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島と島とがつながるように





秋篠宮家の佳子内親王さまが、単独のご公務で山口県へ行かれた。

赤間神社でのお写真、進水式のお写真、どの場面を拝見しても、すばらしいです。

「海の底にも都はございましょうぞ」

と。追いつめられた平家の無念、幼い安徳帝を抱いて貴人の入水された場面など、堪らなく思い浮かべるのですが。

明るい太陽、おそらく爽やかな風も吹いていたでしょう、若く強く美しい凛とした内親王のお姿は、本当に、快いと感じました。

大きな力を感じました。ありがたくも思いました。その、ご存在そのものに。


・・・・・「不必要な善意」長屋の爺さまのところで、先日読ませていただいた記事です。以下。


天人相関説によって「廃位」した天皇がいた

第111代 後西天皇(ごさい)

1657年 明暦の大火

1658年 江戸の大火

1660年 伊勢神宮の焼失

その後、諸国での洪水、大地震などの

天変地異によって、天皇の行跡がよくない

からだと徳川幕府から退位の要請があり

1663年 27歳の若さで譲位した

大変な努力家で、茶道・華道・香道にも

練達し、文芸面に秀で多くの著作を残した

天皇である


 あしはらの 中津国の名 国の風

   この道ならで なにあふかむ

   (後西天皇 )

こういった天皇がかつておられ、また

儲君(ちょくん・もうけのきみ)

>聞きなれない言葉だが、これは簡単に言うと

皇位を継承する者(君)ということ

皇太子とは別で、皇太子は皇位継承の筆頭候補

であり、「立太子礼」を経て正式に皇位継承者と

して皇太子となる

儲君に定められると言う事は、次期天皇

に即位することが決定されたと言う事でありながら

正式に立太子礼を行わず、次期天皇後継者に

定められることを言う

日本の天皇で最初に「儲君」に定められたのは

第113代 東山(ひがしやま)天皇である<


とも、爺さまは書いておられました。

えええ。ちょっと待って下さい。

何か、とても「すてき」な話を、読んだような。


儲君(ちょくん・もうけのきみ)

>聞きなれない言葉だが、これは簡単に言うと

皇位を継承する者(君)ということ

皇太子とは別で、皇太子は皇位継承の筆頭候補

であり、「立太子礼」を経て正式に皇位継承者と

して皇太子となる

儲君に定められると言う事は、次期天皇

に即位することが決定されたと言う事でありながら

正式に立太子礼を行わず、次期天皇後継者に

定められることを言う

日本の天皇で最初に「儲君」に定められたのは

第113代 東山(ひがしやま)天皇である<


これって。

こういうこと、知っておられる方って、沢山おられるのかしらん。無知なる者(KUON)は、こういった疑問を抱く。おそれをしらないまま。

私はもちろん、ちっとも知らなかった、私が知らずともそれはいい。

宮内庁のヒトは、知ってはるかしら。

ナルは知ってるか・・・たぶん、知らないですね。確信。知らなくていいですからね、連続飲酒にお励み下さい。

では。でわ。

ここは想像も言葉も慎むことにします。でも、詳しく知りたくて、調べましたよ、

第113代 東山天皇。

東山天皇 ひがしやまてんのう

1675-1710* 江戸時代前期-中期,第113代天皇。在位1687-1709。

延宝3年9月3日生まれ。霊元天皇の第4皇子。母は藤原宗子(敬法門院)。父の譲位で即位し,同年221年間とだえていた大嘗(だいじょう)祭を復活させた

在位22年間は5代将軍徳川綱吉の時代で,柳沢吉保(よしやす)が側用人となり,松尾芭蕉(ばしょう),井原西鶴,近松門左衛門らが活躍。

富士山の宝永大噴火があった。宝永6年12月17日死去。35歳。墓所は月輪陵(つきのわのみささぎ)(京都市東山区)

幼称は五宮。諱(いみな)は朝仁(あさひと)。歌集に「東山院御詠草」。

   出づる日の光のどけみ岩戸あけし神代おぼゆる春もきにけり

(「大神宮御法楽千首和歌」)


月輪陵、後月輪陵(のちのつきのわりょう)があるのは泉涌寺の中です。京都・東山。


■泉涌寺の由緒と『御寺(みてら)』とは

泉涌寺は、真言宗泉涌寺派の総本山。弘法大師・空海が天長年間(824~834年)にこの地に法輪寺(ほうりんじ)と呼ばれる寺を建てたのが由来です。

その後、建保6(1218)年に月輪大師(がちりんたいし)がこの聖地の寄進を受け、大伽藍の造営にあたっていたころ、境内の一角から清水が湧き(涌き)出たことから、「泉涌寺」と名前を改められました。

天皇家からも篤く信仰され、鎌倉時代の四条天皇から江戸時代の孝明天皇までの歴代の御陵が39陵あり、

皇室との関係が深いことから泉涌寺は、『御寺(みてら)』とも呼ばれています。これは、日本で唯一の皇室の菩提寺に与えられた名前です。



2015年05月12日秋篠宮両殿下、京都府お成り(御寺泉涌寺を護る会ご臨席)


京都府お成り(「平成27年度御寺泉涌寺を護る会定期総会」ご臨席

御寺泉涌寺(みてら・せんにゅうじ)を護(まも)る会総裁の秋篠宮さまは12日、同会の定期総会に臨席するため、秋篠宮妃紀子さまとともに京都市を日帰りでご訪問。紀子さまは14日にも京都市を訪れ、4月に名誉総裁に就任された大聖寺文化・護友会の関係者と懇談されました。

秋篠宮殿下は、

「御寺泉涌寺を護る会」

の、総裁でいらっしゃいます。折々に御寺を訪れておられ、悠仁親王殿下もお連れになられたし、。

眞子内親王さまが成人の折にも、ご家族で参拝されました。

泉涌寺さんには、四代前の「孝明天皇」の「後月輪稜(のちのつきのわのりょう)」も、

16人の天皇陵墓、皇后、皇族336名の陵墓もあり、お位牌の数は膨大です。

昭和帝ご崩御の前年にもご回復祈願の記帳所が設けられていました。皇室唯一の菩提寺です。



大雑把に、読ませていただいたことや、そこから私のアタマの中に広がった「何か」の、端っこを、記させてもらいました。



お返事は、明日だぜ!。よろしくです。






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  1. 2015.06.08 (月) 08:28
  2. URL
  3. ちりぬるを
  4. [ edit ]

神事を感じます。

秋篠宮家には、やはり皇祖皇宗の
強い御加護が付いていらっしゃられると思います。
佳子さんの神社の参詣には、いつも、清々しい美しさが放たれていますもの。
真子さん、佳子さん、悠仁親王、
例え、1宮家としても、この様な
お子達に恵まれた幸せな宮家が
ありましたでしょうか?

長屋の爺さまのブログ、いつも、
凄い歴史的洞察力に関心しています。歴史はある部分、時の権力者に
都合のいい所をとり、後世に遺されると。其れを踏まえた上で、検証すると、意外な事実に遭遇して、楽しくなりますね。長屋の爺さまの博学、素晴らしいです!
kuonさまの記事と一緒に、拝見させて頂き、学ばせて頂いております。
  1. 2015.06.08 (月) 09:00
  2. URL
  3. 木枯し紋次郎って?
  4. [ edit ]

いつも大切なことに気づかせて頂いております。

ありがとうございます。
  1. 2015.06.08 (月) 13:38
  2. URL
  3. メゾピアノ
  4. [ edit ]

時代に翻弄されて

後西天皇、儲君のこと
KUONさんのブログで初めて知りまして、興味が湧いたのでwikでさっと調べてみました。
後西天皇の退位については諸説あるようですね。
もともと中継ぎ的な即位であるという暗黙の了解があったとか、幕府から退位を迫られた説、自発的なものであるという説。
儲君については北朝では資金難のため、立太子の礼が行えず暫くの間、儲君による即位が続いたとか。
後醍醐天皇の建武の新政のあと、南朝と北朝に分かれて、世は戦国時代となり皇室も大変だったことでしょう。
江戸幕府により太平の世になっても皇室は幕府からいろんな規制を受けて政治向きの発言権は一切なく、お手元も不如意で華美とも程遠いお暮らしであったようにどこぞで目にしましたが。
時代の風雪に耐え、それでも恙無く皇統をつないでくださった皇祖の皆様のおかげで今の華やかな存在としての皇室があるということを平民出身のあの方と東宮夫妻は解っているのでしょ
うか。
  1. 2015.06.13 (土) 14:33
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

お返事をさせていただきます。


@ちりぬるを さん。

>歴史はある部分、時の権力者に
>都合のいい所をとり、後世に遺されると。
>其れを踏まえた上で、検証すると、
>意外な事実に遭遇して、楽しくなりますね。
>長屋の爺さまの博学、素晴らしいです!

私のようなちゃらんぽらんのヒトが、一心に学んで来られた方のお記事を安易にどうこう言うのは申し訳ない心地ではあるのですが、毎回、びっくりして読ませてもらっていますので・・・。

おかげ様で、お記事をお借りしてもいいお許しも頂いております、あれこれ、ご紹介させていただきたいです。

歴史は勝者のもの。と言われます、裏のところを想像しながら読むのも、楽しみと思います。

安徳帝は、救いだされて云々と言う話も、根強くありますが。数奇な運命のお方であるのは確かです。

私は、小泉八雲を、夢中で読んだのでした。



@木枯し紋次郎って? さん。

こちらこそ、いろいろ、教えていただきまして。

今後もよろしくお願い申し上げます!。



@メゾピアノさん。

>時代の風雪に耐え、それでも恙無く皇統を
>つないでくださった皇祖の皆様のおかげで

いずれの御時の帝か。

お手元不如意とかのレベルでなく、蚊帳を体に掛けておられた時代もあった、と。

現・皇族のご先祖様の実話、これ、現・皇室のどなたが、実感としておられるかどうか。

少なくとも、外国の王室と同じ価値観をお持ちのごとく、お洋服の新調にいのち賭けておられるあたりには、浸透していおられないと思います。

でも、急に、どこへも、同じ灰色スーツでお出掛け。これも、なんだかな~、って感じです。

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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

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