KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

  1. おそろしいこと。
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「冷酷」。



昭和36年、美智子さんは、このようなうたを詠んでおられます。

・新しき貴きいのちのあゆみここにはじめまさむか御靴まゐらす

 ・あたらしき たかきいのちの あゆみここに はじめまさむか おんくつまゐらす

                         東久邇成子様 薨去   御舟入りの儀 



今上陛下のいちばん上のお姉さま、東久邇家へ降嫁され、五人のお子をなされ、35歳を一期と世を去られた、成子さまにたてまつられた、美智子さんのうたです。

棺に靴を納められるのは、生の終わった次の世で、歩まれますことを願っての儀式だとのこと。

昭和34年に入内され、翌35年に浩宮親王をあげられた美智子さんが、詠んだうたです。

以前一度、これについて書いた記憶があるのですが、その時と今では、解釈が全く違っています。

こころ優しく行き届いた東宮妃のうたとして、流布された一首であったのでしたが。


戦中戦後、成子さまはご苦労され、庭にお芋を作られたとか、おひめさま育ちなので上手く行かなかったようだとか、母の周囲で聞いた覚えがありました。

美しい聡明な内親王で、しっかりした作文を書いておられた。この作文にも過去に触れましたが(愛子さんとの比較で)この一首の背景について、BBさん(気持ちは様、なのですが、どなたさまをもさん、と呼ばせていただいて来てしまってますので、ご容赦願うこととします)が、今年9月22日に、転載ご自由に、と

「ご慈愛仮面がはがされるとき~皇后陛下」

を書いておられる、そこから、以下に、引かせていただきます。今日はその一部です。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(東久邇成子さまは)

心労のためかどうか、癌をわずらわれ、わずか35歳でこの世を去られたのです。五人の子供を残されて。

昭和天皇皇后の哀しみは痛切で、香淳皇后は成子様を入院させた宮内庁病院に毎日お通いになりました。良い家柄のお家に降嫁させたものの、敗戦による娘の家の逼迫ぶりはご存知で、さぞかし不憫に思し召しであられたかと存じます。

初めて授かった愛しい我が子が、日々やせ衰えてゆく。生まれて初めて抱きしめた時のあの、やわらかさ、小さな指のたわみ、ほのかな息。ありがとうございますと、神にとも知れず祈ったあの日。

残されたまだ幼い5人の孫達の不憫さ。



お心を千々に乱れさせた香淳皇后は、医学で絶望的なことを認められず、怪しげなことにも救いを求められたようです。この辺り、民間の母親と同じですね。お立場上、人前で涙を流すことは許されず、それゆえ声を忍び泣き明かされたこともあったことでしょう。

成子さまが旅立たれ、魂も抜けたようにやつれゆく香淳皇后は、せめて心ゆくまで泣きたいと那須の御用邸に身をひそめます。

身をお隠しになって、慟哭の日々。

そこへ皇太子夫妻(今上陛下、皇后陛下)が、ふいに訪れたのは成子様ご逝去から僅か25日目でした。

哀しみに暮れる皇后陛下のおなぐさめに?

いいえ、なにか自分たちの不満をぶつけるためです。

その不満の内容は解りませんが、その間のことは入江侍従が日記にしるしています。

・・・・・・・

「昭和35年2月23日(火)快晴

4時15分親王ご誕生、御母子ともおさわりないとの事。これでよかった。本当に安心した」

「昭和36年8月11日

最近の奥のおかしな空気、東宮さまと妃殿下(現天皇、皇后)に対すること・・・・・・まったく弱ることばかり。下らなさに腹が立つが、そんな事話し合う」

「昭和36年8月16日(水)快晴

那須で東宮同妃から両陛下にいろいろのこの間からのことを十時すぎまで率直にお申し上げになったとのこと。お上はよく分かったと仰せになったが皇后さまは終始一言もお発しにならなかったとの事」

・・・・・・・ここまで

今上陛下にとっては、一番上のお姉さまです。
また美智子皇后にとっては、皇室内で唯一自分の結婚を歓迎してくださった恩人です。
異例の民間妃入内にあたっては、皇后陛下はじめ全てが反対の中、唯一の味方が成子さまであり、これは想像ですが、両陛下の説得にあたって成子様の一言は重たかったのではないでしょうか。最愛の第一子が、賛成と言っている・・・・

いわば恩人の喪の最中に、その母親である皇后陛下を訪れ、何ごとかといぶかしめば‥‥‥・当然お見舞いであろうとお迎えすれば、日頃の不満ぶつけ。

「皇后さまは終始一言もお発しにならなかった」

という入江侍従の記述から、香淳皇后のお心のうちは読み取れますね。懸命に耐えていらしたのだと思われます。
嫁だけならまだしも、息子がこの思いやりの無さ。さなきだに、悲しみに打ちひしがれているところに、息子とその嫁から浴びせかけられる不平不満。

将来の天皇皇后に対して侍従が「くだらなくて、腹が立つ」とまで書き残しているのだから、相当のことであったのではないでしょうか。
この時美智子妃は、第一子である浩宮様がすでにお生まれになっていたのだから、第一子に先立たれた母の哀しみと苦しみは解るはずでしょうに。

それを夫とともに、文句を言いに静養先にやって来る・・・・・。
夫の母であるお方が憔悴していらっしゃる時に。そして、逝去されたお方は夫の
姉であり、自分の入内を心から歓迎してくださった方。その思いも美智子様にはおありにならなかったのでしょうか。

宮中へ戻られるのを待たず、静養先に押しかけての鬱憤ぶつけですから、相当激しかったのではないですか? 日記によると長時間のようだし。「冷酷」という文字が脳裏を過るのは、大仰でしょうか。そう言えば、自らを批判した浜尾侍従の葬儀は皇居から目と鼻の先の教会で営まれたのに、参列していず、それだけならまだしも、さんざん養育係として世話になった皇太子も行かせていません。
この、なさり方! いくらお腹立ちでも、息子ぐらいはやりませんか。
念のため、当日の皇太子のスケジュールを調べてみたのですが、どうしても外せないもの、キャンセルできないものは入っていません。
浜尾さんの批判は、皇室も良かれと思っての発言だったと思います。
今、読んでも正論なのですから。当事から皇后が天皇を尻に敷いていることにも警告を鳴らしています。皇后の顔色を伺いながら天皇は動いていらっしゃると。

入内に際しての香淳皇后さまの反対と、那須の御用邸での逸話から美智子さまが香淳皇后さま他にいじめられていたように噂を流す人がありますが、どうなのでしょうね。

皆無であったとはいいませんが、現在画像その他で検証する限り、世間に流布されているような陰湿で激しいものではなかったような?
皇后陛下はああいう、おっとりしたお方であるし常磐会が意地悪だと言っても、身分は皇太子妃美智子様のほうが圧倒的に上なのですから。

雅子妃などは「それなら、皇太子妃を辞めます!」と言い放っていますが、お立場は似たようなもので、強いでしょう。言い放つぐらいなら、とっととお辞めになればいいものを、餌箱の餌は手放したくないのです。脅しとしておっしゃったのなら、それこそお里が知れますね。

女性なら即わかると思うのですが、意地悪な口うるさい姑が「近所」に住んでいる状況で、とっかえひっかえ、流行最先端の時には突飛な洋服や帽子で、お出かけできます?
今でも日本人には少々柄の悪いと思われている、濃いサングラスに高いハイヒール。これが、姑にいじめられている嫁でしょうか?

仮に多少はあったところで、娘を逆縁で喪って打ちひしがれているところへ押しかけて来て、日頃の不満を息子と息子と結託して、ぶつけて来る嫁。可愛くはありませんね。しかも言葉の端々に皇室でそれを主張しては伝統が壊れてしまう「男女同権」を匂わせる嫁。

押しかけなんて、いじめられていた嫁が出来ることではないでしょう? 後が恐ろしくて、夫だけやるのだけでも、怖いのに。さすがは母上が「皇室とのご縁談はstruggle(闘争)」ですと言ってのけた、その娘さんではあります。あの時代に言えませんよ? わざわざ横文字でおっしゃるところも、風変わりです。日本人離れしているといおうか。それに戦前から天皇は格別に偉くないのよ、とお教えだったようです。さしてお偉くないところに、私は嫁いだのよ、だから男女同権でいいのよ、ということでしょうか。

     ・・・引用ここまで、ありがとうございました。またお願いします。



こういうことを、なさっていて。前掲の「うた」を、しゃらっと詠んでおられた。

「皇室とのご縁談はストラッグル(闘争)です」と言い放った、実家のお母さまに就いて、橋本明氏・著の「美智子さまの恋文」に、以下の記述があります。

「陛下のスポークスマン」なる称号をたてまつられたりしている氏ですが、陛下の学友=学習院=他の記者諸氏より、そちらに近い、そのことは、十分に意識しておられるようで。

興味深い記述もあるのです。

以前書いた、松平信子女史が、美智子さまの「お妃」教育に四苦八苦しておられた折りの話。

気の遠くなるような努力が、老女(信子さま)と娘(美智子さん)との間で交わされている。お互いにさぞかし忍耐を要する時間であったろうと私は想像した」。  p.73

松平信子は、東宮職参与でいらしたのでしたが。

「皇室会議の二日前に、初めて、正田美智子さんに内定したと聞いた、事前の相談はいっさい無かった」

だったという。この方が

「信子がしっかりと胸に抱いた基準は、美智子妃が東宮殿下のお荷物になってはいけないという一点に絞られていた」 p.73

これは、とてもよく理解できることだと、私は読みました。反対できる時期は外されてしまっていて、美智子さん入内は確定していた。藩屏の神経を逆なでするやり方で、正田嬢入内のことは進められた。そうなってしまったなら、あれもこれも、覚えていただきたい。覚えていただかなくては、と。

「決まってしまった以上は、何とか恰好をつけなければと考えたわ」

しかし、遅々として進まない「美智子さんへのお妃教育」。

まさこは、茶道は「意味がわからない」と放り出し、神道の講義は「英語のテキストで」と申し出た、どれが最後まで続いたやら、と、疑問符だらけの真正のあほうですが、みちこさん は努力なさった、ということではあるようです。

そして、

ある時、信子はこう言い放ったものだ。

「わかったわよ、すべてが。母親の富美さん、上海育ちだったのね、彼女は大陸夫人です、だからよ」  p.74



ここでもう一度、初めのうたに戻ります。

35歳で、幼い子を5人も残して、天皇のお子でありながら、空襲で壊れた家に住み、お子さま方に食べさせるものも不自由な、いっぱんの人としてのご苦労の末に亡くなられた成子さま。

その方に捧げるに、なんと「おきれい」な「おうつくしい」儀礼の一首かと。呆然となります。

皇族のうたですから、生なうたにはなり得ないのを前提とするとしても。

棺に靴など入れてもらって、次の世での「新しい」「尊い」いのちを祈願してもらうより、

成子さまのお気持ちを、勝手に忖度させていただけば。

生きたかった、もっと生きていたかった、今すぐにもこんな箱から出て、子どもらが心もとなくいる場所へ、しょんぼりと涙をこらえているところへ、走って行きたい、笑顔にしてやりたい、母の死などをまだわかりもしない子らを、置いて、行きたくない、残すのは辛い、

こういった思いだったと想像できます、ご両親である(昭和)両陛下の胸うちも、親としての悲しみ、無念に加えて、若い母の身で逝ってしまったお嬢さまを思いやられての、無念、絶望は、ご自身のものに倍するものでいらしたでしょう。。

そこへ、何のご不満がおありだったやら、何か言いに行った、問題を持ち込んだ。

名古屋弁で言うところの

「ど喋りに行ったるだわ」

「ど喋ったったわ、」

だったのか。凄惨な情景。

云うべき言葉も無いです。

そして、今上陛下。腹の立つことがあってきーいいっとなっているツマに、付いて行かれた?。

名古屋弁でいう

「どたあけ」

「たあけ」

「めっちゃんこ、たわけだでかんわ、よめさんの尻に敷かれてりゃあすも、どうもならんがね」


なんと、まあ。


この少し後には、可愛いナルさんも共に、夏のご静養にお出かけの美智子さまの、駅のホームで晴れやか、にこやか、腕をぜんぶ見せたデザインのワンピース姿の写真が、残っています。成子さまの亡くなられたのは、7月23日です。

ご慈愛。ご冗談を。

・・・こういうことが、うたの中から、色々、見えて来ます。

なーにが「まゐらす」だよ。偽善者。と、改めて感じた次第です。





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  1. 2015.10.17 (土) 21:46
  2. URL
  3. lavinia
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ドライだ。

KUONさま こんばんは。

今日のお歌は何とも言えない気持ちになりました。
BBさまの記事も、読み終えて感想を書こうとして書けなかったのですが。

ワタクシは少しも悲しくないの、というのは伝わってきます。
周囲の悲しみに同調する気も、さらさらない。
悲しそうなフリをするよりは、ましなのかもしれません。

身も蓋もない書き方をします。
来世の幸せを祈るお靴が義姉のお棺に入れられてる。という文面通りの風景を「死んじゃったものは仕方ないわ」とドライに眺める美智子さましか浮かんでこない。

アナ雪の「すこ~しも寒くないわ♪」っていうあのフレーズ。「すこ~しも悲しくないわ♪」って字余りだけど歌ってしまいました。

やっぱり美智子さまに慈愛ってなんですの?って訊きたい!


  1. 2015.10.18 (日) 08:46
  2. URL
  3. 卯月
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足りないところを補うと書いて補足

KUONさま、こんにちは。

成子様の事はBB様やナス子様の記事で勉強させていただきました。
そしてミテコさんの振る舞いには「何この女?!」と腹が立ちました。
え?誰が誰に苛められてるって?!
我が子を失って、傷心・憔悴しきってる方のところへ乗り込んで行って「くだらないこと」を喚くのって、いじめ(加害者)ではないですか?香淳皇后さまのお心の傷口に塩どころかハバネロ擦り込む所業です。
言いたい事言ってスッキリしたのか、この後のご静養には大口開けてお笑いになりながらお出掛けになる写真を見ました。

聖母マリア様を気取ってても、やってることは冷酷な魔女ですよ。

どなたかのブログのコメントで、
『マスコミに書き立ててもらうのは、一番足りない部分をイメージとして補って貰うため』と言うのを拝見して納得いたしました。
ミテコさんは「慈愛」
マガコさんは「優秀」
が一番足りてないのですね。

  1. 2015.10.18 (日) 11:51
  2. URL
  3. ジェリコ
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短歌と写真

短歌の読み解きという切り口、すごいと思います。
とても興味深く読ませてもらっております。

短歌の下に、ひらがなだけで読み方を書いてくださっているでしょ。
ひらがなが柔らかなイメージだけに、
浅かったり冷酷だったりする意味が、怖い。

他ブログさんでの、驚きのミテコさん写真群で暴かれる正体。
写真ってすごいなと思っていましたが、歌もすごいですね。
歌は、本人が詠んでいるだけに、もっと本音が出てくるのかも。
本音を隠すための語彙力がなくて、”クレバー”でもない方かも、
と、思うようになりました。

ミテコさんみたいな人、あか~~ん。
  1. 2015.10.18 (日) 17:10
  2. URL
  3. しずく
  4. [ edit ]

こんにちは

未婚の吾の夫のにあらずや海に向き白き墓碑ありて薄日あたれる

富小路禎子氏の評価としてとても冷徹に客観的に自分を見て歌っている歌人というのがあります。まさに美智子妃の対極にある歌人と思えてなりません。
美智子妃の歌はもう素直な気持ちで読めません。ファッションと同じで「どう?私」という姿勢が透けて見えるようになってしまいました。芸能人のようになってしまった証ですね。両陛下の権威が失墜しました。


富小路禎子氏は
独身をとおした歌人でしたが、一番上に書いた歌は戦争でなくなった多くの人たちの墓碑を見てそのなかのひとつはもしかしたら自分の夫になった人であったかもしれないと歌う哀しみが窺われます。

美智子妃の歌には哀しみというものが全くありません。若くして幼い子を残して亡くなられた成子様のことを歌われた歌。最初どういう場面で歌われた歌か知らないで読みましたときには誰かの誕生を祝う歌かと思ったほどです。
御舟入りの儀 に読まれた歌と知り本当に驚きました。

はるばる異国まで慰霊とか震災後のお見舞いとか大行列で行かれる妃ですが本当に悼んでおられるのか疑いたくなります。悼む気持ちがあったらあのような祝うかのような歌は詠めないような気がします。

それは先日の河川氾濫で大変なときに美術館に行かれたことで証明されたのではないでしょうか。ネットという世界が生まれた今は新聞、テレビに騙される人は圧倒的に減りました。まだいるでしょうが、確実に減っているはずです。そう期待したいです。だからこそやっきになってマスコミが安倍政権を批判しても安倍政権の支持率は下がりませんし、韓国中国への嫌気は増すばかりです。マスコミが煽る反対側に日本は進んでいるような気がします。それに気がつかないマスコミは遠からず終わるでしょう。

昭和の天皇陛下の終戦の日の国民に向けてのお言葉、今年初めて全文読ませていただきました。陛下のお言葉には心があり、温かみがあり国民を子のように思う真に日本を思う気持ちが溢れていました。また戦後のご巡幸の写真やエピソードもネットの世界で始めてみました。

今のように多くの護衛がつくわけでもなく交通も宿も不便ななか国民の前に出て行かれました。いつ石を投げられてもおかしくない状況ですし暗殺が図られてもおかしくない状況だったと思います。でも天皇陛下は堂々と国民の前を歩かれ広島の大観衆の前にもお一人で立たれている写真を拝見しました。原爆が落ちてまだ間もない時です。

命をかけていらしゃるのが私にもわかります。

今の皇室で命をかけておられるのは秋篠宮文仁親王と紀子妃殿下です。眞子様を身ごもっておられたときに激しい雪が降る中真っ白になりながら式にご列席されるお二人の動画を見て驚きました。お二人とも身じろぎもされず雪のなかにおられました。おそばの人もなぜお席をはずされるよう進言しなかったのでしょう。眞子様がご無事に誕生されて何よりでしたが、宮内庁は昔も今も仕事ができないんでしょうか。

それでもそういう姿勢を拝見すればおのずと国民の心は天皇となる方を仰ぎ見るようになり日本はまとまるはずです。そして誇りのある国になるはずです。(
続く)

  1. 2015.10.18 (日) 17:29
  2. URL
  3. しずく
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続きです

国を守るため、家族を守るために戦うことは美しいことではないですか?戦争すなわち悪なら多くの人は何のために先の戦争で戦ってくださったのでしょう。私の父も学徒出陣で戦争に行きソ連で捕虜になり戦後も何年も帰国できませんでした。でももちろん天皇陛下のことを恨むなんていうことは全くないと明言しておりました。
誰も皆あの時代の人はそうではないでしょうか。その証拠に私が幼い頃 祝日は国旗を掲げるのは当たり前のことでした。
今のような日本になってしまった責任の一端は今上天皇と美智子妃にあることは間違いないです。昭和天皇は雅子入内に最期まで反対されていました。なぜ先帝のご意思をないがしろにされたのか問いたいです。
美智子妃に共感の心はないのだとつくづく思うこの頃です。昭和天皇を頂いていたときのほうが幸せでした。あちこちの国に謝って日本はいつまでも忘れてはならないなんて宣ふ陛下では国民は暗くなるばかり。頭の上の雲はいつまでも太陽を隠しています。日本は「日出づる国」なのに。秋篠宮家のほかの宮様方は皆国民のことより自分のことが先。穢ればかりが目立ちます。
長々とすみません。来年またフィリピンに行かれるそうですが、もう本当にお二人には御殿でひっそりと暮らしていただきたいです。ほかに国民のために命を削ってでもなさる必要がある大事があると思います。
  1. 2015.10.19 (月) 07:12
  2. URL
  3. はるせん
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慎むことの大切さ

棺のなかの成子様のお気持ちを書いていらっしゃる箇所、胸に響きました。
 美智子様も晩年を迎え、ああ、あの時(の自分は)は恥ずかしかったなと身悶えしておられるかもしれませんが……。

本当に気品がある人は、慎み深いのではないでしょうか。悲しみに沈んでいる人の処へずかずか踏み込まない態度と言うか。
結局はお育ちなのかなと、同じ母親として恐ろしくもあります。
  1. 2015.10.19 (月) 12:02
  2. URL
  3. [ edit ]

♪うたってみました♪

laviniaさん、あなたも、同類。こんな哀しい記事へのコメントに、アナ雪にあわせてうたってみました。とわざわざ書くのね。あなたこそ「もう ここ(ブログ)に来なくて いいわ♪」
  1. 2015.10.19 (月) 12:38
  2. URL
  3. 牧水
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KUON様、いつも勉強させていたただいてます。

成子様がお亡くなりになり、49日も経たないうちに、今上伴い家族3人真っ白な、張り切った出で立ちで、晴れやかな、慎みなく歯を見せた写真。
美智子さんを許すことはない理由の最大の理由の一枚です。
それだけではなかったんですね。
本当に、涙がでてきます。

子供がいれば、子供を残して死ぬことがどれだけ辛いことか。
母親にとって“役目”を終えられずに死ぬことは恐怖と言って良いくらいです。
なぜ、こんな下品な笑顔ができるのか。

しかも、一ヶ月も経たないうちに、昭和天皇、香淳皇后に身勝手な態度でぶちまけに行くとは。想像以上です。
KUON様のおっしゃるとおり、凄惨な情景。云うべき言葉も無いです。。

最近思うのは、秋篠宮殿下、清子様の母親は別人と噂がありますが、ここまで美智子教の今上が他の人とはありえないんじゃないかと。

本当は、今上のことは一度も尊敬したことはないし、秋篠宮殿下と清子様は、今上の血が繋がってるから薄情な仕打ちをしてるとか。。徹底して皇族を根絶やしにしようとしていますよね。

そんな冷酷な人が、皇室をつなぐ皇太子にあそこまでこだわるのは何なのでしょう。もしかして…托卵??
だとしたら、美智子さん笑いが止まらないですね。
  1. 2015.10.20 (火) 04:43
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管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2015.10.21 (水) 22:21
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  3. KUON
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・laviniaさん。

集中して美智子さんのおうたを読んでいて、感じること。

とにかく、ひとことで言うと「自愛」これです。

これで通って来られたの不思議です。周囲の心ある方々は、ぼろぼろになられたでしょう。

驚愕の真相って感じです。


・卯月さん。

まこと、これは無いという無神経。

ハバネロって知りませんで(恥)日曜日の夜、軽食の出るショーを見に行っていて、そこで初めてハバネロというものを見ました。ぜひぜひと口に運んで、感じたこと。辛!。でも、辛くても嫌じゃない、すっきり、思い切りのいい味。にちゃらこちゃらのジアイまぶしじゃないから、これは、と、思いました。

大口開けて喜んでいる写真、沢山、見せて下さっていますね、今。大丈夫か???のが、沢山ありますね。


・ジェリコさん。

短歌なら、少しはわかるかも。と、始めたのでした。あまりにも、突き合わせて考えてみると、人間性に疑問を感じるような御作が多くて今も毎日。驚いています。

得意になって発表されたのでしょうが。ご本人のお名前で出ているものなので、確かですね。おそろしいなあと感じています。ナス子さんの写真群も
感嘆です。びっくりします。

お顔、違うし。ぎょ。


・しずく さん。

うたの話となれば、沢山辿って行ける気がします。

昭和天皇のお気持ちも、慮らせていただけば、胸が痛いです。陛下は、ヴァイニング夫人に、ずっと後にお会いになった時に、

「戦争を止められなかった自分に、皇太子を教育する資格はないと思った」と、胸の絞られるようなことを仰せでいらしたとか。

息子さんには、伝わらなかったのだな。ツマのヨシヨシに、ほだされてしまったのだな、と。最近とみに、思います。

親の心、子、知らず。そのまま天皇になられて。

無惨な皇室の姿です。

まばゆい光のご一家がおられなければ、本当に、どうなっているかと思います。

幼い親王さまへの冷遇、無視ぶりに、昨日も仰天していました。

あれこれ、思います。


・はるせん さん。

>美智子様も晩年を迎え、ああ、あの時
>(の自分は)は恥ずかしかったなと身悶え
>しておられるかもしれませんが……。

いやあ・・そうなら、せめて、人らしい気がしますが・・・。

自愛の人には、自分を顧みる視線は無いそうですので、どうかしらん。(笑)。

>本当に気品がある人は、慎み深いのでは
>いでしょうか。悲しみに沈んでいる人の
>処へずかずか踏み込まない態度と言うか。
>結局はお育ちなのかなと、同じ母親として
>恐ろしくもあります。

これは同感です。慎みの感覚の個人差に、驚いているのです。ふつう一般でもしないことを、してのけられた。夫様もふがいない、と、どうしても、感じてしまいます。

父子二代、同じなのか。キーキーのツマに勝てる男は、いないのか・・・

ただ一緒に、黙って自分も、泣くこと。それしか出来ないと、私は、思ってしまいました。

悲しみのどんづまりには、言葉は虚しい気がします。言葉は大好きな身ですが。


・名の無いお方。

あなた様は、そう、かんじられたのですね。それは、わかりました。

>「もう ここ(ブログ)に来なくて いいわ♪」

こういうパートがあるのですか? わたし、ここ十年以上、もっと、ディズニーは見ていないのです。昔は憧れでしたけど。

ジブリも、だめになっています。「火垂るの墓」が最後?な感じです。

で。ここへ来なくていいわ、と唄うのは、わかって下さいますね、私です。

お名前くらいは、いただきたいものと考えますしね。


・牧水さん。

>母親にとって“役目”を終えられずに
>死ぬことは恐怖と言って良いくらいです。
>なぜ、こんな下品な笑顔ができるのか。

若い母親の、逝くに逝きがたい無念の死。そして、その娘を思うご両親の、辛い辛いお心のうち。

それ、わからないなら、何をかいわんや。私なら一生、そのことだけでも、無神経な美智子さんを、受け入れることは難しいかもしれません。

大口あけて、夏のご静養を。大口開けて下品に、特権を享受していたあのひとが、紀子妃殿下の笑う時の口がダメだと。呼びつけてクレームつけて、紀子さまは、笑い顔が変化されました。

言い出すとキリが無いほど、美智子さんが嫌いです。嫌いで済むならいいが、毒ですね。









  1. 2015.11.21 (土) 19:09
  2. URL
  3. でれでれ草
  4. [ edit ]

失礼します

いつも、更新を楽しみにしております。
歌学を通した考察が素敵で、いつも勉強させていただいております。
でれでれ草と申します。

こちらの、記事を一部、拙ブログで、転載させていただきたいのですが、よろしいでしょうか。
  1. 2015.11.23 (月) 00:08
  2. URL
  3. でれでれ草
  4. [ edit ]

ありがとうございました

拙ブログにおこしいただき、お返事をいただき、ありがとうございました。

もし、ご訂正や加筆するべきことなど、ございましたら、御手数ですが、ご指摘くださいませ。

m(_ _)m

今後とも、ご活躍を楽しみにしております☆

  1. 2015.11.24 (火) 10:18
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

・でれでれ草さん。

お返事が遅れました、申し訳ないことです。

まずは転載のことですが、どうぞ、よろしければ、お使いください。

ご訪問してお願いしたように、うたに関することは、元のうたも解釈も、そのままでお願いしたい旨、お聞き入れ下さり、もちろんそうと解ってゐての重ねてのお願いでしたが、ありがとうございました。

美智子さんという人はキライでも、作品に対しては敬意をもって対したいのが私の、いわばコダワリのようなもので、笑われても頑固に、押し通したいあたりなのです。

表に出たものへの批判は、あってしかるべきものと考えています。だから批判はする。(笑)。

まだまだ触れたいうたはあります。うたの背景まで調べていますと、時間ばかりがかかって、それがある種の楽しみでもあるのですが、ぱっぱと書けません。

でも続けたいです。

ナマズさんの輪は、本当に、日本中にひろがるといいですね。ひろめましょう。

明るくすてきな、殿下の象徴。みたいに。

また私も訪問させて下さいね。




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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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