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むかしのこと

月食の月の赤さに、思い出したあれこれ。

今夜の月は、ぼったりと重そうに大きい。



十二月八日は、やさいさんに会えた日でありましたが、ジョン・レノンが、ダコタ・ハウスの前で凶弾に倒れた日であり、私の生まれる以前、第二次世界大戦が始まった日でもありました。

日本軍が、真珠湾に奇襲攻撃をかけて。

・・・その真珠湾を、訪れたことがあります。

夫の弟の結婚式のために、初めてハワイへ行きました。二十数年も昔のことです。

三日間同じホテルに滞在する日程のうち、私には、どうしても行きたい場所がありました。

真珠湾へ。

日系人のドライバーが、私を、その場所へ運んでくれました。

透明な、美しい青い海でした。

空も青く、太陽は燦燦と降り注いでいました。

撃沈された戦艦・アリゾナ号は、海に沈んだままの、巨大な錆びた鉄塊。透けて見えるのです。

中にまだ残っていると思われる乗員を引き揚げようと、何度も潜水夫が潜ったが、事故が起きたりして、なかなか叶わないと、その時そう聞きました。

記念館を巡る前に、短い映画を見ました。日本軍が何をしたか、の記録映画。若い昭和天皇が、白馬に乗っておられる映像が現れた時、私の前の席にいた体の大きな白人が、鼻を、フン、と鳴らしてつぶやくのが聞こえました。

ガッデム。確かにそう聞こえ、私は、身ぶるいするような恐怖を感じました。

日本人は、その時、周囲に、私だけでした。その類いの恐怖を覚えたのは、生まれて初めてのことでした。

自分は、憎まれている側の人間なんだ、と感じました。

アリゾナ記念館の中に、大きな石碑がありました。

トムとか。ジョンとか。ロバートとか。この海で散った人々の姓名が、ABC順に、ずらりと、書き並べてありました。
詳しい数は覚えていない・・・でも、沢山、沢山の人の名前でした。

階級も身分も無く、ABC順に。

人懐っこい笑顔や、揃った歯や、まぶしそうに顔をしかめる癖や・・・そんな、ひとり一人の命が、ここで奪われた、消え去った、場所なのでした。

泣き虫の私は、平静でいられませんでした。

沢山の命が奪われたのは、アメリカ人だけではない。そんなこと、言うまでもない。

・・・その時、でも、私は、トムやジョンのために、胸が破れそうなくらい、悲しかったのです。

父さんや母さんは、どんなに悲しかったでしょう。

泣いている私を、サワイさんというドライバーは、ハワイの高台、見晴らしのいい丘へ連れていってくれたり、日系二世である自分の、戦中戦後の気持ちを話してくれたり。

予定時間を大幅にオーバーするまで、あちらこちらを案内してくれ、決まった額のお金以外を受け取ろうとされませんでした。

別れる時、つよい握手をして、さようなら、と、言い合いました。

私は、再びハワイに来れれるとは思えなかったし、サワイ氏も「一期一会」のこころをご承知の方と思われました。

戦争はイヤだ。

戦争を知らない子供たちの、まさに一人である私は、強く、強く、そう願います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

えまさん。

お忙しいのですね。

よかった、と言っていただくと、本当に嬉しいし、こころの優しい方々とつなあることが出来ているのだな~、と、また、うれしくてたまりません。

絵文字の意味は、よ~く、わかっていたつもり。本当に、優しい心を、ありがとうございます。

年末にかけ、お体に気をつけて、しっかりアルコールも楽しんでくださいね。野菜もたっぷり食べながら、ね。


山イチゴさん。

よくわかりました、ありがとう。

寺山修司は、毀誉褒貶ありましたが、天才でした。十五歳くらいから、本格的なものを書いていました。

俳句から入り、短歌では、若くして大きな賞を受けています。

戦争で父親を亡くし、母親は一人息子を親戚に預けて出稼ぎに行った。

母親にとって修司は、唯一無二の存在でありましたが、幼少時に母と離れて育った修司は、母のようには、親子の絆を信用できなかったようです。

難しいものですね、人間の心は。

    母の蛍すてに行く顔照らされて

という俳句があります。

母というものを、茶化し、憎み、モデルにして笑った寺山修司は、母の蛍を、捨てに行く、と、一般的な人の心を逆さに摺るような言葉を使いながら、その顔は、母の蛍の、その「灯」に照らされている、と。

母を憎み、モデルにして侮辱し(そんな作品をたくさん作ったのです)、茶化した息子である、寺山修司。

そんな自分の顔は、母の灯に照らされている、と。

見られている、と。

すべて解って、していたのです。母を笑う自分を、激しくとがめている。自分が。

お母ちゃん、と甘えたい時にそばにいてくれなかった母と言う人を、愛していたのですね。

寺山修司は男性だから。

これは、あくまで私の「感じ」ですので、こういうことに、私は、しておきたい。

若い頃何度も傍にいました。

体が弱くて、淋しがり屋で、息するように嘘をつき、その嘘が「作品」になっているような人でした。














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  1. 2011.12.13 (火) 23:12
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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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