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オフ・・・?。

おはようございます。

私は、上杉隆さんを「特に好き」ではないが、真摯な、保身一途では無いジャーナリストだと思っています。

こんな記事つまらないと思われる方もおありのようですが、読んで下さっている証拠なので、それは大変ありがたいですが「止めろっと言われても~」上杉さんの「爆弾」を、ご紹介してしまいます。



年内をもってジャーナリズム活動を無期限休業する上杉隆氏が権力とメディアの「官報複合体」に向け最後の爆弾を投下する。政治記者たちが封印してきた「オフレコメモ」をすべて暴露するというのだ。政治家・官僚と記者クラブメディアの「不適切な関係」を白日の下に晒す最後の警告。

■官邸に上納される取材メモ

記者:今日の総理会見の感想は?

A:まぁまぁ。

記者:語りかけているのは向いていないようだが?

A:ああいうのは得意じゃない。

記者:菅総理が記者会見で(国会議員の)定数削減に言及したが?

A:今朝の公邸での朝食会で「具体的なことを言った方がよい」と言った。私が指示した。これオフだよね。(笑)

記者:総理の演説はどうだった?

B:良かったんじゃない。両院総会の演説は良かったよね。



上から目線で首相(当時)の会見を評価してみせたこの二人。何を隠そう、枝野幸男経産相と蓮ホウ・行刷相である。

Aは2010年7月30日に枝野氏が、Bは11年1月24日に蓮ホウ氏が、ともに番記者たちを前にして首相会見の感想を語ったものだ。

だが、これらの発言は、一切翌日の新聞には掲載されていない。枝野氏が確認したように「オフレコ」条件の取材だったからだ。彼らはそれで表の「事業仕分け」とは違う顔を番記者たちに見せたのである。

では、記事に残っていないオフレコ発言を、なぜその場にいなかった私が知ることができたのか。これからその秘密を明かそう。

記者クラブメディアの記者たちは、官邸などで開かれる表向きの会見を速記すると同時に、政権幹部らによる「オフ懇」(オフレコ懇談会)も記録に残す。オフレコといいつつ、実際にはICレコーダーに録り、書き起こしてメモにする。

そうして「オン」「オフ」などと注意書きされたメモの集約が、キャップからデスク、政治部長、編集局長へと「メモ上げ」されていく。現場で取材もしない幹部たちが記事を書いたり、テレビで解説したりできるのはこのためだ。メモさえあれば、新聞やテレビの報道など誰でもできてしまう。

現在は禁止されているが、米国でも30年前まではこうしたオフ懇メモが存在した。ただ、時代遅れには違いないが、日本のマスコミではこの程度なら問題とならないだろう。重要なのは、国民にはわからないところで、メモがもうひとつ別の使われ方をしているということです。

メディアの幹部や中堅記者たちは、野党も含む各現場から上がってきた膨大なメモを、結果として官邸に「上納」しているのである。つまり、各メディアの取材メモはすべて官邸の手元に渡っているということだ。

現場の記者たちがこっそり回していると信じているオフ懇メモも、当然、権力側は知っている。だから、政権幹部や官僚たちは、実際には録音されていることを見越してオフ懇で観測気球を上げたり、メモを見て与党議員や野党の動向を探ったりもしているのだ。しかもメモがあれば、どのメディアがどのように取材を進めているかも手に取るようにわかる。結果として、現場の記者たちは官邸の情報収集係として利用されているというわけである。

かつて『週刊ポスト』で官房機密費問題を追及した際、自民党政権時代の官邸関係者はこう語っていた。

「官邸は、機密費で各新聞社の幹部からメモを買っていました。メモを集約するのは毎日の日課だった。月一回くらい、情報の対価として機密費から100万円程度を支払っていた」

このシステムは、徹底して情報収集した当時の官房長官の名前を冠して「野中システム」あるいは古くは「後藤田システム」と呼ばれていた。

■40万枚以上のメモ

実はこの膨大な量に上る各社の(1社ではない)メモが、極めて希少なソースを通じて、私の手元に10年以上ほぼ毎日送られ続けているのだ。記者たちが懸命に作り上げたメモは、24時間以内にデータとして私に届く。その数はA4用紙にして日に平均100枚以上。ジャーナリスト生活12年の間で、少なく見積もっても40万枚ものメモを私は保管していることになる。さらに1対1でのオフレコ取材など、より機密性の高いメモも別途送られ続けている。

官僚と記者クラブから最も嫌われるはずの私が、このメモを持っていることに、記者クラブシステムの限界を見て取れるだろう。

ただし、メモの中身となると、官僚の首が一発で飛ぶようなものや記者の人間性が問われるものも混じっているが、オン会見は予定調和のものばかりだし、オフのメモもどうでもよい与太話ばかりだ。しかも、各社のメモにはほとんど違いがない。会見やオフ懇の後に記者同士で「メモ合わせ」を行い、聞き漏らしや間違いがないように確認し合っているからだろう。さらには、現場に来ていない他社の記者のために「代打ち」をしてメモを上げたりしている様子も窺える。メモには「他社もらい」という言葉が散見される。

こうした「談合」が罷り通ってきたのが記者クラブの実態なのである。記事を書く元になっているメモが同じなのだから、新聞各紙、横並びの記事になるのも当然である。こんなカルテルやカンニングのようなことは海外メディアでは絶対に有り得ない。「談合」の証であるメモの存在が明らかになった時点で、それらを共有した記者たちは一人残らずクビになるし、そのメディアも終わりになるだろう。

私は11年12月31日をもってジャーナリストを無期限休業する。元ジャーナリストになる私は、いよいよこの不健全なメモを公開し、記者クラブシステムの是非を問おうと思う。

来年早々、私はさまざまな」メディアでこの40万枚にも及ぶメモを分散して公開していくつもりだ。それは、自らの身の安全を守る意味でも、また、官報複合体がソースに悪事をしないためにも、長い準備を経て行う決断である。

米外交当局の公電を暴露したウィキリークスに対し、私のそれは、官報複合体の恥部を晒すものとなるだろう。このメモ公開は、記者や政治家の個人攻撃を目的とするものではない。あくまで日本のメディアシステムの不健全さを表す象徴的な存在として、日本の皆さんに問うものなのだ。

今回、記者クラブ問題や官房機密費問題を追及してきた『週刊ポスト』で、まず最初にそのごく一部を公開することにした。

■「怒ってる感じ伝わった?」

今回公開するのは、震災前までの菅政権のオフ懇メモの一部だ。書かれている発言の真偽は別として、メモ自体が本物であることは、関係者には一目瞭然だろう。

例えば10年9月には、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件があった。海保は中国漁船の船長を逮捕したが早期に釈放。菅政権は「あくまで検察の判断」と言い逃れした。その間、官邸側が記者たちに何を語っていたかは明らかにされていない。

9月22日、中国の抗議がエスカレートしている点について、瀧野欣彌官房副長官(当時、以下同)はオフ懇でこう述べている。

<→

記者:起訴でもされるとさらにエスカレートしそうだが?

瀧野:勾留期間は29日。そこでどうなるか。シーシェパードのように長期化するのは懸念している。小泉さんのときのような反日にならないことを願っている。

記者:有罪判決にでもなればどうなるのか?

瀧野:こちらは粛々とやるだけ。こちらはあくまで、受身の態勢。そうなるかについては・・・。

←>

中国を恐れ早期釈放への願望を吐露する一方、あくまで検察の判断に「丸投げ」する体裁は崩していない。

瀧野氏は官僚だけにまだ発言に含みを残すが、民主党参院議員の福山哲郎官房副長官になると、ずっとわかりやすい。

10月末にASEAN会合でベトナム・ハノイを訪れていた福山氏は、日中首脳会談が中国にドタキャンされたことを受けた会見で「驚いた。真意を測りかねる」と強い口調で述べた。11月1日夜に官邸で行われたオフ懇では、福山氏が自らそのことを振り返った。

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福山:そうだ。俺なんか映像写ってた?

記者:コメント映像は何回も使われてました。

福山:そう。何か「怒ってたね」って帰ってきたらすごく言われたんだよね。でもあれ(現地での)質問誰したの?ここにはいないよね。なんか「日本からまたお願いしますか?」とか言うから。

記者:でも怒ってましたよ。

福山:そういう感じは伝わった?

記者:伝わりました。弱腰と言われないためにもいいんじゃないですか。

福山:そう。

←>

福山氏は最後に「これオフだよ。明日紙面に載ったら怒るからね」と語っている。ハノイの会見で憤っていたことが、実はポーズであることを自ら認めているというわけだ。

こうして政治家や官僚は、オンとオフを巧妙に使い分ける。記者たちもそれをわかっていながら、表の予定調和な会見だけを記事にしていく。私が日本の記者会見を「茶番」と言い続けてきた理由はここにある。

記者メモを見ていると「オフ」で話す政治家とそうでない政治家に二分されることに気付く。小沢一郎氏や岡田克也氏、原口一博氏などは、ほとんどオフ懇に応じることがない。記者会見をオープン化してきた政治家にとって、記者クラブの番記者相手にオフ懇をやることは、そこに入れないフリーランスや海外メディアに対してアンフェアだと考えているからだろう。

一方で菅政権当時、もっとも多くオフ懇を行ったのは仙石由人氏だ。彼は官房長官として、後藤田正晴や野中広務氏と同じように、番記者をコントロールしようと目論んでいたのだ。

たとえば10年12月28日、赤坂の中華料理店で行われた番記者との忘年会で、小沢氏が政倫審に出席するとのニュースが突如舞い込んできた。小沢氏と対立いしていた仙石氏はその場で記者から一報を伝えられるとこう言ってのけた。

<→

ほれ。俺の言った通り(笑顔)。政治は一寸先は闇・・・というあれだから。一寸先は台風一過!

←>

わざわざ良い意味の諺に置き換え「明るい話題」であることを強調している。

11年1月14日には、翌日に65歳になる仙石氏の誕生会が番記者によって開かれた。記者たちからペアカップなどをプレゼントされた仙石氏はご機嫌になった。

<→

記者:解散はないか?

仙石:解散なんてしないよ。306~7議席持っていたら世論がどんなに非難しようと解散しないよ。またたらい回しするだけ。そのとき誰が(総理を)やるかわからないけど。どんなに支持率が下がろうと権力持っている方が強いんだよ。簡単に手放すなんてしない。

←>

このあとも解散権を持つ菅首相を無視するような発言が続くが、まったく報じられることはなかった。官房長官として仙石氏の不信任案が出された際など

<→

「あなた方がちゃんと(記事に)書かないからこうなるんだよ。そうでしょう?」(10年11月15日夜)

←>

と恫喝まがいのことまで言われているにもかかわらず、記者たちは黙っている。もはやジャーナリストとはいえない。

■こんな八百長は止めろ

こうした記者クラブの限界が、3・11の東日本大震災で露呈する。政府や東電の会見で、原発事故の問題をなにも追及できない記者クラブの無能ぶりが、国民の目にも明らかになったのだ。

一方で11年は「オフレコ破り」によって、多くの政治家や官僚が辞任した。だが、そもそも海外のジャーナリズムにおいては、複数の記者がいる懇談の場でオフレコが成立すること自体が稀だ。政治家や官僚の言いなりになって「オフレコ」を守る日本のメディアこそが異常なのである。

松本龍復興担当相のオフレコ発言を最初に報じたのは東北放送だし、田中聡沖縄防衛局長の「犯す」発言は琉球新報だった。ともに、記者クラブの中ではメインストリームではないローカルメディアが報じたものを、他が仕方なしに後追いしたに過ぎない。

鉢呂吉雄経済産業相の「放射能つけちゃうぞ」発言に至っては、そもそも鉢呂氏は「放射能」という言葉を使ってはいない。防護服姿の鉢呂氏は記者から「放射能付いているんじゃないですか?」と言われ、近づいただけだ。しかも第一報を報じたフジテレビ記者の姿を、鉢呂氏は確認していない。つまり、記者たちの談合で生まれた虚報で、鉢呂氏は辞任に追い込まれた。

松本氏といい鉢呂氏といい、政権の中枢ではなく、官僚たちが「あいつはもう駄目だ」と切り捨てた閣僚が、オフレコ破りの標的に遭っている。一方で、仙石氏や政権中枢のオフレコが表に出ることは決してないのだから「オフ破り」すら八百長に過ぎないのだ。

政治家が表の会見では嘘をついていることを知りながら、国民を騙し続ける記者クラブメディア。これによって洗脳される国民はあまりに不幸である。

いい加減、八百長カルテルに加担するのは止めるべきではないか。今回のメモ公開はジャーナリストとして無期限休業する私の、そうした「同業者」に対する40万ページにも及ぶ「クリスマスプレゼント」であり、記者クラブシステムへ全体への「最後通牒」でもあるのだ。

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えまさん、今年もばりばり始動で、出張されているのですね。

自立、とか言うけど、本当に自分の足だけですっくと立ち続けていられる人間って、マレではないかな~、と、あかんたれで座りたがり屋の私は思う。ただ、気持ちとして、いいかげんなものを信じるフリしていたくない、と思っていられた気がしますよ。

茨木のり子さんは、青春と呼ばれる煌く(はずの)時期、戦争の中を生きておられた。そして一日を境に、あらゆる価値観がひっくり返り、信ずるべき対象まで転回し、つくづく、何を信じるのか、信じられるか、思い悩まれたと思うのです。

詩の解釈は人それぞれと思う。どう読んでもいい。なんで、いま、ここに引いて来たかと言えば・・・好きな詩だから。では、話が続かない。笑。

この詩も、上杉隆の言い続けていることも、根っこは同じな気がしたから、でしょうか。小出裕章先生の仰っていることも。

操作された情報を、今まで通り受け入れて、テレビが言ってるから、新聞に書いてあるから、と、信じて、あと、裏切られた、とは思わないでいられるなら、それでいいと思う。

自分のアタマで考える。自分の心で受け止める。そういう風に、できたらいいな、と、考えているKUONであります。自分で決めて行うことなら、もし「間違ってる~、間違うたわ~」になっても納得できる。

えまさんの、初めの頃からの「怒り」は、その通りのものと思います。怒って当たり前なんです。

こういうことを、言い始めると、止まらなくなるので、なるべく言わないようにして来たのよ。とほほ。。

ここでは、喋りたい。自分のブログだから、言いたいこと、誰かが代わりに言っていてくれると感じることを、記したいです。

はまやさんへは予定通り行きます。飛行機で行きます。神戸空港から飛ぶの初めてなので、どきどきします・・・。

yuutaさんのお世話になり、おんぶに抱っこ、迎えに来てもらって、ようこさんもご一緒になって、車、飛ばしてもらって、行けるところまで・・・福一、と呼ばれる原発から、20キロ圏内のあたりくらいには、連れて行ってもらえそうです。
帰りの「はまや」さんへの道沿いは、津波に襲われた風景も見えると聞いています。

原発の近くまでは行けなくても、その方角を、思い切り、睨みつけて来たい。

海老蔵さんでもない私が「睨んで」何になるとも思わないが、思いを込めて、睨みつけて来たいのです。

人間が勝手に作って、使えるだけ使って、いま無惨な姿になって、憎まれる存在となっている、原子力発電所。静かな終わりを迎えることの不可能な巨大な機械。

原発は、人間の命ずるままに動いて来た。機械に感情は無い。自分の都合も無い。

ロバート・デ・ニーロが演じた「フランケンシュタイン」は、自分を造り出した博士に向かって、断腸の一言を漏らしていた。「愛せないならなぜ生んだ」と。

制御できないものを、なぜ、生み出した・。。。。言って空しいでしょうか・・・。

憎むべきは、利用し、私利私欲のみを守り・・だと、考えるのは、私だけでしょうか。

えまさんの分まで、睨んで来てあげます。いいですよね?。



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  1. 2012.01.09 (月) 19:29
  2. URL
  3. えま
  4. [ edit ]

kuonさん

はい!お願いします!!是非睨みつけてください。

《憎むべきは、利用し、私利私欲のみを守り・・・》
私も同じ気持ちです。

そして・・茨木のり子さんの事、ありがとうございました。
生きてこられた時代、その方の事を何も知らなくて。

本当に今と茨木さんが過ごされた時代とが、符合する、怖い状況があるのですね。

茨木さんは、潔い・・・







主人もkuonさんの文章を読んで涙していました。





  1. 2012.01.09 (月) 19:42
  2. URL
  3. 山イチゴ
  4. [ edit ]

お姉さん長男が産まれた日と同じ良い天気
偶然成人式と重なったけど、長男は参加する気もなく普通の日常。
私も、感慨深いながら普通の日常。
とりあえずいつもの誕生日メニュー夕食
自分は2度目の成人日。1度目は祖母他界後3ヵ月も過ぎてなく、とてもその気無し生前近所の美容院や写真屋へ祖母が予約してた。周囲の「供養になるから」説得でしぶしぶ
2度目三途の川から帰還した日。
「だから、私は20歳だねぇ〜」と言ったら家族

オフレコ爆弾
個人名前はだいたい私が日頃胡散臭いと思ってる方ばかり特別驚きも引きもなく、具体的発言に「ふ〜んそう言ったのか」と読みました。一粒の救いは原口さん。
いつもこのような存在は目立つ事なき場所にいる。だから私は絶望から這い上がれたと経験的確信してます
子供の頃からきく?感知能力あるらしく「あの人どうや?」と祖母によく聞かれた。子供ですから素直に感じるまま答える。
的中率高く、もちろん結果出る時差はありましたが。
それは、人間に限らずです…元旦地震速報で「福島原発ヤバい」浮かんだが、ニュースでなかなか報道ない!これは怪しいと…!その後やはりな事実が出る。このパターンいつも
あまりにポロッと呟くから、カン夫が怖がるんですよねぇ〜
もちろん、報道・雑誌・ネットはとにかく見ます、読みます、調べます!!
それも子供の頃からで大人達の会話をタンボ、目表情見るクセが。生まれつき軽い難聴と視覚弱いから自然に身に付いた事。感受性も影響したと思いますね…。それが特殊能力かは私にはわかりません。誰でも状況や環境で身に付く程度だと思ってますよ…私は

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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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