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返事の中までKUONです。

  1. おそれながら、なこと
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貴婦人の日記より。



「梨本宮伊都子妃の日記」という文庫本を、持ち歩いて空き時間に開いています。

およそ七十七年間にわたる日記です。敗戦前後には六十歳代半ば。鍋島侯爵家にお生まれのおひめさまが、戦後の運命の変転のさなかにも、書き続けられています。

ごひいきの歌舞伎俳優が死んだことなども、ぽこっと書かれています。気取りのないさくっとした文章で、ほんとのおひめさまとはこういう感じでもあられるのだろうなあ、と。

シナも作られなかったでしょう。嘘もおつきにならなかったでしょう。必要もおありにならなかった。

お気持ちの想像しやすい六十代のお歳のころの元・皇族妃の記述から、すこし、ひろってみます。

昭和二十年あたりから。

ヒットラーの死が「敵弾に当たり戦死」とある新聞を読まれ(実際は自殺)、ムッソリーニの銃殺のことが記され、そして、歌舞伎の羽左衛門の死を惜しんでおられる。

自宅もご実家も吹上御苑もその他も空襲でやられました。

宮内省から戦災見舞に届けられた現金(一万円)を、身内や下女に至るまで分配されている。野菜や下駄をもらっても、皆々に分け、野菜は兵隊にも分ける、と書かれています。皆も大よろこび、と。到来物も多く、それもいそいそと記されている。

ひょう、アカザなど野草も食され、かへってすがすがしい、と書かれている。

牛島中将、長参謀長の割腹、自決の記事を日記にはさまれている。

広島への原子爆弾投下のことは翌日の7日に知っておられる。

9日にはソ連の対日宣戦布告を知り

「いよいよ四方八方からやられる。どうするつもりか。」

と。そして敗戦。玉音放送に涙を流し、国体が護持されたことに安心し、米国への憎悪を強められた。

軍部の敗戦責任を、言葉するどく追及しておられる。

東久邇親王殿下に大命くだって組閣が始まると、この大事な時に当たり

「陛下にあらんかぎりの御力となり、日本の将来の大事をつかさどる立派な人物はをらぬものか」

皇族として今まで政治の事はご承知ないから、失礼ながら心配、と。(GHQの民主化指令に対応できず2か月足らずでこの内閣は終わる)。

各宮家の全財産調査の話。財産目録にある数字は4、526、998円13銭。昭和20年11月。

財産調査が済むと、夫君の守正氏が戦争犯罪者に指名されたが、その前に。

東条英機氏の自決の未遂。杉山元氏の自殺。

すべての整理を整えて杉山元帥が自決されたとき、夫人が、自宅で、白装束、仏間に香を焚いて自害されたことを、記されています。

先の39名に加えて11名が戦犯指名、守正殿下が指名されたのは12月のことでした。

自宅へ使いが来てマッカーサー司令部の言葉を伝えた。

GHQは「宮殿下ゆえに「特別扱いせず」。

伊都子さまの胸中にはさまざま、さまざまな思いが去来したようです。

町で(殿下をおたすけすると)署名を集めているのを見かけ、ありがたい、やはり日本人だと嬉しくなると書きつつ、結果はどうなるのかしらん、と。醒めた記述もあります。

出頭期限の日、守正殿下は第一番目に巣鴨拘置所に出頭された。冬のこととて、当時72歳のご夫君を案じつつおられる様子。

「いやな淋しいとしもくれ、除夜の鐘も久々にてなりひびくをききて、二十年もおわる」

新春三日間、掲揚を許された国旗も、御殿消失のおりに焼けてしまっていた、お正月。

4月に守正殿下は釈放されました。

昭和天皇の各地御幸の際の「あ、そう」のお言葉にも触れておられる、闇市の記事もある。

憲法改正(大日本帝国憲法から日本国憲法への)話を宮内省で聞かれたり。

発疹チフスの流行、天然痘の流行、婦人参政権の認められた初めての総選挙、米よこせデモ。

5月21日、GHQは皇族の財産上の特権はく奪の覚書を作成。皇族の一切の特権、及び課税の免除を含む一切の特権をはく奪。

「あのビジューは、親の心のこもった品故、一生、身につけてと思ってゐたが」

「アーアーいやなイヤな世になった(略)蔵も焼けたものと思へば、あきらめもつく、思うまい、思うまい」

「こんな事ばかりならば、長生してもつまらぬ。なぜ焼けた時に」


と激しい記述もある。

7月には河口湖別邸の売却の話が出、蔵の軸などを買いたい「成金」に対する悪口がつづいている。

愛用の琴も 手離された。

   「たれ人の 手にわたるかは しらねども 千代も栄えよ 音もかはらず」

税金対策のために伊豆の別荘も処分。

昭和二十一年冬、参内のおりに、臣籍降下を伝えられる。

天皇出御の上、私より申しますと、皇室典範が改正になり、直系の皇族をのぞき、他の十一宮は、この際、臣籍降下に、実に申しにくき事なれど、と。

「其他に次(つい)ても、身をつつしみ、貴賓ある御生活をしていただきたい、出来るだけの補助はいたすつもりである(略)」

「ほんとに、陛下の御心中、御さっし申上ると、胸もはりさける思ひ」


この後に賢所での御代拝のことを終え、日記に少し、うっぷんが現れている。置物と共に御反物として金百五十円とを賜り、退出す、と書いて、

「失礼ながら、今の世に、百五十円の反物は何があるだろう。銘仙でさえ四百円もするものを」。

この年の終わり、伊都子さまは六十五歳でいらした。

二十二年。守正殿下の機嫌が悪いと書かれている。

「人は少なくなるし、手はかかるし、私とても年をとってくるから 」

一人寝ていると、なさけないので涙が出てしょうがない、とも。家は焼かれ、身分まで落下しなくてはならぬ、と。

この年、3月、財産税を納められた。

「三代の天皇」によれば、梨本宮家の財産は三千六百八十六万円とみなされ、財産税が二千五百六十五万円。

10月、臣籍降下。

「いよいよ小さく、くらさねばならぬ」

皇族として最後の挨拶に三殿に参拝、お祭り、御はじまり、一同礼拝、場所を移って昼食を賜り、両陛下出御の後、儀式があれこれ、陛下よりの勅語があり、書き写すにもあれこれのことがあって、その日は終わられた。

翌日、衣類などをごっそり、盗難に遭われた。でも

年の終わりには

「お餅もつけたし」

など、生活は最悪の状況でも、

「この様ないやな年は、少しも惜しくない」

など、あっけらかんと書いておられます。

昭和二十三年。土地の問題でごたごたし、盗難に遭い、サギにもあわれ。

三笠宮妃殿下の父上が山の中で自死されたことを

「清和源氏の流れをくむ貴き家がらをつぶしてはといふ、かたい考えかららしく、思ひつめたものらしく、」

お気の毒な事である。と、さらりと記されている。

11月12日、東京裁判の判決。東条英機氏ら7名が絞首刑となった。

12月23日、刑は執行された。

皇太子・明仁親王の誕生日の、執行だったのでした。

伊都子さまはお昼ご飯を食べられなかった、と。

翌日24日、岸信介氏らA級戦犯容疑者19名が釈放された。

A級戦犯裁判は、あいまいなまま終結した。

「本日、東条以下7名の戦犯者A級の刑を行なはれた。〇時一分より35分の間と、朝、発表された。午後、しぐれて「だんだん寒くなる」
                              

この日、伊都子さまは宮内府庁舎において、皇太子誕生日の御詞言上、お酒をたまわりて帰って、昼はもう、やめて食べず、と。

昭和電工の疑獄事件の時は

「国務大臣たるものが、」このざま、贈賄事件のため収容されるとは、何とくさりはてし政府ではあるまいか」

と怒っておられます。

シベリア引き揚げ再開、下山事件、税のことでご夫君の機嫌悪く、

「ほとほと困り、自分の品物を時々売って、それでまた、古着などを買って、どうにかしている。この夏は古いふるいゆかたのような着物で」

など、つづっておられます。

昭和二十五年、金婚式を迎えられる伊都子さまは、戦後の変化になじめないでおられた。

渋谷の自宅前で、金婚式の翌日に、と撮られている写真では、道路から引き戸を開けてすぐ家の中、という感じの、門も無さそうな建物の前で、元・宮様は下駄を履いて、元。宮妃の伊都子さまは、地味な着物姿で並んでおられます。

「(略)昔ならば、紀元節にてご祝典もあったが、なくなった。今日は、何だか淋しい」

と書かれている。

朝鮮戦争勃発。(この年にわたしKUONは生まれました)

昭和二十六年。

新年早々、ご夫君の体調が急変し、あれよあれよの間に急逝された。

「大いそぎ見てもらひたるに、もうすっかり心臓は止まり(略)しづかになった時がご臨終であったのだ。

アーーーー何という心安けき事であろう。すやすやと御やすみになってゐるごとく」


と、淡々と記しておられます。守正さま、享年78歳。

宮内庁が発表し、皇族最初の火葬にふされた。

ご逝去後、守正氏の追放は解除となり、

ほんとに嬉しい、せいせいした、と書いておられます。


 

今日はここまで、たぶん、明日の夜かあさって、続きを書けると思います。

日米安保、恩給を受け取るようになられたこと、ミッチーブームなど。












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  1. 2015.09.14 (月) 17:42
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  3. ちりぬるを
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なさることをなさり。

kuonさま

80過ぎの方に文句を付ける訳では
ありませんが、やはり地位のある方
はなさることをなさってからとでは
と思います。
酷い災害に見舞われた方々が、
まだ、心の傷も身体の傷も、住む家の傷も直らぬ今、なんで遊興に歩かねばならないのでしょう?
皇太子夫婦は何をなさっていますのか?
ゆったりとした老後を過ごしたいのなら、継げる能力、ご意志のある方に、譲位なさることを宣旨すべきで
ございましょう。

もう、使用が不可能なティアラなどは、なされる方にお下しになるのが
必定では?
秩父宮妃のティアラの御使用も為さったのですから、宮さまのご遺志を
尊重なさり、紀子妃にお譲りになりましたら?
格下の宮妃のティアラなど、皇后がなさるものなのですか?
筆頭宮家の妃殿下に差し上げるものでは?
ミテコさんのティアラのつけ方って
ヘアーバンドみたいで、風格がありません。
皇室がしたいことをして、
国民のことなど、雑音だから気にしないよう。とおサボりヒに言って
バカにするなら、税金を取られている国民も言わせて頂きます。
  1. 2015.09.14 (月) 18:11
  2. URL
  3. 通りすがり
  4. [ edit ]

「梨本宮伊都子妃の日記」

以前から読んでみたいなと思っておりました。
こういう形でここで書いてくださるので助かります。
文庫本は字が小さくて私は目が悪くて読めません。
続きを楽しみにしています。
  1. 2015.09.27 (日) 15:56
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

お返事遅くなりました。

・ちりぬるを さん。

まさかティアラが、という思いが、まさこへの疑問からみてこさまへ。

あんなに訂正出させることにこだわる方が、何も仰らず実物も出さず。

可笑し過ぎる話です。

どろぼーの親はどろぼー、ということでしょうか。

ヘアバンドみたいなティアラ、半乳ドレス。すべて「おかしい」証拠でしたのに。といま、想います。

・通りすがり さん。

さーっとしか書けませんでしたが、徳川元子さまの「遠いうた」という本も、また、読み返しているところです。

上つかたの女性のものの感じ方、捉え方に、とっても安心するところを感じさせていただきまして。

ダブルM子さんとは芯から違います。




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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
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四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

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