今日も元気でいましょうね^^

返事の中までKUONです。

うた日記   神戸のこと





無惨なる何あらざりしごとくなりテレビを消せば常の吾が部屋




小樽にて買ひし水入り瑪瑙なり太古の水を時に揺りてみる

          (瑪瑙(めのう)の中に、閉じ込められたままの太古の水が入っている)



潰えたりかの日憧れの三宮フランス窓の小部屋の路地も




毛布より被災の老いの髪見ゆる体育館の画像 われは傍観者




被災者となりてしまひておにぎりと水をもらふに並ぶが日課と




マンションが折れてと不意に言ひはじめ「息子と娘圧死しました」




壊れたる眼鏡斜めのそのままに語り止まぬを聞きてゐたりき




二人子の二人を地震に失ひて 「死亡診断書は私が書きました」




何を言ふすべ持たずして耳だけを立てて被災者の語る聞きゐし




モラリスと墨書きの白木の表札を見かけしあたりも震度7の地




カーテンをバックに溢れてゐし黄薔薇ミナトに近き店も潰えぬ




長き尾の先まで白き猫を見つ震災前の昏れの港に




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



阪神淡路大震災の起こった当時、割れ物ばかりを扱う小店を営んでおりました。

奈良の震度は4でした。それでも、揺れの不気味さ、長さは、私の経験したことのないものでした。店の商品は、ガラスのお雛さまとあといくつかが、転んで壊れたりしていたくらい。1300年変わらない、かつての都の道路に添った小店の地盤は、とても固かったのでした。

いろいろなものを見ました。売り上げは全く上がらなくなりましたし、「こんな時期にこんなもの売って、何考えてるの」と、いきなり入って来た客に怒鳴りつけられたこともありました。でも毎日、店に通って開けていました。じっとしていられなかったのだと思います。

お客さんでない訪問者が、沢山おられました。きれいやなあ、と、放心したように店内を眺めている方、また揺れたら割れるだけやんか、と叫んで(どんな理屈やねん)、堂々と万引きして行く女性(私は走れないので見送るのみ・笑)、こちらへ避難して来た、何もかも無うなったと、話し始めてどうにも止まらなくなった方、通常の空気でないものが、満ちていました。

とても仕立てのいいジャケットを着けておられるのに、袖口が真っ黒になっていたり、髪がぐちゃぐちゃだったり、目がうつろだったり逆に躁の様相だったり。

話している時の状態も千差万別、私は何も失っていませんでした、耳にする想像を絶するとしかいいようの無い被災された方々の話に、何も言えず、用無しのレジスターの回りに大袋の飴をガサッと、これは上等の吹きガラスの器にぶちまけて、どうぞどうぞと勧めながら、時に一緒に泣いていました。

その頃のことを、なぐり書きのように、感じた事やあれこれ、書いておりました、うたにする気はあまり起こりませんでした。

命は失くさなかったけれど、大小の被害を蒙った知人も、複数人、おられます。冷静にうたに詠めませんでした。

黙っていることでしか悼むことのできにくい不器用な人間も、いるのではないでしょうか。

数日前から、幾つか、書き残したい思いが、湧いて来ておりました。

あえてバロックみたい、なうたが。



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コメント

1995年1月17日。目を覚まして隣の部屋に行くと主人がもうテレビをつけていて、「何か神戸で大きな地震みたいだぞ」 飛び込んできた映像に愕然としました。

当時、私は第二子を妊娠中でした。 上の子が臨月の時には、雲仙普賢岳の大火砕流が発生しました。

阪神淡路大震災の半年後に産まれた長男は、中学三年の修学旅行の初日に神戸で震災に遭われた語り部さんの話を伺い、感想を書いたそうです。 二学期の12月に個人面談をした際に、その時の語り部さんから、息子宛にお返事をいただいたそうで、見せていただきました。担任の先生が言うには、語り部さんからお返事がくるのは極少数だとか…生徒全員が感想を寄せているんですが。息子は特に飾り気もなく、短い感想を書いたそうですが相手の方に伝わるものがあったようで、とても有り難かった思いがあります。

その息子が中学卒業の二日後に東日本大震災が起きました。こちら神奈川住みなので揺れも大きく、あの計画停電も経験しました。実際に津波や原発の被害に遭われた方には比べ物になりませんが、初めて経験した災害でした。

とりとめもなく書いてしまいました。でも ‘その日’が巡って来るたびにいろいろ思い出されます。多分、ずうっと忘れることはないと思います。

こんばんは、ご無沙汰しております
でも、毎日拝見しております
私の元気のもとはお日様とくおん様のblogです
和歌は全くの素人、そんな私ですが今日の歌はいつにも増して胸をえぐられました
技術とか約束ごとではなく、魂の奥深くを揺さぶられて涙が止まりません
和歌とは素晴らしくもあり、凄まじくもあるのですね
とりとめもなくごめんなさい

私も傍観者でした

KUONさま

「われは傍観者」という歌、身にしみます。
あの時、私の所も震度4で、数十秒揺れたのは大変怖かったです。
1歳と2歳の息子たちは気づかずグーグー寝てました。
主人がすぐテレビを付け、神戸が酷いことになっているらしいと知りました。
大阪の親戚は機転を利かせて、地震直後に主人の母に「こちらは皆大丈夫」と電話をしてくれました。
その後から電話が全然通じなくなってしまったんですよね。
テレビの画像でいくつも煙が上がる街や倒れたビルや高速道路、毛布に包まれ放心しているお年寄りも見ました。
でも私には義援金に寄付する以外何も出来ませんでした。
2歳の息子が積み木で遊んでいる時、「橋が落ちて、人がようけ死んだんで」と言いながら、積み上げた積み木を手で壊していたのには、ハッと胸を付かれました。
それから数年後、神戸の親戚を訪ねた時、公園という公園にはまだ仮設住宅が建っていましたっけ…。

KUONさまの歌を読んで、私もあの時のことを色々と思い出しました。

あの日を忘れません

KUON様
震度4とは、結構な揺れですよね。
私も何度か体験しましたが、運転中、カーブミラーが竹のようにしなっているのを見た時は驚いたものです。

私も義援金という形でしか助力出来ませんでしたが、今後も出来る事は続けて行く所存です。
その一つとして、ナルマサ夫婦の中東観光旅行をアレらの消滅の日まで拡散していきます。

ラクダレースを、大口開けてバカ笑いしながら見ていた黄色い服装の地黒女に殺意を抱いた人は多いのでは?
人を呪ったり恨んだりしてはいけない、と自制していますが、全身が熱くなるような怒りをどうにも抑えきれません。

KUON様、お歌をありがとうございました。
KUON様のお気持ちが実感となって伝わり、胸が静まりました。

人を癒す日本語の力を、背乗り疑惑の雅子と小和田家の婿養子徳仁君には理解出来んやろなぁ…と思います。

砂漠での記念写真

KUONさま こんにちは。

大震災のうたを読ませていただき、記事も読んで一枚の写真を思い出しました。
中東訪問の際、サウジアラビア(だと思います)の砂漠をバックにした、ド派手な緑色のスーツを着た雅子さんと皇太子の「めっちゃいい笑顔v-221(ピースはしてないけど)」の写真。
h
ttp://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/4815939.html
探したらremmikkiさまのブログにありました。

当時、宮尾登美子さんの小説が読みたくて朝日新聞を取っていたので、この写真は朝日の記事になったものだと思います。

震災関連ばかりの新聞記事だった当時、皇太子夫妻の中東歴訪は大きく、見開きを使って写真も沢山使われた記事でした。
もちろん写真はカラー。鮮やかな赤い砂の砂漠と緑色のスーツのコントラスト。
私が皇室がおかしいと思い始めた原点は多分この写真です。

中東訪問は、ラクダレースの馬鹿笑い写真が有名ですが、こちらの写真は、本当に「良い笑顔」なんです。
日本の事は全く頭になく、心の底から旅行を楽しんでいる顔。
凄いですよ。KUONさまも、よろしければご覧くださいませ。
URLで飛べない場合は、remmikkiさまの2015年1月25日の記事で見られます。

あ、でも血圧上がっちゃうかもしれません。

とても寒い朝です。


焼酎のお湯割りさん。

息子さんのご成長のあれこれと、大きな災害の記憶が重なっておられるのですね。

人は、肉体の死で一度目の死を。二度目の死は、その人を記憶する人々の中から忘れられて消えてしまう事、それが二度目の死だそうです。

風化させないでとかあれこれ言われますが、正直、すべてのことを覚えてはいられない。巨大な災害より、自分の身に起こるいっぱいいっぱいの「大変な事」に気をとられていることも多いのです。記憶も均等でなく、どなたかの中に残る方も、こぼれてしまう方もおられるのが現実と思います。

だから。

名も無い一人の人間にすぎない身ですが、できるだけ丁寧に、覚えていたいと思います。息子さんの中にも、忘れがたい死のいくつかがお残り。これから伸びて行かれる若い命、自他の命を精いっぱいに大切に生きて行かれますよう、願います。雲仙普賢岳のあの時の模様も、よく覚えています。

いろんなことが起きますね。昨日は、長い付き合いのある友人のダンナさんが、道路で軽トラックでひっくり返って、と聞いて驚きましたが、大したこと無かった。よかったです。


・佐保さん。

毎日の元気のもとにして下さり、すっごく嬉しいです。ありがとうございます。

私もうたを、学校で学んだのではありませんのです。

以前も書きましたが、「うた」は「うったえ」。文字も書けないひとでも、心のうちの思いを、声に出して吐き出して、慰めとも支えともしたのだそうです。傍らの誰かが聞きとどめて文字に残してくれたりね。

まず「思い」があって、日本人に自然になじみやすい五、七調のリズムに、自然に乗っていたのではないでしょうか。

五七五七七のしらべは、心地よいものなんですね。

その形はですから、伝承されて来たのですが、字余り、破調だって、しばしばあるもの。なぜなら、人の心自体が、いつだって穏やかではないし。形通りにばかりいられないし(と、自分の情緒不安定の言い訳をする(笑))。

それをわかって欲しくて、わざとリズム通りでなく、字を余らせたりする技巧めいたものもあります。余裕のある時は、そうやって遊んだり。一人が独りでなくなるのですね。

実際は、うたは、こころの、うったえ。だと思っています。

短い形だから、すぱっと言い切れることも、あります。







・ひなぎく さん。

どうしても、傍観者以外にはなれないのですよね。

できることは、ささやかに義捐金をお捧げすることだけ。

>2歳の息子が積み木で遊んでいる時、「橋が落ちて、人がようけ死んだんで」と言いなが>ら、積み上げた積み木を手で壊していたのには、ハッと胸を付かれました。

幼い子も、そばにいる親が、どんな気持ちでその場面を観ているのか、肌から感じてわかっているんですね。子どもが育つって、そういうことだとも思います。伝わっている、というか。上手に言えませんが。優しいお子さんに育っておられると思います。

私は神戸が好きで、よく出かけていました。方向おんちなのですぐに迷子になりながら。

地震の後は、なかなか脚を向けられませんでした。でも、行く時には、できるだけお金を持って(しれていますが)、お金は神戸でつかっていました。

今も、行くと、あれこれ感じます。口に出して言える思いはないです。



・ぶんこ さん。

義捐金もね。

次々に災害が起こって、おそらくその前の災害は、現実には後回しになってしまうと思います。

理屈では無いですね、そういうことは。私自身、何億円と言う借金を負わされた時は、「だあれも個人のこういう気持ちなんかわかっちゃくれないものね」

という、さもしい、何かを怨むような気持ちになったこと、隠さずに言います。

自分なりに続けていることはありますが、それに付けても、被災の地へ心を寄せる、とか言っている人の、途方もない無駄遣い、あれはどうよ、と、思わずにいられない。

仰るように、あの時のナルマサ。本当に下品そのもののあの馬鹿笑い、その妻の機嫌を窺って身を寄せる皇太子の卑屈な姿、ナルは一応、決まってゐた事ではあったが、止めておいた方が、と言ったと言いますが、結局行った。行ったら、それなりのあれですよね。

皇太子と妃として、以前に、人としてとか、言うと恥ずかしい言葉で思う。

人では無い、あの時期に。その人でなしが、あの位置にいる。い続けている、というのが事実ですね。

人を呪わば穴二つ。呪ったりしてはいけないとかいいますが、自分への「かえり」を気にしなければ、いいわけでしょ。(笑)。私、願っていますよ、とりあえずそうなれば、なんとかなるのではないかということを。

ナルヒトさん、〇ねばいいのに。

それで晴れて来る空もあるでしょう。



・laviniaさん。

血圧の心配までして下さりありがとうございます。(笑)。

この写真、リアルタイムで見て、覚えています。第一印象は「この人、こういう服が似合うのねえ」でした。砂漠を背景に、楽しそうでした。ナルさんも楽しそうだった。

結局、中止されずに行ってしまったのだし。笑顔だったし。紅白衣装の派手さも、どや顔と共に、まさこに「似合った」。傍若無人な迫力はありました。

決して、日本の皇室の一員の笑顔や衣裳では無かった。・・と。当時は、きちんと断じえませんでした。

違和感ははじめからありました。マジメな国家公務員の方に申し訳なくて、よお、言いませんでしたが。

官僚の娘はダメだよね、と、しょっぱなに思った。派手な触れ込みだったので、小心者の、自信も無いヨメだった私は、今みたいに堂々と、思うことも口に出すことも無かったのでしたが。(笑)。

写真のご紹介、ありがとうございました。

ほんと、凄いです。remmikkiさんのブログは、ほぼ毎日訪問、学ばせていただいております。








阪神大震災で・・

こころに沁みるおうたを ありがとうございます。
神戸に友人がいますので、当時とても心配でした。
幸いケガも無く、一家全員無事で家具・日常品被害だけ(思い出の品や写真は無くなってしまいました)で、少しばかりのお見舞いをしました。

中東の写真は、衝撃でした。(昨年初めて見ました)
東宮夫妻に疑問を持ったきっかけとなりました。
その後の 愛知万博で「地震の為に訪問できなかった死海に行きたい」発言

新潟中越沖地震一か月後の 皇居での愛子さまご学友を招いてのお楽しみ会(屋台などを出されたのはお祭りの様ですね)
新潟は小和田氏のルーツで、ご成婚の折には祝賀で沸いた県ですよね?
被害の少ない新潟の友人でも、給水車や自衛隊からのお風呂にお世話になったそうです。

3・11東北沖地震、海岸線の被害は、茨城県までずっとです。
あまりに広範囲で、屋根瓦の生産が追い付かず、1年以上待たされる間に、代々大切にしていた家具が 雨で水浸しになり、使い物に成らなくなった。
何より受け継がれ、やっと生まれた孫娘の初節句に飾ってやりたかったお雛様がダメになったのが悲しいと、間壁の雛祭りで出会った御爺さん。
被害を免れたお雛様たちを見て楽しんでってと、言われました。
もっと大きな被害の方も、今なおたくさんいらっしゃいます。
ご一家は、例年通りスキー旅行に行かれていらっしゃいましたよね・・・

終戦記念日・原爆投下の日・どの様に過ごされていらっしゃるのだろうと調べるうち、KUONさまのブログに巡り合いました。

おうたで、あの日を思い起こす。
かの地の方々の気持ちに寄り添うことができる・・
と、思いました。

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阪神大震災

KUON様、

お歌をありがとうございます。

ご商売をなさっていたんですね。
KUON様の飴ちゃんに癒された方も多かったでしょうね。


私も、震災の3ヶ月前、10月に、仕事で三宮へ伺いました。

知り合った方々に電話したくとも、通話の邪魔になっては申し訳ないので控えておりました。

それから少しして、三宮からFaxが来ました。
「事務所のビルも、1階部分潰れましたが、全員、無事です。」と。

こちらの事務所も、読み上げたFaxに沸きました。

去年、ORANGEという舞台を見て来ました。

神戸で実際に救助活動をした消防士さんたちに取材して、宇田学さんという脚本家が書いた劇です。
宇田さん自身も被災し、「救助される側と救助隊員の物語を書くことで、消防士の真実を伝えたい」、と、書き始めたそうです。

初めは、消防士さんたちは、誰も話を聞かせてくれなかったそうです。
余りに辛い経験で、劇にも、「あの日の負けを取り返すために、消防士を続けている」というセリフがありました。

でも、宇田さんが通ううちに、「全員の話を聞くなら、当時の話をする。」ということになり、100人全員の話を聞いたそうです。

とても辛い話もありました。
でも、「うちはええから、もっと大変なとこへ行ったって」と、隊員に言う人が多かったそうです。
谷村新司の「メシア再び」という歌が、その頃、関東で流れていました。
しかも、必ず、ナショナル劇場というTBSの時代劇の時間でした。

困っても誰かを思いやれるのが日本人なんですね。
東日本大震災で、私も実感しました。

・結花さん。

いろんなことが起こったのですね。

私の40年来の親友の息子、当時はやんちゃなお兄ちゃんでしたが、友人たちと、タオルやシーツや歯ブラシ、ありとあらゆる品を、戸別訪問でお願いしていただいて来て、積んで、ガソリン代は、アルバイトする時間が無いので自宅で掃除や食事つくりや肩もみや、何でもしてお金をもらって出し合って運んでいました。沢山出して下さった方の庭の草も引いていました。

大阪から神戸までの大きな道路は通らないで、小さな道を、何度も何度も、一年近く週一で通っていました。

焼き芋を小さいのを一本1000円で売っている人がいて、悔しくて、基本「やんちゃ」なので、文句言いたかったけど、問題起こして忙しい警察ほかに迷惑かけたらアカンと我慢して・・いろんな場面に遭遇したようです。取材は断って(申し合わせて)地味に頑張っていたk君は、ホントにいい男でした。今もいい男です。


うたメモにはもっと、あの当時のうたが眠っています。

奈良にあった「オリエント館」という町屋を改造した独特の、博物館みたいなシルクロードの品々を展示した店も、オーナー夫婦が芦屋にあった自宅の壊滅とコレクションの全滅に気持ちが折れて、お国へ帰って行かれました。

何をできなくても皆、気持ちは、被災された方々の思いに向かっていたと思います。

人って、そういうものと思います・・・。



・ヒミツの名無しさん。

考えてみましたが、私にわかることだけ少し。

香淳皇太后さまが、内孫のナルさんを詠まれたうたが本当に無いか、と、それはなぜか、ということですね。

昭和天皇は、大好きな相撲のことも、ご贔屓の力士の名は明かされなかった。特定の個人の名を出すことを、されなかったのです。公平を期されたのですね。

それと符合されるのかどうか、あくまで私の考えですが、皇族は、自分の子や孫のうたを、公に詠むことは、おおむね、控えられた。木木や雲や空や、を詠んで、そこに、お気持ちを託されたように思うのです。

歌会始の儀には、資料が残る限り、香淳さまがナルヒトさんを詠んだうたは無いです。他のお子さま、お孫様を、あからさまに詠んでもおられません。

個々の感情はあまり出されなかったのですね。

昭和34年。皇太子(いまの陛下)が四月に成婚される、の年に、

 「皇子とともに部屋の窓よりながめたり夕日に映ゆる白樺林」

を、出しておられます。待って待って生まれた皇太子が、結婚する。母としてはもちろんでしょうが、皇后陛下としての立場からも、これで次代につなげるという安堵と喜びがおありだったかと。

個人ではないのですね、生きておられる姿が。

その後、浩宮が生まれて、もう一首。36年。

  「上野毛のわこのひやに訪ひくればやぬちことごと若さみちみつ」

子の家を訪問したら、家じゅうのことごとくが若さに満ち満ちていた、と。

これも安堵と喜びと、ものすごく微かな違和感・・・自分の世代の知りようの無かった、はばかりのないさまの若々しさに溢れた、子の家。と。奥が深いです。

これだけです。ご皇族の歌は、今で言えば常陸宮妃の華子さまのような趣のうたが、多い気がします。

香淳さまは、ナルさんだけでない、子や孫、どなたのうたも、おおっぴらにはお詠みでなかった、それは、ごく自然のことだったと、思っています。


申し訳ない、今はここまでせす。

・あさき さん。


ORANGEというその舞台、東北の大災害の一か月ほど前に、東京で観た(あちこちで再演を重ねていたそうですね)という知人に、もう、すっごく良かったと話を聞いていましたが、すぐにあのひどい地震と事故が起こって、そのままになっていました。

何もかもが根っこから変わってしまうような災害。

神戸の地震の当時は婚家が事業その他あれこれ、めちゃくちゃになっていて、私はお正月もお盆も休まず店へ出ていた頃、いろんな思い出があります。

あさきさんのところもそのfaxを受け取られて、本当に安堵されたかと想いました。

割れ物ばかりを扱う私の小店は、結局、売り上げが戻ることなく、他の理由で数年後に閉じましたが。飴のこと書いて、癒された方がいたでしょうねと書いていただいて、もっと溢れるように思い出しました。ありがとうございます。

いろんなことを、思い出しました。わが家も個人的に大変でしたが、毎日リアルにさまざまなショッキングなことに触れて、損得とか小さい事とか、どーでもええわー、な気分だった。お客さんと、店の中で、立ったままで号泣していた、しょっちゅうしていた、あんなこと本当にあったなあ。

その舞台、全員に聞くなら話す、のお気持ちが、読んでぎんぎん来ました。日本人はやはり、立派だと思う・・・。

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