KUONのブログへようこそ。

ブログタイトル変えました。中身は変わらずKUONです。

あの日   追記しました



4月の12日は、母の命日である。

12年経った。

その日、朝、七時きっかりに次姉から電話がかかり、おばあさんが、と告げた。わたしは知っていたが、そうなんだ、と、答えた。

あ、そうだ、と思い、姉に、母を今日まで、ありがとう、ございましたと言った。

間の抜けたこと言って、と、いつものように姉はダメ出しの言葉を発した。

挨拶になってないがね。そう言った。何かあるたび私は、二番目の姉に、こうして叱られている。

来れるかね、と尋ねる姉に、行かせていただきますと返事をした。はいだけでいいのだと、姉は、またダメを出した。

仲が悪いのではない。そうだと思う。私と次姉と、もう一人長姉は、父が死んでから別々の家で生い立った。

姉二人は年が四つ離れているだけの姉妹、父の生前には、それなりに豊かな暮らしぶりだったようで、さまざまなハイカラな写真もある。父は、妻を泣かせても、娘たちに革の靴をはかせて不二家パーラーに連れて行ったり、習い事をさせたりしたい好みの男だったようだ。家には琴があった。覚えている。

すぐ上の姉と八つも離れて生まれ(真ん中に兄が、生まれて三日目に死んでいる)、五歳で父親を亡くして、自分の神様を頼るしか生きようがなくて独自の道を突き進んだ母に、末っ子一人が引き取られた・・つまり私だが、そのような子と、姉とは、何かが大きく違っていた。

父の死の当時、長姉は高校の寮に入っていて、長期の休みの時には、帰って来た。

母に対して常にイラついている長姉だった。父の遺した家もいくばくかのあれこれも、母は、神様に捧げて、無くしてしまっていた。母は長男の妻であったから、親戚からも縁切り状態になっていた。

「あのヒトは何も相談しないで勝手にして、家まで売って帰る場所を失くさせて、その癖、長女長女とかぶせて来る」

冷たい目で長姉は、母を見ていた。父親に溺愛された長姉だったという。

私は、ただ、不安で悲しいだけだった。母も長姉も、好きだと思えない人だった、不安にさせるばかりだった。母と移った家での暮らしは、私にはきついものだったのだし。

進学しても、やはり学寮に住まっていた長姉は、やがて恋愛をした。相手は露西亜文学科を中退したという、山陰地方の旧家の息子。

火のついたように燃え盛って駆け落ちのように行ってしまって姉は、すぐに、女の子を生んだ。

手続を踏まない結婚をしてロブンチュウタイの男の暗い古い家へ入った長姉から母に、時々、暗い手紙が届いたようだ。

二十歳を幾つか過ぎたばかりの、赤ん坊を抱っこしている写真の長姉は、髪もばさばさしていて、気取り屋でお洒落でいいもの好きだったY姉ちゃんの面影は無かった。母は手紙が来るたび怒っていた。怒りながら、何やかや、送っていたようだ。

次姉も高校の寮に入っていた、やはり時々、母と私がいる家へ帰って来た。この姉は、昨年亡くなった叔母・・父の妹・・がとにかく大好きで、帰省して来た数日後にはすぐに、叔母の家へ寄せてもらいに行ってしまった、実の母親がここにいるのに、と母は、次姉にも怒っていた。

次姉のみならず、叔母にも怒っていた。次姉が、自分より叔母を慕うのがイヤなのだと、私は見ていた。

叔母は、私たち姉妹に、本当に優しい叔母だった。母親とはこういう人の感じだろうと、考えていた。

私も叔母が大好きだった。それを母には言ってはいけないと知っていた。


三人姉妹ではあるが、私は、五つまでしか、姉たちと家族ではなかった。

三人、それぞれに、それぞれの生き方をして来た。

長姉は、結果的に、子どもを四人、分けたりしないで全部引き取りたいだけを条件に離婚をし、多くの、身内や他人さまやにお世話になって、頑張り抜いて育て上げた。

当然お金には余裕が無い暮らしをしていたが、パン屋でパンの耳を、5円くらいで一袋、分けてもらって来て(必ず、5円でも、払っていた)、トーストして、紅茶のティパックを、母子5人で2パック、おごる時には3パック、淹れて、丸いちゃぶ台に正座して向かって、いただきますと、朝食をとっていた。

次姉は、高校を出て叔母の薫陶を受けて家事など覚え、就職もしたが、初めての見合いですんなり結婚した。長姉がドタバタともめたり喧嘩したり別れたりしているのを見ていたので、自分は普通に暮らすのだと決意したのだそうだ。

いささかの酒やたばこをたしなむくらいで、真面目で腕のいい建具職人、穏やかで優しい義兄を、次姉は助けて頑張って、大きな家も建てた。この姉は歳と共に辛辣になり、かかあ天下にもなり、ボーっとしていて「見ていてハラハラする」妹の私に、何やかや指図して来る。

指図と説教と干渉が何より嫌いなのだが、次姉には勝てない。

はあい、と聞いていると、はあいじゃない、はい、と、必ずダメ出しして、ケラケラ笑う。仲が悪いのではないのだと思う。

馴染みがないままでいる。

母の娘は三人、今はそれぞれ、なんとか安穏に暮らしている。

12年前、母が亡くなった頃は、まだ、そうはなっていなかった。

私は、大変な時期だった。

他の姉たちと、どうしても暮らし続けられなくて、末っ子の私の家へ、転がり込むように入って来た、晩年の母。

許してくれた夫がいてこそのことだった。10年、母と暮らした。

・・・・・・・書いていると止まらなくなった。

12年前の、その、4月12日に入ってからのことだったか。

幼い孫息子と、一階の部屋で眠っていた私の耳に、とても綺麗な澄みとおった音が聞こえた。

響いた。

りん、りん、だったか。透き通った音だった。

天上の方から、音は、した。

眠い目をあけて見た「そこ」に、一瞬、黒いというか、網目状というか、ぼんやりと「見えた」。

おばあちゃんだ。そんな気がした。それだけだった。

私はすぐにまた目をつむって眠ったし、音はもう、響いていなかった。

しかし私には、わかった。

七か月前、泣きながら、だますように、迎えに来てくれた次姉夫婦の車に運び入れた母が。

最後まで一緒、と思っていたのに、そうするつもりだったのに、婚家の会社の倒産で家は競売にかけられていた、早いうちに母のことを、いつ出なければならなくなるかわからないから、と、思案の末に、自分勝手なやり方で、無茶に姉夫婦に、母を押しつけた私だった。

苦しかった。苦しんだ。

ごめんねごめんねと、心の中で、母に、謝り続けていた日々。母は、自分のお金も、ずいぶん融通してくれていた。姉たちは、事情がよくわからないから・・私の婚家ははじめ、資産のある家だったし、私は、家が傾いて行く話など、ほとんど知らせていなかったし・・・親のお金を遣いこんで、それから母を姉に放り投げた、ように、姉や甥、姪には言われてもいたし。でも、本当のことは言えなかった、なかなか、言えば心配かけるだけ、言っても理解はされないだろうし、何より二人の姉は、私はもう、今度こそ夫と別れればいいと考えていたのだし。まあ、うまくは言えないことばかり、ただ、苦しかった、母に申し訳なかった。母は、私と暮らして幸せだ、楽しいと、言ってくれていたのだから・・

そんな日の中の、1日のこと。

母は、死んだのだ。それが、私にわかった。

遠く離れた姉夫婦の家の、あのベッドで、死んで、そしてすぐ、私のところへ飛んできたのだ。

音を聞いて何かを見て少し眠って、すぐに目覚めて私は、考えていたのだった、深夜に。

母は死んだ。

すぐに、瞬時に母は、飛んで来てくれた。不自由になっていた体を、するんと抜けて、来てくれた。

私を、許しに。

そんな、思いつめなくていいよと、許してくれようとしたのだ、と、わかった。

勝手な話だ、都合のいい話、でも、そうだったのだ、信じている。

こころは、そして、安らいだ。

歩いていて、急に涙が止まらなくなったりはしたが、恐れていたようには悲しくなかった。


姉の電話を受けた時には、知っていた。

お金の無い時期だった、JRのふつうの電車に乗って、名古屋へ向かった。


電車は空いていて、一人で4人掛けのシートに掛けて、あの日は孫息子を連れていないで、一人で、揺られていた。

窓の外にはまだ、桜があった。

桜の花びらは、風に流れたり風に巻かれたり、していた。

母は、死んだのだなあ、と、何度も内側に確かめながら、泣きもしないで、揺られていた。



追記です。

母は、二人目の娘・しっかり者の次姉の家の明るい部屋に寝たきりになっていて、姉や姉の子や甥の妻や幼い子たちによく世話をしてもらい、訪問介護も受け、死の前日はお風呂のサービスも受けていました。

夜、母をどうしても愛せなかったと言いながらも、どの娘より親身だった姉に、掛け布団を胸まで上げてもらい、おやすみ、と言ってもらい、そのまま心臓が止まって、おはようを言いに入った姉が見つけた時は、眠ったまま、体温が下がり始めている状態でした。

九十歳でした。

苦い思いもさせたのに受け入れてくれた義兄と、姉に、今日も遠くから、感謝の思いを捧げます。

母が会いに来てくれた出来事については、身内の誰にも話しておりません。かつて一度、自分のブログに記しましたが・・。


母のうたを幾つも詠んでいますが、いま、思い出すのは、こんな。



   村祭り明日よとふひに言ひ出づる母よ故郷は母にも遠き

     むらまつり あすよとふひに いひいづる ははよ こきゃうは ははにも とほき






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コメント

KUON様のお母さまへの想い、どんな感想を書いても追い付かないほど、胸に迫りました。
お母様が、もう、苦しまなくてもいいよと、言いに来てくださったのは本当だと思います。

私は、姉妹の縁が薄く、たまに(一年に一回くらい)お姉ちゃんと仲良くしている夢を見て、滅法界もなく幸せを感じ(でも、夢だったと現実に戻り)を、繰り返しています。
8才離れた姉、手紙を書いたり、何したり、やれることはきっと色々あるんだろうな。こんな有り様なのは、怠惰な自分にも責任があるようです。

久しぶりにコメントさせていただきます。

くおんさんのご自身のお話、いつも切なくなりながら読ませていただいて…でも 大好きです。

家族の事は他人にはなかなか解らないものですね。 傍目には素敵な家庭とかどう見ても荒んでいるとか 映っても当事者それぞれ想いは違いますよね。

家族だからこそのしんどさや割り切れないモノ 理不尽な事が誰にでもあるんでしょうね。

人が亡くなった時に その家の背景みたいなものが何となく感じられる事があります。一人の人を見送る家族の気持ちは 必ずしも同じ目線ではないようですね。

自分は両親に一番よく叱られて 嫁ぐまで反抗期(笑)が続いた娘ですが 結婚してからは素直に感謝と尊敬に変わりました。親も他の兄弟一人一人性格も違うし相性もあるし 必ず同じような育てかたは出来ないよなぁ…と改めて感じます。
家族って厄介でめんどうで面白い…でも有り難い!?

4月12日は、桜のはなびらもほろほろと・・・

こんにちは
素敵な思い出、素敵なおうたはしみじみと・・祭りの音が遠くから聞こえてくる様です。

おかあさまは、お父様との思い出が少ない末娘のKUONさまと、10年一緒に暮らすことが出来て、とてもお幸せだったことでしょう。
10年分の季節の折を・・優しい時間を過ごされたことと、思います。
その後は、心配していらした・・自分が若くて元気なら、可愛い末娘をたくさん助けてあげたいと、思っていらしたと思います。

そして・・会いにいらして、今はKUONさまを優しく見守っていらっしゃることと存じます。

今日は。
どのことも...すべて胸を打ち、泣けてしまいました。
お母様の命日の今日は、暖かくて気持ちの良い日です。

刺さっていた心のトゲが抜けた感じです…。

お返事が遅れていてすみません。

感謝しています。

淡々と書きたいので、お返事、待って下さいね。よろしく。

笑うと泣くとの胸算用

初めて車を買った時に母が言いました
『車両保険に入れ』です
当時は車両保険どころか任意保険にすら
入らない人が殆どでした
母はわたくしを通して自分を知っていたのです
『すぐに車をぶつける』です
事実そうなりました

私もお師匠様と同じく『昨日』までの過去は経験しました
ですが
明日は足を踏み入れたことのない
未知の世界です
師匠が母君の心境に至るまでにはあと、
40年を必要と致します・・・・?
私の場合は20年です
互いにどちらが先に行き着くか比べてみませんか?
孟母三遷
これは引っ越しをしたということではありません
母親が他界を境としての『お前生きろ!』のことばであります
私はそう思っております

4月12日?
お釈迦様の命日は何時でしたっけ?
あはは

お返事遅くなりました。


・はるせん さん。

親やきょうだいとの縁の薄いことなどを、胸の中で痛んでおられる方って、けっこう多いようですね。

親は優しくて頼れるもの、きょうだいは、配偶者や子供ら皆、お正月には集まって、みたいな健やかな方も多いのでしょうね。私は、あまりに健全な方はまぶしくて、とととと、と後ずさりして、みたいな感じで。

友人は極少で、たまああに会って、楽しいな~、と別れて、またたまあに、がいいのです。私は。友も。

それぞれ事情はあるのでしょう、お姉ちゃんと仲良くできたらいいんだろうが、今のままもいいのでしょうし、時がほどいて行くものもあるし、ただ、はるせんさんが「怠惰だから」っていうのも、違うんじゃないかな。

たまたま姉妹に生まれた縁ってのもある。それぞれ別の場所で、ひび、過ごしているってのも、あり、ではないですか。

幸せでいてくれればいい、みたいな。

お優しい気持ちを、ありがとうございました。元気でいましょうね。



・焼酎のお湯割りさん。

嫁ぐまで反抗期だった(笑)。すてきですね、と、シンプルに言っていいですよね?

そういうのが、私にはわからないんです。12歳から養父に育ててもらって、養父とは、従うか逆らうか、逆らうのなら出て行きなさい、しか無くて。出て行ったんです、黒を白と言われてもハイと言え、と言われて、そんなのイヤだよ、って。

結婚して、夫の家族、主におかあさんが、慈愛に満ちて押しつけて下さる「いい家族像」が、イヤで仕方なかった。わかるまで待ってあげるわ、あなたは可哀そうに躾を受ける機会が無かっただけ、待ってあげるから私はいいのよ、とか言って下さるのを、

待ってくれなくていい、とか、やりにくいヨメだったと思います。

あれ。私はずううっと反抗期かな(笑)。養父には後に白旗かかげ、姑とも仲よしみたいな気もしますが、実は自分は、とっても不誠実な人間だなあと醒めていて。

家族っていろいろ。私は、おんなのひとは、家族の中のゴミ箱みたいになってるのがいいのだな、と、ここ10年ほど、思うようになりました。

ゴミ箱で、かつ、勝手な思いを抱いて生きている(笑)。だって、頼られてしまっています。

支離滅裂でごめんなさい。亡くなってから、母のことも、好きだったとか思っても書いてもいいのだな、とか。

上手く言えませんが。死んでから身近になってくれました。母を愛おしがると、姉を傷つけるみたいなおかしな強迫観念にとりつかれ・・・やっぱり支離滅裂でありまする。











お返事遅くなりました。


・結花さん。

母の少女時代は、とても幸せなものだったようです。

仲人口に騙されて結婚して、が、口癖でした(笑)。

娘たちより母の「神さま」に一途に長い間、通って、最後、病気になって、姉妹で「引き取ろう」となって、母をもらい受けて来て。宗教の「そういう」部分を、実感して味わいました、わたしたち。これ書くと長くなります。母がよかったらいいんだよね、と、納得したんです。

長姉、次姉、と暮らして、もたなくて、私の家へ来たのが70代の終わり。夫の母が、気の合う次男夫婦と、家を建て直して同居を始めた後で。私は仕事をしていたし、子らをお帰りと迎えてくれ、晩ご飯を作ってくれ、助けてくれました。私は、親子げんかも姉妹げんかも夫婦げんかもしたことの無いぼーっとした人間で、母に対しては、姉たちのように厳しい目も持ち得ず、ご近所の方にも親しく声をかけてもらって、生き生きと10年、暮らしてくれました。

最後は思うようにゆかず、手放さざるを得なくなった母ですが、恵まれていたと思います。

母を捨てるように姉夫婦に託して、ほどなく、家を出ることになりましたが。

今は、失くした家より随分広いとこりに住んで、毎朝、舅や父や母に、アタマを下げている日々です。

素直に母の思い出を語れるようになって、嬉しいなと思っています。

生きていた頃より身近にいてくれる気もしています。

姑も、出来る限り大切にしようと、思うのは思っています(笑)。



・ツグミさん。

ありがとうございます。

本当に、昨日は、温かくて気持ちのいい日でした。

あまり「いい人」になると、似合わない気がしますので(笑)、毒吐きKUONでいると思いますが、ぼんやりと、つまり私、いま、幸せだもんな、とか思うと、母にしてあげられなかったこと、が、押し寄せて来て、つらかったりも、したりも、します。今のように落ち着いた時期だったら、ああもしてあげられたのに、なっど。

妙に善人になって、いけませんですわ。(笑)。

トゲは痛いので、とにかく抜けたなら、よかったですね。

・はしびろこう・ウナさん。


ほぼ同じとしごろの私を、ご自分より20も若く書いて下さって。

ウナさんのこういう優しさはハナマル、だと思うけど(笑)。

比較の好きでない私に、

>互いにどちらが先に行き着くか比べてみませんか?

こういうのは、ブー。です(笑)。言葉のアヤでも、わたし気難しくても。いつまで、どうやって比べるんだよぅ、と、わたし、気難しくなってしまう、すんませんけど。

今日は確かに、生かさせてもらっている。出来れば明日も、今日のように目覚められたら。

そうではあるが、明日のことは、わからんもんね。

お健やかに、美味しいお酒を呑んで美味しいものをお食べになって、ご家人さんやご家族と、そして、犬の顔した愛しい目をしたタヌキさんと、ウナさんの人生を、ずっと続けて、まっとうされたし。そう、思います、本気ですねこれは。

で。こういう「日常」のよそに、あるんですけどね、

「恋は遠い日の花火ではない」

ってフレーズ。

日常を愛おしみ、惜しみつつの、いっそ欲張りみたいなご褒美みたいな、花火も、恋なんて揺れも。

お誘いあわせでなく、一人で、しっとり、ゆっくり、自分のペースで、眺めるもんざんすよ。

田中裕子さんは、すてきな女優さんですね。

犬のタヌキさんは愛しいですね。

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・・・・・・・・・・・・・・・


やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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