KUONのブログへようこそ。

ブログタイトル変えました。中身は変わらずKUONです。

ひとのこころの温度をおもう:追記あります

[照宮成子の作文]

[私はどういうめぐり合わせか高貴な家に生まれた。私は絶えず世間の注視の中にある。いつどこにおいてもわたしは優れていなければならない。私は皇室を背負っている。私の言動は直ちに皇室にひびいてくる。どうして安閑としていられよう。

高い木には風が当たり易い。それなのに高きにありながら多くの弱点をもつ自分をみるときこの地位にいる資格があるかどうか恐ろしくなる。自分の能力は誰よりも自分で一番よくわかっている。ともかく私は自分で自分を育て築きあげていかなければならない。

この炭鉱の奥深くで、来る日も来る日も働き続け世間から忘れ去られそして人知れず死に行く運命をもった人々の前に立った時、護衛の警官やおおぜいのお供をひきつれている自分の姿にいたたまれぬ申し訳なさを感じた。]

                                 女子学習院中等科5年生 1942年

この作文を書かれたのは、昭和天皇と皇后の第一皇女、照宮さま。17歳のもの。

戦中は食べ物にもこと欠かれ、第一子ご長男は、防空壕の中でお産みになった。

戦後、降嫁された東久邇家も皇籍離脱。それまでは皇族の一員だったけれど。5人のお子さんをお育てになる中、内職もされ、特売の行列にも顔を伏せて並ばれた。

恥ずかしいと言うより、騒ぎになるのを控えられたのだろう。

少し前のM新聞に、学友でいらした方の文章が載っていたが(切り抜きを無くした~)わきまえの深い、皇族のありようのよくわかった方でいらしたと偲んでおられた。

作文からも、そういう感じは読み取れる。

昭和36年(1961年)7月、没された。35歳。

闘病中は母上である皇后陛下が、毎日のようにお見舞いされた。

いま、テレビドラマで連続中の「とと姉ちゃん」のモデルの女性が創刊された雑誌「暮らしの手帳」。

その一冊の中に、

「やりくりの記」

として、お粉とお芋ばかりの食べ物のこと、親のものを作り直してお子さまの服に、など、さまざまな戦後の元・内親王の暮らしのさまが、掲載されている。

「東久邇成子・やりくりの記」で検索すれば、けっこう長い魅力的なこの文章を読むことができます。

いずれは、書き起こしをさせていただきます。

「暮らしの手帖」大橋鎮子と照宮さま、直談判の末に、の一部です。

>昭和天皇の第一皇女であった照宮さまが嫁がれて後、臣籍降下して、東久邇成子さんになり、麻布に住んでいることが分かりました。そして、勇を鼓して、麻布の東久邇家に突撃したのです。成子さんに直接お目にかかり、日常の暮しをありのままに書いていただけないでしょうか、とお願いしたのです。(この辺のことについては、大橋鎭子著『「暮しの手帖」とわたし』に詳しく書かれています。)そして、みごと原稿を書いていただいたのです。それが5号に掲載された「やりくりの記」でした。

押入れもないところに、家族4人が暮している。食べるものは、配給と焼跡を耕して作った畑の野菜だけ。ひもじい毎日。着るものは、お古をつくろって着せている…。なんと、天皇の第一皇女の一家が、まさにわれわれ庶民と同じように、やりくりに明け暮れる毎日だということが、綴られていました。国民はおどろきました。そして、成子さんが最後に書いている

「日本中みんな苦しいのだから、此の苦しさにたえてゆけば、きつと道はひらけると思うと、やりくり暮しのこの苦労のかげに、はじめて人間らしいしみじみとした、喜びを味う事が出来るのである」という文章に、多くの国民が元気づけられたのでした。この東久邇成子さんの「やりくりの記」は大きな反響を呼び、部数も伸びて、『暮しの手帖』を元気づけ、大きく発展していくきっかけをつくってくれたのでした。鎭子さんの大功績でした。


・・・・・・・。

深く愛され、思い入れの深かったであろう、この第一皇女の若い死は、昭和の両陛下には痛手だったでしょう。

第二皇女の久宮祐子さまは一歳で夭折しておられる。


・・成子さま亡きあとすぐの、喪の明けないどころか、7月23日に逝去された、その夏の、美智子さん率いる皇太子一家の夏の静養への写真が、

20160416220042.jpg


これです。

今日、BBさんのブログを読ませてもろてたら、読者さんからのコメントを、表出しておられました。

転載をお許し下さっているので、以下、いただいて来ました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

咲耶

BBさま みなさま はじめまして。

こちらのブログを最近知り、ビックリしたり納得したりの日々です。

美智子皇后や正田家がここまでとは思いませんでしたが、私の祖母の話で

香淳皇后の美智子妃いじめはマスコミのでっあげだと言うのをここで申し上げておきたいと思います。

私の大叔母からの伝聞を祖母から伝え聞いた話ですので証拠等はありませんが真実だと思います。

私の大叔母は香淳皇后の学友として選ばれ、女子学習院時代から親しくさせて頂いておりましたが、入内され皇室に入られてからも何かとお付き合いがあったようです。

皇后陛下は日本画と書道に優れた才能をお持ちで、常に研鑽に励まれておられたそうです。大叔母も書道に優れた人でしたので皇后陛下が書道の先生を招かれた折は自分一人でご指導を受けるのはもったいないからと皇居にお招き頂き一緒に書の練習をされたそうです。練習の後には招かれた数人とお茶を頂き学生時代を思い出しながらお話が弾んだそうです。

宮家出身の香淳皇后でさえ、当時の姑に当たる貞明皇后から何かと厳しいご指導があり、貞明皇后が亡くなられるまでパーマをおかけになられなかったと祖母が言っておりました。(宮家ご出身でなかった貞明皇后が非常に厳しく宮中作法を遵守なさったので当時の良子妃は素直に従われたようです。)

美智子妃は宮中のありとあらゆる事の簡素化を推進されすべてに今風を押し通されたようです。乳母制度の廃止は時流だから仕方ないと周囲は考えておりましたが、御所言葉や古式にのっとったご挨拶等も美智子妃の代でほとんど廃止され、美智子妃の伝統つぶしはまず成功したようです。(年長の女性皇族方も皇太子妃が宮中言葉をお話にならないので自然にひかえられるようになったそうです)

美智子妃いじめとマスコミが書き立てていましたが、お育ちや教養の基礎が違いすぎてコミュニケーションが皆様方とはまったくかみ合わなかったようです。それを虐めと言われるのはおかしいと祖母が憤っておりました。(現在は存じ上げませんが、当時の宮内庁の方々はほとんどが旧華族の方でした)

祖母や大叔母が言うには「日本一の旧家に嫁がれたのだから、大変なのは当たり前。頭脳明晰で優れた方ならば民間初であっても皇太子妃として粛々と御勤めになられるはずなのに、嫁姑問題として書き立てるマスコミやそれをリークする美智子妃はやはり問題だ」と言っておりました。

「香淳皇后も皇太子妃時代は姑にあたる貞明皇后さまといろいろとおありになったけれどしっかり受け止めて耐えていらしたのに、美智子妃のような方が嫁に来られて御可哀想だ」といつも言っておりました。

美智子皇后は雅子妃よりはましかもしれませんが、祖母や大叔母たちから言わせると、有職故実の教養が一切ないので祭祀に関してもこれまで通りにはいかないだろうと非常に心配しておりました。(大叔母の実家は有職故実の家元でしたので)

また、これは私の危惧している事ですが、高松宮家が引き継いだ有栖川宮家の財産を喜久子様がお亡くなりなる前に秋篠宮にとおっしゃっていたそうですが、どうも秋篠宮家は相続されていないのではないかと思います。美智子皇后や雅子妃が横領していない事を祈ります。

有栖川流の書道を喜久子妃殿下から引き継がれている秋篠宮殿下は皇室の伝統を大切になさり、次代の天皇陛下にふさわしい方だと応援しております。

何だか、思いつくままに書き散らしてしまいました。美智子皇后の真実が少しでも世間に広まり、香淳皇后の名誉回復がなり、秋篠宮ご一家が正しい皇室の道を開いてくださることを切に希望いたします。

・・・・・・・・・・・・・転載はここまで

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ありがとうございました。このコメントについてBBさんが記されているのが、

コメ欄に貴重なコメントを頂戴したので、転載させていただきます。

数々皇室を検証する記事をアップするにつれ、巷間囁かれている
「香淳皇后による美智子妃いじめ」とやらに、疑問を持つようになりました。
事実は逆ではなかったのか?と。 晩年の香淳皇后へのお仕打ちなど。
降嫁したお子様に先立たれ悲しみに暮れていた香淳皇后を
皇太子(当時)と共に那須の御用邸に訪れ、不満を
ぶちまける、など「いじめられている嫁」が出来ることでしょうか。

我が子を亡くして間もない時期に、御用邸にひっそりと
閉じこもられた姑のところに、夫を引き連れ、何が気に食わぬのか、
文句を言いに乗り込むなど、民間の妻でも普通は出来なくないでしょうか。
橋田ドラマの鬼嫁さながら。相手は我が子を亡くして間もない方なのですよ?

せめて喪が明けきり、家に戻ったところを訪問しませんか?
その非常識ぶりは侍従が記録しています。

時にはサングラスをかけ、奇橋なあのファッションも、いじめられている
嫁ができることですか?

やたら多かったお里帰りも許されてますが?
香淳皇后とお揃いのショール等なさってますが?
(いじめ、いじめられの嫁姑でペアルックってありなんですか?)
その他、たくさん過去記事で検証しています。


ありがとうございました。

成子さまが逝かれたのが、前述のごとく昭和36年。

その5年後の41年(1966年)、昭和両陛下の三番目の内親王、鷹司家に降嫁された和子さまの、ご夫君が、奇妙な亡くなり方をされています。

交際のあった女性宅での不慮の死を遂げられたのでした。


上の写真が、美智子さんというひとを、端的に表しているように思います。

和子さまのご夫君の心中(とも云われた)事件があった昭和41年。

浩宮は、小学校に入学しています。

神さまから預かった子、将来は天皇になる子、特別な子、と、自ら口に出して勇んでお育てになった浩宮さん。


>もしわたしたちの育児や教育がうまくいかなかったら
>「これまでのしきたりを無視したからだ」
>と言われるのではないでしょうか。
>(親子同居と乳人制度の廃止について)

初めは自信たっぷりに発せられたこの言葉、しかし、この時期の美智子さんは、うつむいて撮られている写真が、実に多いです。

わかって来ておられた?。

夫君の姉上の若い死に対してのなさり方、された方は、黙していても、忘れられないと思います。

悪気でない?  平気、ですか。

明日は熊本へ行かれるそうで。

チャーター機で飛び、自衛隊のヘリコプターに乗り換えをなさるようです。

何しに行くのかな、と、皮肉な思いがたっぷり湧き上がって来るのを、抑えません。




スポンサーサイト

コメント

kuonさま こんばんは。

両陛下、明日熊本ですか。
ふと、 見 物 という単語が頭に浮かびました。もしくは 物見遊山。
ウロウロと、あちこちにお出ましになり、絵を見たり音楽を聴いたり。
なんだかそういうお出かけの延長線上にあるんじゃないかと。

両陛下。人の痛みに共感できる感性をお持ちじゃないように思えます。
身内の悲しみでさえ、慮る事が出来ていません。
色々な事が明らかになってきた今、素直に「ありがとうございます」と感謝できない自分がいます。

お楽しみの一環というのは言い過ぎかも知れませんが、高齢を理由にお祭祀を省略し、公務を減らすとも発表されたのだから、お嫌いな自衛隊のヘリをぶんどって、わざわざ行かれるのは、「楽しいから♩」なんじゃないかと。
私、だいぶ意地悪ですね。

貞明皇后さまと香淳皇后さまの事は、喜久子妃殿下の著書でも少し触れられてますね。
宮家女王としてお育ちになられた香淳皇后さまは、おっとりとされ鷹揚でこだわらない方だとも記されてました。

旧皇族方との御歓談の席も、東から『仲間外れにされイジメられるワタクシ』の声に遠慮して、次第にお集まりの機会もなくなったとか…
庶民からしても、本家長男嫁のヒステリーに遠慮して、親戚が集まれないって事ですよね?普通には考えられない状況です。

三笠宮殿下の御入院のニュースに、なぜか過去の『イジメられてる美智子さま』(笑)の記事やブログなどが上がってきております。

それが事実だというなら、へそで茶を沸かすどころか、へそで原子炉稼動する勢いです。


疑いを持たず一心に天皇皇后を敬愛する国民が多数いるうちに、ご慈愛仮面の虚像まま盆暗長男を連れて、お隠れになってくれないかしら…
またしても暗黒発言(笑)失礼致しました

恥ずかしいお写真

こんにちは。

当時はたぶんどんな場面を切り取っても熱狂していた頃でしょうが、今は曝し上げで悔しいと思うことを期待しています。ご本人方にです。

この頃何があっても皆アタクシの味方よ‼と有頂天だったのでしょうね。誰の子か分かりませんが一人息子を連れて。
成婚直後のミチ子さんって垂れた胸が透けて見えるファッション多いですね。これもそう。

仮にも天皇家の嫁が。眉をひそめたくなる気持ちも分かります。
当時の皇太子さまも同伴のホストみたい。でもアメリカ遊学中のノリなんでしょうね。

鷹司和子さんのご主人はお母様の香淳皇后さまが占いで決めてすすめられたと聞いたことがあります…和子さんもごゆっくりさんだった説がありますが、ご主人の死で話題にはなりませんね。

かえすがえすも照宮さまの早世は残念です。ただ照宮さまはミチ子さん推しだったのですよね。長生きされたら失望の連続だったかもしれません。どちらが良かったかは分かりませんが。

ついに来た、よくも来た!

ついに来ましたね、連日の“徘徊お遊び”の合間に。よく来れたものです、もう取り繕うという気持ちさえもないのでしょう。愚行を諌める職員もおらずまさにやりたい放題。対応に当たる熊本の職員も正直ウンザリだと思います。一日千秋の思いで罹災証明の発行や各種対応を多くの住民の方が待っているというのに相手をせねばならないのですから。
上空から視察ですって?政を司る立場でもない者が莫大な費用と貴重な便を使って何の為に。「ホントに大変ね」のいつものお言葉といずれ販売する【慈愛の旅】のDVDの為か、と嫌味の一つも言いたくなります。

私の周りの皇室にさして興味の無い人達も今回はさすがに「え…」という感じです、当然ですよね。でもテレビでは〈ご自身のお身体をかえりみずお見舞いに来られたお二人〉というニュアンスで報道されるのでしょう。今上天皇夫婦に関してはいつからかメデイアは礼賛ばかりのアンタッチャブル、北○鮮並みになってしまったなぁ、と思います。
全国ニュースでは熊本来訪は流れましたが、少なくとも私の見ている九州ローカルでは全く報道はされませんでした。ささやかな抵抗であれば嬉しいのですが。

KUON様

今晩は。
ブログの更新ありがとうございます。

熊本の、今上さん・お皿さんの姿には情けない思いです。
最近は映像を見るのも嫌になります。
お皿さん、ご自分の服装ばかり整え今上さんには無頓着!
恥ずかしいお姿です。
徘徊公務は止めて、御所で静かに暮らして欲しい。


秋篠宮両殿下のご立派なイタリアご訪問の数々のお写真を
見たあとだけに・・・。
秋篠宮家の弥栄を、毎日お祈りしております。

でものはれものひきでもの

おはようございます
母は、思いのたけは胸に於けといいました
被災地に千羽鶴ほど似合わないものはないと言ったのです

本来、字は上から下へ書くものでしたが
いまは左から右へという洋式に犯されました
わたくしは先人様達より戴きしものを次代に伝えられたとは
到底思えません

せめて生き様は先人様に倣いたいと想い過ごしております
あはは

いつしか
あいまみえぬことをおもい
お早うさんで御座います
あはは。

お返事遅くなりました



・laviniaさん


家を空けて帰宅してから、両陛下の熊本行きの(行幸啓とはいえません)記事や写真を見ました。

灰色のお二人。

一般のじじばばでも、どなたかに会いに行くには、家にいた時のままの(ような)服装ではないよなあ・・・。

あれに対して、一部のネット以外の声が会があがらないのが日本の現実ですね。

laviniaさんを「意地悪」とは思いません。思えません。その通りと思います私も。



・二宮さん


>疑いを持たず一心に天皇皇后を敬愛する国民が多数いるうちに、ご慈愛仮面の虚像まま
>盆暗長男を連れて、お隠れになってくれないかしら…

一心に敬愛する国民って・・どこにそんな方々がおられるのでしょう・・気分が暗黒になります、いや、なりませんのよ。

先日の「Will]誌、触れたいことありつつたどり着けないでいるのですが、あの紙面に、文面そのままでは無いですが、


「今までは皇室に対して関心が低いことが問題視されて来たが、今ではそれどころか、軽蔑の対象になっている」

とありました。

どれだけ上っ面、隠しても、人々はそんなにバカでない、ということでしょうか。

日ごろは住宅地にある自宅兼「本社」(笑)と、山奥の工場、スーパーマーケットくらいをナワバリにしている身が、久しぶりに都会へ出て・・大阪へ・・時代はもう違っているのだなあ、と、強烈に感じました。

どう言えばいいのか、脱力しているので難しいのですが。

自分の、次の世代の生きるこの国について、想像力を働かせられないでいます。

いままでに感じてゐた事の、輪郭がはっきりしただけのことかも知れません。

ごめんなさい、また今度はきちんとしたお返事書きたいです。

お返事遅くなりました。




・もみじ さん

想像ですが、今上には、美智子さんが、外への、自由の、扉だった。リベラルなツマの言うようにしていれば、楽しい世界だったように思います。

ホスト。(笑)。ホストで一流になるにも、それなりのガッツが要るのですよね。ツマの横で得々としているだけの、こんなホストではきっと、売れないと思います(笑)。ミテコさんも、女優と言うには軽いし。


成子さまが美智子さんに思いやり深かったのは、成子さまのご性格のゆえの気がします。世の中の苦労もされたので、思いやり深くいらしての「押し」だったのではないか、と。それとやはり、闇の部分には疎くいらしたこと。

美智子さんが「実はこう」なのは、わかる暇も無かったのでは、と。

しゃあしゃあと「み靴まいらす」なんて詠まれて。悼みのこころは感じられません。

和子さまは、実質的なご夫婦でなかったとも聞きます、難しいなと思います、成子さんの遺されたお子さまの一人の離婚された時に、子どもでしたが、天皇さまのとこでも、いろいろあるんだ、と、感じた記憶があります。



・やまと さん


画像を見てびっくりしましたよ。

灰色のおばあさんと、タイ無しのシャツだけのおじいさん、しかもだらしない風のシャツの、あの二人が、天皇皇后。

画像もアップして、何か書こうとするのですが、手が動きません。茶番が過ぎる感じで、イヤイヤ、なのです。


>対応に当たる熊本の職員も正直ウンザリだと思います。一日千秋の思いで罹災証明の発行や
>各種対応を多くの住民の方が待っているというのに相手をせねばならないのですから。

誰も来てくれとは言ってないのに。

生活にも時間にも何の不自由のない人たちを、お迎えせんならん。

上空から視察。

見て、どうするんだろう。何か言うたりなさるのか。

あれこれ思うと、イヤイヤ気が大きくなって来て・・・九州のお方なら、こんな程度ではないんでしょうね。

もう要りませんね。



・黒猫アビさん


ふつうなら、そんなかっこうで、お見舞いだか視察だか、とにかく人前に出ないで、のレベルの、お姿でした。

陛下のシャツはよれよれで、美智子さんの「ずぼん」は、膝が出ています。

裸の王様がどんな悲惨なものか、見て、げんなりしている方は多いでしょう、忠の方は絶滅なのですね。










はしびろこう ウナさん

千羽鶴。

これに類した「美談」が、溢れかえっている世ですね。

口にだせば非難される「なんでやろ」は、おいておかれて、美談ですべてを通して行く。

ウナさんのお母さまは立派な方だったのですね。


私は、普段は地味な生活をしています。仕事と、三世代の家族の雑事に振り回されています。本を読む時間が増えて来たのが「シアワセ」かな。(笑)。お酒も飲めないし、お酒の場を楽しめる明るいばあちゃんでもないの、。(笑)。

親父さんとは東京の方で、楽しいひとときを持たれるようですね。

楽しい、またとない時を、過ごされますように。フレフレ。(笑)。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://kuonnokuon.blog.fc2.com/tb.php/3095-173926a8

 | HOME | 

文字サイズの変更

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

悲しいこと (67)
福島事故 (37)
未分類 (361)
ことばのたのしみ (72)
ゆれ・ふら・とーく (137)
怒っていること (33)
嬉しいこと (42)
ノンタイトル (62)
今の思い (243)
呆然となること (51)
旅のこと、とか (5)
おそれながら、なことこと (3)
あほらしいこと (89)
残念なこと (33)
虚しいこと (52)
おそれながら、なこと (70)
わははなこと (39)
茶番じゃ。なこと。 (28)
実録 (15)
美しいこと (30)
厚かましい話 (57)
おそろしいこと。 (55)
「美智子さまの恋文」より (6)
たのしいこと。 (1)
うた日記 (17)
実は実話?。 (0)
実話ぢゃないのよ実は。 (1)
戯文 (1)
戯文 ジャムのかなしみ (2)
こういうこと。 (37)
御製 (9)
ミテ子さま・考 一 (1)
ミテコさま・考 (11)
みんなのうた (14)
くおんの万葉集 (10)
くおんの万葉集・番外もあり。 (2)

ブログカウンター

プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
・・・・・


としどしに わがかなしみは ふかくして 

いよよはなやぐ いのちなりけり


      岡本かの子

             


・・・・・・・・・・・・・・・


やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
・・・・・


としどしに わがかなしみは ふかくして 

いよよはなやぐ いのちなりけり


      岡本かの子

             


・・・・・・・・・・・・・・・


やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

FC2Ad

Template by たけやん