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KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

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帰って来ました~。

茨城空港は、かわいらしいこじんまりした空港で、迷わずに出ることができました。

到着時間だけ伝えて、どんな服装かなど、まったく知らせていなかったのに、すぐにyuutaさんに会えました。かつて、もし会えたらアタマ、なでなでしてあげる、背中よしよし撫でてあげる、と、申しておりましたのに、うにゃ~~と笑って、言われるまま荷物を持たせるアリサマ。ここでyuutaさんありがとうと書くと、先へ進めないので、あとでまとめて感謝をしましょう。

車に乗せてもらい、ご友人のプロの方が作ってくださったという美味しいお弁当、運転するyuutaさんにはおにぎりだけ渡し、卵焼きや煮物などのおかずは、全部、自分一人で食べつくしたのは私です。ここで・・・ごめんは、後でまとめて、ね。

まず、民宿「はまや」さん。予想より大きい建物。ぴっかぴかに玄関の床の磨き上げられた「はまや」の、女将さんでもある「ようこ」さんも同乗して下さり、目的地へ向かいました。

Jビレッジのある方向を記す標識が見えて来ました。

Jビレッジとは、福島県にある「ナショナルトレーニングセンター」。スポーツ施設やホテル・レストランがオールインワンになった、立派なところだそうです。

そこが、原発事故後は転用されて、廊下で仮眠、食事、という過酷な状態が報じられた、作業する方々(のみ)が出入りする場所になっている。

「楢葉町」の標識が見えます。事故地から20キロ圏内です。

前方に「立入禁止」の大看板。災害対策基本法に基づいての通行禁止だそうです。

道路の左側に寄せて、観光バスだったであろう大きな車体を、白いペンキで塗りたくったバスが三台、止まっている。運転手が中にいて、私が感じた限りでは「なんや、何しに来たんや、何の用や(なぜか関西弁)」と見える表情で、私たち三人を見ている。

立入禁止の看板の向こうまで乗って来た作業員は、そこで「中用」の車を降りて、看板外の待機バスに乗り込むのでしょう。「三菱重工業」とのプレートが見えました。

看板は、放射能の危険場所と、外の世界を区切る境界。

看板のぎりぎり手前まで進んでもらい、持参の数珠を手首にして、写真を撮る。ここは、無限大の悲劇の起こった、今も只中である場所です。

「写真、撮らないで下さい」。まだ若い、20代と思しき女性ガードマン(?)が私を止める。

ごめんなさい、お聞きしますけど、どうして撮っちゃだめなの?。尋ねてみる。どんな答えが返るか知りたかった。

原発事故の・・・が・・・で、と、娘さんは、はっきりと答えられなかった。きっとあまり、解っていない・・・知らされていないのでしょう。ごめんね、おシゴト中に、意地悪ばーちゃんが。心で詫びて、誘導されるまま、yuutaの車はUターン。でも、撮るもんね、私は。

道路に沿って立つ民家、二軒。人の気配は無い、お留守のよう・・・ではなく、住人の方は、ここには戻れない。自宅に帰れない。そんな方々の、家を、やはり心で詫びつつ、撮らせていただきました。

そんなことが、沢山ありました。

看板のところで、この先へは行けないと言った娘さんは、マスクもしてなかった。黒い髪を無雑作に束ねていた・・・ということは、完全に無防備な状態で、あそこにいた、仕事をしていた。

Uターンしてしばらく進んだ広場で、トラックに詰まれた瓦礫(こう呼ぶことをお許しください)の整理をしていた、数人の、多分男性は、頭の先から足の先まで、真っ白の「防護服姿」。

あの娘さんに、20キロの境界にいる意味を、教えてあげる誰かはいないのか。

いても。

知っても。

どうすることも、出来ないのか。

彼女には唯一の「職場」かも知れない・・・。

車は、海へ向かってくれました。

「この辺、ひどかったんだよね」

yuutaさんが低くつぶやき、ようこさんが「そうだね」と低く返す。

なにか、がらーんとした所を通ります。目の先に、海が見えます。

午後の陽を浴びて、きらきら光る、穏やかな海。

「この辺、み~んな、津波でやられたの」。

車を降りてみます。

家の、基礎部分というのでしょうか、コンクリートの、跡だけが、ある。

ここも、そこも、向こうも、家が無くなってしまった跡ばかり。

見渡す限り、家の跡ばかり。被害の無かった場所から来た私は、腰が抜ける気がしました。

あまりに普通に、当たり前に、普通でない光景が、そこに、あったから。

誰もいない、人の姿は見えない。

車から出て、鼻の奥が熱くなるのを感じながら、写真を撮る。

ごめんなさい、すみませんと、なんでだか、謝っていた、撮りながら。

何も無いのに、門柱だけがしっかり立っていて、そこに、漢字二文字の表札がかかっているのも見てしまった。

ここは、人の住む家だったのです。

赤い鳥居が、鳥居だけ、しゃっと立っている。

海まで・・・数分、あたりだろうか。

また進んだ。車の窓から、やたらカラフルな一軒が見える。

二階は無傷に見える。一階の、どこもかしこもに、いろんな色のベニヤ板みたいなものが、、貼り付けられている。打ち付けられている。・・・ここに、戻って、住んでおられるのだろうか?・・・・。

その奥に一軒だけ、一見無傷な家が見える。

その家は、波に、やられなかったのだろうか。既に新築されたのだろうか。復興?。

ご近所さんの、すっぱり見えなくなっている、この土地に。

いろんな思いにごちゃごちゃになりながら、乗せてもらっていました。

右手に、全体が前傾した大きな建物が見えて来た。

よくあるように、○○大会出場なんとか、とか書かれたノボリ(?)が、垂れ下がっている。

何が書かれていたか、撮ったつもりなのに、関係無いものが撮れていて、書かれた文字はわかりません。。

敷地内に車を乗り入れてもらい、少し戻って、石碑の文字を読む。

「豊かな人間性」とある。

豊かな人間性。胸に、どっかーんと来る言葉でした。

・・・海の見える穏やかなこの地で、毎朝、この石碑の傍らをぬけて「おはよ~」と言葉を交わし、笑顔を交わしていただろう、中学生たち。

そう。中学校なのです、この傾いた建物は。

石碑の隣にもう一基、細かい文字を記したものがある、それは、土台から、上の部分が転がり落ちたのか、土台の中心は白々と、落ちた石碑は落ちたままに、横たわっているのでした。

奥の方に、ぐぅいんと傾いた建物がありました。

体育館と知れます。

体育館は、静かに、惨状をとどめていました。巨大な立派な体育館。

壁のすべてが、突き通っている。壁の基本だけが格子状に残り、壁の「面」だった部分は、いっさい、まったく、消えうせている。

あっちもこっちも見通せる。

バスケットボール用のネットがありますね。

あのあたりまで、津波は襲ったのでしょうか。うっすらと、水の跡が見えて。

丸い壁掛け時計は、3時23分で止まっていました。

その時間に、ここを、津波が、覆ったのだろうか。

まだ子どもたちは、学校にいる時間だったのではないか。地震に驚き、脅えて、体育館へ逃げ込んだ生徒もいたかもしれない。

前は海。後ろは・・・私の感じでは、高台も、特に高い建物も、無かった気がする・・・。

四方に向かって手を合わせ、膝ががくがくする思いで、豊間中学校の体育館を出ました。

「先へ行くと、ひばりちゃんの歌碑がある」

そこへも寄ってみたい。

海岸線を、車は、走りました。

消波ブロックも欠けています。

海は美しいです。波は優しく打ち寄せています。

その道の、どこにも、瓦礫があった。

ずっと行く道添い、これでもか、というほど、瓦礫ばかり。

積み上げられているもの、袋に詰められて山になっているもの。

遠景のようにクレーンやショベルカーが、仕事をしています。

美しい松並木だったのでしょう、たくさん、たくさんの樹が、塩水にやられて、赤茶けて、悲しんでいるみたいに、しょぼくれていた。

駐車場には沢山の車が止まっており、でも、よく見ると、すべて、だめになってしまっている車たち。

フロントガラスの割れている車、無傷だが真っ赤にさびてしまっている車、助手席の窓とドアが、いっぱいに開かれた状態の車。

あの日、持ち主と別れてしまった車でしょうか。


美空ひばりの歌碑は、まったく、傷みを感じさせませんでした。

見上げればすぐ上に、塩谷の灯台。純白の灯台。

何軒かある店はすべて閉まっていました。

yuutaさんが、以前来た時に店の人に聞いたという話をしてくれました。

「ここでは、波が分かれて、歌碑と、すぐ近くの店はやられなかったんだ」と。

私は驚き、信じました。そういうことだって、あるかもしれない、と。

本当に、被害を感じさせず、戦後の多くの人々に喜びや楽しみを与えた大歌手の碑は、それこそ波音にあやされるように、すでに夕暮れの気配を帯びてキラキラ、美しい海の近くに、鎮まっているのでした。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日の茨城レポートは、ここまでにさせていただきます。

これ以後、朝になって思い立って、と、加わられたジュンさんも共に、年の似通うアジュマ女子会、なんと、夜更け2時40分までのガールズ・トーク。初めにくたばったのはyuutaさんでした。

途中、sarahさんにお電話いただいたり、ものすごい量の、こころ籠って美味の「はまや」のお料理を、バクテリア・KUONとなって食い尽くしつつ。

来てよかった・・・と、しみじみした夜でした。

yuutaさん、ようこさん、ジュンさん、sarahさん、この稿が終わってから、個個人さまがたに、お礼を申し上げたいと思います。その時に、ゆっくり。

ジュンさん、初めてのコメント、早々にありがとうございました。
激しい夜でしたね~。
またゆっくり、ご一緒に、思い出して下さいね。


今日は、これにて・・・。






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  1. 2012.01.16 (月) 14:08
  2. URL
  3. ようこ
  4. [ edit ]

遅くなりました。
車でアンコウを取りに冷凍庫のある所まで行ってきまして、今帰りました。

kuonさん
ありがとうございました。
お疲れが出てませんか?
kuonさんに来ていただき本当に嬉しかったです。
kuonさんのお話一つ一つが忘れることができません。今、先ほどいただいたメールを見てまたこみ上げてきて・・・
「どうやってでも生きていること」ですね。
強く自分の中に入れました。

yuutaさん
ありがとうございました。
車の運転ありがとうございました。
今回で2度目のyuutaさん
頼り、甘えたくなりました。
これからもよろしくお願いします。
また来てくださいね。待っています。

ジュンさん
当日お電話いただき、来ていただき
ありがとうございました。
4人で食べながら、飲みながら、本当に楽しかったですね。上野から電車で2時間、最寄りの駅まで迎えに出ますからまた来てくださいね。

sarahさん
お電話でお話できて嬉しかったです。
ありがとうございました。
私もいつかお会いしたいです。

山イチゴさん、えまさん、みなさん
茨城まで来ていただいた感謝の気持ちを
まだまだ言いつくせませんが書かせていただきました。
これからもkuonさんのお部屋でみなさんとお話させてください。
よろしくお願いします。

kuonさん 本当にありがとうございました。
またお会いできる日を楽しみにしています。
  1. 2012.01.16 (月) 22:14
  2. URL
  3. 山イチゴ
  4. [ edit ]

お姉さん、良い旅だったようで
ガールズトーク盛り上がったんですね
ようこさんにし聞いたと思うけど、金曜日隣町コンサート行き、昼間だけのつもりが夜の部まで見て帰宅したら10時近く、行ってらっしゃいコメント入れられず
コンサートも出演者三田明、小川知子、あべ静江、西口久美子、江木俊夫、あいざき進也、高道(狩人弟)、晃(フィンガー5)
全員50歳以上ね客もそれなり。内容も一緒に歌ってと舞台のスクリーン歌ってる場面と歌詞が出た。カラオケみたいに!
それぞれの持ち歌2曲くらいで70年代の歌をいろいろね!!
あいざき進也の歌いろいろ聞きたかった私はちょっと残念だった、昔、どうしても座れなかった最前列で進也君をガン見時々、こっちを見てくれたりするからね〜〜
またひとつ夢が叶った
一番好きな「愛の誕生日」「君に贈る愛のメロディー」聴けなかった
いつか、東京へあいざき進也ライブ行くぞと
ところで、その日寒かった…会場が
暑がりなのに、盛り上がってるのに上着が脱げない。高齢者もいたし、女性出演者震えながら歌ってた。節電対策と観客は思ったのかクレームも出ず、帰る人もなく。昭和生まれ我慢強いわ…と妙に納得。でも実は、会場の空調壊れてたと出演者のブログで楽屋も大変だったとか、カイロ貼ったりして
ウソ〜〜〜!!
さすがプロ、昭和の歌手は新曲地方のレコード店周り当たり前だったそんな事も思い出した♪
お姉さん旅報告の感想は後日書きますが、ひばりさんの歌碑が無事と知り母の写真に「必ず連れて行ってあげるね。母ちゃん」と一番に報告した。肉より魚が好きだったし喜ぶと思います。
来月初旬は母親12回目の命日です。
  1. 2012.01.16 (月) 22:45
  2. URL
  3. sarah
  4. [ edit ]

こんばんは^^。

山イチゴさん、もうすぐお母さまの命日なのですね。
お母さまのご冥福をお祈りします。


お師匠はじめ皆さま、
先日は貴重なお時間をおじゃまさせていただき嬉しかった、です!

お声を聞いて、

KUON  真夏の大陸
yuuta  晩春の潮騒
ジュン  初秋の紐育(ニューヨーク)
ようこ  真冬の日だまり

というようなイメージがしました~。
意味不明の失礼、お許しくださいますように~。

のどの辺り、お疲れ?ではありませんか?
  1. 2012.01.17 (火) 21:24
  2. URL
  3. えま
  4. [ edit ]

kuonさんお帰りなさい!

yuutaさん、ようこさん、そしてジュンさんにお会いになられて、思い出深いよい旅で良かったですね!

そして旅のご報告ありがとうございます。
何度も何度も読み返し。

弟からも聞いていました。
強烈な景色だと。
私も秋になりますが、今年行きます。

そして20代の女性のガードマンのくだり・・・
今なお優柔不断で、ごまかし、嘘を重ねて、放置している、国の対応そのものが浮き彫りになっていますね。

悔しいですね。

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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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