今日も元気でいましょうね^^

返事の中までKUONです。

「大部屋」のうた。




何種類かある美智子さまの歌集の、「皇后美智子さま 全御歌」という一冊を、もう一度、読んでいました。

年中行事のひとつに「歌会始の儀」をもつ、皇室の一員としてのくくりを越えた分量のうたを、美智子さまは詠んでおられます。

昭和34年に24歳で結婚なさり、それからうたを始められた美智子さまのうたは、すべてが「御歌」=時の皇后の詠ましけるうた、となります。(初めは東宮妃でいらしたが、それでも公人。公のお方の、うたではあった)。

入内された美智子さまの短歌の師となられたのは、五島美代子氏でした。

20代の初めまで丹念に育てられたお嬢さんを、自死という無惨な形で失くされ、その悲哀慟哭をも冷徹に詠まれた方。

母親としては潰れてしまいそうなところを、歌人の自己表現欲、自己愛とも言うべき迫力で、詠み切られた。

結果、

背景を何も知らないで読んでも胸の詰まる作品が、残りました。

「母の歌人」と云われました。

浩宮をみごもり、お産みになった頃の美智子さんは、この五島氏の指導ののもとにいらしたか。


吾命を分け持つものと思ひ来し胎児みづからの摂取とふこと

  わぎのちを わけもつものと おもひきし 胎児みづからの せっしゅとふこと

含む乳の真白きにごり溢れいづ子の紅の唇生きて

  ふふむちの ましろきにごり あふれいづ このくれなゐの くちびるいきて

あづかれる宝にも似てあるときは吾子ながらかひな畏れつつ抱く

あづかれる たからにもにて あるときは わこながらかひな おそれつついだく



浩宮を詠んだうたは多くあります。美智子さまの唯一の長歌は、浩宮に捧げておいでです。高揚感と誇りと歓喜に満ちたおうたです。

紀宮さまをお詠みのうたも多い。多くて、内親王に向けるまなざしも言葉も、とても美しい。やわらかい。

五島氏の歌風と指導の方向が御歌の主と合致した成功例のうたのような気さえ、するのです。

五島氏が退かれたあとのおうたは、色彩も何も変化した気がします、佐藤佐太郎氏の教えを、公式に受けられたかどうなのか、亡くなられた時に「佐藤先生」へのうたを贈っておられる。

佐藤氏の歌風については、ここでは割愛しますが、美智子さまのうたは後にはっきり変わりました。


そのあした白樺の若芽黄緑の透くがに思ひ見つめてありき

そのあした しらかばのわかめ きみどりのすくがにおもひ みつめてありき

部屋ぬちに夕べの光および来ぬ花びらのごと吾子は眠りて

 へやぬちに ゆふべのひかり およびきぬ はなびらのごと わこはねむりて

窓を開き高原の木木は光るといふ幼の頬のうぶ毛のひかり

 まどをひらき かうげんのきぎは ひかるといふ をさなのほほの うぶげのひかり

風ふけば幼き吾子を玉ゆらに明るくへだつ桜ふぶきは

 かぜふけば をさなきわこを たまゆらに あかるくへだつ さくらふぶきは



非常に絵画的な、情景の目に浮かぶようなうたの数々。これらのおうたで美智子さまの「母」のイメージは確固たるものになったような。


ここへ、ある違和感を、,記します。

上掲の浩宮と紀宮のうた、これは、この「全御歌」なる歌集の

第四章  吾子

のなかに、続けて読めます。

しかし現実には、この浩宮と紀宮さまの間には、礼宮殿下がおられます。

あーやはどこへ行っちゃった。

ありました。

「礼宮誕生」のうた。


生れしより三日を過ぐししみどり児に瑞みづとして添ひきたるもの

あれしより みかをすぐしし みどりごに みづみづとして そひきたるもの

眦に柔かきもの添ひて来ぬ乳足らひぬれば深ぶかといねて

 まなじりに やはらかきもの そひてきぬ ちたらひぬれば ふかぶかといねて




この二首。浩宮に対する、また紀宮に対する、何時間でも抱きしめて見ていて飽きない感じ、頬をすり寄せてすりつけて、可愛い、愛しい、この子は私の子、とばかりの熱中が、感じられないのです私には。

気の無い感じ、というか。眺めている感じというか。

もっと言えば、上掲、浩宮や紀宮をうたわれている以外にも、浩宮の留学の地に思いを馳せるうた、紀宮への同性の母子らしい時に近しい親しい気持ちなど、かなりのうたが、美智子さまにはある。

それらは巻末「感謝にかえて」として、著者・秦 澄美枝氏がよろこばしく語っているように、1ページに、うた一首、時には関連する2首を置いて、小さな文字で  以下、引用。

「その著書も畏れ多くごもったいなくも、古来の慣例に従いまして著者作成の「客観的説明文」を添えさせていただき、天皇・皇后両陛下へ献上させていただけました」

とある中の「客観的説明文」もつかない、1ページに5首、ずらっと並んでいる、そういった形です。あーやさまのうたは。

浩宮と紀宮さまをうたった御歌は、たとえて言えば「個室」に。

礼宮さまのうたは、大部屋に入れられている、という印象。

印象のみならず、それは、この本の中に於いては事実なのです。


「父母に」と献辞のあるを胸熱く「テムズと共に」わが書架に置く

 ちちははにと けんじのあるを むねあつく「テムズと共に」わがしょかにおく



浩宮を詠んだ数十首のなかの、これも、英国へ留学して本まで出した浩宮を誇りに思われて、もちろん、この一首は「個室」にいる。浩宮を見る時に顕著になる美智子さまの、愛情を跳び越えておもねる」表情のあからさまな写真が、添えられている。

皇太子の婚約も特筆するべきできごとで、美智子さまは以下のごとく詠まれている。


婚約のととのひし子が晴れやかに梅林にそふ坂登り来る

 こんやくの ととのひしこが はれやかに ばいりんにそふ さかのぼりくる



ご自身が手も心も尽くして成立させた、東宮の婚約。ご慶賀の思いも深かったであろうこの一首も、なるひと氏はああでも、とりあえず、ともかく日本の皇太子であったから、個室にあるうた。

「個室」、解りやすくていいなあと、いま、自賛しております。

礼宮さまの納采から結婚に至るうたは、大部屋にあります。


みどり児と授かりし日の遠くして今日納采の日を迎へたり

 みどりごと さづかりしひの とおくして けふなふさいの ひをむかへたり

瑞みづと早苗生ひたつこの御田に六月の風さやかに渡る

 みづみづと さなゑおひたつ このみたに ろくがつのかぜ さやかにわたる


六月の風、のうたは、礼宮殿下の結婚を祝する一首。

次男さまへの距離感を拭い得ないです。

皇太子より早く結婚することへの、複雑な親の思いは、おありになったにせよ。

シンプルというより、けっこうベルサイユ調というか、飾りいっぱいといううたを、詠まれる面のおありの方が。次男といえども、わが子の初めての結婚に際して。

もっと浮き立つ何かが、あっても、など、感じたりもして。



みどり児を授かった。当たり前に、自分の子を、授かったと言っておられるのだと、ごく普通に受け取っていましたが。

そんな方がほとんどなのでしょうが。

授かる、にも、いろんな意味があるのかな、と、このたび初めて、感じたのでした。

最近とみに明らかになって来ている、写真での考証。

ご長男に対して、もうべったべたに「なるちゃあああん」と呼びかける母親と同じ方とも思い難く。


この続きは、次回にします。

あーやさまが、美智子さんにとって、もうどうしようもない可愛い愛しい子でなかったかも、ということが、うたを追って行って、腑に落ちた。

そんな、恐ろしいことも、脳裏をかすめましたと記させていただきましょう。

幼い頃の美智子さまの写真。その、幼い美智子さまに、礼宮さまはそっくり、よく似ていらっしゃる、と、疑いもせず感じて来たのでしたが。


礼宮さまのうたはほぼそれである、「大部屋のうた」。これには、説明文はありません。

こんなんもありました~、全御歌であるので、大部屋としても置いてみました、のイメージと言えば、言い過ぎでしょうか。

美智子さまがそうしたのでなく、この著者が、そのようにされたのではありますが。

また。

悠仁殿下を対象にした数少ないうたは、大部屋どころか、分類できかねるうたをまとめてここに記しておきます、の部屋。

「雑」の章に入れられています。

(お詫びと訂正。あるいは「註」。

言い訳めきます、許してたまいませ。。笑)。

「雑」の章に組み入れられている御歌は、正確には、紀子妃殿下のお腹におられる時期の悠仁親王をうたわれた一首です。間違ってはいないとも考えますが、いいかげんな表記になるといけないなと思い、註とさせていただき、詳しくは次回の記事に明確にさせていただきます)。


悠仁親王のご誕生が、皇室にとってどんな意味を持つものか。

美智子さまは、どんな風に理解しておられたのか。

わかっておられるのか。

皇室に入って後にうたを始められた美智子さんのうたは、すべて「御歌」、皇后という身位にある方が表へ発表されるうたであることを思えば、この事実って惨憺たるものであるなあと感じます。

怒りを覚えます。激しい怒りです。

刊行は平成26年10月。去年のものです。





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コメント

はじめまして

はじめまして。いつも拝読させていただいています。ただそれだけだったのですが、今回は本当に驚きました。
私も昔は何も思うことなく皇后を拝見していました。数年前は美術館に閉館間近に行っておりましたところ、偶然両陛下が来られるということで美術間出口で待つようにといわれ、その場にいた方たちと待つことしばらく。すぐ傍のエレベーターからお二人が降りてこられて触れたいと望めば触れられる近さまで優しい笑みで近づいてこられました。予想外のことで大変びっくりしたことを昨日のことのように覚えています。上品な着物をお召しでした。その頃の私は疑うことは知りませんでした。
ネットであれこれ情報を知るうちに何が本当なのかわからなくなってきました。東宮夫妻が救いようがないことだけは確かなことと思っています。
秋篠宮様がご結婚されたときに庶民が住むようなところがご新居だったとは、また昭和の天皇陛下が愛してやまれなかった森をつぶして贅沢な宮殿を建てられたことも俄かには信じられませんでした。でも、それは真実なんですよね。
私も少し短歌を勉強した時期がありましたので、皇后の歌集は読んだことがありましたし、皇太子が生まれられたときの歌はあまりに有名でした。歌集は清らかで光に満ちているような気がしました。

今こちらのブログで礼宮様への歌、拝読して私も心底驚きました。礼宮さまへの歌は、「吾子」という言葉がひとつも使われていません。皇太子を身ごもったとき、生まれたときにはこれでもかと「吾」「吾子」と使われているのに。
演じることが上手な皇后がここまで正直に感情を露にするとは、国民を騙すのは簡単と思い込んでおられるのでしょうか。昭和天皇、皇后様が、いつも慈しみ深い優しいまなざしで礼宮様ばかりを見つめておられるのが、わかったような気がしました。今見ても幼い頃の礼宮様は本当に無邪気で可愛らしかった。よくぞ、しっかりと育ってくださったと神様に感謝したいです。長くなりました。
いつもありがとうございます。皇室のことに触れてはいけないという不文律のようなものからいつか開放されて、本当に清らかなところに光が当たりますように。

お歌にも

歴史は物語
でございましねえ。
お歌も時系列的に読んでみれば、
その中に潜む気持ちの表れが出て
参りますね。
詠み方と詠む時期、詠む数と。
お〜こわ。
kuonさま、あのお方は普通のお方
とは、到底思えませんが。

まあざっくり言えば、

次の世の天皇を産んだのは、このわたくしよ。

なんか文句ある?

長男のなるちゃんは私の立場を磐石にしてくれた、まさに私の宝物、長女のさーやは私の側に置いて色々使い勝手の良い子にしましょう♪、次男のあーや?大嫌いな姑や宮妃達に可愛がられて憎らしい(怒)!大事ななるちゃんや私を支えれば、それでいいのよ!との考えが根底にあるから、歌など読みたくなかったんでしょうね…

・しずく さん。

私もびっくりです。

かつて数メートルほどの距離で、車内から身を乗り出すように手を振っておられる美智子さまに、胸が迫って泣きながら歩いた、あの時の私はなんだった? このことを話したら、予想を外れて黙って聞き流されたこと多く。

皆さま、知っておられたのか?。私、花畑だったのか? 恥。

>みどり児と授かりし日の遠く

これ。まさかと疑っていたことが次々に「まさか」でなくなっている今。

どなたかが、赤ちゃんを、みてこ様の腕の上に、置いた?

この考えにとらわれています。そう、うたわれていると、考えが退かないです。考え過ぎ?

まさか。

何があっても不思議では無い、あのあたり、ってことでしょうか。


・ちりぬるを さん。

以前、まだ私がとーぐー夫婦にのみ、とらわれていた頃。偽愛の方みてこさまについて、書いて来て下さった、かつてのおひいさまがおいででした。

知られていなかったことが、いま、知られて行っているのは、本当のようですね。

嘘をつくなら完璧に、など、庶民の私は生活の知恵として、思っておりますが。へたな嘘は人を傷つけますから・・・「普通の方」でなくて、ものすごい方、に、なっておられます。

・詠み人知らず さん。

まこと、実質的に

「次の世の天皇」

を、産んで育てられたのなら、何の問題も無かったのですが。あかんやんあれ。

・メロンソーダさん。

ナルさんを生んだみてこさんは、天にも昇るお気持ちだったと思われます。有頂天。ただ、続かなかった。

秋篠宮殿下を「授かった」頃は、密かに、思い通りで無かった長男さんの事で悩みは多くなっていた頃。夫さんは実質、悩みの解決法を考えられるかたではなくて。

秋篠宮殿下が、紀子妃殿下を得られたことのすばらしさを、いろんな意味で奇跡のように感じます。

清子さまは、親の事をどうすることも出来ないのだし、大変でいらした・・。母親より随分賢い、母親とは比較できない内親王様でいらしたので、余計に。

親のせいで苦しいお子は、たくさんおられますよね。

「ナル ちゃあああん」
そう。
一言で表現されてる(笑)

Kuon様、さすが。


皇室、皇族は、「無私」って、

美智子さん、私情、私欲、
たっぷり やん。。。

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・・・・・


三好達治『乳母車』

母よ――
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり


・・・・・・・・・・・・・・・


やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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