今日も元気でいましょうね^^

返事の中までKUONです。

ご立派でいらっしゃいましたよ」って。




・母宮のみ車椅子をゆるやかに押して君ゆかす緑蔭の道

 ・ははみやの みくるまいすを ゆるやかに おしてきみゆかす りょくいんのみち

                         平成7年


>母上の車椅子を、ゆるやかにご夫君が押して行かれる、緑蔭の道。

美しい光景のうたです。ご自分は「観察者」、見ている人、の、うたです。

美智子さまは、昭和の皇后陛下・香淳さまのうたを、いくつか詠んでおられます。

平成になってからのうたが多いようです。

・わが君のはた国人の御母にてけふ母の日の花たてまつる

 ・わがきみの はたくにびとの みははにて けふははのひの はなたてまつる

                          平成8年


これらのうたの前、平成5年に、今上夫妻の「新御所」は完成。

平成5年の12月には、今上ご夫妻は、紀宮さまと共に、新宮殿に「御遷宮」=この言葉で記されています=されました。

昭和天皇の愛された雑木林を伐採し、踏みしだいて成った、このお住まいへのうたを、美智子さんはたくさん詠んでおられます。それは、後にまとめたいと思います。

大変こころ弾んだおうたをお詠みです。



美智子さまは、香淳さまをはじめ、皇室の「旧勢力」の方々に「苛められた」との話が、まかり通っていました。

美智子さまは、苛められて、耐え忍んで、の方のイメージが定着した時代が長い方でした。

ご結婚一年目に、記者会見の場で、


「難しい事も沢山ありましたし、辛い事もあります。
いつになったら慣れるのか見当もつきません。
(中略)
八方塞がりのような気持ちになることもあります。


と、仰っています。

まあ、このようなお気持ちだっただろうとは、思えるとして。私には、東宮妃が、公の場で、これ言っちゃうか~?

の疑問の方が大きい。

昭和天皇の侍従長でいらした入江相政氏の日記(昭和42年、11月13日付・日記」には、

<三時半から五時四十分迄二時間以上、妃殿下に拝謁(はいえつ)。(中略)終りに皇后さまは一体どうお考へか、平民出身として以外に自分に何かお気に入らないことがあるか等、おたづね。夫々(それぞれ)お答へして辞去>


との記述があります。今では有名な話になっている。

では。

平民出身であること、は、美智子さんには、自分のせいではないこと、それで辛く当たられるのはつらい、理不尽だ、の思いがあっても、不思議ではないとします。

けれど。

そこ以外は、自分に、何の問題があるのよ。と、お思いになってゐる前提の質問、これって、すごい。どんだけ自信がおありになったのか。

少なくとも、自省、謙虚。そういう姿勢は感じません。

それでも、長い間、美智子さんは、意地悪をされて苦しんだことに、なっていました。

結婚が、個人と個人のもの、だけでなかった時代の・・つい最近までの・・女性たちに共通の問題でもあったと思われるし、「家」の中に単身、入って行って大変な思いも普通に経験した多くの[嫁」たちには、わかりやすい苦しみ、同意も得られ易かったのでしょう。

女性週刊誌の読者の多くは、当たり前の話ですが、女性。

それでも、耐え忍んだワタクシ。そういう図式、必然的に「姑」は、ワルモノになる図式。


前記事で、初子として慈しまれたご長女、東久邇成子さんを亡くされて間もない昭和の両陛下に対して、美智子さんが、ご夫君を引き連れて(というイメージですし、事実でしょう)行って、夜の10時過ぎまでも何かを訴えられたことを、書きました。

BBさんの貴重なお記事もお借りして、書かせてもらいました。

今日は、香淳さまのご晩年について、ネットで検索をしていて、、以下の動画を見つけました。

一つ目の動画は、成子さまのご逝去を報ずるもので、香淳さまは気丈になさっておられます。美智子さんは、痩せて伏し目で、消え入りそうな風情。まさかこのすぐ後に、とは思わしめざるなよやかなお姿で映ってる。この方が、あのことを、とは、思いにくい肩をすぼめた姿です。

二本目は、これもニュース動画です。幼い浩宮を置いて、東南アジアご訪問の際の会見から。

こういった、公の外国訪問時につきものだった記者会見も、現・とうぐうたちは行いません。勝手にカット?。

美智子さんは、やはり痩せて、斜めのひとで、声さえ「絶えなば絶えん」風情。

その妃殿下が、空港から発たれるニュース動画、ナレーション、そして、このニュースの終わりあたりに映っているのは。

正田富美子さんと、ご夫君です。入内の後には、めったに会うさえ叶わなかったと、悲壮な形で伝えられていた、ご実家の、ご両親。

お母さまは、敢然と顔を上げて。

東宮ご夫妻の外国親善訪問の見送りに、実家のご両親が来ておられる。

そういう時代だった、のですね。

そういう人たち、だったのでしょうか。




2:40~




2:10~から。 



<陛下が、駆け寄られるように皇太后様のおそばにお寄りになって、じっとその御最期をお見守りになり、そのお後で皇后様が、丁寧にお掛け布団などをお直しになりながら、「ご立派でいらっしゃいましたよ。」とささやくようにおっしゃったその時に、周りの人々の悲しみがふっとあふれるように感じられました。(以下略)>(『ひと日を重ねて 紀宮さま 御歌とお言葉集』から)



「皇后様が、丁寧にお掛け布団などをお直しになりながら、「ご立派でいらっしゃいましたよ。」とささやくようにおっしゃった」

って。。って。


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コメント

驚きました。

「御立派でいらっしゃいましたよ」
目下の者、家臣などを、ねぎらったり、褒めたたえる言葉ではないでしょうか。
子息や弟、あと一般人ならば、せいぜい「夫」まで。

・お名前の無い方。

その通りです、それを、言いたかったのです、わたしも。

最後の息を御引取になられた皇太后さまに、布団を丁寧に掛け直したかどうとか。そういうことでなく。

「ご立派でいらっしゃいましたよ」

どなたに向かって、誰が言うセリフか。

どこまで思い上がっていらっしゃるか、モノ知らずか、馬鹿か。

お相手は、単なる姑では無い。昭和帝のお妃、皇太后陛下。

わたし、これを読んだ時。頭にカッと血がのぼる感じで。

黙れ、とか、控えろ、とか、無礼者、とか、わめいてやりたい衝動に駆られたんです。

失礼です、あまりにも。

この、想像できる、しゃあしゃあした澄ました顔。

死んでいても飛び起きて、何を云うかお前ごときが、あっち行け~っと、ドアの向こうを指差して、と。怒鳴ってやりたいわ。

香淳さま、最後まで美智子にやられておいででした。おいたわしいです。

まあ。こういう人なんでしょうね。いいつもり。

おかしいと注意されても、どこが?と、相手を憐れむようにご覧になるんですね、おそらく。

憚りながら疑問。

これ、本当に、紀宮さまがお書きになったことか?

どなたかの匂いが、ぷんぷんします。

[ご立派でしたよ」と、ねぎらってあげてる自分を、誇っている、大馬鹿な人の文章に見えますのです。

お名前下さいね。よろしければ。

リカです。失礼しました。

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ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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