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今日も元気でいましょうね^^

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さんこつ




  わざわざに桜見たしと若き日に思はざりけり花の道ゆく


  雪柳 白木蓮を見てきたる目を細め視る万朶の(ばんだ)の桜


  遠き日の遠き訣れに降りゐしは雪なりしかも花の坂ゆく


  若き吾がいらだちて見ぬ青き空 光 黙して咲きゐる桜


  葉桜へ移りゆくさま巨大なるドミノ倒しの図柄のごとし


  花の季終わればそこにらんまんの花咲きしこと忘れて通る


  子がもとへ身を寄せし姉らんまんの桜の下に今年は居らず



  春祭り明日よと母の言ひ出でぬ六十年前に離れし故郷の


  相続のもつるるままに放置さるる故郷の家をこの頃云はず


  ふるさとを母は持てどもふるさとは母にとりても夢にゆく土地


  末娘わが家に老いて引き取られ庭に小さき花花咲かす


  留守居する老母と老ゆるシャム猫と昼餉、おやつも器ならべて


  いま一度会ひたしとまた葉書来る八十四歳の母へ友より


  母のゐてゆふべの窓に吹き鳴らすハモニカの曲古きメロディ


  自転車をぐいぐい漕ぎし母なりき夜半はばかりに擦り足にゆく


  今になほ父よ母よと恋ふ母にまことあの世とやらのあれかし


  さやうなら齢かさねて思ふこといつか逢はなむくにのあること


  この母と映画見しことただ一度ありき忘れじよ「一握の砂」


  わが母の育ちし村の夕映への山に向かひてブランコを漕ぐ


  そろそろと母の肩の辺庇ひゆく比叡おろしの吹き来る町を


  ふるさとの小川の橋ゆ蒔く母の遺骨ひとつまみ 山は夕焼け


   


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4 Comments

おとめ  

心に沁みるお歌たち

>ふるさとの小川の橋ゆ蒔く母の遺骨ひとつまみ 山は夕焼け

この四年あまりに両親を介護して亡くしたわたくしには心に沁みるお歌です。

わたくしも母ののどぼとけと指のいくつかを故郷の川に沈めてきました。

故郷の川に洗われてさらさらと透き通ってゆく骨が見えます。

喜んでいるかなあ?

介護の四年、父や母に、ああすればよかつたこうすればよかつたと後悔ばかりです。

子供とは親に対する後悔を抱いて生きるものなのですね。

2016/04/14 (Thu) 09:10 | EDIT | REPLY |   

KUON  

・おとめ さん

ご両親を、介護され、そして見送られたのですか。

自分のことを書かせていただいてしまいますが、母が逝った時、おおっぴらに泣くこともはばかられる自分でした。小さくなっているべき身でした。棺の中に、毎年欠かさず参加していた女学校の同窓会のアルバムを、ひそかに入れるのが精いっぱいでした。母の、そういう世界を、当時の姉たちは疎んでいた。母であったことは無く、自分だけで生きた人であると。

私は、母のヒイキを受けていて、姉たちの苦しみはわかっていないと言われていて。

そんなことは、あるはずが無かったのですが。わあわあ言う人間と、口から出せない人間とが、いるのですよね。

確かに、娘が苦労している中でも、セーターはカシミヤしか着ない人だった(笑)。いい靴しか履かなかった。最後までお洒落で身ぎれいで、私には、それは、いささか自慢で喜びでもあったのですが。姉たちの気持ちもわかっていました。

母は、娘は誰も自分に似ていないと文句言っていた(笑)。確かに似ていない・・・でも、母の娘です。みな頑張り屋で、お人よしだと、私は、思っています。

で。骨揚げの時、どうしても少し欲しかったけど、とにかく、感傷的なことは言わないで、の場であって、そこでは入手できず、主なお骨を壺に納めた後、残っている(おかしな言い方です我)のが、皆の視線をはずれたあたりに、置かれていた、のを、ささっと、まっさらなハンカチを用意していたのを、かぶせて掴んだ。

母の骨はまだ熱くて、ハンカチはすぐに焦げた色に変わり、私は焦りながら冷静に、ジャケットのポケットに、左手の甲のあたりでしたか、お骨を盗んでしまいました。

自宅の神棚に、長く据えていましたが、ある時、夫が、もう、お祖母ちゃんを、落ちつけてあげたら、と言いました。

母は、誰より私の夫を好いていました。安心できたのでしょう、夫は、とてもいい人なのです。でもそれも、よくしてくれた義兄の妻である姉には・・・なことで。難しいです人間は。と、思います。

私も夫に感謝しています、母と同居してくれたこと、母の故郷へ連れて行ってくれたこと、橋の上から、生涯、恋い続けた「ふるさとの川」にお骨を散らして、座り込んで泣いてしまった私を、車の中でいつまでも、待っていてくれたこと。

山の夕焼けが、きれいだったのです。

・・・…自分のことばかり書きました、ごめんなさい。

母にも、姉たちにも、配慮も何も足りなかった自分を実感しています。

義兄にも甥や姪たちにも、感謝してるけど、口に大きく出せません。

おとめさんのご両親はきっと、お幸せだったと思います。本当にそう思います。

>子供とは親に対する後悔を抱いて生きるものなのですね。

これももう、本当のことですね。

四年なら、まだ、ひりひりと痛いかなあ、など、想います。

言い尽くせないですね。

うたは、気持ちをすっと出せていいな、と、自画自賛している、おめでたいKUONです(笑)。

2016/04/14 (Thu) 11:20 | EDIT | REPLY |   

よみびとしらず  

雨上がりました。

~留守居する老母と老ゆるシャム猫と昼餉、おやつも器ならべて

私の母と同じです。もっともうちのは、迷い猫(捨て猫?)の三毛猫でしたが。

『どっちが、長生きするか競争しようね。』
と言っていましたが、10年前の梅の花が満開の時に、猫は姿を消しました。
10年経って、母は、ナントカ・・・生きています。

骨揚げのエピソード、宮尾登美子さんの小説『鬼龍院花子の生涯』のラストを思い出しました。
夫の家族に、夫の遺骨を分けることを断固拒まれて、神様の与えてくれた一瞬の隙に、一片の骨を盗み出し、逃げるようにその場を去るときの科白。
『なめたらあかんぜよ。』

映画とは、全く違うシチュエーションでした。
夏目雅子さんは、美人だったな。
宮尾さんも去年だったか・・・亡くなられたな・・・などと、思ったりしました。

2016/04/14 (Thu) 12:15 | EDIT | REPLY |   

KUON  

・よみびとしらず さん

うちの猫も、さまよっていた猫です。数日様子を見ていたが、飼い猫あがりのようで、どんどんやつれて行って。二人の子どもが、泣きながら「飼って」と言うので保護して、家の前の車置きの壁に、似顔絵と写真、保護日を書いて貼っておきましたが、飼い主あらわれず。

うちの猫になりました。お腹が大きくて、皆で産婆して産ませましたが、本猫は、医師のいわく「ほぼ純粋のシャム」でしたが、仔猫はミックス。飼い主の望まぬ妊娠をして、の結果かと見当つけました。

シャムにしてはタヌキ風味もあり、真っ青な目と、当時のソファカバーにぴったりのこげ茶とベージュの被毛が美しく、猫好きの私は、うっとりとみとれたものでした。

避妊手術受けさせて、長く一緒に暮らしました。母性的な優しい猫でした。

母の、ともだちになってくれていました。老齢の猫になって、そふとで、互いによかったのでしょう。


「なめたらいかんぜよ」のセリフは知っていますが、私は、宮尾さんの小説、読んでいないのです。そういう時のタンカでした?映画も見ていません。

夏目雅子さんは、透明感のある美しい女優さんでしたね。

2016/04/14 (Thu) 21:14 | EDIT | REPLY |   

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