KUONのブログへようこそ。

ブログタイトル変えました。中身は変わらずKUONです。

祈る地位



ティアラが。

どこへ行ったのどこにあるのと。

私もあれこれ書いて来ました。

雅子さんが皇后さまから譲り受けられた(これは確実・多くの写真が証明しています)第一ティアラ、第二ティアラ。

さっぱり表へ出てこないが何処に在りや?とかまびすしい、その、第二の方を、まさこがオランダ国王ご夫妻の晩餐会につけて出てきた、と思いきや。

あれは真っ赤な。真っ白な、というべきか、偽物。イミテーション、本物と似ても似つかない、嘘っこティアラ。

輝きも曲線も宝冠らしい美しさも気品も皆無の、惨憺たるやっつけティアラでした。それを、ニタニタと載せて出てきた偽物妃。

オランダ国王も各国のさまざまな宴席に馴染んだ方、王室は沢山の宝石も所持しておられる、まさこが何をやらかしてるか、一瞬で見抜かれただろう。

とかなんとか、あれこれ書いていたら。

皇后・美智子さまのティアラにも疑問符が飛び交うこととなってまいりました。

譲り受けておられるはずなのにどこへ行った、かの宮妃のご遺品が、なんで美智子さんのアタマの上に。

疑惑は膨れ、ひろがるばかり。腹が立てば声を失われ、ティアラが失せれば頚腕症候群の病名が、錦の御旗のごとく掲げられ。そういったなさりようのパターンも解析されてしまいました。足のお痛みも都合によりの日替わりのよう。

・・・・・・・わが国でのティアラの歴史は、以前も書かせていただきました、たかだか、明治に始まったに過ぎない。考えてみればアタリマエの話、徳川の御世300年は、この国は鎖国をしていた、異国のものはおいそれとは入り込んで来なかった。

天皇家だって、維新の前は、あのざぱーっとした宮廷衣だのなんだのをお召しになって(?)、一般の目に触れることも無いに等しい遠い世界の住人であらしゃりました。


明治です。

ティアラも鹿鳴館も。皇族方の洋装も。ハイヒールも羽根飾りのついた高々としたお帽子も。明治になってのもの。

美智子さんの入内に火を噴くさまに怒られたと伝わる梨本(宮)伊都子さんの日記、その中に散りばめられた、旧皇族のおひいさまの、豪華なお洋服をまとわれた写真の数々を眺めますと。

貴族も素敵だなあ、と、ごく素朴にうっとりするKUONです。

お洋服も靴も、びろうど張りのソファもシャンデリアも。

眺めるに素晴らしい世界。

お顔つきも、そう思ってみる故か、いかにも、なお顔でいらっしゃいます。

・・・それも、あの戦争が始まる前のこと、鹿鳴館もダンスもレースのドレスも、フランスやイギリスから届けさせたと言う、本場の子供服も。



他に、明治の御代に始まったものは沢山あるとのことで。

今では、昔むかしからあったと考えがちな「神さまの形」だって、その頃にさだめられたのだと知りました。


<長屋の爺>さんの「不必要な善意」の記事によると。以下、です。

(略)

皇祖・天照大神を祀る【賢所】

歴代天皇と皇族の霊を祀る【皇霊殿】

皇家の守護神・宮中八神と天神地祇を祀る【神殿】

この三殿で行われる祭祀を称して「宮中祭祀」と呼ぶ


歴代の天皇は三殿における祭祀を欠かさず行ってきた

・・・と言うのは正しくはない

明治以降はおそらく三殿における宮中祭祀を行って

きたのは事実だろう・・・


では、明治以前はどうだったのか?

天皇家は明治になるまでは「仏教徒」であったことは

世間では知られていることだが

皇居内に「皇霊殿」「神殿」などの宮中三殿というものは

明治まで存在すらしていなかった

だから天皇が自ら行う「親祭」などやりたくても

できなかったはずである


そこ(宮中)に在ったのは【黒戸(くろど)】と呼ばれる

仏式の祭場であった


今のような三殿の形になったのは明治22年であり

古代から続く宮中三殿における祭祀というのは単なる

イメージであり、明治になってから仏式を改めて作られた、

まだ新しい歴史の祭祀なのである

だからと言って天皇は祈ってなかったかと言うと

祈っては居ただろうが、神式か仏式かの違いがあるだけ

かもしれない

おそらく平安以降の歴代天皇は仏に対し「祈る」ことで

「祭祀王」の面目を保ってきたのかもしれない


特に【皇霊殿】は明治生まれの施設で、天皇のほかに

皇族が合祀されているが、明治10年に歴代皇后、皇妃

、皇親が、明治18年に岡宮御宇(おかのみやぎょう)天皇

つまり草壁皇子と祟道天皇など追尊された天皇が合祀

されている


宮中祭祀と聞けば古代から続く伝統のように思ってしまうが

正式に言うと明治41年に定められた【皇室祭祀令】からという

のが事実である


古代では天皇みずから祭祀を執り行うことは無く、神祇官が

天神地祇の祭りを執り行っていた

それが復活したのが明治時代なのである

(略)。


2拝 2柏  1拝 の拝の仕方も、明治時代にそうされたのだとか。

そうだったのか、と、皇室について考えることの新参者KUONは、正直に書きます、びっくりします。

そうだったんや~、と。

で。で、と続けるには無理がありますが、私の中では繋がっていること。再び爺さまのブログよりお借り。


(略)

それでも天皇を尊ぶのはなぜだろう?


確かに藤原不比等の天皇・天孫説の果たした役割は

大きい、さらに明治政府が天皇を神格化したことも

大きな要因である

果たして、それだけなのか?


一番の要因は「祈る地位」であるからだと

私は感じている


天皇は祭祀王であると同時に「祈る天皇」でもある

自分のために祈る者は掃いて捨てるほどいるが

自分や家族は後回しにし、国民のために祈る


滅私の祈りをするからこそ「尊ばれ」「崇められる」


天皇とは「こういうもの」という定義が有るとすれば

その定義を外れない限り「尊崇」の対象になる


そういう意味からいえば、近代の天皇は自分や家族の

事より国民(赤子)のために祈る姿を見せてきた

平安の天皇より民のことを気遣い、民のために祈る

天皇の姿が見えてくる


滅私とは「己に厳しく」なければならない・・・

心の弱い天皇は滅私の姿を見せられない


昭和天皇の魅力とは「自分はどうなっても構わない」

国民が幸せになるならばとの「願い」に起因する


人それぞれ異論はあるだろうが・・・

祈る天皇の基準があるならば、昭和天皇が物差し

(基準)になるのではないかと考えている



ここもやはり、そうなんや~、と。無知なる身の楽しみ、さまざま、知って行く喜びがあります。

どうもありがとうございます。

明治から始まったようなことがあれこれ、ある。そうなんだ~。

昭和から始まったことも。

皇太子夫妻が手をつないで歩いたり、時に妃殿下が皇太子の前を歩いたり。

戦後すぐには、皇室の財産は没収されて、内親王でいらした方が配給の列に並ばれたり、庭を芋畑に開墾したりもされた。

美智子さまの時代は「もはや戦後ではない」とうたわれた、どんがどんがと国民が、頑張れば明日は今日よりいい日なんだと確信した時代、それは美智子さんだって、お洋服いっぱい作ったり「ワタクシ」「わたくし」と連呼されたり常に流行のメイクも取り入れたり、なさっても、行け行けドンドン、神官様の奥様ってイメージなんか無くてもかまわん、そんな気持ち無かったのと違いますか、世界の王室と張り合っちゃったって、お綺麗だからもっとなさって~・・・だったかどうかは存じませんが。。脱線していますね。

ともかく、私は、皇室が、天皇が、祭祀ばかりをずうううううううううううううっとなさって来たのでもない、と。諸説はあるのかもしれませんが、爺さんに学び。自分の心に得心が行くので信じます。

そんな。

伝統ってたって。

もっと変わらずに古いものが、この国には沢山あるんだなあ。ありますよ、やり方変えずに継承されているお家だって。

と、思いつつ。やはり、骨身に滲みて、わが身には、皇室は、天皇は、特別な存在。

今まで思って来たように、国の安寧と国民の幸せと世界の平和を、祈って下さるのが、天皇陛下で。

それであらば、安らかに、ときどき目をあげて、いて下さることを確かめ、仰ぎみてその存在に感謝し(いま、秋篠宮両殿下にしているごとく)、国の一人として、自分のするべきことを、自分なりに懸命に果たそうとする。そういう世界が胸の中に定まる。

ナルヒトさんでは、どう考えても、無理なのです。

ぜったいに、。無理なのです。



スポンサーサイト

コメント

私も同感でございます。

長屋さまの記事を読んで、祭祀の
起源に驚きました。
然し、奈良時代も平安時代も天子様
は、きっと国、民を考えて、仏法を
敬ってらしたことと思います。
仁徳天皇や、光明皇后のお話は全て
作り話とは思えません。
御所が外堀も内堀も無く、塀さえ低くして、且つ市井の中にあることは、尊きものであっても、常に民の声
を聞ける所に存在したことの
証明だと思われます。
現在は、日本国憲法第一条に
天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、
この地位は主権のざいする日本国民の存する総意に基づく。

とあります。
国民のことを考えずには成り立たない、天皇制ですよね。
皇室が国民を無視し、国民が皇室を
無視したら、成り立たない関係だと
思います。
憲法に守られた税金投入です。
昔、S田家から皇室に、もし入内して、パーレビ一族の様に皇室がなったなら、ミチコは如何なるのか?と
打診があったことを聞いています。
あの頃、ミッチーが女帝の如く、
コーシツを我が思いのままにしてしまうなど、誰が想像できたでしょうか?
老いても尚、女優ミッチーなのでしょうね。

ごめんなさい!

主権の存する日本国民の…
です。

はぁ?

ならばさんとやら、kuonさまの
ブログにいらして何を読んでるの
でしょうか?
お判りにならないのならば、
記事をしっかりとお読みになって
整合性のある意見を述べられたら
如何ですか?
秋篠宮さまが何故無理と言うのか
人の言葉尻を捉えて言うのは
止めていただきたい。
失礼です。

「不必要な善意」

勉強になります。
祭祀の歴史が意外に短いことも、知ることができました。

形はどうであれ、国民のために、
「滅私の祈り」を続けてくださる、
それを「天皇」として尊ぶのなら、
ナルさんでは無理ですね。

神官の長として祈り続け、
国民を励まし、
海外に向けても、日本人が誇りに思えるような立ち居振舞いのできる方、
それを考えれば、
やはり、秋篠宮家に期待します。

勉強になりました。

災害も多くなった日本。
そして、
どうしても、気になるのが、
両陛下が日本地図にピンを刺していた画像。

あのピン、よく、ニュースなどでは、手早く視聴者に伝える為に、ピンを刺していくのだけど、

そんなに、手早くする必要ありますか?

なんだか、スタンプラリー、
ゲーム感覚のようで不気味でした。

これも不明

皇后陛下の正装といえば、星の飾りが付いたティアラと三連のダイヤモンドネックレス。貞明皇后は、在位が15年と短かった為、写真が見当たりませんが、昭憲皇太后は、星を付けたのと外した状態のティアラ写真を。香淳皇后も昭和30年代まで、この正装姿で宮様方のご成婚に臨まれています。しかし、私の記憶では、平成に入ってから1度も美智子皇后が、星付きティアラと三連ダイヤモンドネックレスの正装をされた姿を見ていません。どこへ行ったのやら…。

お返事させていただきます。


@ちりぬるを さん。

>>御所が外堀も内堀も無く、塀さえ低くして、且つ市井の中にあることは、尊きものであっても、常に民の声を聞ける所に存在したことの 証明だと思われます。<<

これについてですが。

とかくあれこれと云われることの多い三笠宮寬仁親王殿下ですが、書いておられたこと。

「高松の宮さまを尊敬していた、お住まいに塀その他が無く(ちりぬるをさんが書かれるごとく)危ないのではないかと問うた時に、宮さまは

「皇族はそのような心配をするものではない、そのような人が来たら来た時の事、自分は安らかに暮らしている」

とお答えになったこと。初めて読んだ時、なるほど~と、感動めいた思いに打たれたものでした。

それと。

もしもパーレビ一族のようなこと、というのは、イランのかつての王家のことでしょうか。

お子をなさなかった妃を離婚して(「嫁して三年子無きはなんとか」という言葉を知ったのは、おませな私、この件に関してでした)新たな妃は男児をお産みになった。写真を見た覚えが、かすかにあります。去られた元・王妃の名は「ファラ」妃だったか。

その王朝も、潰えてしまいました。王族のその後等、書いていると長くなるので割愛しますが・・。

正田のお母さまは、そんなことも仰ったのですか。もしかして、そんなことになったら、娘だけは無罪、無縁の者として返して欲しいとか?。

突然ですが私は、何度も男たちの都合で嫁がされ、最後の夫となった柴田勝家と共に、最後は散った「お市の方」を、ステキ、と思う者ですが(笑)、心添う相手でいらしたのでしょうね。・・なるほど、そんなことも聞かれた。ストラッグルされた?。(笑)。

では、まさこが入内する際に、オワダ夫人が「チャウチェスクみたいな」云々と言ったと言うのも。そのあたり、皇室がいつ、ひっくり返るかの惧れを下敷きにしてのセリフでしたのか???。

チェウシェスクみたいに、なって下さっても、すくなくとも私は、一向に構いません。

銃弾で、勝負早くて、苦しまないだろうし、理想の粛清のされ方とすら、思うのですが。ものすっごい悪事も、数秒で決着つく。温情みたいと思います。


>天皇は日本国の象徴であり、
>日本国民統合の象徴であって、
>この地位は主権のざいする日本国民の
>存する総意に基づく。

日本国憲法の第一条のここ。

総意って。黙ってやりたい放題させて、こうやってあれこれ言っていても、総意などどうにもならんに相違ないと。

悲しく虚しく、思ってしまいます。


@ならば さん。

初めまして、ですね。

ご挨拶いただけなくても、コメントありがとうございますとお返事書いている私は、あるいは、おバカさんかな?

>と、いう尊いお考えのもとには文仁さんも無理なのです。

そうなんですか。まあ、人にはそれぞれのお考えがおありなので。あなたの気持ちは動かせない、と。

なかなかセンスのいい入って来られ方で、内心、おお、とか、思ったりしたのですが。

質問。

この「と、いう尊いお考えのもとには」

の、そのお考えって、どの文章を指してのことでしょうね。

特別にどうしても答えを欲しいとも思いませんが、ここは私のブログ、入りたいように来て言いっぱなしというのは、どうも、なあ、と。

ちりぬるをさんと同じ、ぴしゃりと

「失礼です」

と、言いたいと思いましたので、言います。

失礼ですよ。何しても言ってもいいってものではないですよ、よその家で

タメ口で無かったのは気分的にありがたく、お返事させていただいた次第です。


@さぶた さん。

私は雑学のヒトで、ごちゃごちゃの知識はいささかはある気がするのですが。だから、今まだ、爺さまの過去記事を辿らせていただいている最中です。

ずうっと読んで、あれ、前呼んだあそこに、と再び戻ったりして、なかなか充実した楽しい時間を過ごさせていただいております。


>形はどうであれ、国民のために、
>「滅私の祈り」を続けてくださる、
>それを「天皇」として尊ぶのなら、
>ナルさんでは無理ですね。

シンプルにね、そう思うのです。そういう人を持ち上げ続けていることは、大きく主客が転倒しているとも考えます。

大変なお立場とも思う、でも、それであるからこそ、見上げさせて頂くのだと。


@ プリンさん。

>なんだか、スタンプラリー、
>ゲーム感覚のようで不気味でした。

ね。きもちわるかったです。あれは、今上の発案ではないと、絶対的に思ってしまいますしね。

なんか。

いろいろ。

昨日も、30年のお付き合いというバイオリニスト(お名前は控えます)のコンサートにお出かけの美智子さん。

お顔がつるつるしていて。

皇后さまと言うより、高名なサロンのマダムみたいな気がします。

付き合う方に偏りがあるのは昔からですが。

お顔、ツルツルでしたよ(しつこい?・笑)



@ マリコンさん。

マリコンさんの記憶のみならず。

どんな写真にも…美智子さんは膨大に撮られておられる方ですのに・・・それ、移っていません。

他のティアラ写真は、出回ってしまいました。

三連のダイヤのネックレスも。

あのダイヤはすごい品と思います。

首が痛いからつけられない、は、通らないと考えます。

どなたかのティアラに転用、との説もありますが。

三連だから値打ちの付加価値ついてアップする、すっごいダイヤ。

どこへ行った?

このまま有耶無耶?

庶民は、贈与税など、これでもか、とやられますが。

やはり特権階級? 民の方にはもう、そんな気は残っておりませんが。

見せていただきたいような、ネックレスですね。

見たいな~、テレビででも。(笑)。

平成に入ってから1度も美智子皇后が、星付きティアラと三連ダイヤモンドネックレスの正装をされた姿を見ていません。どこへ行ったのやら…。

お返事ありがとうございます。

フミさんは、コーシツがいづれ
無くなるのでは?と危惧しておられたのでしょう。
私はずーっと続くものと信じて疑わなかったもので、印象に残ってます。でも、未来を予言なさったのでしょうか?アレレが継いだら、私は
不要論者になりますから。
国民にだって条件があります。

それから、お市の方、素敵ですね。
時代に翻弄されながらも、
意志のしっかりとした女性です。
モチロン、絶世の美女!

高松宮さんもその様に仰ってらしたのですね。
流石です!皇族たる者、国民を信じ、コーシツを信じていれば、
SPをゾロゾロ付けなくても、本来はいいのですけどね。

その姿勢がご立派です。
爪の垢でも煎じて何方か様にも
飲んでいただきたいものでございますねぇ。

@フランネルさん。

初めまして、ご挨拶をいただきありがとうございます。

初めに。

私は浅学なものでありまして、私が敬愛させていただいている「長屋の爺」さんは、ご自身のお言葉に寄れば「素人が書きなぐっている」。

私の浅学は正しく事実、爺さまのは大変なご謙遜と感じております。が、専門家、学者、そのいずれの世間的な括りの方ではおありにならないと思います。

ご自身で、みっしりと調べて、書いておられる。

今までは、全文を引用させていただいておりましたのが、部分引きをしたことによって、どこか肝心な部分が抜けて、爺さまに失礼があったのなら申し訳がないなあと、それは強く、感じております。

天皇家に関しては、凄まじい量をお調べと考えます。

このたびの記事は、私の解釈では、

「天皇はん、京都から東京へ行かはった、行ったまんまや」

東京での、天皇家のおわし場所。かつての江戸城(ですよね?)、皇居に於ける、明治以降の宮中祭祀について、書かれたのだと、私は、考えております。爺さまの書きぶりの特徴として

>だから天皇が自ら行う「親祭」など
>やりたくても
>できなかったはずである

曖昧なことは避けるなさり方(と私は思う)により、

そこに、存在していないもの(ところ)では、・・・やりたくてもできなかった、と。

このような形容にされることが多々おありです。

これは私の勝手な解釈かも知れず、フランネルさんがどうお取りになるかはお任せするしかないのですが。

東京に、お移りなはった後の、天皇はん、の、以後の事と、とります。

それ以前に天皇がどうなさっていたかについての検証は、爺さまの過去記事に膨大にあります。それを、ぼちぼち、未だに読ませていただいている身です、わが身は。


>>順徳天皇が『禁秘抄』で「およそ禁中の作法は、神事を先にし他事を後にす」と記したのは鎌倉時代です。
宮中祭祀が行われるようになったのは明治以降などということはありません。<<

順徳天皇の「禁秘抄」に関しては、私ごときも、存じ上げていること。

諸説はあるだろうと、爺さまも仰り、私ごときもそうは考えております。

言うまでもないこと、であります。そう考えます。

ここで私が書きたかったことは、また違う事だったと申し上げても仕方ないです、ただ、真摯なご意見を下さったことは、ありがたいと思っています。

天皇が、明治以前には、いわゆる「祭祀」をされていなかったとは、どこからどう行っても、そんな話はしようもありようもない。と思います、それは。

@フランネルさん。

ご丁寧にご親切にありがとうございます。

私として、真摯に考えさせて頂こうと思います。

感謝しております。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

お返事をさせていただきます。


@ヒミツのNさん。


よく解りました。嬉しいです。

ありがとうございます。


@フランネルさん。

気をつけるべきところは気をつけて参ろうと思います。

ありがとうございました、と、最後にもう一度。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://kuonnokuon.blog.fc2.com/tb.php/2338-aa6eac74

 | HOME | 

文字サイズの変更

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

悲しいこと (67)
福島事故 (37)
未分類 (361)
ことばのたのしみ (77)
ゆれ・ふら・とーく (137)
怒っていること (33)
嬉しいこと (42)
ノンタイトル (62)
今の思い (250)
呆然となること (51)
旅のこと、とか (5)
おそれながら、なことこと (3)
あほらしいこと (90)
残念なこと (33)
虚しいこと (52)
おそれながら、なこと (70)
わははなこと (39)
茶番じゃ。なこと。 (28)
実録 (15)
美しいこと (30)
厚かましい話 (58)
おそろしいこと。 (55)
「美智子さまの恋文」より (6)
たのしいこと。 (2)
うた日記 (17)
実は実話?。 (0)
実話ぢゃないのよ実は。 (1)
戯文 (1)
戯文 ジャムのかなしみ (2)
こういうこと。 (38)
御製 (9)
ミテ子さま・考 一 (1)
ミテコさま・考 (11)
みんなのうた (16)
くおんの万葉集 (10)
くおんの万葉集・番外もあり。 (2)

ブログカウンター

プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
・・・・・


としどしに わがかなしみは ふかくして 

いよよはなやぐ いのちなりけり


      岡本かの子

             


・・・・・・・・・・・・・・・


やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
・・・・・


としどしに わがかなしみは ふかくして 

いよよはなやぐ いのちなりけり


      岡本かの子

             


・・・・・・・・・・・・・・・


やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

FC2Ad

Template by たけやん