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返事の中までKUONです。

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貴婦人の日記よりⅢ 追記あります。 






伊都子さまの日記のほんの一部ですが読んで来て、ほんの少しだけご一緒して来ました。

60年安保までたどり着けませんでした。

私は、オリンピック(など)の件はともかくとして、安倍首相を支持させていただいております。



改正警察法案審議などの折も、伊都子さまには乱闘騒ぎだけが印象に残られたようだ、と。

昭和30年。

家庭電化が始まり、31年には「もはや戦後ではない」が流行語となった。

経済は好況がつづいていた。

皇太子明仁の婚約者に、日清製粉社長の長女美智子が選ばれた。

軽井沢テニスコートの恋、旧皇族・華族でない新興ブルジョワジー階層からの宮中入り、カトリックの聖心女子大卒と、話題は多かった。

しかも美人で才媛の誉れ高かった(参考にしている本の原文のまま)。

当時の日本国民の94パーセントが美智子を知っていた、といわれる。

社会学者松下圭一が「大衆天皇論」という論文の中で「美智子さんは皇室と国民のかけ橋となった」とのべたほど、天皇制のイメージアップに果たした役割は大きい(このあたりから以下まで「梨本宮伊都子妃の日記」小田部雄次・著の地文を引用)。

いっぽう、ミッチーブームが一定の政治的効果をもたらしたと批判する意見もある。

ジャーナリスト松浦総三は

「ミッチーブームは「天皇退位論」や「皇室解放論」をうやむやにし、安保反対報道を抹消したと指摘している。(同上)。

・・・さまざまな考えや声があったのは当然でしょう、ここでは伊都子さまの日記に戻ります。

皇太子の婚約発表は昭和33年11月27日。

旧佐賀藩主、元・侯爵家の出である伊都子さまは、この婚約に不満があった。

華族女学校卒業生をはじめとする学習院女子の同窓会組織である常磐会の有力な会員でもいらしたし、実妹の松平信子は常磐会会長。愛国主義団体を動かして反対運動を推進した中心人物でいらした。

「午前10時半、皇太子殿下の妃となる正田美智子の発表。。それから一日中、大さわぎ。テレビにラヂオにさわぎ。

「朝からよい晴れにてあたたかし。もうもう朝からご婚約発表でうめつくし、憤慨したり、なさけなく思ったり、色々。日本ももうだめだと考へた」


当時の侍従長、入江相政の「日記」によれば、昭和33年夏ごろから皇后良子は

「東宮様のご縁談について平民からとは怪しからん」と、松平信子や秩父宮妃勢津子、高松宮妃喜久子らにこぼしていた、という。

さらに「34年、大礼のときの自分の馬車が四頭立てだったのに、こんどの結婚では六頭立てだと「憤慨」された、と。

けっきょく、昭和天皇が「六頭でいい」と理解を示し、話は落ち着いた。

・・・という成り行きだったそうで。

個人的な感想を述べれば、夫の母親、叔母上すべて、その他親戚がたに憤慨されたり世も末だと書かれたり。

確かに、正田美智子さんの民間初の入内は、大変なことだったと頭では想像できます。ゾッとしますです。


この「日記」を取り上げるにあたって、なるべく自分の思いは排して、書かれていることをそのまま、引用させていただこうとしました。

美智子さんのこと以外でも、この元お妃さまの直截な書きぶりや、お立場にしては、の、へだての無いお気持ちに魅せられたこともありました。結局やはり、いいも悪いもなく、御身分は御身分なのですが。

歴史的興味もありましたし、それが、当然ながら、かなり偏ったものであると知りつつ、その偏りもおもしろかった。

思うことはいろいろありますが、自分のブログに取り上げたいという気持ちになったのは、この方の詠まれた短歌・・・怒り嘆きの数首を同時に詠まれた、いわゆる連作の中の、一首を知ったことからでした。

私の深読みかもしれません。でも、ざっざかざっざかけっこうざっぱりと、思われるがままに綴って行っておられるこの方の、おそらく何気なく詠まれたであろう一首に、ん?と、引っ掛かりを感じた。

それだけのことでした。

血筋家柄を誇る自分たちが、思いもよらずいっぱんの民の位置に「落とされ」て。

家も財産もすべてといっていいくらい、ごっそりと失う羽目になって。

それでも、家柄血統への思いは、しっかりと染み通っておられたはず、それによってご自身を律しておられた歴史もおありのはず。これって大きいと私は考えています。いろんな意味で、このお方にとって、皇室は、重い重いものであったはず。

勝手に、元宮妃のお気持ちなど忖度してしまいました。その方が、

   心から ことほぎのぶる こともなし あまりの事に 言の葉もなし

   国民が こぞりていはふ はずなるに みせものごとき さわぎ多かる


失礼ながら、お気持ちの逸りは伝わっても、宮様の雅うたと呼ぶには荒削りなおうた。

そのなかの一首。

   つくりごと どこまでゆくか しらねども 心よからぬ 思ひなりけり

これです。

伊都子さまは、女性でいらして、元皇族でいらして、政治的な事や世の中の現実的な仕組みや動きに疎いお方と拝察、そのうえからですが。でも、旧皇族華族間の女性同士のネットワークの中には、きっちりと位置を占めておられお一人であり、ひそやかに囁かれたり推し量られたりのことは多々おありだったと思います。ついに表には出て来なかったことなども。

時代は、美智子さんを要していたであろう中で。

この「つくりごと どこまでゆくか」、つい、ぽろっと詠んでしまわれた部分に、最近、美智子さんの入内の周辺に疑問の多かった私の神経が、ぴく、と、動いたといいますか。

どういうことを、言っておられるのかなあ、と。

これ以後は伊都子さまの美智子さんへの批判的な態度は鎮火しておられます。

香淳皇太后ほか大反対、憤慨、昭和天皇は「この結婚に理解を示した」らしいこと。

天皇陛下は、理解を示された、のですね。ご理解。

まさか、軽井沢の恋、に?。

皇太子明仁親王と美智子さんの「恋」、は、何をもよせつけず激烈に激しい「恋」だったというわけですね。。

ご長男の恋も、思い出してみればそんな感じ。恋っていえばなんびともどうしようも無いって感じ。それが戦後の「恋」?。



憎ったらしいことを最後に書きたい、結婚を決断された美智子さんの「手紙」、なんでか知らんが公開物件になっていて。

そこで「お受けする時には」と美智子さんが書かれた(のですよね)、私信なのに有名なのですね、これ。

「殿下のお目を見とうございました」

のフレーズが。

フレーズが。

個人の感想です、わたしの感想です、それ以外ではございません、

うぎゃああ、きしょくわる~い。

・・・・・はい。三流ブロガーKUONの、げひんなおたけびでした。

どなたにかわかりませんがお詫びします、こうごうさまの愛のお言葉なのに、うげえええ、とか、あまりにも個人的なKUONの感情の暴発。いい年した大人のすることでもありますまい。

・・・気色わるいなど言って、ごめんなさいごめんなさい、読んでからずっと、ずっと、ずうううっと、きしょくわるかったんです~。


追記です。

ヒミツのコメントでいただいておりますが。

皇后さまは、養蚕のことについて眞子さまにあてた手紙を、理由あってのことですが、公開なさっておられます。

考えてみれば、手紙って公開するものでしょうか。

しかも、皇后と言うお立場の方が。

たいそう優しげな行き届いた内容の「ばあばから眞子ちゃんへの「お手紙」」でした。わたし感動したんです、初め。

お手紙公開。公開する手紙なら、私なら(おそれおおい申しようですが)それらしく作る気がします。

ピアノも公開されていますので、おイヤでないのね、と思います。

不思議なお方です。みてこさま、のネーミングの秀逸であることを思います。

このお歳になられて、こんなこと書かれるようになられるとは。

書いているのは自分でもあるのですが、特別よろこんで書きたいようなことでないです

皇后さまが、ずっと言われてきたような方なら、どんなにいいか。

そう(言いつつ。昔からすっとんきょうな方の感じはあったな。

笑われて来られたんじゃないかな。ドイツで、ベルギーで、笑われておられたとしか思えず。

面白くなんかないです。何とも言えないです。皇后さんですから。

お付き合いされる(ごひいきされる)お相手も偏りが強く、仰ることも、なんだか不可解だったような、何より、ここに来て、天皇陛下への態度のひどさに唖然とします。

あの鑑賞のことは、徹底的に「なかったこと」にされたいご様子です。

大丈夫なんでしょか。











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  1. 2015.09.16 (水) 19:18
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  1. 2015.09.16 (水) 22:22
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  3. さくさく
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はじめまして

私の気持ちを言葉にしていただいているような気持になりました。
よくぞ書いてくださいました、ありがとうございます。

わざとらしいんですよね、声も話し方も所作もセリフも。
ベルギーで笑われイギリスで呆れられ、おそらく軽蔑もされたでしょう。
http://livedoor.blogimg.jp/remmikki/imgs/3/8/3850e968.jpg
元はこんな顔の女性が
乙女ドレス着て裏声で、少女漫画のようなセリフを言う。
そしてそれをTVや雑誌で公表する。
「祈り」だの「悲しみ」だの「慈しみ」だの・・・。

でも日本人は「素晴らしい女性」「日本女性のお手本」と
思い込まされてきました。
私も、何年か前まではそう思っていました。

彼女の実態を知る他国からは、
将軍様を称える北朝鮮の国民と同じように思われていたのだろうなと、
「簡単に騙される日本人はお人好し」との評は
憐れみも含まれていただろうなと、
そんな恥ずかしく情けなく
怒りも混ざった複雑な気持ちです。

  1. 2015.09.16 (水) 22:58
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  3. 通りすがり
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「伊都子さまの日記」の続きを書いて下さってありがとう
ございます。

美智子さんってすごい自信家なんですね。お若い時から・・・

婚約時代にどこかの新聞記者に宛てた手紙を公開された
事がありましたね。
明仁さまが両親や姉弟と離されて暮らされて寂しい思い
をされたとかで「結婚して温かい家庭を持つまでは
絶対に死ねない」とかおっしゃったとか・・・

こんな可哀想な?言葉は聞いたことがないからわたくしが
とぼしい全力を尽くして温かいホームを作ってさし上げたい
とか何とか・・・

例えそう思われたにしてもその内容を公開されそうな
新聞記者に宛てて手紙を書くと言うのは国民に公開
して下さいって下心が丸見えで本当に昔から変わらない
のねと思いました。
  1. 2015.09.17 (木) 09:23
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  1. 2015.09.17 (木) 11:55
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  3. 見て子アレルギー
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ほんに

見て子はんは、
自作自演がお上手でおられますなあ。
しかしなぁ、化けの皮ってもんは、剥がれるものどすえ。
  1. 2015.09.18 (金) 01:49
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  1. 2015.09.19 (土) 15:33
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  3. まりりん
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KUON様、こんにちは。

眞子様へ宛てたお手紙、お優しいおばあ様だなと私も思いました。
小学生の眞子様へ書かれた手紙が公開されたのは数年前の養蚕展の時でしたね。
あの頃、美智子さんへの?はちらほら出ていたような気がします。
つまり、公開したのは自分のイメージアップの為でしょうか。

以前、アメリカ訪問の時でしたっけ?
子供が入院している病院で「ゆりかご」を歌われたの。
ご自分のお子様が小さい時、よく歌われたからと・・・
別にお上手でもないのに、しかも日本語で・・・
お声掛けでいいのにすごく変でした。
ご自分ではいい演出と思っているのでしょうけど、なんかズレてます。
  1. 2015.09.21 (月) 07:17
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  1. 2015.09.28 (月) 10:17
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  3. KUON
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お返事遅くなりました。

ヒミツでコメント下さっている方々には、後に探し出してお返しするつもりでおります。表に出していただければ(HNですので・特にどうしても必要な場合の他は)ありがたいです。

・さくさく さん。

初めまして。

いやその、あの。(笑)。

お顔、信じたくなかったですが、激変、別人となっておられます。

入内前とも別人、入内後にも、内廷皇族が、妃が、お顔をいじられたということでしょうか。


>乙女ドレス着て裏声で、少女漫画のようなセリフ>を言う。
>そしてそれをTVや雑誌で公表する。
>「祈り」だの「悲しみ」だの「慈しみ」
>だの・・・。

いやその、痛烈ですわね。

わたし、いま、ますます実感しています。実はミーハーだったあの方の、脳内の、お花畑のさま。

・見て子アレルギー さん。

初めまして。

うふうふ。

ほんに、そうどしたなあ。

バレてしまはったら、どうにもこうにもカッコ悪ぅ、情けないことで。見とないお顔にならはって。見て子はんお一人のことで済んでやらしまへんし、なあ。

・まりりん さん。

やっぱり、皇后さまがなさることと思えへんことが、多おすなあ。あら、癖ついてしもてます、すんまへん、自己顕示欲ってイヤなもんや、て、思たこともおへんかったんでっしゃろかぁ、もてはやされて樹ィのてっぺん登って、降りられへん? 降りる気ぃ、あらはりまへんやろ。

昔はあのお声を、美しいものと聞きました、ワタシ。

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四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

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