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反省。

終戦の日:天皇陛下おことば全文…全国戦没者追悼式

2015年8月15日

天皇陛下おことば全文

 「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。

 ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。



陛下。

出征して、どこでと解らないまま死んだと知らされて、小石がひとつ、木切れがひとひら、そんな「英霊」では、ありませんでした。

私の祖父も父も。しかし

家は焼かれました、家作もすべて焼けました、よめいり直前の叔母のささやかに整えられた婚礼道具は、焼夷弾の直撃を受けて霧散しました。私の母は、戦争の終った翌年、血が少なくて全身が真っ白で手の指のいっぽんずつ多い子を、初めての男の子として生んで、三日目に亡くしました。母と仲良く私に優しかった広島の伯母は、腕から胸にかけてケロイドのひどい引き攣れがありました。戦後に生んだ子が、お乳を呑もうとして力を入れて引っ張ると、引き攣れが痛かったと。中学生の私に教えてくれました。一緒に銭湯に行って、聞こえよがしに「ピカだ、あれ」と、あれは移るもんだ、控えてほしいわ。と。侮蔑的な言葉を投げつけられたのが、戦後に生を受けた私の、初めてのリアルな体験だった気もします。

戦争に行っている間に、空襲で、父を失い姉は片足を飛ばされ、家を焼かれ婚約者は亡くなっており、復員後にそれらを知った舅は、嘆くより泣くより、母親ときょうだいしまいを食べさせ、学校へ行かせるために、がむしゃらに働いた。がむしゃらに働くと同時に、暮らしが落ち着いてからは無茶な遊び方もされました。

気持ちのどこかが壊れたままだったのだと思います。多くの方が仰るように、自分は、たまたま、生き残ったのだ、の思いが、貼りついておられたのでしょう。ビルマのジャングルをさまよった兵隊、食料の近くにいる兵隊だったらしいので、舅だけは食べられたものがあったのかも知れません。

平和な世で、その記憶は痛かったかもしれません。

口に出さないままだった思いや言葉が、沢山あったと思います。

顔もしらずに舅と結婚した姑は、沖縄で、兄と慕ったという従兄を失いました。ほのかな思いを抱いた人も、召集されて帰って来なかったと。そんな話を、息子の嫁である私に、何度も話さないではいられなかった姑も、心のどこかが欠けてしまった人だったのだと思います。

トラウマなんて便利な言葉もカウンセラーなんて存在も、当然無かった時代の人びと。

その他にも、いろいろな方にお会いし、さまざまな体験を聞かせてもらって来ました。

職業軍人であったご夫君が、敗戦によって廃人のようになって、家族中が無茶苦茶になったMさん。

青島から引き揚げて来られて、やはり人生が無茶苦茶になられた短歌の師。

お茶の先生は新婚半年で出征されたご夫君のご両親を見送り、未婚のままだった義妹さんと何十年を暮らされた。義妹さんは、先生の一人子をお守りしていて、落して、亡き子にされた。それでも、お墓を守る人として、一緒に暮らしておられた。

私が交わって来た方々はほんの僅かですが、晩年はそれなりにお暮らしでしたがしかし、その時代を生きた方々は皆、それぞれ形は異なっても、痛みを抱えて、その痛みを大声でわめき立てないで、生きておられました。


陛下。

その方々は、その人生を、反省しなければならなかったのでしょうか。

何を、反省?。

なぜ、反省?。

何を、反省?。

戦争に行って餓死したことや。

敵をやる前にやられてしまったことや。

自分の家を守れずに燃やしてしまったことや。

結婚のちゃんすに恵まれなかったことや。

夫が戦死したからその弟と結婚したことや(仲良しだったれいこちゃんのお母さんはそうでした)。

そういうこと、沢山たくさんあった哀しいこと辛いこと、悲しいこと、どうしようもなかったこと。

一個の小さな存在であった国民。市民。いっしょうけんめい生きようとしていた良い人たち、子どもの育つのを見守りたかったお父さん、みなさん、どの方も。

あの戦争に関して、反省しなければならない人たちだったでしょうか。

私にはわかりません、陛下。

なんで、誰が、どうして、何に対して、反省?。

昭和天皇の名で招集されて、往かれたのです。

国が戦争状態に入っていたから、何もかも焼かれても無くしても、くちびる噛みしめて耐えた、忍んだ、まことに、耐え難きを耐え、忍びがたきを忍んでいた人びとであって。

いわば総て、巻き込まれていた方々であって。

それでも皇室を「好きだった」方々。

悪しざまに天皇を言わなかった方々。

そうです、どんな目に遭っても、皇室から心を離せない日本人でいらっしゃいました。

何が「反省」ですか。

どこに向かって、何を考えてのお言葉ですか。

私にはわかりません。

そのお言葉を、つまり、勝手に、付け加えられたのです。初めに予定されていたことに、付け加えた。

天皇って、何でもお出来になるのです。うすうす感じてはいましたが、今では絶対にそうと信じています。

東宮家の事には口も手も出せない。って。

何の事やら。そんなことが、あの美智子さんに、通る訳がありません。
通らないなら通して見せよう、どうやってでも、の、実力派です、こうごうさんは。

(笑)。

天皇のお言葉の余計なひと言は。

誰も望んでいない・・・いや。誰かが、どこかが、望んだのでしたか。


無責任でどうでもいいお言葉。


もちろん、歴史の中の事は、被害者の目だけではなく、加害者であった目も、必要。それは、言わずもがなのこと。

陛下が仰るべきことではなかったと、私は考えます。

陛下は、何者でいらっしゃいますか。

反省のお言葉をお使いになるなら、違うところでお使いいただきたいと、考えます。

過去への反省、もちろん重要。

しかしそれより。

この国の、今後に関して、なんで今のごとくに無感動無理解無責任であらせられるか、と。

皇太子とその妻を、どうもなさらないまま、何を仰っておられるかと。

不思議です。

ご自身の奥方もしかり。

美智子さんに対する疑問、批判が、一気に噴出して来た感のある昨今。

胸の痛みが、と言いたてられて、「長崎の鎮魂の日」に、わざわざ、検査を受けられた。

車を降りて、すたすたとお歩きでした、美智子さん。

担当医が「テニスなどはお控えになって」

と、わざわざ言葉にされたのは、美智子さんが今もテニスを「なさる」からです。

検査の結果は「胸の痛むような所見は見当たらず」

こうでした。そうなると、胸の痛みは「ストレス」からであると。

まともに毎日を生きている人間で、なんらのストレスを抱えていない一人がいますか。

皇后陛下が、ご自身を庇うためか守るためか辻褄合わせにか、出来の悪い長男夫婦に苦しんでか、ストレスがおおきうて大変なのよ、と。

笑止千万。それを言わない言えないのが、国母という存在であると、信じていた自分の愚かさを笑います。

よくお遊びでいらっしゃる。テニスだって。頸も足も心臓も関係な~い。

ストレスを軽減するために、美智子さんは、お遊びにならねばならないのです。皮肉言うなんてとんでもないこと。(笑)。大(笑)。

・・・カメラの入っていない時間の方が、圧倒的に多い両陛下です。広大な敷地の中にお暮らしでもある。

天皇の肘につかまって歩かれる姿を

「天皇が勝手なことをしないように捕まえている」

と評する声もあります。なるほど、と思いました。

それはともかく。

戦没者慰霊の日には、弱弱しさを前面に出されてのおふるまいでした。体調は日替わり、舞台次第。

武道館ではよろよろバージョンでした。

よろよろと、しんどくても病身に鞭打って出てくる美智子さま、の、さすがの、従来通りのお姿でいらした。でも。

アイシャドーがピンクでした。きらめくタイプ、と呼んで過言でないものでした。

陛下は、国政の長である安倍首相に対して、天皇として礼を尽くす態度でおられました。

美智子さんは安倍首相に、拝をされませんでした。無礼者でした。

頸がお痛みになるから。そんな言い訳はもう、ご免です。


そして、東宮夫婦は今年も、静養の地で、この日を迎えていました。

いま、知る限りでは今年は、ご一家で黙祷された云々のでっち上げは出ておりません。

そんなものはすでに、何の意味も無い。

今年の5月の千鳥ヶ淵の慰霊の日に、あの夫婦は、何を思いついたか、ルーブル美術館展に、ぞろりと出かけておりました。

黙祷って何の意味かもしれないのでしょう。


反省という意味も、どんな風にお使いでしたやら。

陛下の中には、あえて強いて、おかしなことを口に出そうとの意志は、おありではない気が、わたしには、します。

何も解っていないくせに、そういう言葉を使って、自らを「美しい感じ」に仕立て上げたくて仕方のないどなたかが、おられます。

あの方に「反省」を乞うたりしたら、どんな顔、どんな目をなさるか。

想像すると、こわいより何より。

絶望しそうです。

すでにしかけている気もします。

もう今日は、書きたいように書きました。

反省はしません。







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コメント

安倍総理からは何時までも前の大戦に絡められ、謝罪しなければならない状況から脱しようとの決意を感じ、陛下からは自虐史観丸出しの印象を、言葉の最後から強く受けました。「さきの大戦に対する深い反省と共に~」 誰が、何を反省しなければならないのでしょうか?前の大戦は自衛の為の戦争ではなく侵略戦争だった、とお考えなのでしょうか?慰霊の旅、と海外にも行かれましたが、この様な考えで「慰霊」と声高に叫ばれても、真に「慰霊」と言えない気が・・・ 長文をダラダラと書いてしまい、申し訳御座いません。

私も 陛下の御言葉の「反省」というフレーズに違和感を感じました。
たった2文字ですが そのおかげでお言葉全体が雲り印象が変わりました。 軽い拒否感さえ覚えました。
戦没者への慰霊のお言葉にしては とても上から目線。
もうすでに亡くなられた方たちなのです。
ただただご冥福を祈りたいのに・・・・。
あれは戦没者に向けてではなく カメラの向こうに向けてのメッセージでしょうね。
がっかりしました。

反省よりも

よく戦ってくれた、の言葉のほうが
祖父は喜んだ気がします。
遊び惚けているどこぞの人間もどきより
真摯に務めを果たされる尊き宮様に
正き道が通ることを
民は喜ぶと思います。
自愛ばかりの大根女優より
真の慈愛に満ちた本当の日ノ本の
皇后陛下を私は望みます。
あの時代、お上、陛下と皆が親しんだは
今上ではなく。
このような茶番劇を見せられるために
多くの民が死んでいったのではありますまい。
見ていると思います、魂は。
続いていると思います、魂は。

家族を失い、
家、田畑、家畜を失い、
怪我の後遺症に苦しみ、

目から血がでるかと思うほど泣き
喉と胸が潰れるかと思うほど嗚咽した

そんな国民に、反省ですか?

英霊や今は亡き遺族に対しても?

緊張?

 終戦の日は物凄く忙しい日でしたがその時間ばかりは動きを止めてテレビをつけ、私も「黙祷」に備えていました。

 司会者が「~を合図に黙祷を~」と話し、両陛下は標柱の前に進まれました。
「(黙祷開始まで)あと残り数秒」の時「せんぼつ・・・」という声が聞こえました。今上陛下の声です。

 「え?」と思い画面を見ましたが祭壇を正面から捉えた画で両陛下は祭壇の方を向いていたため、その動き(手元)や表情はわかりませんでした。

 「黙祷!」の声があり、私も目を閉じ、頭を垂れて戦没者に対して祈りを捧げるむ体をとりましたが頭の中は混乱していました。

毎年、ラジオだったりテレビだったりしますが広島・長崎原爆の日や沖縄の慰霊祭と同様に、戦没者慰霊祭には受信機のこちら側から参加させていただいているつもりです。でも、陛下が「手順を間違えられた」ことは記憶にありません。

黙祷が終わって「天皇陛下がお言葉を~」のアナウンスによりお言葉が始まり、「さきの大戦に対する深い反省を・・・」の段に至って「もしかすると」という思いが頭をよぎりました。

 天皇陛下(を含む皇族)は「政治的発言」をされないのがこれまでの姿勢でありました。習わしを破り、政治的発言を行う事への緊張感?それとも本当は言いたくはなかったが「誰か」の圧力によってその文言を入れざるを得なかったことへの悔悟の気持ち?

 いずれにしても陛下のお心に何らかの「動揺」があったのでは?と感じたのは私だけでしょうか?

 手順を間違われたことに気づかれたり陛下の動揺のようなものを感じた方、他にはいらっしゃいませんか?

なお余計なことかもしれませんが、ネット上でささやかれているように皇后陛下は天皇陛下のお言葉の最中、以前(昭和帝時代)のように低頭されることはなく、やっぱり年寄りには何かひっかかりを感じます。

同感致します!

kuonさま
よくぞ言ってくださいました。
安倍首相の方が、どれだけ国を
思い、国民の心を理解なさって
いるかが…。
その、国民が選んだ国の代表者に
礼をしないコーゴーって何?
天皇さんなら、まだまだしも、
コーゴーでしょ?
それも、ヤンゴトナキ御生れでは無い、我々庶民から入内しただけの。
なら、余計に庶民の心が分かるでしょうに。あ!
だから、ヨロヨロしたり、陛下を杖代わりにしたりなさって、平気なの
でしょうね。
生まれながら、尊き使命を授けられた方なら、決っして出来ませんもの。
noblesse oblige無しの
陛下はワタクシのものよ。感が
丸出しですもの。
次代などとは呼びたくもありませんが、静養とは何事?
次代としての、お躾、学びはございましたの?
お手振りバイバイ?
その女性でんのうやらを画策しているのに、その子を連れ回し、
大切な
記念式典にも列席し無いのは元より
お慎みも無し。
これで、何が象徴だ?
あるコメントに、海外のニュースとして、
籠の出口は空いているのに、出ない
と、揶揄されているとか。
あーー尤もだ尤もだあー♪

次代は

今上明仁天皇の「お言葉」には、国民と共にあるという御心が感じられませんでした。一段上に立ち国民に鞭振るようなお振舞、それはどのようなお立場なのか。
昭和大帝の子として非難されたことも、国民の税金で養われていると悪し様に言われたこともおありだったかも知れません。それでも命だけは助かった御身です。
この夏に知覧、鹿屋、万世の特攻基地跡へ行って参りました。主に17歳から25歳の若者が、自分の未来を投げ打ち、国の未来のためにと飛び立って行かれました。
日本人が反省しなくてはならないとしたら、命を軽視し情報を軽視した作戦を立て、戦争に負けたことです。命を捧げた方々が守った国の未来を、当時存在しなかった国のために反省に使うことではありません。戦争をしなくて済む外交を行うこと、それでも戦いを仕掛けられたら次は勝つ戦をすることが未来を託された者の責務です。
今上は70年間戦争に巻き込まれない稀有な時代を担った運の良い方でした。次代は日本国の存続を切実に考え行動することが求められるように思います。
長々と失礼しました。

昭和天皇の御言葉を、自然と思い起こしました。
「先の大戦において、戦陣に散り、戦火に倒れた数多くの人々や、その遺族をおもい、いまもなお、胸がいたみます。ここに全国民とともに、我が国の発展と世界の平和を祈り、心から追悼の意を表します」(S63. 追悼式典)

「(略)毎年八月十五日に、私は胸がいたむのを覚えるという言葉を常に述べています。いま、これらの非常に苦しい人たちが、いま述べたように日本の発展に寄与したことはうれしく私は感じております。」(S50. 訪米後の記者会見)

定年親父様

陛下、フライングなさいました。
標柱の前に進まれ、一礼されさらに一歩前に進まれ、礼。
それが長かったので「あれ?」と思ったら、お言葉を述べられ始めた時、アナウンスがあり「正午の時報に合わせ一分間の黙とうをします。」
だったと思います。

また、お言葉で一か所言い間違えられました。
毎年出席されて、正午の時報で黙とうの手順はお解りの筈ですが、お歳のせいかなのかなあと思いました。

KUON様、こんにちは。

動画をみつけました。

https://www.youtube.com/watch?v=YX5wBGKBW-Q&feature=player_detailpage#t

気持ちをコメントにまとめることができずもどかしいです。
動画のご紹介だけさせて下さい。

日本のいちばん長い日

映画「日本のいちばん長い日」を鑑賞しました。
玉音放送に向けて、様々な方々のギリギリの努力や葛藤、強い思いがあったのだと、深く感じ入りました。

陛下は昭和天皇の思いをわかっておいでなのでしょうか。
首を傾げます。
ましてや、次代があれらとは。
納得できません。
有り得ません。

第二次世界大戦を知る最後の天皇 皇后陛下なのに。。。

ナルさんは、戦争知らない世代。
秋篠宮両殿下も知らない世代。
悠仁様も、戦争のお話聞いたり、お勉強は、なさるだろうけど。。。

両陛下を見ていると、
なんか、公務の一つ、なんだろう。

まるで、一つ、二つ、前の世代の戦争に想いを馳せている様な。。。遺族とは、心が離れている。

kuon様の記事の内容、壮絶だった。
トラウマなんて言ってられない。
心理カウンセラーなんていない。
みんな、歯を食いしばるしかなかった時代。
今では、考えられない様な時代だったのですね。

最初は、雅子様への「?」だった。
それが、東宮 夫婦への「?」に、
そして、美智子様に「?」
今では、天皇陛下にも「??」です。

反省、反省って???

「お隣の国 ●国」、「経済発展目覚ましい●国」へ、それらの国のマスメディアへの御言葉でしょうか。

KUONさんのこの記事を見てやっとわかりました。
ずっと陛下のお言葉に引っかかっていました。
何も悪いことはしていません。
祖父もそれが当たり前だったから戦争に行き、亡くなりました。
祖母のお腹に宿った母の事を楽しみに、片道燃料で沖縄に向かい、奄美大島の海に眠っています。
あの時の国民は誰一人悪くはありません。

反省・謝罪
もうやめてほしい。

反省はやりたい放題の息子夫婦の事で。
謝罪は息子夫婦の不出来な行動と国民への心配に対して。
するべきだと思います。

涙出た

ずっとブログを拝見していました。涙が出ました
私にはもう涙も出ないと思っていましたが。

ありがとう

皆さま。

熱い悔しい無念の思い、天皇たる立場のお方が、率先して、国のため人々のために散って下さった方々や銃後の守りの厳しい中を懸命に通り抜け次代を育まれた方々を、踏みにじられた衝撃は、通り過ぎられることなどではないです。

どの方も同じ思いと考えます。

腰が抜けるようなショック、虚しさでした。

陛下が付け足された一言なのかそうでないのか。勝手に推し量ることはしない・・・ですが。

何も解っていらっしゃらない。なんにもわかっていないのだなあと、呆然となりました。

許せない、などという言葉を、できれば使わないでいられたら、と、考えていましたが。陛下の「反省」は、重い重い、あってはならない言葉でした。

私は、ずっと、拘って行くと思います。

両陛下も東宮夫婦も、国賊国辱です。

高齢のせいも何も通りません。

お一人お一人にお返事できませんで、申し訳ない思いです。

赤紙一枚で連れて行かれて、どこへ行くかわからないまま運ばれて。ひもじい中を泥の上這いずって・・・

私の魅かれてやまないうたを一首、挙げさせていただきます。


 終の日の御手にもつれし髪すけば

 ただまぼろしと思ふ戦は

新婚の睦まじい夫婦の、明日は出征するという最後の夜に、夫の指にもつれた、若い妻の黒髪。
夫は征ってそれきり帰らず。
長い歳月を経て、いささかの平穏を暮らしの中にみいだした妻が、いまは黒くなくなった髪を、ゆっくりとくしけずる。
あの夜はこの髪を、あの人が、名残惜しく切なく、愛おしんでくれたものだった。
あれが最後だった。
思い出せば、若いままの夫も、狂ったようであった戦も、幻のことのよう。

でも幻では無い、確かにあったこと。

確かにいた、私の夫。

・・・そういううたです。
この妻ももう、この世の人ではありません。

この妻は、何を反省しなければならないのでしょうか。


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としどしに わがかなしみは ふかくして 

いよよはなやぐ いのちなりけり


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・・・・・・・・・・・・・・・


やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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