KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

  1. 実録
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帰って来ました



早朝、家を出る時には雨が降っていた。

西へと走る新幹線の車窓から見る空が、だんだん明るくなって行って、熊本に着いた時は、暑いと感じるほどのいいお天気だった。熊本を訪れるのは私には初めてのこと。

迎えに来て下さっていたTBさんが、地震の後で買い替えることになってしまったという車をスタートさせて、正面に見えるのが熊本城だと教えて下さる。

青い空の下、堂々たるお城・・・と見えつつ、てっぺん、天守閣の屋根が、妙に白っぽい。

瓦の多くが落ちてしまい、しゃちほこも、地震の折りに、落ちて粉々に割れてしまったのだった。

ランチは市役所の中のレストランでと言われて、へええ、とびっくりしつつ、ついて行く。

市役所の中にはたくさんの方がいた、さまざまな相談に訪れておられるのだろう、あの大地震から、まだ半年。

エレベーターで14階まで昇る。

窓際の席を取って下さっていた、大きなよく磨かれた窓の、まっすぐ向こうに、熊本城が見える。

てっぺんの屋根が、やはり白い、埃が積もっているように白い。あの大きなお城が揺さぶられて、瓦が落ち続けるって、どんな感じだったのだろう。

緑色の養生シートがかぶされているあたりは、崩れてしまった長塀か。

遠目には見えにくいが、随分なダメージを受けて、しかしある部分は、土台が崩れてしまったのに、建造物が落ちないで保たれている。

ランチを口に運びながら、青空と真っ白な雲のなかの、美しいかたち、悠然たる熊本城を、眺めていた。

加藤清正公が築城したという・・銀杏城とも呼ばれる・・日本三大名城の、一。

城を仰ぎ見られるあたりは、あまりひどい被害は無かったように思う、と、TBさんが、静かな声で言う。

「お城が守ってくれたみたいに思っている人は多いんとちがうかしら」

と、言われる。生まれも育ちも、この方は熊本。

早めにいったんホテルに入って、さまざまな話をうかがう。

地震のこと。

TBさんは、夫さんが公務員であの時は自分の家や家族のことどころでなく、激務に就いておられた、たまたま実家であるTBさん宅に来ておられた娘さんとその夫さん、生まれて2か月にもならない初孫ちゃん、地震が起きて固まってしまい、固まりがほどけたら逆にどこへ走っていってしまうか判らない愛犬と共に、一人暮らしのお母さんとまずは合流、お姉さん家族とも合流、2度目の大きな揺れ(これが本震)やその後の頻繁過ぎた余震のなか、力を合わせて乗り切られたのだった。

あの時は、周囲、どなたもどこも、知らない同士も助け合った、コンビニエンスストアも、来られる方にはどんどん買ってもらってくれ自分たち用になど残さないで、と店長は檄を飛ばし、店員は必死にモノを出し、客は行列を作って買い物をした、と。

通りいっぽん隔てて、水、出る、水、出ない、と分かれてしまった地区では、お水どうぞと水を提供しておられた、TBさんは、自分のところは大人の男が(娘ムコさんと息子さん。夫さんは、死ぬんじゃないかと危ぶむほどに外で業務を遂行しておられた)複数人いて、車のガソリンも初めの地震後満タンにできたし、孫のミルクやオムツも備蓄できていた、それは心強いことだった、と、感謝の言葉を何度も口にされた。

「~でよかった」

「~だから助かった」

と、ネガティブな方向へは決して行かない言葉たち、皆が無事だったこと、今はともかく(自分たちは)平穏が戻っている幸せ、普通にお風呂に入れるありがたさ、などを、淡々と話された。

まつ毛の長い目のぱっちりした、お洒落な女性。

自分の「大変」を言いたてようとしない彼女の話を、ゆったりと聞いた。

自分も言ってみれば「被災者の一人」なのであるが、と笑う彼女は、自分としてできること、何か、という思いが、外に向かって、ぱっちり、開いておられる。

熊本には津波は来ず(1~2メートルくらい、来るかもしれないと避難された地区もあったそうだが)、あの地のように大津波も電力会社の大事故も無かった。それは本当のこと、でも、私自身、それはラッキーなことであろうと考えつつ、第三者が言うてはならない言葉であるなあと、自戒の思いを深くした。

たとえば、揺れた後に壁に走った筋いっぽん。

当事者にとっては大変なことなのだ、と、行って改めて感じた。その「たった」一本の亀裂の今後を想えば、当事者でない者が、

「この程度で済んでよかったよね~」

とは、言えない、言ってはいけないのだと感じた。

TBさんは、そして、見せて下さった。

揺れ続け、家具やら何やら倒れかかり、外は暗い、ただただ恐ろしかったであろう中での、一枚の写真。

がっしりした木製の座卓。画面を左右に横切っていた。

その下に、走り出して迷子にならない用心に、いつもは外しているリードをつけられている、小型犬。

腹ばいにぺたんと伏して、顎を床について、眠っている。前足を投げして。

その横に、お食い初めの赤飯などを業者に頼んだところだった、という時期の、まだ首も坐っていない赤ちゃん。初孫さん、そのお子が、仰向けになっている。

少しカールした前髪がおでこにかかっていて、色の白い男の子。

全身の力が抜けているのは写真からわかる、目を閉じて口元は微笑んで、不気味に揺れ続けている大地のその上で、完全に安らいでいる乳児。

そんな写真。

この、生まれて間もない赤ん坊と、地震の意味などわかりようのない小さな犬の、安心しきった様子。

この安逸を守るために、どれだけの気持ちが集まっているかを、感じて、私は、へええ、可愛いねえ、と、ニタニタしながら、その前にしていた、天皇夫婦の来県の話を、アタマの中で蒸し返していた。

TBさんは、多くの日本人と同じく、皇室に対しては崇敬の念を抱いていた、陛下が水俣へ行かれた時のお言葉には、ありがたい、という感じを持っておられた方。

その方が、もう、天皇さんたちは、被災地へ来てくれなくていい、と言う。

皇太子も雅子も要らない、来るな、と言う。

膨大なお金を使ってチョロチョロしなくていい、皇居で祈っていればいいのではないか、それが自分には、いちばん、腑に落ちるなさり方だと・・・私と同意見になる。

世界の平和と国家の繁栄と、国民の幸せ。そのことだけ考えていればいい、来なくていい、うろちょろしないで欲しい。

押さえた言い方ながら、思いの強い、TBさんの言葉だった。

・・・この一人と一匹の平和の写真を撮ってほどなく、この場所・・ご自宅をを出て、人と荷物でぎゅうぎゅう詰めの車で余震の激しい市内を避難、広大な駐車場で夜を過ごし、いちばん被害の少なそうないっときの宿り場を求め、を、始められたのだった。



いろんな話をお聞きしたが、今はうまくすんなりと出て来ない。

順序がバラバラになるが、おひるどきの話、

市役所レストランの、ギャルソンエプロンとてもお似合いのウェイターさん、ずっと笑顔だったレジの女性、とても感じのいい方々だった。

窓の向こうのお城を背景に、写真を撮るのに、ウェイター氏、思い切り体を反らしたり伸ばしたり、奮闘してくださったのだった。

ありがとうございました。


夜は、これもTBさんが予約を入れて下さっていて。二人ではなかった。

熊本名物の太平燕(タイピェイエン)という=春雨を、ツバメの巣に見立てて鳥のスープで煮込んで、海鮮物や野菜がどっさり使われている=料理をメインに、古老肉、唐揚げ、海老のチリソース、炒飯など、私はポットごと持ってきてもらって烏龍茶で、他の方々は黒生ビールから次は杏露酒とかいう、美味しそうなお酒を、お変わりして。〆は、甘さのほどよい杏仁豆腐だった。私は酢豚が大好きで、なんとも美味な酢豚だったので、嬉しかった。太平燕は優しい味で、癖になりそうな。

入って来るとき、通りから店までのアプローチ、前庭に幾つも卓が並べられ、卓の上に炎が揺れていて、店内はほの暗くしてあった、広い、天上の高めの店であまり明るくなく、ゆっくり食事ができるというのは、私の好み、で、よかった。

ここ「紅蘭亭」は、少し離れてもう一軒あり、そこは、最近ようやく、再開できたのだと、そういう話が、ここでも普通に出ているのだった。

ホテルは日航だった。

すべてバリアフリーで、足の悪い私にはよかった。このホテルの前のデパートが「turuya」、おつかい物にはここ(の包装紙)で、という老舗らしい。

部屋へ戻る前にしばらく一人にしてもらい、バス停のゆったりしたベンチにかけて、さまざまな種類のバスが、さまざまな方へ行くらしい、それを乗り降りする、熊本の方々の様子を、ぼんやりと眺めていた。市内でもっとも賑やかなあたりという、ベンチは悠々と座りごこちよく、2時間くらいは黙って座っていられそうだった。

11階のホテルの部屋から、熊本城が見えた。

ライトアップされていた。随分遅くまで、城は照らされていた。瓦は落ちてもあちこちガタが来てしまっても、残ってくれてよかった、と、思った。

ひそかに手を合わせて、頑張って熊本城、と、心の中で願った。


翌日も車を出していただいて、益城の方へ向かった。

途中、健軍神社の前も通りかかる。

一帯では、お宮参りも七五三もここへ、という、神社だとか。

国家「君が代」にある「さざれ石」

脚の具合がよろしくなく、降りて参拝したい気は重々あったが、ゆっくりと通り過ぎていただいたのみ。

・・・TBさんのお孫さんを、どうか、お見守り下さい。

「ここのスーパーの天井が落ちてしまったんです」

「ここはひどく傾いているけど」

「通りいっぽん違うと、被害のひどさも違うみたいで」

前を向いて運転中のTBさんの言葉を、黙って聞いていた。

無人の店舗が並んでいる。白昼の、人気の無い店舗群は、ぞわぞわと不安な感覚を引っ張り出す。

完全にぺしゃんこになっている、旧かったであろう、人家。

一部に斜めにブルーシートがかぶされていたり、

おそらくあの日以来、人が近づいていない、家。

大きく⇒マークを記して、建物の端っこで診療していると示しておられる医院、窓もドアもどうしようもなく壊れてしまっている医院もあった。

上から、ぐしゃっと力を加えられたように潰れている民家。中におられた方は。

壊れた家も、むき出しの壁の名残、折れた柱、家具も埃をかぶり、雨に打たれた姿で。

「片付けようのない、ということが、まだまだたくさん、あるんですよね・・・」

TBさんの声は静か、私にも、見ればわかる、駅の周囲や郵便局や銀行、どうしても必要なところは、復興も復元も、進んでいるようだ、が、私が案内していただいたあたりは。

益城は空港のある地区なのだそうで、そのあたりのことも、うまく説明できないが、教えてもらった。

ともあれ。

一人暮らしの、おじいさん、おばあさん。父祖の代からの土地、自然に受け継いだ家に、暮らしておられただろうが。

恐ろしい思いをされたのだろうな、一人では、どうすることもできなかっただろうな、いま、どうして。

いま、どうしておられるだろう、などと、つまり私のように、旅人としてひょこっと来て、思ってみるさえ傲岸な気がする。

地震後半年。

仮設住宅に、入っておられるのか。

私は、熊本の「仮設住宅」を、一軒も目にしないで、帰って来てしまった。

天皇が来るのなら、そのお金を、別の方に回して欲しい。

来てくれて嬉しいような天皇ではない、来てくれるな、来るな。


熊本で耳にした言葉。

淡くつながっている東北の方々からも、同じ言葉を聞く。

失望させている。

たぶん、絶望も、させている、天皇、という、存在。

復興にはお金が要る。

瓦礫を片付けないと、次へ進めようの無い現実がある。

お金が必要なんだ・・・。



と言いながら。

駅へ行く前に、観光もしました。

水前寺公園へ連れて行ってもらった。

桃山様式を代表する優美な回遊式庭園、だそうだ。

美しいお庭だった。向こうの方に出水神社が、と、遥かに(私の脚にはそうだった)打ち眺めながら、ここでも胸中に拝をした。

「古今伝授の間」を拝見できたのは、幸せだった。

現在は移築された場所にあるのだが、見事な茅葺の屋根、400年を経た建物、襖の模様が「五七の桐」、この襖を拝見できたのは嬉しかった、何よりここで、その昔、「古今和歌集の解釈の奥義を智仁親王に伝授した」と・・・説明書にある。

そうか、ここで、古今和歌集の奥義が、など、わかったつもりで、透き通った風の吹きぬけるお座敷、窓、などに、見とれていた。

赤い毛氈をテーブルクロスにした外の卓で、お薄をいただいた。

空は青く雲は白く、陽光に風はきらめきながら吹き通り。そこでいただく一服のお茶の、美味しかったこと。

この古今伝授の間の、維持管理を任されているのが、お菓子とお薄のセットを出して下さった「香梅」さんという、老舗の和菓子舗であるとも、ここで聞いた。

お世話になったTBさんのお宅でも、ここのお菓子を贔屓になさっているらしく、地震で大きなダメージを受けたお店が、復興されたことを、とても喜んでおられた。

お土産に買いたかったが、荷物を増やしたり大きくするのを避けたくて、後でネットで注文することにする。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

思いが先走ってうまくまとまらなかったが、一泊の旅の、ご報告です。

私はスマホを持たない昔人間で、外にいる間、自分のブログを読んでいませんでした。

連絡を、と申し出て下さっていた〇さん、申し訳のないことでした。

旅の間、かかわって下さったお方、十分にご一緒できなくて、申し訳のないことでした。

また、ぼつぼつ、いただいているコメントへのお返事も、させていただきます。

ミテコさんの呆れた「お言葉」についても、書きたくてうずうずしますが。

そんなさっさと出来なくなっているワタシなのね、と、自覚は深まっています。

できるように、いろんなことに対して行きたいと願っています。




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  1. 2016.10.20 (木) 17:22
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  3. ふく
  4. [ edit ]

わなわな

くおん様お久しぶりです~あきれてます~

お誕生日のお言葉を読んで、絶句、絶句の連続です。

これは「国家元首のお言葉」でしょう。
なんなんですかこの長文
神道の長の奥さまがいつから国家元首におなりになったのですか?

この文章を読んで、生前退位の文体が美智子様の文章と同じ、と気づかない人はいませんよ。それなのに私は関わってないです、と同じ文体で書かれても乾いた笑いしか出ません。

また戦犯とか身内とか書いてしまわれているし、今度こそ盲目的な保守の人や普通の人もおかしいと思うのでは。
いやもう肘つかみからねずみ色服何やかんや、誰かおらんの言ってあげる人?
あの人が笑い者にされても別に構わない。という人しか周りにいないのですね。
もう観賞三昧されて構いませんから今すぐ生前退位なさってください。
長男様が継がれるのは絶対でしょうから、継がれて、とくと報道されればいいんですよ。

そしたらあの人たちに皇室外交は無理→ただの神道の長に戻したほうがいい→税金減&皇室の政治利用減&皇室の方の負担減で三方良しじゃあないですかあ
(まわりにこの怒りが通じる人がいないので、くおん様お許しを)
  1. 2016.10.20 (木) 21:43
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  3. 思案橋
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No title

くおん様コメント久しぶりですがいつも拝見しています。

熊本以前私も6年間住みまして、くおん様のおいでになったところ、お食事されたところと本当に懐かしく思い出しました。
九州新幹線が開通した年に引っ越しました。

ホテル日航、天皇皇后両陛下が平成25年にご公務の時に宿泊されてまして、確か熊本城から提灯で市民がお祝いしたかと。
私はその頃まではなんの疑いもなくお二人を尊敬していました。

今日は皇后様のお誕生日だそうですね。
あのベルギーへの王妃様の腕つかみ歩きショックでした。

  1. 2016.10.20 (木) 23:14
  2. URL
  3. テレビとうさん
  4. [ edit ]

気持ちは一緒

クオン様、はじめまして。
北海道在住のテレビとうさんと申します。
いつも、ブログを楽しみにしております。

熊本に行かれた感想や現地の皆様の生の声、ありがとうございます。

私の住んでいる場所は被害はありませんでしたが、北海道は8月に台風が3個上陸。河川が氾濫した地域では現在復旧を目指しております。

JRの橋は早くて来月末。一般道での札幌から帯広を結ぶ国道はおそらく来年以降でしょう。

私は被災者ではありませんのではっきりとは申し上げられませんが、皇族の方がわざわざ慰霊の為だけに来るのは不要だと思います。それならその分のかかるお金を復興費用に寄付して欲しい。これは本音だと思います。
警備が異常にかかる内廷皇族には来て欲しくはありませんね。

ここまで災害が多いとそう思います。天皇陛下には祭祀最優先にして頂きたいです。
  1. 2016.10.21 (金) 00:28
  2. URL
  3. ふく
  4. [ edit ]

ごめんなさい

(いま読み返してみて、くおん様の熊本でのお話しについて全く触れず、いきなり一番に別の憤懣についてばーっと書かせて頂いてしまって、本当にすみません...タイトル「帰って来ました」とされてるのに)汗
  1. 2016.10.21 (金) 00:43
  2. [ edit ]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2016.10.21 (金) 10:10
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  3. コリン
  4. [ edit ]

目に見えるようです

熊本旅行、お疲れ様でした
マスコミから発信される情報より、現実が手に取るように伝わりました

先日、NHKで仮設住宅で生活されてる阿蘇の西原村(?)から中継があっていましたので、食い入るように観てましたら、被災者の方々へのインタビューが始まり、一人の高齢の女性が何か言いたそうにソワソワしてる様子が映り、何を言いたいのかな?と待っていましたら、「美智子様が来てくださって嬉しかった、元気を貰いました、有難かった等々」一気に話されました・・・
天皇を差し置いて、美智子さん上げ上げの言葉に思わずテレビのスイッチを切りました

これはマスコミの操作だったのかな?と思っていましたがKUON様の情報で本当に言わされていた気がしてきました

早く皇室が本来の日本国民の心の拠り所に戻ることを祈らずにはいられません
こんなに日本国民を不愉快にする皇室、皇族は不要です
  1. 2016.10.21 (金) 15:07
  2. URL
  3. ねこやま
  4. [ edit ]

お見舞いに行かなくては・・・・

今日の午後、鳥取地方で地震

直ぐにデザイナーを呼んで、お見舞いのお洋服を作りましょう~秋だしマント風ね。。。

これからは、蟹も梨も美味しいわ~

あぁ、忙しい~でも○○しいわね。
  1. 2016.10.21 (金) 16:51
  2. URL
  3. 今出川
  4. [ edit ]

どうしても

お帰りなさい、脚の具合はいかがでしょうか・・

熊本の話をお聞きした今しがた、鳥取の地震。
悲しい思いをする方が多くなる現実。
できることは何でしょうか・・・


KUONさま
こんな時にごめんなさい、お帰りを待っていました。
あの女(もうこう呼ぶしかありません)、異国の地で日本の為に戦っていた兵隊さんのことを戦犯呼ばわり、あまりにも酷い。

日本人にあるまじき言葉、まして皇室の方が
口に出しては絶対いけない言葉を平気で
文章にして残す。日本人ではありません。
悲しい、これを否定することもしないマスメディア!!!!
本当にどうなっていくのでしょうか?


早速、鳥取にお見舞いにいくつもり??
見たくない、あの姿、あの顔。
慈悲深そうなメギツネ!

どうしてもここに書き込みたくて・・・
  1. 2016.11.05 (土) 14:52
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

No title

お返事が大変遅くなりました



・ふく さん


ホントに呆れて絶句、絶句、です。

どこまで厚かましいのかと絶句。

これはもう、在りうべきことの範囲を超えていますから、放置してはいけないと思う・・単に、甘やかされたお婆さんの寝言ではないから。でも、どうもならない。

最近は、少しは、わかっている方が増えているのですかしら、とか遠い目になりつつ(笑)、こにままでは済まないよね、と、儚い期待を。

喋りすぎだって。今更、今になってもっと、ヒドクナッテルミテコさん。

・・・お気になさらず、思いが余ってのことと、わかりますからね、また、きっーっとなったら、ガス抜きになるかも、いらして下さいよ(笑)。


・思案橋さん


私は熊本、初めてでした。九州のほかの県には何度も、でしたが。

空が青くて高いな、と思い、熊本城の天守にシャチホコガ、ホントに無いんだ、と、ぼうっと仰いでおりました。

>ホテル日航、天皇皇后両陛下が平成25年にご公務の時に宿泊されてまして、
>確か熊本城から提灯で市民がお祝いしたかと。
>私はその頃まではなんの疑いもなくお二人を尊敬していました。

私も同じでした。雅子みたいな難物を抱えて大変でいらっしゃるやろなあ、と。

その皇后の誕生日、なんでこんな大騒ぎでしかも、頓珍漢な、と、げっそりします。

願うことは、引っ込んで下さい、これだけです。

せめてお客さまには無礼のないように、と・・


・テレビとうさん


北海道も今年は、異例の、とか初めての、とか、言われてしまう災害がおありだったのですね。

同じく災害にほぼ縁の無い土地、奈良県に住まいして、報じられることに衝撃を受けているばかりです。

慰霊の顔して実は・・・の内廷がたには、無理やり来てもらわんでいい、と仰る方々に、沢山お会いもしました。

本末転倒、お遊びは自分の範囲でどうぞ、と。

一度に、警備費用だけでも千万円単位で、被災地であるところが、負わされるんですから。

祭祀優先・・それももう、虚しい言葉のように思えます、落ち着いて暮らしていないと、「神さまの方にはしっかり向けない気がします。


・ヒミツのKさん


はい、喜んで頂ければ嬉しいです。

ハンパなカシコより、堂々たる「バカ」が好きなくおんです。(笑)。



・コリンさん


いや、私も偏ったこと書いているのかも知れません、反対側の方に会うこともほぼないですし、あっても互いに続きませんし。

でも不思議なのは。ホントに、美智子さんが来てくれて嬉しい、という方の、根拠が、不遜のくおんにはわかりません。

それはそれで、けっこうなことだと思うし、私がけなすことでもなく。

ただ、そういったお気持ちに、皇族の方が背かないよう、きちんと受け止めて差し上げられるよう、とか、要らんことも思うのですよ。

美智子さんは優しいヒトなんかじゃないと思うし。

ナルマサに至っては、まともに見えているし。

裏切らないで「慈愛」してあげて下さいよ、ミテコさん。

とか、思います。

>こんなに日本国民を不愉快にする皇室、皇族は不要です

同感です。


・ねこやま さん


冗談でなく、まこと、そうかも・・いや、そうでしょうね。

あの、人前に出るようなモンか?という、変てこなカッコ。恥ずかしい。にこにこしておられる陛下まで、〇カに見える・・それが、究極の目的ですものね~。


鳥取が揺れた瞬間は、大阪の大きな建物の中にいました。長姉がその地にいるので電話しても、なかなかつながらず。後で、武勇伝を聞きながら、笑いながら、笑いごとでは無いぞ。と、感じていました。

他人ごとではない。豪壮な御所にいる方々は別なんでしょうが。



・今出川さん

脚はなかなか動きにくく、ご一緒の方々に待ってもらい助けていただいて、なんとか帰って来ました。

もう、あまり遠出はできないな、歩き回るのは無理だな、でも、したいことはするもんね、と、決意を新たに。(笑)。


>日本人にあるまじき言葉、まして皇室の方が
>口に出しては絶対いけない言葉を平気で
文章にして残す。
>日本人ではありません。
>悲しい、これを否定することもしないマスメディア!!!!
>本当にどうなっていくのでしょうか?

・・・何もできないけど、でも、こうして思う事だけでも、続けていたいです。

同じだ、と思っていても、思いには濃淡あって、なかなか、自分と全く同じ、の類には出会えません。実感です。

なんで陛下がシャツでミテコさんがアクセつけてたらいけないの?考え過ぎ~、気難し過ぎ~、とか言われても、やっぱりおかしい、と。

思い続け、言い続け、していようと。

いま、書きながら再び、思いました。

書き込み、よろしければどんどん、なさって下さいね、どんどん、いつでも。









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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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KUONの久遠

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四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

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明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

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