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今日も元気でいましょうね^^

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惜別のうた




惜別の歌

【作詞】島崎 藤村
【作曲】藤江 英輔


1.遠き別れに 耐えかねて
  この高殿に 登るかな
  悲しむなかれ 我が友よ
  旅の衣を ととのえよ

2.別れと言えば 昔より
  この人の世の 常なるを
  流るる水を 眺むれば
  夢はずかしき 涙かな

3.君がさやけき 目の色も
  君くれないの くちびるも
  君がみどりの 黒髪も
  またいつか見ん この別れ

4.君がやさしき なぐさめも
  君が楽しき 歌声も
  君が心の 琴の音も
  またいつか聞かん この別れ


ひと夜、いくたり集ひて、ささやかなる邂逅の宴をもちぬ

かりそめの名をもてしばし、振り返らむとする

かく記しつつ尽きぬ名残に

吾が胸の奥処  しとど  湿り帯ぶるを覚ゆ



無言の人びとが行き交う大阪の街で。大阪は40年ぶりという海外在住の日本男児K氏と待ち合わせ。わたしは50年・熟成モノの関西人であるが「上本町」と「上六」が同じ場所にあるとわからず。上本町から上六へタクシーで行こうとして、ドライバーに、
「降りてあっちへ、ちょこおおっと、歩かはったらよろしねで」

もう乗り込んでいたのを、優しく送り出されて、数分あるきました。一分。運転手さんありがとうございました。ごめんなさいでした。

「あらあ」

「いやあ」

なんとか再会叶い、意味不明の挨拶してニコニコ。

お洒落、ダンディなKさん。ソフト帽の完璧にお似合いの外見はむろん恰好いい、が、

含羞という、現代日本では滅亡の危機に瀕する言葉の身についたカナダ国籍人。とお呼びしたい、そこが何より素敵な方です。

仕事途中でパソコン脇にかかえた、おんないっぴき大地にがっしと足つけて、のきゃりあうーまん、歌舞伎風ファッション板についてる昭和オンナ・Sちゃんとも合流。

まずは顔見合わせて、なんとなく皆、あははは~と笑う。しかしてまずはホテルに旅装を解く。

茶ぁしばいて、わははは~と笑い合って。

鶴橋コリアン・タウンに赤い灯、青い灯、みんなみんな一つ一つの灯の下で生きてるんだよね~、懐かしいような灯のともる頃。

鶴橋といえば焼肉。ここで足踏み外したらシャレにならん、天国(人によっては地獄・笑)へまっしぐらの急階段、登り詰め。

焼酎やビールや、でかんぱ~い。

後は、吞んで食べて喋っての流れ。肉もキムチも美味しくて私はひたすら食う。

肉も小鉢も取り分けてもらって、・・・ごめんよ、お姉さんなのに。

話題は沢山でした。

皇太子夫婦と、いゆわる「成田離婚」の関連性についての考察。

北の基地外王子、キムなんとやらのお母さんは誰だ、とか。初耳でびっくり。

東西南北古今東西、話の向きはさまざま、おもろうて、やがて悲しきなんとやら。

消息話も出たけれど。

イヤな話はいっこも無かった。ワルクチも出ない。あえて、ではない、自然にそう。

四捨五入すれば70さい。に近いのが2人、後から加わって下さったお一人は、ジーパンしゃっきりかっこいい八十路さん。いちばん若い彼女も、ほかのシルバー派(笑)と変わりは無い、持病抱えてる、医者に会うのがこわいのは同じ。で、

理屈ではない。ヒトは何のために生きるか、の、お話。

身は痛んでいるけど、こころはますます柔らかくなって。

きつい厳しい激しい風に、感じやすくなっている、耐えるのが難しくなっている、世の中、安穏じゃないから、あんなことこんなこと、あれこれあって。

これが満ちていればこっちが足りない、ひもじい、つかみようのない「安心」ってものが、この世には、たくさんあって、欲しい欲しいと泣いてみても、どうしようもないことだらけ。

でも、親しく膝を交える場では。

弱って痛んでしばし使えません歯、を抱えている時のように。

歯を痛ませてしまった本体を責めないでいてくれる、お年寄りの歯医者の先生みたいに。

そんな先生の待合室にいるひとときのように。

くいしばって生きて来た歯、を、いっとき、和ませて。

あはは、うふふ、と、やわこい時間を楽しんだ。

そういう、一夜だった。気がします。

自業自得の言葉の意味をわかってる、あまり賢くも立派でもないのがメンツのひと夜でございました。

急階段、もしや踏み外して行く先は。

「わたしだったら地獄です。」

そういうメンバーが集まった気がします。

過去の、いろんなこと、あのこと、このこと。

悪かったのは。

傷つけてしまったのは。

相手ではない、自分。そうでなくても、そうでいいやん。

地獄へ行くのは、自分やろ。

そういう、おめでたトッポい、というか。。

私もそうです。



またね、とか言っても、またね、の保障の無いことは、今度こうして揃うことは、無いかもしれないと、心の内で知っている。

まこと、一期一会の晩餐、昼餐。(その間に、ふつうに朝ごはんがあったわけで。私は朝めしブッフェで、

玉ねぎとブロッコリのサラダと、ベーコンとソーセージを格複数と、バゲットひときれと(抑えたつもりのひときれ)、ミルクと、コーヒーを2杯。

いただきました。それくらいなら、ふつうですねきっと。お皿には、スクランブルドエッグも少し、載せました。

美味しかったので、どうしようかと悩んだ末(悩み時間は常にいかなる場合も短い)もう一度、黄色い綺麗な、バターの風味豊かなたまご料理のある場所に戻りました。ホヤホヤ湯気の立っている方でなく、おかわりなので、残っている方を取ることにして、残ってる方なんだからと、心置きなく、たっぷり取りました。

もう一度、これで終わりにしようと心に言い訳をして、お皿に卵を。いったいたまご何個分、私は。

前夜、焼き肉の店を出てから行ったバーで、つまんだ何種類のチーズとクラッカー数枚、戻ったホテルで朝の三時過ぎまで、がんがんばりばり、喋りまくって瞼が塞がってしまいそうになり、ついにやがて、お風呂にも入らず(!)くたばった後の、朝の8時に、ケロンとして、お腹に納めたのでしょうか。

当分、ドクタの顔見ないでいられるように、受診を済ませ4週分の薬をもらってから出かけたのではありますが。

体重を落とすなど、どこの世界の誰の話だ。おーけー。まだ4週間ある、大丈夫だ調整できる(ホントか?)。

朝からもお喋りは続いていた。自称アル中のK氏は、前夜、ものすごくいっぱい喋っていた、絶好調だったヤッホーだった、酒が入ると舌も滑らかになると言うのであった、私は飲むのをお停めしなかった、一年に一回、親しく楽しく話をするために一事帰国なさるのである、止めない私は鬼でもいい、私は止めません、漢方薬を持参して、ヘ??なお顔なのを騙すがごとく、服用を強いて押しつけて、それを免罪符として、今はいいんだ、本人がそうしたいんだ、酒無くて、なんで親父の楽しみか。

でも、言うほど大量の飲酒では無かったのです。そして吞むのは夜だけです。本物のアルコホル中毒者は、時を盗んで吞む。

心配していたのは事実ですが。内心、

親父の血管、詰まらないで。この旅の間、こうして、楽しく、お酒を飲ませていてさしあげて下さい、と。ムシのいい願いを。

血管が詰まるのが、いちばん、怖いのですわたしは。

ふだん、ほぼ、祈りというものをどこへも捧げない不肖ワタクシ、その時は祈りながら、ご機嫌よろしいお姿を眺めておりました。

この先ずっと、私の、知る限りの人びとの血管、詰まったらあかん。誰の血管も詰まるな。


Sちゃんの大切なお方、文字通りのベターハーフのPさんの車で、通天閣へ連れて行ってもろた。

どんだけぶりの通天閣。ここもやっぱり、観光客仕様の部分が猛追していると聞きますが。

どこ見ても串カツ屋がある。すれ違ったオジサンが、背後で、別嬪や、と大きな声で言わはったので、どこや、どんなベッピンや、と、キョロキョロしたら、あんたのことや、と言わはった。は?。

がっびいいいん。わたしベッピンか。オジサンのベッピン、わたしか。

むにゃははは、と、笑いが込み上げた、やあ、ありがとう、と、大阪のイントネーションで礼を述べました。

右手に肉の塊の詰まったビニール袋下げてオジサンは、礼言うかやあ、と、いい顔して笑った。

そのまますれ違ったが。

その朝、気合入れてメイクして、定番のシャねルのルージュ、これでもかああ、と、濃く濃ゆく、紅筆しっかり使って引きました、口紅塗るとき、わたし、幸せなんです(誰もそんなこと、聞いてない?)。メイク仕上げたら、塞がっていたまぶたも、シャッキーンと開いていました。

肉下げた見知らぬおっちゃんに、ベッピン云われて嬉しかったか? もし聞かれたら答えましょう、はい、嬉しかったです、と。

この話は、昨日一緒だったどなたにも言うていません。ここで初めて書きました。笑って下さってけっこうです。

オジサンありがとう、と、届かないけど、ここでお礼を申し上げます。


その後、やはり車で、飛田新地のぐるりを回って下さったです。

独特の街並み。私は、大正から昭和の建築というか、家や店や街並みに魅かれるココロがあって、ありがたかったです。

タイルで貼られた塀や。元は妓楼だった料亭のたたずまいや。むかし、お店の姉さんを連れ出して・・・とかいう話の、つい、出てきたK氏、どこの店だったかなあ、と、首をかしげておいででした。わからんやろなあ。

目の横に現れた一軒、間口あけっぱなしでいかにもそれらしいしもた屋風、見たら正面に、マネキンみたいな若い女性が座っているのが見えました。

若くてきれいな水色のドレスを着た。

今は、親に売られた、ではない。

男はんに惚れて入れあげた挙句、でもない。

自分が作った借金のために、が多いみたいですよ。

慰安婦の話や、朝日のばかやろうの話が出たりしました。

これについては、大急ぎで後でメモしたものがありますが、ここでは割愛します。

お昼ご飯は「美々卯」で。

残さずいただきました。

Kさん親父は、きつねうどんと季節の炊き込みご飯(あさり)を、召し上がりました。私は、厚かましいことに(いうのも厚かましいわ)、ずううっと、ご馳走になっておりました。

次の予定地らしいリッツ・カールトンの前で、K氏と別れました。

今度、は、あるかも知れないし、無いかも知れません。

楽しい二日間でした。

どう書こうかと考えていて、冒頭のうたが浮かびました。

  花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ

また会えますように。4回目がありますように。食も控えてまいりましょう。

・・・つまり波長が合う。そういうことなのだそうです。

そういうことだと思います。人と人は不思議です。

Sさん、Pさん、最後になりましたが、本当にありがとうございました。おんぶにだっこで楽しませていただきました。遠方の方にターゲット絞って書いてしまいましたが、お会いできて嬉しかったし、いっぱい話せて楽しかったです。

親身な優しさが、身に沁みました。





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4 Comments

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2016/05/21 (Sat) 14:03 | EDIT | REPLY |   

ワッ・タ・シ熟女N〜  

こんばんは

石川啄木と島村藤村が 思春期の私に一番影響を与えたかもしれません。


わが背子せこを
大和(やまと)へ遣やると さ夜よ更ふけて
暁あかとき露つゆにわが立ち濡れし
大伯 皇女

瘋癲はあんなにテンション上がって楽しみにしてたのに
飛田辺りから愛想ないんや? 
返事も上のなんや?
機嫌でも悪うしたか? と思ってたら
大和へ遣やた後、
『アァ〜!!!もう漏れそうだ!!
 出るぅ〜チビルぅ〜
 もう話しもできない!!』 ですって(爆笑)

それでもオークワに入っても行けず
大阪城まで来てやっとこさ公園に入り
思いの丈を放出しよりました
『勢いよく2リットルのお茶くらい出たぜ!!』ですって(爆笑)

喋り過ぎて喉ち●こ痛いし
食べ過ぎでオシッコ泡々です(冷や汗)
主治医へ行くまで2週間あります
まだ何とかプチ断食で誤魔化せそうです(笑)

と、いいつつ婆さんと堺・宿院『かん袋』名物
くるみ餅食べてますぅ〜


2016/05/21 (Sat) 21:01 | EDIT | REPLY |   

KUON  

・ヒミツのEGさん


そうなのですか。


あなた様は、ワシントンに。

親父さんは、心配したよりはお元気そうでした。全くお元気そう。が。むかしタイプの日本おとこなので、しんどいの痛いのは、ぐちゃぐちゃ口に出さなれないのでは、と、思います。

とってもとっても楽しそうでした。

いろんな小さなことで、エラそうですが、日本人の質は・・・など、実感しています。

上つかたが、嘘、捏造を放置されていて。放置以上に、率先していて。

私は、これからも日本に生きて日本に眠るものですが、日本を祖国と愛される方にとってこの国は、など、コメントをいただいて考えました。




・ワッ・タ・シ熟女N~ さん

怒涛の数十時間でしたね。

私がいちばん沢山食べましたね。

大阪城公園までは、ずいぶん遠かったと思いますが、申し訳なかったと、読んで反省しました。

あれこれ、思い出しますが、また、わははと。


ありがとう、ありがとう、と。








2016/05/22 (Sun) 18:25 | EDIT | REPLY |   

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2016/05/23 (Mon) 15:40 | EDIT | REPLY |   

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