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返事の中までKUONです。

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慰霊って何。





お正月に、昨年、両陛下がお詠みになられたおうたが、発表されていました。陛下の「御製」が五首、皇后の「御歌」が三首。

あさって14日には、皇居で歌会始の儀が執り行われます。

皇室では、明治の御代に、正装をフランス風の洋装にお定めになられて、ご皇族の普段の生活様式も家の中でも靴、といったスタイルだとのこと。現実には畳に正座のありようより、ソファに掛けてくつろぐ、の方が、暮らしやすいと思います。

歌会始の儀も、皇室の正装のロオブ・モンタントを召して、皆さまご出席。

このたびも美智子さんはあのお姿でしょう、皇太子妃は出てこないでしょう。

祭祀の家であるはずの皇室の、現状。

土台を持たない風船みたいにふうらふうら。

とりあえず続けている皇室行事の一、歌会始の儀に(も)、姿を見せない東宮妃。

それを許しておられる〇〇〇。




京都に、冷泉家という名門のお家があります。

藤原俊成、定家を祖とする「和歌の家」。伝わっているのは和歌だけではなく、もちろん「書」もそうなのですが、御所の外側に屋敷が構えられていたこと、戦争の業火を免れたことも幸いして、現存する最後の、唯一の公家屋敷と呼ばれる中で、日々の暮らしのしきたりや御所言葉、などのいのちも保っておられるようです。

和歌八百年の家。養子に入られた二十五代ご当主と、その家にお生まれになられた当主夫人の貴美子さまが、伝統を守り継いでおられます。

年中行事もあれこれあり、その中に、和歌会があります。

遠い昔の形そのままに行われています。

男性は狩衣(かりぎぬ)、女性は袿袴(けいこ)、イメージとしてはお雛様、テレビなどなら「王朝絵巻そのまま」と表現されるのでしょう。

口から口へ。人から人へ、形のみならず目に見えない大いなるものが伝えられて来ての和歌会。決まりごとが幾つかあり、その場では四季を詠むことも。

披講といって、声に出して、うたはうたわれる。その「披講」は、皇室の歌会始の儀でも、行われています。

この皇室の歌会始で、披講を受け持たれること多い方の一人に、近衛忠大さんがおられます。去年もそうでした。

この近衛家も、わずかに残った(正確に言えば、歌聖・藤原定家の子孫は、上冷泉家と近衛家のみなのです)和歌に関わる家のひとつ。今年は、皇太子ナルヒト氏のおいとこさんでもいらっしゃいますが、よくお声の通る近衛さんの、朗々たる披講を、聞くことができるでしょうか。

と。どんどん外れて行きます。

書きたかったことは、既に日本に残ったただひとつの「和歌の家」、冷泉家では、

「神さんを大事にせんと罰あたる」

と言い言いされて来て、詳しく言い始めると随分長くなりそうですが、祖である俊成、定家を「俊成卿」「定家卿」と呼び習わし、祀られているご先祖を「神さん」として、拝されていることや。

冷泉家の和歌会・・歌会は、神事。うたは、神さまに献じるもの、献詠(けんえい)なのだと。

ちょっと楽しい冷泉貴美子さまのご発言を、少しご紹介させていただきます。

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小林  

現在の25代目ご当主・為人さんは、「冷泉の家が800年も続いたのは『一流の二流』だったからだ」と、おもしろいことをおっしゃっていますね。

冷泉

冷泉の家はあまり偉くなかったということです(笑)。先祖の藤原俊成卿や定家卿は天才スターですが、その後は天才も出ない代わりに、蔵のものを売り飛ばすような悪人も出ず、冷泉家の人々は和歌ひとすじに生きました。それがよかったんですね。

振り返れば800年の間には戦乱・飢饉・火事などに何度も遭いましたが、それは冷泉家だけのことではありません。どこのお家にもご先祖があり、いま生きているということは、つまり過去があるのです。冷泉の家が800年も続いたことも、たしかに「えらいことやなぁ」とは思いますが、それは代々の人が「いま」を一生懸命生きてこられた証であって、それこそが大事なことやと思います。


■同じ季節の感覚を共有する冷泉家の和歌

小林
 
さて、いよいよ和歌について伺います(笑)。冷泉家では夏の間、毎日一題ずつ詠む「夏百首」とか、1日に百首詠む「一夜百首」をなさると伺いました。そんなにたくさんのお歌をつくるのは苦行ではありませんか(笑)。

冷泉

現代短歌、つまり正岡子規以降の短歌は、自我の表現をめざす文学の1ジャンルですが、冷泉の和歌はそれとはまったく違います。現代短歌が「あなたと私は違う」ということを表現するものだとすれば、冷泉の和歌は「私とあなたは同じ」ということを表現するものでしょうか。

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今日のブログを書くにあたって、ネットで検索していた「冷泉家」関連の中、「京都の生協」誌(かな?)№48内の対談として出ていたものを引かせていただきました。

「大切にしたいのは、歴史あるまちの良識ある市民として暮らすこと」

↑、こういった姿勢で大切なものを淡々と守っておられるようです。

特徴として、まったく気取っておられない、ということが、あると思います。本物はすばらしい、と思います。


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末尾に置いて申し訳ないことになりましたが、今日はこういう流れになってしまいました。

両陛下のおうた、読ませていただきました。


御製五首 平成二十七年

第六十六回全国植樹祭

父君の蒔かれし木より作られし鍬を用ひてくろまつを植う

昭和五十八年に石川県で開催された第三十四回全国植樹祭の際、昭和天皇はスギの種子をお手蒔きになった本年五月の同県での全国植樹祭において、このスギの間伐材で作られた鍬をお使いになって、クロマツの苗木をお手植えになったことをお詠みになっている。

第七十回国民体育大会開会式

作られし鯨もいでて汐を吹く集団演技もて国体開く

本年九月に和歌山県で開催された国民体育大会開会式に御臨席になった際、式典前演技において大型の鯨の模型が競技場の中央に引き出され、汐を吹く様を現した様子を御覧になっての御製。

第三十五回全国豊かな海づくり大会

深海の水もて育てしひらめの稚魚人らと放つ富山の海に

本年十月、富山県での全国豊かな海づくり大会において、富山湾の深層水で育てられたヒラメの稚魚を御放流になったことをお詠みになったもの。

戦後七十年に当たり、北原尾、千振、大日向の開拓地を訪ふ

開拓の日々いかばかり難かりしを面穏やかに人らの語る

戦後七十年に当たる本年、天皇皇后両陛下は、六月から八月にかけて、戦後の引揚者により開拓された宮城県蔵王町北原尾地区、栃木県那須町千振地きたはらおちふり区、長野県軽井沢町大日向地区を御訪問になった。この御製は、各地区で入おおひなた植者らと懇談され、その話をお聞きになられたときのことを詠まれたもの。

新嘗祭近く

この年もあがたあがたの田の実りもたらさるるをうれしく受くる

新嘗祭においては、毎年、各都道府県の農家から献上された新穀が供えられており、天皇皇后両陛下は、各都道府県の関係者と献上農家にお会いになって感謝の気持ちをお伝えになる。本年も新嘗祭が近づき、新穀の献上を受けられての御製。



皇后陛下御歌三首 平成二十七年

石巻線の全線開通

春風も沿ひて走らむこの朝女川駅を始発車いでぬ

東日本大震災で被災し、一部区間の不通が続いていたJR石巻線は、本年三月、女川駅浦宿駅間の復旧により四年ぶりに全線開通し、その始発列-うらしゆく車は女川駅からの出発となった。この御歌は、開通の知らせを嬉しくお聞きになりお詠みになったもの。

ペリリュー島訪問

逝きし人の御霊かと見つむパラオなる海上を飛ぶ白きアジサシ

天皇皇后両陛下は本年四月慰霊のためパラオ共和国を御訪問になったお泊まりになった海上保安庁の船「あきつしま」からヘリコプターで西太平、洋戦没者の碑があるペリリュー島に向かわれる途中、眼下にサイパン島のスーサイド・クリフでご覧になったのと同じ白いアジサシが飛ぶ様子を、亡くなった人々の御霊に接するようだとお感じになりつつ見入られたことをお詠みたまみになっている。

YSより五十三年を経し今年11

国産のジェット機がけふ飛ぶといふこの秋空の青深き中

本年十一月、国産初のジェット旅客機MRJ(ミツビシ・リージョナル・ジェット)が、戦後初の国産プロペラ旅客機YS以来五十三年ぶりに、初11の試験飛行に成功した。この御歌はMRJが秋の青く澄み渡る空に飛んでいる様に思いを馳せ、お詠みになったもの。

出典:宮内庁



私は、昨年のパラオへの「慰霊の旅」が、未だに納得ゆかないものと感じています。

大きなところで違っている、としか、思えません。

逝きし人の御霊かと見つむパラオなる海上を飛ぶ白きアジサシ

ご慈愛の皇后陛下とやらが、したり顔で詠んだと思われる、この一首に、激しい嫌悪を覚えます。

ましてや今度は、フィリピンまで行くと言う。


ものすごい激しい感情をぶちまけてしまいそうな気持ちがずっと残っていて、先日、わがまま親父さんのブログへ、コメントしておられた方の数行が、すとんと腑に落ちました。

そうそう、こういうことだわ、と。

お借りして来て、ここへ、置かせていただきます。

ブログ主であるわがまま親父さま、コメントされた「長野県人」さま、失礼ながら、実行します。



慰霊の旅など無用です。

本心から慰霊ができるのは、遺族と生き残った戦友だけです。


慰霊したいなら、形だけでも天皇は一人で靖国へ参拝すべきです。


皇室歌会始の記事で、また、激しいKUONになってしまうかも知れません。






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  1. 2016.01.12 (火) 14:28
  2. URL
  3. ひなぎく
  4. [ edit ]

冷泉家、雅ですね

KUONさま、こんにちは。

冷泉家、何年か前の婦人画報だったかで特集されていたのを読んだ記憶があります。
古くからの伝統を守り続けるのは大変なことだと思いますが、ご当主も夫人も淡々と受け継がれていたのに感銘を受けました。

>>冷泉の和歌は「私とあなたは同じ」ということを表現するもの

気取ることなくまさに呼吸するように歌を詠うのでしょう。
そういえばミテコさんの和歌はまさに現代短歌なんでしょうね。

KUONさまが激しい嫌悪を覚えられたアジサシの歌も、パラオでの道中で「あら、今いい歌の案が浮かんだわ」とルンルンしながら詠んだのだと想像できます。

「自分が足を運べば慰霊になる」なんて、凄い思い上がりですよね。
アマテラスの子孫でも無いのに…。
  1. 2016.01.12 (火) 18:26
  2. URL
  3. lavinia
  4. [ edit ]

頭が高くて慰霊はできませんよね。

KUONさま こんばんは。
先日は、お返事のしようがない、ぶっ飛んだことを書き込みまして、すみませんでした。

今日の記事を読んで思い出したことです。
またぶっ飛んだらごめんなさい。
2005年に両陛下がサイパンに慰霊に行かれた頃、私は皇室にまったく興味がありませんでした。
それが、ふと見た週刊誌の記事で、一気に尊敬申し上げるようになりました。

サイパン慰霊から二年ぐらい後の週刊誌。文春とか、新潮とか、そういう種類の。
●両陛下が慰霊に行かれて以来、サイパンでは日本兵の幽霊が出なくなった
って書いてあったんです。
良かった成仏されたんだ!さすが陛下の慰霊は特別!
…感動しましたわ。
今は、本当の事だったのだろうかと思いますけど。
中途半端にスピリチュアルな世界に首を突っ込んでいるので、ころっといきました。

慰霊の旅。
「行ってあげるわ」風な旅。
頭が高い。両陛下に向かってそんなことを思う日が来るとは思いませんでした。
  1. 2016.01.12 (火) 21:36
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

・ひなぎく さん。

あの雑誌は、とても美しくて豪華で、そして重い。(笑)。グラビアページはため息もので、素敵なお宅や調度やお庭や、小さなお道具などにも、うっとり見惚れます、目のぜいたくって感じがします。

冷泉家の特集、素晴らしいものでしたでしょうね。

日ごろガサツに暮らしていますが、たまには雅な世界を垣間見て、うっとりを楽しみたいものです。

何かと比較するのも品の無い話ではありますが、ご成婚の前後でしたか、まさこさんのご実家の飾り棚に並べてあるモノの写真を見た時、信じられない思いがしました。やられた~、って感じ?(笑)。


>「自分が足を運べば慰霊になる」なんて、
>凄い思い上がりですよね。
>アマテラスの子孫でも無いのに…。

まこと、そう思います。

失礼を承知で「嫌悪」と申し上げた美智子さんの一首、そんな匂いがプンプンするんです。

着替えのことしかアタマに無いみたいなあなたに、慰霊なんぞといわれたくない、と、わたしだったら拒絶したいような。

でも。すでに言葉をお持ちにならない方々、どこまで自分うっとりのいやらしさを振りまかれるのか。

こう詠めば、こう称えられる、の、何とも言えない匂いがして・・・。



・laviniaさん。

私こそ、エラソーに、 失礼しましたね。またおいで下さって嬉しいです、ありがとう。(笑)。

他のどなたかの書かれたことを、知らないこともあるし(盆栽の件は今も知りません、国を売るんだから盆栽くらいやっちゃうでしょ)、なかなか書きにくいのは事実ですよ。ぶっ飛んでいても別に、気にはなりませんが。

「サイパンでは日本兵の幽霊が出なくなった」。

この話も、聞いたことありました。本音を言えば、どこまでもてあそぶのか、利用するのか、の思いで、胸が詰まる。

まあ。本当に「出た」「見た」と言われれば、否定する根拠を持っていませんけど、私は。

美智子さんがリードしてあれこれすることは、よくないです。すべてがそうのような気がしますけど。皇后がリードしてはいけません。

おかしなことになっています。

振り回されておられるような今上の威光も地に堕ち果てました。皇室は、白蟻に食いまくられています。

下品は、移ります。今の実感です。またいらして下さいね。(笑)。

 
  1. 2016.01.14 (木) 00:16
  2. URL
  3. 結花
  4. [ edit ]

おうた

素敵だなぁと思ったのは、父君の・・から始まるおうたです。

冷泉家さま、素晴らしいですね。
秀でた方が、何代にもわたり精進し続ける。
日本の伝統は、こうした方々に守られているのですね。
一市民としては、良識ある市民として暮らすこと・・でしょうか。
  1. 2016.01.14 (木) 22:32
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

・結花さん。

陛下のおうたは、真正面から、朴訥に、よくもわるくもヒネリも無い、教わった通りにお詠みのうたと感じます。天皇のおうたは、それが一番と、僭越ながら考えています。うまい下手の世界の外と思う。

今はあれこれ、奥さまがらみもあって言われておいでですが(実際あれこれ、問題もおありのようですが)、やはり天皇家の嫡男に生まれてそれを継がれた、ということは、おろそかでないと思う、思いたい。(笑)。

天皇家は本来、時の権力者や風の向きによって、軟体動物のように形を変化されたりの部分もあり、そうだからこそ、2600年の長きにわたって続いて来ていると私は考えています。

天皇って大変でしょうね、と、思っています。(笑)。

冷泉家も、お子さんがおありにならないので、この先はどうなるお家かも知れませんのですが、あれこれ深く資料なども詠みこんで行くと、興味深いことがいっぱいあります。御屋敷の中の様子なども写真にありますし、うっとりします。最後の公家屋敷と言われてもいるようです。

まさこさんは、みんなの目ェが恐ろしから京都には、よお来はらへんやろ、とか言われていたりするようですが、そんなことは無いと思います。

初めから相手にされていないので、別に、苛められたりはされないと思うけど。頭からバカにしていたのでなく、バカにされるようにしか生きておられないので、だから、ここまで堕ちたのだと思う。

皇太子さんはカバン持って来て、自分でカバン提げて、ですけど、疑われている自覚さえ無いとは、本当に恐ろしいことと思います。

大切な品のあれこれが、流出しているのは、単なるデマでも捏造でも無い・・・良識ある皇族とは、とても思えないです。

ふつうの、そんなに悪くはなれない人として、生きていたいです。(笑)。好きなことも、少しはさせていただきながら。


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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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