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先帝の

うた1gyosei2

  広き野を流れゆけども最上川海に入るまでにごらざりけり


大正15年(1926)年の、昭和天皇御製。

前年に山形県に行幸啓なさった折のおうたとか。

長い川が海にいたるまでの、長い期間。広い野を川は流れて行くのです。

その間にあるであろう、あるに決まっている、さまざまなこと。

「海に入るまでにごらざりけり」

これ、「にごらざりけり」は、にごらないでいた、あるいは、にごらないままだった、と、すでに起きた、終ったことを、振りかえる風にお詠みです。

つまり、大正から昭和へうつる、父帝からご自身へと代の移る、天皇としてはこれからだ、という時期のうた。

実際にはこの後、60余年続いた昭和の御代の天皇陛下は、始まりの一歩にして、その終章を詠んでいらしたのです。

こうして行くのだ、濁らないで行くのだ、の、おおいなるご決意。

未来は誰にも見えない。でも、こう生きよう、との決意は、可能です。


この先に何があっても、濁らないで汚れないで「その時」まで、行くのだ。

いっしんに行くのだ、にごらないで行くのだ。



陛下の、長い昭和の日々は、ご自身で思い定められた「そこ」に向けての、旅でいらしたのでしょうか。

そこへ向かっての、一日いちにちで、いらしたのでしょうか。



・・・・・・・そのように、読ませていただきます。。

追記:申すまでもなく、最上川という雄大な河の威容に、おこころを動かされて、かくありたい、かくあらなむ、のことだったと考えます



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   先帝の愛(めぐ)したまひし親王の慈愛の笑みの豊かなるかな


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  1. 2016.05.12 (木) 22:18
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  3. lavinia
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KUONさま こんばんは。

昭和天皇のお歌、真っ直ぐで清々しいお歌だと思いました。
私、昭和の時代は天皇陛下が大好きでした。

秋篠宮両殿下のイタリアでのお写真。
秋篠宮さまのお顔や表情が昭和天皇に似ていらっしゃるなあと思いました。
余計な事かもしれませんが、紀子さまのお衣装。
ミテコさまに比べたら随分リーズナブルなお値段のものではないでしょうか。
もう少し何とかならないのか、と悔しいです。

  1. 2016.05.13 (金) 02:06
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  3. 二宮
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昭和天皇の決意を込めた歌は、詠み手に真っ直ぐ届いてまいります。
これぞ男子一生の覚悟と申しますか、東宮夫妻の覚悟など塵に等しいと思ってしまいます。

ポツダム宣言受諾を国民に知らせた玉音放送でも、自分の御代で日本国民が殲滅させられたら明治大帝や大正天皇、皇祖皇霊に申し訳がたたないと仰ってます。

晩年は半分失神しながらも祭祀を続けられ、入江侍従の昭和帝を小馬鹿にした記述もあるそうです(怒)

維新が成された時に明治天皇の御代で、敗戦を迎えた時が昭和天皇の御代だった事の幸運を、災害続きの平成の代にしみじみ考えてしまいます。
  1. 2016.05.13 (金) 14:33
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  1. 2016.05.13 (金) 18:15
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  3. 紅の花
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コメントをどうぞ
はじめまして。この御製のお歌を、山形県では県民歌として戴いております。嬉しく有難く思うと共に、自分もかく生きねば、と気持ちが新たになります。ゆったりとした、素直な旋律の良い歌です。youtubeでも聞けると思います。いつも拝読しておりますが、今回は嬉しさに初めて書き込みました。
  1. 2016.05.14 (土) 13:24
  2. URL
  3. 長野県人
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映っている音楽隊は「カラビニエリ吹奏楽団」100名ですね。

これは凄い、国賓待遇です。
  1. 2016.05.14 (土) 19:11
  2. URL
  3. KUON
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お返事遅くなりました。



・laviniaさん

紀子さまのお召しのものに、いろんな意見が寄せられていますね。

ミテコさんが作り散らした珍妙な服の数々を思えば。思えば感無量です。

人生の後半に、光輝いや増されるのだと、黙って拝見しています。

言いたいことはいっぱいあるぞ。

一つ云わせていただきますと。

和服の襟元がどうとか。着なれていないのがわかってどうの、とか。

自国に於ける紀子妃殿下のご多忙を思えば。

柔らか物、シャランと、ゆったりとまとって、オホホホ、とかやってられる日常ではないやろ! と、言いたい。

何もかもをマイペースに計らう徘徊コウムのばあさまと、とことん元気なさぼりヒと、一緒にせんといて下さいと、ぐわぁっと吼えたいです。あなた様に、ではないです(笑)。


・二宮さん

何も知らなかった頃は、子ども時代に耳になじみのあった「入江侍従」氏のことを、いまどき、こういう感じの方はおられないなあ、みたいな感じで思っていました。

言ってみれば貴族的、言ってみればかっこ付けの、汚れることは性に合わない方。

昭和天皇の懸命さ、武骨なまでの不器用とも呼べる必死さは、あの方にとって、冷笑になってしまうようなものだったかも知れないです。

>晩年は半分失神しながらも祭祀を続けられ、入江侍従の昭和帝を小馬鹿にした記述もあるそうです(怒)

私も(怒)です。所詮は人間の範囲でもの見てるんじゃないかい、とか。

甘露寺おさなが、さまと仰るお方の笑い顔に一目ぼれして、こういう顔が存在するなら、階層社会もいいわねえ、とか、勝手にうなずいていた時期もあり・・本物の「無私」の天皇さまとは、まったく別なのですね・・・。



・ヒミツのcさん。

知らなかったことを、教えていただき、ありがとうございました。

香淳皇太后さまの御歌、読ませていただきました。

  ララの品

  つまれたる見て

  と(外)つ国の

  あつき心に

  涙こほしつ

今では、ララといっても御存じない方の方が多いのでしょうね。

ララ物資。戦後、国民に食べ物を、わが身はいかになろうとも、と願われた天皇の、請いに応じて届けられた食べ物。

パンや「ミルク」や何らかのおかずの給食も、子どもたちに出されるようになって。

今ではさまざまな思惑もあるらしいですが、天皇のおそばにあられた皇后さまは、素直なお気持ちで食べ物が「つまれたる見て」お喜びだったのだと考えます。

食べるものが無いほど辛い苦しいことは無い。これは、事実ですね。

もう少しじっくり、読ませていただきたいと思っています。



・紅の花さん

これも、そういう御製が存在するとはおぼろな知識だったことが、はっきりとわかり、ありがたく思います。

YOUTUBEで、壇上に皆さまが並んでおられる中の「このおうた」、ピアノで演奏されているものなど、見せていただきました。

本当に、なんとも言えないおうたと思わせていただきます。

短い詩形ですのに、短歌はすばらしいなあ、と、改めて思います。

日本人には日本の言葉。美しい日本語が、好きです。









  1. 2016.05.14 (土) 19:18
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  3. KUON
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・長野県人さん


カラビニオリ吹奏楽団、初めて検索して見ましたよ(笑)。

そうなのですね。いろんな方に、いろいろ教えて頂けて、わたしいいなあと喜んでいます。

伊太利の、国家憲兵隊の吹奏楽団。

中学も高校も、吹奏楽の盛んな学校で「ナイルのまもり」や、ええと、何でしたっけ。タイトルが出て来ません(悲)、練習中の音も聞いていたなあ、と思い出しました。とは脱線。

国賓待遇であることは、さまざまな場面に「見え」ます。あったりまえのことですけどね。

嬉しくありがたく誇らしいことです。

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四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

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