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返事の中までKUONです。

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みなさまこんばんは。

寒い夜です。

お顔を合わせたことも無い方々のことを、ほんわりと想い、ふしぎな縁(えにし)というものについて考えます。

何年か前、やさいさんのブログを読み始めた頃は、自分が再び、毎日、何かを書く人間になるとは、思ってもみませんでした。

深く、深く、疲れていたのだと、当時の自分を、思います。

ものを書くことも、新しい知己を得て、その方がたに「会いたい」「話したい」と考えるようになるとは、想像していませんでした。

遅ればせにベヨンジュンと言う俳優を知ったこと、やさいさんという稀有なフトコロの広さを持つ女性に出会ったこと(会ってないけど、出会ったのですよ、つまり)、そっから、今、たくさんの方々と、心のつながりを頂いていること。

不思議な気がするし、ありがたくも思います。

・・・・なんて、灯油ストーブの柔らかい温かさの快さに、ほんわかKUONのバージョンになっております。

名古屋大学の先生方が、フクシマからの放射性物質は、北海道へも中国地方へも四国へも飛んで行っていて、土壌に滲み込んでいる、などと、今更、なことを発表しておられるそうですが。

北海道はわかるとして、福島県から中国、四国の間には、ワタシも住まう関西圏が存在するのでございますが、そこを、すり抜けて飛び越えたのか放射能。わかってたけど黙っていたのか放射能。

そういうことも、今夜はおいておいて、なんだかゆ~ら、ゆ~らと、昔語りなど、ゆ~らゆ~ら、だ~らだ~ら、と。お喋りしたい気分です。

            

私は、ナースと言っても、なんちゃってナース、だったと思います。

中学を卒業して、准看護婦養成所と、高校の二部・・・定時制に、同時に入学したわけですね。そういうシステムだったのです。

一年で学科を学び、二年目は各科を実習し、試験に受かったら、三年、四年と、働きながら、夜の高校を出る。

学寮に、入りたかったのです。それは、私の理由。

私の養父は、当時、普通の幼稚園から大学へ、というものばかりでなく、医療検査技師とか、少し後にですが保母さんの養成所とか、そういう種類の学校をたくさん作っていた時期で、やはり、必要があって新設した準看養成所に、ものなど書き始めて時間を与えない方が得策であると判断した私を、入れてみたのですね。

どんなに時間が無くても、人間、したいことはします。
私、していました。
勉強も、しましたよ。言われると悔しいから。

先日の同窓会には、1期生から最後の期生になった37期生までが来ていて、私は、4期生。準看から高等看護学院へ進み、何年か働いた後、大学へ行って、現在はK医科大学の副学長、なんてのも、おりました。

その彼女と少し話したのですが、高校の二部出身だということが、正直、コンプレックスだったと。

どうしても大学へ行きたかったのだ、と。

なるほどな~と思ったのです。

私は、4期生の中で、唯一、高等看護学院へ進まなかった。

私には私の「見栄」というものがあります。どうして進学しないのかと問われれば、ナースになるよりなりたいものがある。と、答えていました。嘘ではなく、高校生でいる間に、小説で新人賞を得て、ペンネームでデビューしていたし。

ばれて、ものすごく怒られて、本当なら停学か退学だと、言われましたが、私を停学にする人はいなかったのです。もちろん退学にも。賞金は没収。ものを書いて褒めてもらったことは、一度も無い。そのうち見てろよ~、と、ココロに期していたのは事実ですね。

進めるのなら私も、もう二年間、看護の勉強をしたい気持ちはありました。

しかし養父は、高校卒業が近づき、進路を決める頃になって、こう、申し渡したのでした。

「お前を看護婦にするために養成所へ行かせたのではない」と。

「一年ほど、お礼勤めをして、辞めろ。本来は二年だが一年で辞められるようにしてやる。家で料理の手伝いでもしていろ。そのうち、いい結婚相手を見つけてあげるから」。

「女の子というものは、お揚げ半分とにんじんのシッポしかなくても、それで家族に、何を食べさせてあげられるか、そういうことだけ考えるものだ」。

どっひゃ~、ですよ。黙って聞いてたけど。

「白を黒と言われてもはいと言え」

そんなご無体な~。それは、私には、できませ~ん。

・・・養父なりの「愛」だったのだとは、今では思いますが、私は、残念ながら、にんじんのシッポなんかで何ができますのでございますか。イヤだ。自分で稼いで、ステーキ食べる。そう、思うタイプでした。お下品でせうか。

私の「幸せ」はそれ以外に無いのだと、断言して下さったので、わたし、それはご辞退申し上げたいと、内心で決意しましたよ。

卒業までは何とかおりましたが、皆が合格・進学を決めて高看の寮へ引越しし、私には、養父の家から書生さん(古い~)が来て、寮の荷物を運び出して下さった、次の夜に、ランナウェイ、でした。

中学の時から、ほのかに、ではないな、かなりホットに思いを寄せていた先生を、呼び出して、気持ちを伝えて、もう思い残すことは無い、出て行きました。

・・・誰のせいでもないですが、自分の来た道が、スタンダードでなかった気は、あるのです。

自分がいいナースだったかどうか。

実習中は、よく叱られました。

おばあちゃんの患者さんが腰が痛いと言えば、報告して、医学的な処置をする方向へ行かず、一生懸命マッサージをしてさしあげた。それは違うと叱られた。

脚を複雑骨折して長く入院している女子高生の、悩みを、延々と聞いていて、それも叱られた。業務内容が違うと。

なぜか成績は良かったのですが(力説!)。

小児科病棟に配属された二年間は、トイレで泣いてばかりいました。

巨大な病院で、注目されている病院だったから、難しい病気の子が多すぎて、悲しい辛いことが多すぎたのです。

私は、患者である幼い子どもを、見舞いの多い親の子をかわいがり、病院に捨てられているような子には、目もくれないような・・・露骨に差別する婦長が大嫌いで、当然あちらも私を、まったく評価していなかったけれど、勤務二年目の終わり、つまり、高校を卒業する前、高看には進まない、と告げた時、ああ、その方がいいわと、言われた。

あなたは、ナースより、もっと他の道で伸びた方がいい気がするわ。と。

どういう意味なのか、今でもよくわからない。言葉通りなのか、てきぱききっちり、悲しみの分量までわきまえている同期生を意識しての発言だったのか。どちらにせよ、人の言葉など、自分に都合のいいように取ることだってある、そんなことを言ってくれる大人は初めてだったので、気分としては、感謝、な感じでした。

私の母は、だから出てゆく、どうしようも無いから、自分のわがまま勝手で家出します、と告げた電話で(一応、産みの親には、カラダ弱いし心配させたくないと、電話した・・・)私の立場はどうなるの!と、一声、叫んだだけだったから。

わがまま、勝手で、家出したのです。私。

そしてほどなく、このような歌も聴きましたね。

若かったし、胸に響いて歌っていたら、この歌は、単にかわいそうな女の子の話なんかでなく、社会的な問題を含んでいるんだ、軽々しく向かうな、と、えらそうに言う人がおりましてね。

その意味は私にもわかって来たのですが、リクツ抜きで、切ない歌でした。

当時の、若い岡林のでなく、三年前の、もうオジサンになっている、渋いオジサンになっている、衰えていない岡林信康の歌を、







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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
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四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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