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扉をたたくのは わたし

扉をたたくのはわたし
あなたの胸に響くでしょう
悲しい声が聞こえるでしょう
私は六つの女の子

十年前の夏の朝
わたしは広島で死んだ
そのまま六つの女の子
いつまでたっても六つなの

わたしの髪に火がついて
目と手が燃えてしまったの

わたしは焼けて灰になり
わたしの灰は風に乗り

おコメも食べ物も要らないの

甘いお菓子が食べられるよう

甘い飴玉がなめられるよう

・・・うろ覚えの歌詞です。
十代終わりの頃、暑かった日の記憶、新宿西口の雑踏の中で聞いた歌。

ずっとおぼろに忘れられないでいて、つい最近、映画「キャタピラー」=寺島しのぶさん主演の・・・で、どうもこの歌が使われたらしいと知りましたが、知ったままにしていた歌。

ネットで探したら、それらしいのがありました。
元詞はトルコのメジム・ヒクメット・・・そうだそうだ、そんな感じだったと、思い出す。こういうことはよく覚えていますね。
この日曜日に真剣に聞いていたはずの「あいんしゅたいんのとくしゅそうたいせいりろん」・・・語ったヒトが、感に堪えない顔をして「すばらしい理論だ・・・」とつぶやいた、それは既に、ごーん・うぃず・ざ・うぃんど。
わが脳内から消滅しかけているのに・・・この悲しい歌が、40年以上、こころの隅っこに住み着いていた。

「六つの女の子の歌」は「死んだ女の子の歌」として、七つの女の子の歌として、元ちとせ さんに唄われているようです。さっき、ネットで探せました。
訳詩もメロディも、記憶の中のものでありませんでした。
熱唱です。元ちとせさん。
私が聞いたのは、もっと静かで、透明な感じだった。好みの問題は、当然あると思います。

亡母のいとこで、広島に嫁いでいたせつこ小母さん。母と仲がよく、互いに用もあったらしくて、当時の女性にしては度々、行き来があったようです。小母さんが名古屋に、母が広島を、ちょくちょく訪れて。
せつこ小母の胸から両腕にかけて、変色して引きつれているそこが、原爆のせいであることは小母の口から聞きました。
これでも乳が出て、サブ(三男坊・私の年上のまたイトコ)が引っ張って飲むけぇ、痛ぉて。
いろんなことを、会った最後の年に、話してくれました。

私に、ウィーン少年合唱団の出演した映画を見せてくれてほどなく(とてもハイカラな人でした)、小母は亡くなった、と聞きました。
私はもう、母の手からも離れて暮らしていたので、小母の思い出は、途中でぶつりと切れている。
母は、仲のよかったそのいとこと異なり、原爆については、一切、一言も話さない人でした。
弱い体ながら、夫の死後およそ50年、生きて、88歳で亡くなりました。
死の半年前、突然、癌が発見されました。
私たち姉妹三人は、もう、このまま、と、お願いしたのです。
痛くなく、苦しくなく、だけお願しますと。
願い通り母は、いつものように眠りに就き、そのまま、静かに心臓が停まって、母の魂が、カラダから抜け出すや否や、飛んで来て、会いに来てくれた。
その話はまた別ですが、姉二人は、なぜ、おばあちゃんが、ここへ来て「癌」かと、いぶかしんでました。姉達に、母は、黙りぬいたから。
姉妹の中で、戦後に生まれた私にだけ教えた話があったのです。
私が、甲状腺を患った時に。
姉とは年も離れており、三人姉妹が三人とも別々に育ち、でしたので、そのままになる話でした。
母に聞かされてやっといろいろ、フに落ちたことがありましたが、どちらにしても、もう過去のこと、でした。

放射能はおそろしいものです。他の恐ろしいものとは格段に、比べようも無く恐ろしいものです。
それと協調しながら、朗らかに生きていられたら、というものです。
少しでも、カラダに入れない方がいいと思います。それは本当に。


yuutaさん、聞いてこられたことを書いて下さり、ありがとうございます。
やはり、全く離れたところに移る、と言うのは、大きな意味を持つのですね。
わかっても、なかなか実行が困難で、苦しいところと思います。知っている方でも、早々と日本を後にしておられる方もいる。それをどうこうは言えません。でも、そう出来ない人の方が多いですね。

政府や東電が(って、実は詳しくはわからないですが、知る限り)早いうちに、これくらい危ない恐れがある、こういうことに気をつけて、できるならこうして、と、きちんと伝えてさえいれば、と感じることが、沢山あります。
国民より大切なものが、いっぱいあるようですね。

私のここを、どれだけの方が読んで下さっているかは不明でも、毎日、読んで、励ましてくださるかたは、おられます。感謝しています。
やさいさんが、何書いてもいいよ、と、言ってくださった時、とても嬉しかった。
だから私も、マネをします。

いっぱい、いろんなこと、書いて下さい。遠慮なさらず書いて下さい。
他の方も、書いて下さい。
これを言うのは心苦しいですが、いま、大変な時なのです。
でも、めげてないで、前向いて、いなくては、せっかくの日々がもったいないと思う。
うまく言えませんけど、とにかく、また、お聞きになったことなど、書いて下さいね。絶対ね。











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  1. 2011.06.06 (月) 20:15
  2. URL
  3. ☆NU☆
  4. [ edit ]

今朝のNHK

今朝 たまたま NHKを見ていたら、
福島県南相馬市の学校給食が

おにぎり2個
牛乳
フルーツ

で…

インタビューに
“物足りないけど、それでも、有り難いと思う…”

って (多少、ニュアンスが違うかもしれませんが…)
コメントしていたんです


泣けました…


子供達に 気を使わせる大人達なんだ …日本って国は


国っていうか… 自分が 情けないです


郡山にすむ
姪っ子 甥っ子も
まだ 外遊びが できません

ママが 迎えに行くと、
“滑り台で遊びたい”と 言って、遊具から 離れないそうです…

!!!せめて水だけでも…!!!


叔母ちゃんの単純な 願い…

くおん様の 願いと共に
せっせと ファイティン&サラン丼

送り続けています○○○
  1. 2011.06.07 (火) 15:52
  2. URL
  3. やさい
  4. [ edit ]

思いだしたこと

くおん姉さん、

話がそれてしまうけど、「死んだ女の子」の詩で、思いだしたの~

仰るように・・・
元ちとせさんが歌う歌が「死んだ女ンの子」のアレンジとは、分からなかった。。
昨夜、ここで歌詞を読んで、今朝になって、あ~あれだ!!!と思いだしたの。
「原爆許すまじ」と同じ位何度も歌った詩なのに~

「原爆反対」署名運動をしながら、アコーディオンの演奏で歌う詩でした。

アコーディオンの伴奏は探せなかったけど・・
http://bunbun.boo.jp/okera/saso/sinda_onna.htm

たぶん、姉さんの記憶にあるのは、こういう感じだったかと思う。
新宿駅西口に、うたごえ喫茶があったはず。
高田の馬場だったか?ともしびで歌われていた反戦歌。

どうでも良いことですが・・・・
戦争にでもならない限り「放射能」を心配をする日が来るとは思っていなかった。

経済産業省よりも一企業である東京電力の方が、力関係では上に位置すると・・・
目に見えないから、オソロシイ~~

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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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