(笑))いまは、普通に結婚して、普通の人です。

久子さんのところで以前、お手伝いさん募集していて、びっくりしたこともありました。秘密も多いだろうに、と(笑)。

上記のお金は「宮家」に支払われる分で、彬子さんなど女王さんがたには、別口で、一人一人、何百万円ですか、払われます。

信子さまもお金を受け取るが可能のお立場。

いま云われるように(・・・)月額10万円を、ということは、あり得ないでしょうね。

皇族はお金のことなど、と、つい、思ってしまいがちですが。

金など「きたない」ものみたいな顔をなさりつつ、内実では、足りない足りない、の状態、が、事実でしょう。お金は無いしプライドは高いし。

久子さんみたいに皇族利権を活用してアルバイトに励まないと、あるいは、降嫁した娘さん方にお金を運んでもらわないと・・ああ、こんなことも、流れの都合で、書いてしまいました~。



・まりりん さん


階級意識。これが、三笠の人の特徴のようです。寬仁氏が、そのかたまりでした。

いい方向に向いていた面もある、女系天皇には反対の立場を守っておられたし。(まあ、竹田さんのように臣籍降下されたお家でも、その時に、いずれ皇位の継承にからんでくる可能性があるので、身を慎むようにお達しがあって)。寬仁氏は、皇太子に、長い、他の方には書けない手紙を送られたのも判っています。

階級意識があるからこそ、次代らしい考えを、と、促されたのでしょう、それは御立派と思います、ナルは、返事を書かなかったようですが(笑)。雅子さんに関わることで、ですね。

それと、あの方の個性として、ご自身の癌、手術、時々の現状について、おおらかに発言なさっていたのも、評価される方は多かったと思われます。

>三笠宮家の中で孤立してたのは、両親の不仲が原因って、母親のせいって言っているようなものですよね。

こういうのは、見苦しいですね。お姫さんのなさることとは思いにくいです(笑)。

世の中をご存じないのは、お姫さんだから仕方ないのでしょうし、私があれこれ書くと

「そういう人たちだから仕方ない、言う方がおかしい」

とのご指摘をいただいたりもします。

私も、そうも、思う。でもしつこく書いているのは、やっぱり「公」という方に、考えが行ってしまうから、でしょうか。

別に、みんな、好きなように楽しく生きてりゃいいじゃ~~ん、とは、思いきれない域に対して・・

おばさまがた、フラチな母親に構われない「姪っ子」に、よくしてさしあげて、まあご勝手に、ですが、いろんなお家との交流も、お持ちでしょうにね、と、〇〇ハラスメントなことを考えもする、くおんです。

東久邇成子さまが残して逝かれたお嬢さんも、結婚してすぐに、離婚された方もおあり、難しいでしょうね、女王さまをツマにするなんてこと。

はい、大きなお世話、失礼いたしました。

おとうまは二人のむすめさんに


「いい女になれ」

「自由に生きろ」

と仰っておられたが・・いい女、はともかく。

女王さまのままで、自由に生きろって・・迷惑なおとうまだった気もします。自由に生きるには、自立していなくてはね。くおんの考えですが。

長くなりました、ごめんなさい。

・彩さん

寬仁氏の娘自慢は、すごいものでした。

竹田さん(例の)、どっちか持って行け、とか言ってた。それを、親しさの顕れに思わせたかった方で、お若い頃は「ベストドレッサー」に選ばれたり。英国風紳士を装っておられました、でも、英国紳士を貫くには、自由に出来るお金が少なかったのです。ツマの実家なんぞはこの自分に、何ぼでも、使ってくれと包んで来てもいいもんだの考えでしたね。

その父親を、誰よりも慕うお嬢ちゃん、長女さんにはいっとき、それらしい方もおられたようですが・・明るい賢いお姫さん、女王さん、男の方は滅私奉公の気持ちでないとね、と、意地悪な気持ちになってしまいます。

おばあさまがいざ、でも、お変わりにはならない気がします。二人とも、国民のお荷物になられます。今でこそ、女王さんがたの「公務」「公的活動」も存在しますが。信子さまのお気持ちなどわかりようがないですが、どっしりと、一人を受け入れて行かれるのだと思います。覚悟はおありでしょう。あのMさんたちとは、違いますでしょう。

・doublewai08さん

スペル、間違ってません?(笑)。

教えていただき、どうも有難うございました。失礼いたしました。

最後にご次男を亡くされて。お二人とも車椅子で、いたいたしいお姿でいらっしゃいましたね・・・。


・きく・かおる さん

美しい季節になりましたね。

わが家からゆるい坂道をおりて行くと、正面に公園があり、そこの紅葉がいま、すばらしいです。バス停に行くべきを、しばしベンチにかけて、紅葉や黄葉を眺め、風を感じ、バスを一本遅らせるようなこともあります。1時間に一本の駅行きのバスを(笑)。

>韓国ドラマで、財閥の坊っちゃんが「自分は何をしても人に謝る必要はない、悪いのはすべて他の人、お金で解決できないことはないし」と
>言い放つシーンがありましたが、まさにこの感覚の染み付いた人達なんですよね。

そうとしか思えなくなりました。また、目つきが、何というか。

お金で済むことは沢山あり、お金が無いと苦しいことがいっぱいあるし、お金は便利ですし私も大好きです、でも、お金を「神」にする神経は、無いわ、と、自分で思っています。

その人の一番イタいところへ、ブーメランは戻ってくる。たとえば子どもに来たら、人は痛いか、ミテコさんは、痛くない人のようですね。まさこは論外。

おそろしいことと思います。


・よみびとしらず さん

いつも力作をお寄せ下さいまして。

いろいろな考え方がありますね。。

ただ。百合子さまには、この人生しか無かった、という、一事だけが真実なのでは。

皆さま一同に会しての三笠宮一族の集合写真、あの当時は、とか。

いま、唯一嫁いで行った孫娘も、あんな沈んだ顔で一人で、祖父の葬儀に連なっている。

もう、感情を鈍麻させておられるのではないか、と思うばかりです。









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