KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

  1. 「美智子さまの恋文」より
  2. tb: 0
  3. cm: 5
  4. [ edit ]

その四




.「充分な理解と和が、すでに皇室の方々の間におありになり、また、殿下が私に上がるようにおっしゃったことに強い反対が周囲におありにならなかったのでしたならば、このようには考えないかも存じません。でも今は、波紋を最小限にとどめることを考えなければなりません。そのためには目立たないところにお仕事場をみつけなくてはなりません」

と、入内直前の美智子さんは書いておられたようです。

丁寧そうではあるが、不躾なものいいだと感じるのは、わたしが「姑世代」の女であるゆえか。続いて


「このようなことを伺いました。式の日におぐしあげの油を水で洗い流してはいけないということ。それでも、一方ではおすべらかしを洋髪にすぐ切り替え、ティアラをつける必要があるということ。いままで三笠宮妃殿下方ともオグシにベンジンを浴びるようにかけて油をお落としになり、それがひどいお苦しみで、お倒れになった方もおありでしたと伺いました。私はできるだけ卒倒しないで済むように、そっとベンジンをかけてもらえるようによく頼んでみます。」


他に不安の種は山盛りあるでしょうに。有名な、このことへの心配が綴られています。

感想をはさませていただきますが、美智子さんは(まさこの家も)親戚付き合いのあまり無い家だったのかな、という気がします。大家族と言うより、核家族的な感覚で育った娘さんの匂いがします。

親族縁戚の出入りの多い家ですと、子どもは、えらそうな口のきき方ができにくい気がします。日ごろはそうでなくても、うるさ型の伯父さんや大伯母さんが来られる日は、不要な言葉は慎むように前もってセーブがかかったり。

上記の中に多分無意識にあるように、「三笠宮妃殿下方とも」んどという不用意な言葉は、出しにくいのではないか。

この頃は美智子さんはまだ、東宮の妃でもなく、皇太子の婚約者にすぎない「立場。まして、直宮の妃殿下方は、皇后陛下と足並みの揃った感じで、この婚約を苦々しく思っておられた。

当時の宮妃の感覚で想像してみると、

「お前ごときに、こんな形で引き合いに出して欲しくなどないわ。」

こうであったと、普通に推測できます。倒れた方が、などの記述も、書かれた側の神経にさわったでしょう。

生な俗な姿を感じさせないのが、「皇族の形」の一つだった。

・・子どもの頃から、こういった苦労をさせたくない母親は、諄々と言って聞かせたのではないか。思いも言葉も慎むのですよ、何でも口に出すのではないのよ。

正田家には、そういった空気が無かった、あるいは薄かった気がします。家族以外に気を遣って過ごす時間も、少なかったのではないか。

賢婦人であるとされて来たお母さまの支配下、おそらくりべらるなご家庭だった、父親は立てられるもの、女性は一歩引いているもの、では無かった家庭、むしろそれが、封建的でなくて「いい」みたいな。戦後は特に、そう、だったみたいな。

私感ですが、そういう家って、息子や娘が結婚する・・家族の中に他人が入り込んでくる・・までは、うまく回っていることが多いようにも、見て来た気がします。ある意味、かかあ天下は一家の平和の基本、のような面もあり。お母さんのキゲンがいいと、おとーさんも、楽。

美智子さんの母親は、皇室からの使者に対して

「あちらさん」

との言葉を使ったひと。天皇を敬うようには育てて来なかった。との放言も記録されている。

だからなのか、生まれつきのご資質なのか。呑気に、というか。何というか、ひたすらベンジンに拘る美智子嬢でした。下記のごとく続いています。

「目もぎゅっとつむって、息も長いこと止めておいて、時々ふっと呼吸すれば私はきっと大丈夫だろうと思います。」

わたしKUONの感覚では、これを、ブリッコぶり、と、呼称します。こういったモノ言いは、フィアンセである殿方には、さぞや「可愛い」「愛しい」ものであったかな。

まあ。お若いお二人、勝手に幸せになられればいいようなものですが。ふつーの能天気カップルならば。

皇室には、これを「かわいいみちこちゃん」と感じられない女性方が、どっさりと、いらっしゃったので。

                                   p・215~216


ここを書き始める前に、もう少し写しておくべき場面があるのはわかっているのですが。

あまりに濃いので、だーっと行けません。

このところを、先に、フェイント気味と知りつつ、書いてしまいます。

著者・橋本氏は、言ってみれば皇族のどなたにも、つながるものをお持ちだった記者さん。

その方がこう書く。

「皇太子が実際には天皇に次ぐ第二位の身位を保持する皇室にありながら、その空間の大部分を敵に回したのだろうか。皇太子を守り、高潔な理想を掲げる人々が皇太子の近代像に違和感を覚え、伴侶に悪意を抱く。大変なことになっているーー。

そんな実感がひたひたと押し寄せて来た。

皇太子が実際には交流していかなければならない勢力ともいえるいわゆる藩屏が、ご成婚に背を向けているとしたら、どのような事態が起こるのか。天皇に最も近い皇太子が民間から妃を選んだ事実について、「これでは東宮さまがおかわいそう」とな何を意味してくるのだろうか。


「今度のご結婚では東宮さまがおかわいそう。あまりにも」

と、著者に言われたのは、松平信子さま。

かくして橋本氏は、「再び松平家をたずねた」。

あらかじめ来意を告げ、許可を得てのことだったと。

「美智子さんのお妃教育に精を出されていますね」

「決まってしまった以上、なんとか格好をつけなければと考えたわ。微力を尽くして少しでも皇室内での立ち居振る舞いをこなせるよう、お教えするのが大事だと考えました」。

「ご苦労さまでした。それで、生徒の方はどのような姿でしたか」

[ご返事が、ねえ、なってなかったの。うつむいて声が通らない。意思表示がはっきりしない。ハイとお答え遊ばせ。私は強く申し上げたわ」

作法は形からといわれる。言葉も当てはまるようである。はじめに言葉ありきなのだ。  と、橋本は書く。

この場面辺りには貴重なことばが散りばめられているが。今夜は略させていただきます。

松平信子。梨本伊都子の実妹であり、秩父宮に娘・勢津子を嫁がせた、生まれながらの「お姫さま」、ご夫君をしっかりと支えた面もお持ちだった。

写真で見るイメージは{お姫さま」の感じより、気迫を感じさせる方。

常磐会の会長であり、

「上流階級子女に作法を教授する姿勢において、誰よりも苛烈かつ俊敏だった。

と、こうも橋本氏は書いておられます。

「長年にわたり私の目には常に偉大な女傑と映り、怖い存在ながらひどく魅かれる女性でもあった。」

とも。

橋本さんはいい、そういうお家の出であり、学習院の出で。と、思う方もあるだろうと思う。私もそう思う。

「松平信子がしっかり胸に抱いた基準は、美智子妃が東宮殿下のお荷物になってはいけないという一点に絞られていた

                                     p・69~73

これは、とてもよく判ります。でも美智子さんには、どんな感じだったのでしょう。

怖かった。ビビった。太刀打ちできなかった。

まさか、苛められた。などとは、お感じにならなかったですよね?。

わかりません。と、書いておきましょう。









スポンサーサイト


  1. 2015.10.02 (金) 00:41
  2. [ edit ]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2015.10.02 (金) 10:39
  2. URL
  3. sara
  4. [ edit ]

さすがなおばさん力です!

KUONさんのおばさん力全開な記事ですね ブラボー!

私はKUONさんより少し下世代ですが、うちは親せきづきあい少ない、リベラル入った部分がある家庭でした。私は、女の子も言いたいことは言った方がいい! と不要な執念を持った子供でした。

だから慎むことの大切がだんだんに理解できるようになったのが、ほんと最近なんです。美智子さんのこのときの感情の機微がなんかよくわかるんですよ。こういうのを、「いじめない」良家の姑、小姑って、そりゃあり得ないよ~と今では思います。
  1. 2015.10.02 (金) 21:45
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

・ヒミツのsさん。

私こそ恐縮します。お気になさらないで下さいね。

家庭の中の事だけでも、あれこれそれぞれ思うことが異なるのですから、あのようなお家のことが、簡単にどうこうなるとは考えにくいです。

安倍首相が長く続けて下さっている間に、それも決まるといいなあと期待をかけています。

またいらして下さいね。私は嘘は言いますが、嘘は書きませんよ。(笑)。お母さまもお体大切にお仕事お励み下さいますよう・・・。

・saraさん。

わたしいつもは、自分では言っても人様におばさんと呼ばれると、そんなに面白い訳でもないのです。(笑)。

でも。この「おばさん力」は嬉しかったです。

私自身は、丁寧な躾を得て育ったにんげんでなく、野性児であって、大人をバカにしたいやな子だった自覚がありますし、嫁いで姑が言う「しきたり」だのなんだのが、とってもイヤでした。お盆もお正月も、子どものときも結婚してからも大嫌いでした。

それが、いっちょ前なことを書いて。恥ずかしくないのかKUON。

いや恥ずかしいのはいいとして。美智子さんが、[一人の男に深く愛されて強くなられた」、浮かれていたのも、わからないじゃないです。

でもやっぱり、その世界へ飛び込んで行かれた御身としては、うかつ・・・人の事はどうにでも言えますからね・・・。

家、というもの自体が、ほぼ崩壊していると言える時代に、旧家ってね。

あれこれ考えますね。



  1. 2015.10.02 (金) 23:08
  2. URL
  3. プリン
  4. [ edit ]

皇后の
あのチマチマお手々、
あれ、ぶりっ子しぐさ。

誰か、、、
男性に言われたのかも、
夫・天皇か、息子・皇太子に、

「少女みたいな仕草」とか、、、

美智子さんに、
韓国、コンスの意識は、無いと思う。

コンス風は、細いウエストが、更に目立つから。

立ち方を工夫するついでに考えたみたいな。。。

本当に、礼儀の意識あったら、

「いつでも・マント~どこでも・マント」を
欧州王族の葬儀で着ないし、
変てこ帽を頭に乗っけたりしません。

自分の立ち姿 〉〉〉〉〉〉〉〉〉韓国式 礼
  1. 2015.10.06 (火) 08:57
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

・プリンさん。

大昔の話になりますが。

森村桂さんという学習院出身の作家がいてはりました。ベストセラーも出しておられた。私は嫌いなタイプでした、私が好きでも嫌いでも、まあ関係ないのですが、その人と皇后さまが「仲よし」で。なんかブリッコの名前のケーキ、焼いてねと依頼、若きナルマサさんはそれを、二人で食べてしまったのでしたね。話題になった。当然、美談方向。皇后さまのお友達は、もう一度、奮闘して焼いてさしあげたんだった。

大きなケーキ、どちらが沢山召し上がったか、普通、でっかいワンホールを二人で食べんやろう。奇妙に覚えています。皇后さまの交友関係は、不思議な独特の臭いがあるな、と、何も知らない頃から感じてはいました。

フリ、が大きいのね。何に付けても。

「少女みたいなしぐさ」は、大好き中に大好きな褒め言葉と思います。(笑)。まだ10年も経ってないと思いますが(経ったかな)、「北の何とか年」とかいう映画を観に行った、冒頭シーンが小百合さまの、春の日差しの中でのうたたねシーンでした。少女って年ではないが、少女の無垢さ、とか、言われたいのかな。と。腹の中で笑った。皇后と小百合も、同じ類のにおいの共通する「少女めいた」爆・女性ですわ。

キライなあまり長々書きました、失礼。

 管理者にだけ表示を許可する
 

trackback


ブログカウンター

プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・