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返事の中までKUONです。

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悲しくてやりきれない

追記・・・二号機の温度計は壊れているようです。

膨大に長い引用になりますが、文章は読みやすく、内容はまことにうなずけるものです。
よろしければ、ぜひ、読んでいただければ。

引用文の他にも「蒼いロバのブログ」ですぐに探し出せるそこに、アメリカの写真家の撮られたチェルノブイリの事故後の写真の一部が紹介されています。
URLというものを、そのまま飛んでもらえるように貼ることが、私にはうまくできません。

以前に見た写真も含め、胸の潰れる現実が映し出されています。
放射能が人体に引き起こす災いは、いつかなんとなく来るかも知れない「がんの宣告」というのみに留まりません。
こんなことにも、なってしまうのです。
こんなことに。よその国の、過去の事故などではありません。
以下が蒼いロバ」さんの渾身のブログ内容です。最後にまた、青い文字で少し、私の思いをつづらせてもらっています。。


『チェルノブイリの後遺症』Chernobyl Legacy
↓↓↓
http://www.paulfuscophoto.com/#mi=2&pt=1&pi=10000&s=0&p=1&a=0&at=0


チェルノブイリ事故後、ベラルーシやウクライナでは、この写真に写っている子供達のような奇形児が沢山産まれた。
今でも女性が妊娠すると、エコーで細かく胎児を観察する。
少しでも奇形の疑いがありそうな場合は、医師が堕胎を勧めるのです。
そして、奇形や障害を持った子供の割合は、25年経った今でも減少していないのです。

福島の高汚染地域に残された子供達や出産をする女性の事を考えると、本当に胸が痛みます。



こんな「絆」はいらない ~福島に漂う「逃げる」ことを許されない空気~

福島県川内村の遠藤雄幸村長が1月31日に行った「帰村宣言」には違和感を覚えざるをえない。

 2011年3月11日の東京電力福島第一原子力発電所の事故によって、川内村は「緊急時避難準備区域」に指定され、村民のほとんどは福島県内外に逃れた。その村民の帰村を促すのが宣言の目的であり、4月1日には村役場のほか、保育園や小学校、中学校、そして診療所も再開させるという。

 遠藤村長の帰村宣言には、村人も複雑な心境を隠せない。放射能被害への懸念が消えたわけではないため、宣言直後のマスコミ取材に対し「帰村しない」と答える小さい子どもを抱える親たちの姿が印象的だった。

 村民の不安が消えていないことを遠藤村長も自覚してか、宣言するにあたっては、「帰村しない人の意思も尊重する」とも述べている。ただし、「除染しながら2年後、3年後に村民がわが家に戻れるようにしたい」とも続けて語っている。帰村を大前提にしていることは明らかだ。


「一時的でも避難すれば戻ってこられなくなる」

この帰村宣言は、村民にとって帰村という「重し」をつけられたようなものではないだろうか。

 原発事故が発生した直後、東京に本社を置くある大手企業は、福島県の事業所の従業員と家族を東京に避難させる処置を取った。事業所のある地域が避難区域に指定されたわけではなかったが、放射能に対する懸念が強く、そこで本社が決断したのだ。

 ところが、対象となった従業員とその家族の半分も避難しなかった。その企業の社員が語った。

 「避難したくなかったわけじゃないんです。強い不安がありましたから、できるなら避難したかった。しかし、避難できなかった」

 その理由を、社員は続けて説明した。

 「住んでいる場所が避難区域に指定されたわけではないので、大半の住民がそのまま残っていました。そうした中で自分たちだけ避難すれば、周りから白い目で見られかねない。ある女性社員は、『一時的でも避難すれば戻ってこられなくなる、と親が心配しているので避難できません』と言っていました」

 地域には、「仲間意識」がある。もちろん、良い意味での仲間意識もあるが、そうでない仲間意識も存在する。

 皆が避難できない中で、自分だけ避難することは仲間に背を向けることになる。裏切りであり、それを許さない雰囲気があるという。許されない立場に身を置きたくないがために、「避難したい」と思っていても避難できなかったのだ。


再会した友だちに「ごめん」と謝る子ども

 そうした雰囲気は福島県全体にあるような気がする。福島で取材していると、「逃げる」という表現をよく耳にする。「うちの近所にも逃げた人はいたよ」とか「逃げたいけど先立つもの(カネ)がないからね」といった具合だ。

 「逃げる」が「避難する」という意味に使われているのだ。それは「放射能から逃げる」という意味でもあるのだろうが、多分に「仲間をおいて逃げる」というニュアンスを含んで使われているように感じた。

 大人だけではない。子どもの社会でも「逃げる」という表現が使われている。小学生の子どもを持つ父親が語った。

 「一時避難していて学校に戻ってきた子どもが、まず友だちに言うのが『ごめん』なんだそうです。避難していた子を『あいつは逃げた』と、うちの子も普通に言います」

 露骨なイジメがあるわけではない。「逃げた」と言う方も、あからさまな敵意があって言うわけでもない。

 しかし、そこに「陰湿な空気」を感じないわけにはいかない。それがあるからこそ、戻ってきた子どもがまず口にするのが「ごめん」なのだ。

 「友だちを残して自分だけ逃げてきた、という気持ちを子どもは持っています。それに苦しんでいます。だから、『帰りたい』と何度も何度も言うんです」。子どもを避難させて、自らは福島に残っている父親はそう言った。避難した子どもも、避難した先で「ごめん」という気持ちに苦しんでいるのだ。

 こんな空気があれば、大人も子どもも簡単に「逃げる」ことなどできるはずがない。放射能の影響に不安を抱きながらも留まることを選択せざるをえないのだ。

 川内村の帰村宣言も、「村人は帰村すべきだ」と言っているにほかならない。そこには「村人は帰ってくるべし」という姿勢が貫かれている。それで帰る村人が出てくれば、帰ることをためらっている村人を「逃げた」と見る空気が大きくなっていくに違いない。それは、村人にとって大きな負担としてのしかかってくることになるだろう。


除染をしても不安は取り除けない

 不安がなければ、逃げることを選ぶ村民はいないはずだ。逃げた、と重くのしかかる空気も生まれないに違いない。そういう空気が生まれるのは、大きな不安があるからだ。

 その不安を払拭すべく川内村をはじめとする行政が強調するのが「除染」である。2012年1月1日、「放射性物質汚染対処特別措置法」(除染特措法)が施行された。これによって福島第一原発から半径20キロ以内の立ち入り禁止区域は国が作業を行い、それ以外の福島県内については各自治体が作業を行い、予算は国が負担する形で除染作業が行われることになった。

 川内村でも、4月に再開を予定している保育園や小学校、中学校に通う子どもたちがいる家については3月末までに除染作業を終える、と発表している。除染によって家もきれいになるから帰ってこい、というわけだ。

 しかし、その除染作業を全面的に信用していいのかどうか、はなはだ疑問なのだ。すでに福島市では除染作業を始めているが、市役所の担当職員は次のように語った。

 「原発事故後には強い雨が何度も降りましたが、それでも屋根瓦に残っている放射性物質は、除染作業の中心となる高圧水洗浄でもきれいにすることは難しい。さらに、山とか周囲から雨などで流されてもきますから、1度の作業できれいになるとは言いにくい。同じところを何回もやらなければならないと考えています」

 一度、除染作業をやったからといって、それで安心と言える状況ではないのだ。川内村村長は、除染をやるから帰れという意味合いのことは言うが、その除染の限界性までは言及していない。

 帰れという姿勢だけが先行し、それに邪魔になることからは目を背けていることになる。そして、逃げることに後ろめたさを感じて、村人は帰っていかざるをえなくなるのだろうか。


「絆」の強調がつくり出した空気

放射線の影響については、意見がまっぷたつに分かれているのが現状だ。どちらの側も、その主張を客観的に、そして科学的に立証できていないのは事実だ。

 そうであれば、現在の状況では、不安が残る場所へ帰るべきかどうかは村人個人の判断に任せるしかない。福島県民が県内に残るかどうかの判断も、同じく個人に任せるべきである。「帰る」や「帰らない」だけでなく、「逃げる」についてもサポートすべきだ。現状は「逃げる」について行政の対応は冷たい。これでは、どうしても不公平である。

 それには、「逃げた」という言葉が使われるような空気をなくす努力こそが先決だろうと思われる。安心というイメージだけを強調し、それに反することは「風評」として批判する姿勢は改められなければならない。

 原発事故以来、「絆」が最重要視されるようになった。言うまでもなく、絆は重要なポイントである。しかし一方で、絆の強調は「逃げる」ことを許さない空気をつくり出してしまっているのではないか。

 そうした絆のために、不安を抱えながらも留まっている人がいるとすれば、それはマイナスでしかない。絆がマイナスに作用している現実も、わたしたちは目を背けず、直視すべきではないだろうか。

「ジャパン・ビジネス・プレス」より

--------------------------------------------------------------------------------

「絆」とは人にとって非常にパーソナルなものではないだろうか。
自治体や村という体制から押しつけられるのは「絆」と呼ばない。

「皆ここで頑張っているのに、逃げたヤツは非国民だ!」という発想ならば、日本人は戦争、敗戦で何も学んでいない民族と言わざるを得ない。


■春先からセシウムの花粉が飛びます。乳幼児は大人の6~10倍放射線のリスクがあります。


上記の川内村(20キロ圏にあたります)では、先日、つかまえて集めたミミズ、1キログラムから、20000ベクレルの放射性セシウムが確認されています。
先日も書きました。
20000ベクレルとは、放射腺管理区域に指定されなければならないほどの高線量と聞きます。

かつての「稲わらを食べた牛」問題のように、ここで、とにかくミミズだけが「やられて」いる訳が無いのです。

あまり言われていませんが、放射能を浴びたものは、何でも、それ自体が「放射性物質」になるのです。

ミミズも。枯葉も。手袋も。何もかも。

川内村だけではない、近隣の飯舘村の、ほんとうに真剣な村長さんも、村人の「帰村」を、強く強く願っておられ、力を尽くしておられる。

頭の下がる、というしか無いご尽力振りなのでしょう、人としては立派、に尽きる姿勢であられると思います。

しかし、それと、村の政治家としての、村長であるということは、悲しいことに違う・・・気が、ずっと、続いています。

断腸の思いでされねばならない決断が、あるのでは・・・と、私ごときが、これ以上触れることは避けるべきでしょう・・・か。ともかく。

帰したい、帰りたい、と、帰れる、帰ろう、が、一致しない現実。

また、昨日のニュースに「震災11カ月 知的障害者ら福島へ」

とあります。

集団で千葉県へ避難しておられた37名の方々が、福島へ帰郷される。
はじめ300名おられたのが、順次戻られて、この37名が最後だとか。

川内村と隣接する田村市、というところの、仮設施設に入られる。

「元いた施設のように障害者に配慮されているかわからず、職員さんは、入ってみないとわからない、と、不安を口に」されるそうです。

なんとか、馴染んでゆかれますように、と思うしか無く、20000ベクレルの問題は、このまま放置されるのかしらと。

・・・今朝、10時には91,2度。11時には93,7度。二号機の水温は、そう、発表されています。

温度計が「壊れて」いるらしいです。

よっしゃ、と、取替えも出来ないんだと思う。先日の小型カメラ入れた時も、つまり決死隊の方々がされて、炉内どころか水の位置さえ確認できなくて。ものすごい湿度で。

温度計が壊れた、のならいいのですが、ホウ酸を沢山入れているのは、もしかして、の臨界を怖れてのこと。

ホウ酸は、なかの機械を傷めやすくする、とも・・・。

以前もびっくりさせられたキセノン、という物質が、今現在出ていない、ということが、本当に本当なら、温度計壊れた説が有力、でも、取り替えられないなら、この先、計るすべが無くなるのか・・・

注水量を増やして、必死で冷やしているので、汚染水も膨大に出ますね。

本当に、本当に、不安です。


yuutaさん。いいね~小樽近くの温泉ですか~。

ゆっくり、あったまって下さいね。。小樽も、忘れられない町のひとつです。

インフルエンザの大流行、基礎体力や免疫力の低下にもよる、としたら、大変ですね。

なんか、不穏なものを感じる・・・けど、空気吸って、水や食べ物を頂いて、行かねばならんですものね。

大気中の値ばかり発表しているけど、ものみな、高きから低きへ流れる。水や大地に、へばりついていますね、セシウムのやつは。

姪御さん、炎症反応が下がって来られたのは安心ですね。

ぐだぐだ泣き虫だったって・・・。不安なんです、きっと。うんとうんと、甘えさせてあげたらいいんでないかい、と、思います。再び立ち上がったら、がっはっは~と、豪快にまた、命ってくれるでしょう(いま思いついた。ヘンな言葉?)。

sarahさ~ん。

ネガでいいではないですか~。

私がネガな時は、誰かが助けてくれる。

srahさんネガなら、言葉にこそ、ここでならなくても、誰かの思いや気持ちが、同感や、励ましや、一緒に泣き笑い~どはははは~とかいう感じで、形に見えないものとして、でも確かに動いているのだと信じます。

そうなんだと、今、ほんとに、思っておりますのです。

青い空が悲しいのは・・・ほんとに、そうですね。

せんちになりましょか、ご一緒に。



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  1. 2012.02.13 (月) 22:48
  2. URL
  3. 山イチゴ
  4. [ edit ]

お姉さん昨日はるばる来てくれてありがとうございました
バタバタして、天気良すぎて暑くてね…
春の穏やかな時期は昨日のように波も風も静かでキラキラと…。
普段は天気でも風強く波荒い日が多く
海を見ることもないけれど、お姉さんが来てくれて見れました。
今日は、朝から雨で寒いです~!
お土産の肉まん子供達大喜びで食べた。
詰め合わせは母と祖母に供え、今日皆でね…。
カン夫は今日も肉まんを美味しいと食べたよ
いろんな事話せて、カラオケ何年ぶりかなぁ?私歌ったの…。
一緒に歌ってくれてありがとう
幸せホルモンがたくさん出たから夜の薬飲まず済んだ

今日のブログは悲しくて、辛過ぎてどう文章にしていいのかわかりません。
「逃げるんか!」「ごめんね」遠い日、養護学校で毎年3月に繰り返されてた光景がフラッシュバックします。
中学から高校になる時、寮から通学へ!養護から普通高校へ大きな転機がある。
地元へ帰りたい、普通学校へ行きたい。(高校まで居ると外へが怖くなるが。卒業嫌でも無理)様々な事情と想いが絡まる。
でも、これは特殊な事…と思ってた。
今は、支援学校も増え、地域の学校へ通える子も多い。次男の中学参観日に障害のある生徒を何人か見かける。少子化もあり廃寮も多いと聞く。
障害児は私達ような想いをせずに済む時代になるかなと…。
でも今、原発が原因の悲惨な現実で苦しむ人達がたくさんいる。
その中に、施設から避難しまた安全でない地域の施設へ何も知らないで移動させられる障害者。
慣れる事にとても時間が必要なのに…。ストレスで体調不良になる!!
元々の施設へ帰れないなら避難した所で!
行ってみないとわからん場所などやめてくださいとしか言えない。
  1. 2012.02.14 (火) 10:25
  2. URL
  3. えま
  4. [ edit ]

kuonさん こんにちわ

12日は壇ノ浦をまたぎ九州にこられたのですね。
簡単だったでしょう?(笑)
本州も九州もあんまり変わらない
東北の親類や関東の弟達は
九州に憧れと畏怖の念を同時に抱いているのです。
未知の世界と感じているみたい。
なにも変わらないのですが。
微妙に海の色が違う気がするけれど
九州も日本海、太平洋、有明海、東シナ海といくつもの海にかこまれているからそれぞれ味わいがあって
海の色は本当に素晴らしいです。

下関に中原中也の記念館があるのを知らなかった・・・行ってみたいです。
山イチゴさん
kuonさんと楽しいひと時
本当によかったですね~。
今頃どうしてるかなあ~~と仕事も集中できず(笑)
最近時間のなさにホトホト疲れ気味
人生の見直しをしに私も旅にでようかな~~。
旅っていいですよね。

さて、東電、温度計が壊れているって発表ですが
旦那と、
『なんか信じれん!!』
『もしかして下がっている温度計が壊れてんじゃないの?』
もしそうだったら恐ろしい事ですから簡単に口に出せる話じゃないのですが、
壊れているようだと、ようだ、ようだってどういうつもりで言ってるのか?

ホントに壊れているのか確認して欲しい!!
本当にそうなのか、お願いだからちゃんと確認して!!

叫ばせていただきました。






  1. 2012.02.14 (火) 20:29
  2. URL
  3. ようこ
  4. [ edit ]

kuonさん こばんは

旅日記レポート読みました。
山イチゴさんご夫婦と楽しい時間を
過ごされたのですね。
私なりに想像して、私も後ろからついていって
一緒にいたかったです。

海のことを書いておられましたね。
私は子供のころを思い出しました。
きれいな砂浜、打ち寄せる白い波
近くのいわき勿来海水浴場に毎年のように
家族で行きました。
今のように物があふれるほどある時代では
ないけれど
きれいな海辺でカキ氷を食べ、ボール遊びをし
海の家でラーメンを食べ
熱くなった砂に寝ころび、
背中の皮がむけたりして・・・
そんなことがしあわせでした。
「あの海」は今はないのです。

kuonさん
カラオケレパートリーすごいですね。
今度は私にも聞かせてくださいね~

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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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