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今日も元気でいましょうね^^

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白木華子さん。




ウィキペディアを眺めていました。

なんだか不思議なおかしみを与えてくれる、ひそかなお気に入りの記事たちなのです。

皇后美智子さまの項の「発言」を、読んでみました。読んだら突っ込みをいれたくなるのは、私の悲しい(え?)サガです。

ふと気づくと、パソ打つ指が勝手に動いて、緑色で突っ込んでしまっていたのでした。。


発言[編集]

「とてもご誠実で、ご立派で、心からご信頼申し上げ、ご尊敬申し上げて行かれる方だというところに魅力を感じ致しました」 - 1958年(昭和33年)11月27日、婚約決定記者会見での明仁親王評

「魅力を感じ致しました」っておかしい。と、思っていたのは自分だけでない。と、強く実感した時、とても嬉しかったKUONでした。。

「難しいこともたくさんありましたし、辛いこともあります。いつになったら慣れるのか見当がつきません。(中略)時には八方ふさがりのような気持ちになることもあります」 - 1960年(昭和35年)4月11日、結婚一周年の記者会見で

堂々とこれ言ったのね、と、びっくりして同時に、このひとは大丈夫なのか? と、強く実感したのが自分だけでない・・以下、略。

これ、言うか。わからなくはない、幾むかし前の女性たち、規模は小さくもそうであった。でも。皇太子妃が、記者会見で言う言葉か。

難しい、辛い、と。アタシのどこがいけないの、と。いじめがひどいのですわ、と?。実家のハハは、ふつう、こんな暴挙に走るムスメさんを叱ると思ひます。


「わたくしも差し上げるのならお点ではなく、感謝状を」 - 1984年(昭和59年)4月10日、銀婚記者会見にて。明仁親王の「点数を付けることは出来ないが努力賞ということで」をふまえ

にこにこ、を跳び越えて、いちゃいちゃのカップル。あられもない、と表現されるかな。

「平成初めての大会に当たり、昭和22年以来、42年の長い年月にわたって名誉総裁の責務をお果たしになった皇太后陛下に、わたくしどもの深い感謝をお奉げしたいと思います」 - 1989年(平成元年)5月31日、平成元年全国赤十字大会にて

思い過ごしかもしれぬ。知れぬが、アゲているようで、思いっきりご自身が上位におられる気がします、KUON.。なんか、言い過ぎなんですミテコさん。いつも。

「変化の尺度を測れるのは皇位の継承に連なる方であり、配偶者や家族であってはならないと考えています」
「どの時代にも新しい風があり、またどの時代の新しい風も、それに先立つ時代なしには生まれ得なかったのではないかと感じています」 - 以上1994年(平成6年)10月20日、還暦文書回答にて、皇后美智子が天皇とともに皇室に新風を吹き込んだという指摘に対して

重い発言でっせ。ゆっくり考えようと、いま、思いました。

「国民の叡智がよき判断を下し、国民の意志がよきことを志向するよう祈り続けていることが、皇室存在の意義、役割を示しているのではないかと考えます」 - 1995年(平成7年)10月20日、誕生日の文書回答にて

これも重たい。重いでなく、重たい。

これ、皇后が発する言葉か。ここでも言い過ぎている。美智子さんは皇后であって。なんぼ、天皇さまがよお言わんからと言うて。

いまさらですが、止める人もいないのですね。


「常に国民の関心の対象となっているというよりも、国の大切な折々に、この国に皇室があって良かった、と、国民が心から安堵し喜ぶことの出来る皇室でありたいと思っています」 - 1996年(平成8年)10月20日、誕生日の文書回答にて

皇嗣があれで、皇嗣のツマがあれで、いま、国の大切な折りですが。

安堵はできず、喜んで見られる皇室ぢゃあ、ないんです。

言い過ぎ美智子さん。


「不思議な波が、私たちの少し前で何回かとまり、左手の子供たちが、心配そうにこちらを見ておりましたので、どうかしてこれをつなげなければと思い、陛下のお許しを頂いて加わりました」 - 1998年(平成10年)10月20日、誕生日の文書回答にて、長野パラリンピックでのウェーブ参加に関して[25]

お茶目で可愛くてノリのいいアタクシ。を、陛下が、嬉しそうに眺めておられました。

いけなくはないとは思います。皆さまおヨロコビでいらしたようで。どこのお妃さんもたぶん、なさらないことですしね。

で。お茶目で可愛いアタクシをやっちゃって、満足されたのですよね。アタクシ完璧、こんな気さくな面もあって・・・うふ。


「どの時代にも皇后様方のお上に、歴代初めての体験がおありになり(中略)先の時代を歩まれた皇后様方のお上を思いつつ、私にも時の変化に耐える力と、変化の中で判断を誤らぬ力が与えられるよう、いつも祈っています。これからの女性皇族に何を望むかという質問ですが、人は皆個性を持っていることであり、どなたに対しても類型的な皇族像を求めるべきではないと思います」 -
2002年(平成14年)10月20日、誕生日の文書回答にて[15]

断固として言う。

私人の部分では個性もいろいろとお持ちであろう。

公人である時には、類型的な皇族像で、おられることを望みます。

美智子さんの一番愚かなところ、そして、肌身に貼りついて除けようのない、根本的な「公人失格」の面です。


「清子は、私が何か失敗したり、思いがけないことが起こってがっかりしている時に、まずそばに来てドンマーインと、のどかに言ってくれる子どもでした」 - 2005年(平成17年)10月20日、誕生日文書回答にて、数日後に控えた清子内親王の降嫁を前に[26]

そんな素晴らしい一人娘さんを、。以下、紀宮さまに申し訳なく、自粛します。

「東宮妃の公務復帰については、専門医の診断を仰ぎながら、妃自身が一番安心できる時を待って行われることが大切だと思います。あせることなく、しかし、その日が必ず来ることに希望をもって、東宮妃も、また東宮も、それまでの日々、自分を大切にして過ごしてほしいと祈っています」 - 2006年(平成18年)10月20日、誕生日の文書回答にて[27]

「希望を持って」の部分に、何か、感じてしまいました。まだ雅子さん、初まって数年後ですね。どんどん悪化しています。

「(かくれみのを用いて)混雑する駅の構内をスイスイと歩く練習をし、その後、学生のころよく通った神田や神保町の古本屋さんに行き、もう一度長い時間をかけて本の立ち読みをしてみたいと思います」 - 2007年(平成19年)5月14日、欧州諸国歴訪前の記者会見にて、身分を隠し好きな所で一日を過ごすとしたらという問いに対し[28]

まあ、わからなくもないですが。

本屋は立ち読み客は迷惑です。まあ、これはマジメぶった「正論」。ホントではありますよ。

立ち読みできる人は、強引に豪邸建てさせたり、その他あれもこれも、不可能な人なわけで。

お茶目で可愛くて気さくなこーごーさまを、ここでも演じることができましたね。ぱちぱち。何かの折に、広いお庭に、古本の屋台をしつらえさせて、心行くまで立ち読み。することだって、あなた様にならお茶の子さいさいよ、こーごーさま。


「皇太子妃の健康についての質問ですが(中略)妃は皇太子にとり、また、私ども家族にとり、大切な人であり、「妃の快復を祈り、見守り、支えていきたい」という、私の以前の言葉に変わりはありません」

「私ども家族にとり」って。どこからどこまで線引きでの「家族」ですかしら。

国民にとっては、私が思うだけなのですが、いらじらしいかも、なのですが、その「妃」さん、困った存在になってしまっておられます。

家族として、内内のヒトとして、そおっと手厚く面倒見て差し上げてくだせえよ。放し飼いは禁じられている国ですよ、ここ。


「この頃愛子と一緒にいて、もしかしたら愛子と私は物事や事柄のおかしさの感じ方が割合と似ているのかもしれないと思うことがあります。周囲の人の一寸した言葉の表現や、話している語の響きなど、「これは面白がっているな」と思ってそっと見ると、あちらも笑いを含んだ目をこちらに向けていて、そのような時、とても幸せな気持ちになります。思い出して見ると、眞子や佳子が小さかった頃にも、同じようなことが、度々ありました」 - 2008年(平成20年)10月20日、誕生日の文書回答にて[29]

そのようなお孫さんでいらしたら、どんなにか、よろしかったでしょうね。

眞子さま佳子さまとは、常におっしゃるお言葉「それぞれの「個性」が、異なっておられるように、傍からは感じられるのでございます。

と申しますか。

そんなに、美智子さん流の言い方で「お可愛い?」お孫さんがた。


「この度も私はやはり感謝状を、何かこれだけでは足りないような気持ちがいたしますが、心を込めて感謝状をお贈り申し上げます」 - 2009年(平成21年)4月8日、結婚50周年記者会見にて。先の25周年記者会見での発言をふまえ[30]

よくできまちた。おしやわせそうでなによりです。

跡継ぎさんを何とかして下さいな~


「東宮も秋篠宮も孫として昭和天皇のおそばで過ごす機会を度々に頂き、また成人となってからは、陛下をお助けする中でそのお考えに触れ、日々のお過ごしようをつぶさに拝見し、それぞれの立場への自覚を深めてきたことと思います。これからも二人がお互いを尊重しつつ、補い合って道を歩み、家族も心を合わせてそれを支えていってくれることを信じ、皇室の将来を、これからの世代の人々の手にゆだねたいと思います」 - 2009年(平成21年)11月11日、天皇即位20年に際する記者会見にて[31]

途中から、こうごうさんでなく、天皇さんの言葉だと、つい、聞いてしまいました。てへ。

それぞれの立場の自覚ってどんなんですか。秋篠宮さまは慎んでしんどいことは引き受けなさい、家族一同、当然そう、目立たないでいなさいよ。ですか。

皇太子は、何かを自覚出来る方なんですか。そこから、話は、始めましょうよ。


「これがミクちゃんですか」 - 2013年(平成25年)8月20日、六本木ヒルズ・森美術館でのLOVE展にて[32]

出たぁ!。いつまでたってもかわいいあたくし。

「80年前,私に生を与えてくれた両親は既に世を去り,私は母の生きた齢としを越えました。嫁ぐ朝の母の無言の抱擁の思い出と共に,同じ朝『陛下と殿下の御心に添って生きるように』と諭してくれた父の言葉は,私にとり常に励ましであり指針でした。これからもそうあり続けることと思います。」 - 2014年(平成26年)10月20日、皇后誕生日に際し、80年の傘寿を迎えて[33]

小さい声で言います。

お父さまとのエピソード、ほとんど聞いたことがありません。長女なのに。そして、

お父さまの言って下さったこと、まったく、全然、ちっとも、見事に聞かなかった。

完璧にスルーしたったんですね、み・ち・こ・さま。


子女[編集]

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それと。

たまげた話も記載されておりましたわ。

これ、するか~??? の話。それ書いて、寝ます。

宮内庁職員組合文化祭には白木華子(=白樺子→シラカバ)の名前でひそかに手芸作品を出品したことがある。その時、紀宮清子内親王も「川瀬美子(かわせ・みこ→カワセミ)」の名前で出品した。



白木華子

川瀬美子

はじめたまげて、いま、腹が立っています。ものすごく。




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3 Comments

KUON  

自分の記事に自分でコメントするわたし。(笑)。

KUONと申します、書かせて下さいね。


草津で毎年、ピアノを弾かれる。

あれと同じことを、ここでもしてたのか、という嘆きです。

職員さん方の文化祭に、仮名をつくって。こういうやり方。

草津のピアノと同じ。

どうやってでも、どこへでも、見てみてと割り込みたがる。

本名でなさればいい。普通に皇后、とか、美智子、名義で、特別扱い無しの陳列。これは、私も混ぜてね、とお願いして、混ぜてもらえばいい、まさかダメ、とは言われないでしょう、特別扱いでなく、とは、申し出る方がいいと思うな、KUONは。

職員さんたちが、そこでは主役。ここの理解しにくい人だと、いつも感じています。

白木華子というのも。華子さまとおっしゃる妃殿下が、現におられるのに。

紀宮さまが「かわせ みこ」

母子で楽しく大笑いして、なさったことか。あるいは、紀宮さまは、おうたを「乗っ取られる」たりするのに慣らされておいでで、ご自分が「美子」にされても、にこやかに、ドンマ~イン、と、お母さまを包まれたのか。

最近よく怒ってますねと言われます。苦笑します。

怒っても嘆いてもどうにもならんのかな、と、ふと、夜空を眺めたり、する昨今です。

2015/11/24 (Tue) 17:17 | EDIT | REPLY |   

あみ  

華子?

KUON様 こんばんは。

なぜに「華子」なんでしょうね?
トウグーの所にも「百合子」と言う名前のワンコがいたような。
身近な人の名前を使う神経、どうやっても理解出来ません。

ご存知かも知れませんが、伏見顕正様の本日のブログ、とても興味深い内容ですね。
お皿様、もう行く着くところまで行ってしまわれています。   
真実なら、日本の八百万の神がお許しになる筈がないです、神の力を信じます。
  

2015/11/24 (Tue) 22:40 | EDIT | REPLY |   

KUON  

・あみ さん。

お返事遅くなりました。

なぜに「華子」さん。(笑)。

お印の「白樺」の文字を、ばらけさせたのでしぃうね。でも、身近に、入内後、とても優しく温かく接してくださった常陸宮さまの、大切な妃殿下である華子さまがおられる。

ふつうはしないですね、こういうことは。「みちこ」でもいいんでは、とも思う。まあ、普通は、という言い方でくくれない方ですね。

伯母上の「百合子さま」がおられるのに「ユリ」と、きっと呼び捨てで呼ぶ、犬に、名前付ける基地外夫婦もね。

2015/11/27 (Fri) 09:50 | EDIT | REPLY |   

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