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せんちめんたる。




     秋いたるおもいさみしくみずにあらうくちびるの熱 口中の熱

村木 道彦


9月です。

大人たちは仕事に、子どもたちは学校へ、出かけました。

いつもより早起きして洗濯をし、弁当を三つ、ちゃあんと作り()玄関などもぱっぱと掃き清め、行ってらっしゃいと皆を送り出して。

リビングのソファにどかんと身を投げ出す前に、トイプードルの銀蔵のケージの扉を開けてやり、転がり出てきた銀ちゃんは、私のお腹に飛び乗って来る。

しばらく、銀蔵との時間を楽しむ。まっすぐに見つめて来るまなざしの切なく愛しい銀蔵くんは、このソファの上ででないと、人間のお腹の上でくつろいではくれないのです。

で、温かい犬の体とくっついて。。耳の回りを掻い掻いしてやると、んんんん、と顔を寄せて来て、ふんがふんがの銀ちゃんになります。

静かで、一人で、こころ和む朝のひととき。おかしな記事を書いてご心配を頂きましたが、姑もデイサービスに復活したようです。また、外へ誘い出して、一緒にお寿司でも楽しもうと思います。外では今までも会っていました。外で会っていれば、私が何かを持ち出す機会も無いわけです。(笑)。旧いだけは古い家なので、自分たち的には値打ちのある「モノ」が、まだ「ある」。私には無用のものばかりです。でも、警戒されると気分が悪い。

ぼんさんをお迎えする、などは、していました。お茶の道具ポット一式、持ち込んで、行っていました。私の気持ちの都合で。

また外でデイトしようね、おかあさん。会えば聞けばムカつくことも多くて、本当はものすごく、それがイヤだけど、おかあさんのことだけは、最後まで見させていただこうと考えています。

慈愛でなく。(笑)。偽善でもないと思う、偽善者と云われるくらいなら、悪人と呼ばれたい。強いていえば、自分への言い訳。一応、親を、見送ったと。

それ以外は知らん。

2歳にもならない娘を、その母親もろともマンションに放っておいて、今のツマと義弟、自分たちは別の巣を構え、生活費など当然渡さず、諦める、もしくは怒って、自ら出て行くように仕向けたこと。

離婚後、子どもの養育費を一度も払っていない。なぜ知っているか。姑が私の夫に、孫が哀れやから、あんた代わりに払ってやってと強要して来たから。理由は「長男だから」。「あんたんとこの子はシアワセやねんからから」。その一件も(その件だけ)は、夫が断りました。覚えています。(笑)。

「子どもにはこどもの人生がある」

が、自分の子どもの養育費を支払わない義弟の根拠でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大人しく芯が強く、だから面白くない女だったと言い捨てられた前の奥さんは、しっかりとお子を育てられて、もう30歳も過ぎている義弟の娘さんは、お母さんになっておられるそう。風の噂に聞いてます。

私の娘たちのマボロシのいとこにあたる義弟の娘さんが、幸せでいられるといいなと、今、思い出して、窓からの秋らしい風を感じながら、思いました。

もう会うことも無くすべてのえにしは断たれているけれど、生まれてすぐは、私がお風呂に入れ、ミルクをあげ、時には、旅行に出る父母と祖母の留守に、預かってプクプkyのほっぺをつついて抱っこして寝かしつけたまきちゃん。

可愛くて賢いあかちゃんでした。別れは、わたしにも、辛いものでした。荷物も何も放ったままで顔も出さない義弟が不在のまま、ともかく実家へ戻るという母子のマンションの片づけを手伝い、送り出すのが私の役目でした。

姑は、悲し過ぎて仕事にならないからと、何もしませんでした。

タクシーで行く母子を見送り、マンションの鍵を預かったから一旦、無人となった部屋へ戻り、昨日は私も整理した和室をのぞいて、心臓が止まりそうになりました。

部屋一面に、大きく小さく破られた大量の写真が、ぶちまけられていたのでした。

ものすごい量だった。

23歳で結婚して、子を一人もうけて、マンションのローンもあるし、もうすこし堅実な生活をしよう、旅行は年に一度でもいいのではないか。

子どもの学資保険にも入っておいてやりたい。

そんな提案をする妻を、義弟は疎んだ。

金に囚われているような奴はダメだ、が、口癖で。

(笑)。

で、離婚にまで至ってしまった。話し合いも避けて義弟は、どんな条件も呑むからといいことばかりを口にし(いつもそうなの)、普通より沢山のお金も「それでけっこうです」とオオミエ切って。

で。実行しない。実行しないつもりなら、どんな約束でもできます。

傷ついて、傷だらけのこころで、T子さんは実家へ戻ったのでした。膨大に撮られた家族三人の笑顔の、破り捨てられた写真に、同じ女性として、感じることは大きかったです。

まきちゃん。もう、、名を呼ぶこともありません。

本当に、普通に幸せだといいな。

いまごろ、会いたいらしい。会わせてやることでけへんやろか。姑が言う。

聞けません、わたしには、なにもできません、する気もありません。ふざけるな、と、怒鳴らないでいるのが精いっぱい。

もしかしてどこかにいるかもしれないわが子を、胸の奥深いところに秘めて思って、出来得るならばその子に、今の自らの持つすべてをあげたい。と。そんなせつない思いを抱えて、普段はいっさい口に出さないで生きている人だって、いるのに。男親って、せつないものだと思うのですが。

見向きもしないで放っておいて、老いて病んで、できたら会いたいと。

わからなくはない。でも。

わかってあげたくない義弟です。

まきちゃん、おしあわせに。



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  1. 2015.09.02 (水) 07:18
  2. URL
  3. 継美
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人生は長いのか短いのか

生きていくって難しいですね...。
うちも兄が離婚して可愛がっていた孫と会えなくなって泣いた母親を初めて見ました。私もいつも抱っこしてたので寂しかったです。
親戚になっても離婚すると、会うこともなくなり寂しいね。久遠さんならどうやって行くのか勉強したい。
苦労してきた久遠さんの集大成が見たい。
少人数で良いのでオフ会はしませんか(^o^)/
オフ会に一度参加いた東京の人と2人で名古屋(あってます)へ行きます。KUONさんの病気が治ったら快気祝で励ましたいです。って言うかKUONさんに会いたいです!
  1. 2015.09.03 (木) 03:54
  2. URL
  3. きく
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KUONさま

9月になり夏も折り返し地点を回った感じですが、暑さへのお疲れはないですか?
体調もその後は大丈夫ですか?

かつて家族同然だった人との別れ、幸せを祈る心、私も身につまされます。

母の実家が本家で、従弟が12代目だかで跡取りとして育ったのですが、あまり勉強も運動もできず、心が優しい位しか取り柄がない子です。
祖父も叔父も公務員で出世していましたが、元々は家業があり祖母や叔母が従事していました。
コネで役所にねじ込むようなことをしても、従弟のためにはならないだろうし、結婚したら地道に家業を専業にして継ぐことにしたのです。

従弟は家業を継ぐまでの間、ある医療従事者の資格を取って病院で働いていて、そこで配偶者を見つけてできちゃった結婚をしました。
23歳で娘を授かり、家業を継ぐために実家に入りました。

でもその奥さんは7歳年上で、同じ医療従事者でしたから、大して儲かる商売でもないのに自宅に居続け、窮屈な思いをして本家の嫁と子育てをすることに疲れてしまいました。
結婚10年目に「私は病院で働きたい」と家業を継いだ従弟のサポートを拒否して、せっかく大学の附属小学校に苦労して入れた娘を退学させて、遠方に引っ越して離婚し、連絡も一切絶ちました。

うちの親戚は皆、従弟の娘は本家の孫ということで、とてもかわいがっていたので、本当に天真爛漫ないい子でした。おそらく現在25歳です。どこで何をしているのか、誰も分かりません。
私も預かって遊んで面倒を見たりしたので、もう会えないし彼女は覚えていないのだろうけど、幸せでいて欲しいと心底思います。

ちなみに従弟は再婚して小学生の息子が二人います。今のお嫁さんは若くて素直で愛嬌もよく、本家のお嫁さん向きです。
その人がいるべき場所や、すべき役目というマッチングは、適材適所の見えない引き合う縁あってこそなのかな?と思ったりもします。

長々とすみません。でもそう考えてみると、どこぞの長男の悪妻と、ご次男の賢妻も、ご長女のパートナーも、なるべくして結ばれた縁なんでしょうね。
  1. 2015.09.04 (金) 04:41
  2. URL
  3. 継美
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今の時代には言いづらいですが、三人の息子はきっとエリートと言われる職業です。
勿論、本人達も死に物狂いで必死に頑張って私も母親としてその時はそれなり頑張りました。

何故、そんな事を言うのか...。
短いコメントでは上手く伝えられませんが...人には言えません。
すみません、もう夜があけますね、ごめんなさい。
年寄りだから、待っていれば順番が来ますね(笑)

やっぱ、少し疲れたかな...。会いたいです(笑)





  1. 2015.09.23 (水) 20:14
  2. URL
  3. KUON
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お返事が遅くなりました。


・継美さん。

口に出せるくらいのことは、まだ、痛みもそこそこで。

本当に何とも言えないようなことは、口から出すことも出来ない。記憶の底に沈んでいるそのことが、何かのはずみで浮かび上がってくると、とにかく思いをまぎらせるのに集中して、平常心を取り戻さなくてはなりません。そういう記憶が幾つもあって、たぶん書くことも話すこともできないのでしょうね。思い出すのもイヤなのに、忘却の彼方には行ってくれません。

いろんなことがあります。過去には。しかし、現実に「ある」のは未来だけです。

自分が思う「しあわせ」の中で暮らして行けるなら、それは、自分の「勝ち」だと思います。

人が何と言おうと思おうと、どうでもよくなった。それが、年を取ったことの幸せとも思いますね。

しあわせと感じられる者の勝ちです、きっと。(笑)。勝ち負けなんかどっちでもいいと言いつつ。(笑)。

・きく さん。

生き別れ。死に別れ。辛い別れにも、人並みかもう少し沢山か、遭って来た気がします。

江戸時代から続いて来た家の、没落して行く最後の過程を、子ども時代から見ても来ました。ずんずんと沈んで行って、今はもう跡地にも、小さな名残もありません。バスの通る道になってゐます。

人びとも全部、いなくんりました。私はその家の、最後の娘の、最後の子どもなのです。

田舎で遊んだ記憶はあります。

たっぷりと記憶は持っております。

美しい記憶ばかりでもないのですが。どんどん美化されて行く部分はありますね。

その方は、きっと、健康にしっかりと暮らしておいでと思いますよ。まっすぐな人の思いが、記憶になくても、どこかに蓄積されていると思います。

会えなくても、お幸せを、祈っていたいものですね。私もそう、同じです。

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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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