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返事の中までKUONです。

  1. 今の思い
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大地に。



19日、日曜日は、娘のポールダンスのPDN・イベントに行った。

生徒さんのお一人一人に

「どんな風にしたい? どんな自分になりたい?」

と訊ねて、話し合いを重ねて曲を選び振付をしたのだと弾んで挨拶をしていた。その言葉通り、どの方も、精いっぱいに自分のステージに立ち向かっておられた。その方らしい個性が、現れていたと感じた。会場は満員の盛況、熱気がむんむんしていた。

10代、20代から60代まで、生徒さんがいて下さる。

30代、40代、50代の女性たちが。それぞれ、言ってみればもう、若くて可愛いだけの、笑っていれば許される甘い「自分」ではなくなっていて。

山あり谷ありの半生を、懸命に来られて。

働きながら、子も育てながら、笑ったり泣いたり絶望したりでも、必死で、前を向こうと願ったり。

いろんなこととタタカイながら、練習を積み上げて、数分間のショーにご自分のぜんぶを、注ごうとしておられるのが、見えて、感動して私は、泣きました。

あまり多くは、今も胸がいっぱいで、語れません。

ラストに、ゲストでおいで下さったトランぺッター・行本氏が、娘のために書いて吹いて下さった曲に、即興で娘が舞った。

大地にしっかりと根付いた生命力を、ダンサー・柚月に感じて、の曲だったみたい。

女は、大地だ。そんなことを、娘がそばにいて「私の子ども」だった時代に、何度か話した記憶はある。

広くて深くて、太陽を吸い込み、水を抱きしめてさまざまな命を芽生えさせる。

いろんなもの、汚いモノも吹き寄せられたあれやこれやも、しっかりと抱きこんで。汚れた水は透明にして川に海に戻し、ちり芥も土壌の滋養に変えて豊かになって、芽生えたいのち、小さな双葉から、堂々たる大樹になるまでを、育む。

そんな女に、娘は、なってくれたのだろうか。なっているのか。生徒さん方に、とても愛されているのが伝わり、私は嬉しかった。

決して決して、したいことだけを好きなようにやっていれば済む、そんな今日まででは無かった。娘の過ぎ越しも。

人間は、美しいところもそうでないところも、いろんなものが渦巻くカオス。性善説だの性悪説だの、簡単に言い切れるようなもんじゃない。と、私は考えている。

19日のショーは。出演者、観客の方々、裏方の仕事をおつとめ下さった沢山の皆さま、次女も出ておりまして、これも頑張ってくれていた、ありがとう、どの方々も、ご自分の中の、いっちばん「いいところ」が、あの時間、あのスペースに溢れ出ていた場であったと感じています。

次回は7月の末。神戸にて。見て、感じるパワーを、貯めておきたい。(笑)。

       わたくしごとを、記させていただきました。








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  1. 2015.04.21 (火) 17:32
  2. URL
  3. ちりぬるを
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kuon様

I君のお話、読ませて頂きました。
人生、色々な体験を通して感じ、
学んでいるのですね。
kuon様の優しいお人柄が、目に浮かぶ様でございます。10億円の感謝を
戴いたのですものね。
母は、七つのお祝いに祖父が買って
くれた、たんもの長ーいお振り袖の
話を、いつもしていて、また、始まった と溜息をついていましたが、
亡くなった今は、懐かしく思い出されます。祖母に対しても、仏様に向かって、 お母さんの子供で本当に
良かった。 と言う人でしたが私の
弟夫婦は、そんな母を騙す様に老人ホームへ入れました。土地が大きかった為、マンションを建てる間、入っていてくれ、1〜2年で建ったら
一番良い部屋を用意しておくから。
と言って入れたのです。母は、ホームでも明るくみんなを元気付け、
迎えに来てもらうのを、楽しみに
指折り数えて待っていたのに、2年経っても、3年たっても、弟は来ませんでした。まして、私が行くと、
ホームの人が着るものも、持って来ないし、要るものを買う為のお金も
入れて無いと。弟に連絡しても繋がらないと苦情を言われ、私は、びっくりして、全部揃えました。ある日
ホームで、大怪我をした母は、病院に運ばれました。その時は、弟からの連絡でした。一か月たって、看護師さんに、いつ頃退院できますか?
と聞くと、病院代を払っていないから、困ってるんです。と言われる始末。弟は、母から、私の知っている
だけで、1500万借りていました。
入所後は、全部母の通帳管理をしていました。そうこうしている内に、
母は栄養失調で亡くなりました。
私がもう物理的に無理だから、自分の近くに引き取ろうと、お医者様に
相談していた矢先でした。病院から
母の遺体を引き取る時も、あんなに
入りたかったんだから、責めて最後は、新しいマンションに入れてあげて、と言ったのですが弟が選んだのは、葬儀社の遺体安置所でした。
又、母の住民票も老人ホームに
移していたのです。ちゃんと供養もせず、嫁もお骨を棚の上にポン
と乗せる有様!注意すると、怒鳴ります。母が父から贈られたダイヤの
大粒の指輪も、私に、と言ってましたが、知らない間に弟が管理し、
叔母が言っても、渡さないといい、
売ってしまった様です。
こんな、恩を仇で返す様なことが、
許されて良いものでしょうか?
弟達は、親の遺した土地のマンションに、悠々と住み、クルーザーやら、外車やらと派手な生活をしてるそうです。私は、自分が嫌なので、家の家族で、お参りしています。
何か、長々と愚痴を書き連ねましたが、私は先祖の気持ちを大切にして
又、それを子孫に伝えて行くことが自分が此の世に生かされた、大切な
役目なのではないのだろうか?と
思うのです。ですから、天皇家も
大切なお役目を背負っていらっしゃる訳です。国民を束ねる程の責任です。家族、5人や、6人の問題では
ないですよね。其れは、権力では無く、国民への思いですのに。
  1. 2015.04.21 (火) 19:56
  2. URL
  3. メゾピアノ
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熱く熱く

お嬢様のダンスのイベント、盛況のうちに終わられたようでおめでとうございます。
イベントの熱気がこちらにも伝わってくるようです。
私事ながら
私も年に一度発表会に出ております。
子供の頃は何もわけがわからず、ただ自分の弾く曲を間違えないようにそれだけ気にしていましたが
いい年になってまた発表会にに出るようになると
会の準備に先生は獅子奮闘、当日の会の進行はいろんな方達の協力で成り立っているのがよくわかり、このようなイベントを行うということは大変な労力のいることだと思います。
ステージに立った生徒さん達もご苦労様でした。
日々家事やら子育てやら仕事をこなしつつ、練習時間を確保し人様の前で其れ相応の演技を披露するというのはなかなかしんどいこともあるなと我が身を振り返って思ったり。
なんだかうまく書けませんが、ジャンルは違えどお仲間を見つけたような気がしてちょっと嬉しくなってしまいました。


  1. 2015.04.22 (水) 22:48
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

お返事させていただきます。


@ちりぬるを さん。

これに似た思いを、して来ましたので、よく解る気がします。

血のつながる弟さんの事でしたら、そして、お母さまがそのような亡くなり方でしたら、なんとも、無念のお残りかと。

書くと長くなりますが、理不尽、不条理は世の常、と、私たちも膨大な借金を受けてしまった立場ですし、思い知ったこともあります。

ただ、子どもがおりましたので、憎しみや恨みや、そういった負の感情にとらわれたくない思いはあったのです。

夫は親に、大学院まで出してもらった。取られた家の頭金も親に出してもらった。それで十分。充分していただいた。親の持っていたモノは、自分たちのものではないし。

見えるモノにこだわって、子どもの心にシミをつけるのが、私は、なんともイヤでした。孫に対してもそうでした。

電気を止められてしまって、ローソクをいっぱいつけた食卓で、2歳だった孫息子が「きれいね、きれいね」と、喜んでいた

意味不明かもしれませんが、そういうこともあって、そういうことが私の、何かの「原点」、と言えば、かっこよすぎますね。

何とお返事書けばいいのかわかりませんが、さぞお辛かったでしょうと思う気持ちは本当。失くしたものは忘れよう、も本当。弟さん夫婦は、自分とは別物。どれだけ掻き集めて積み上げても、自分の身に本当に添わないものは、砂上の楼閣。どこかで何かがわからせてくれるんでしょう、その人にとって、一番辛い形で。

美智子さまも、このお歳になって、よもや、何も感じておられないはずが無い。

美智子さまには美智子さまのご苦労がおありでしょう。当然です。誰にもどうもできません。


アヤシイ新興宗教みたいなことを書きましたが。(笑)。

私自身は、自分に一番大切なのは、自分が生み出した子どもを、可能な限り不幸にしたくない思いと。・・・もう大きくなったので、いささか肩の荷は軽くなりましたが。

現身はさまざまなものにがんじがらめになっていますが、心の自由と。

あとは、まあ、なんとか、かんとか。と、考えるに至りました。

お返事にはなっていないでしょうが、独り言、たわごとと、お読み流し下されば・・・また。(笑)。

相手は、絶体に変わりませんから。神さまとかご先祖とか、まったくわからない人間もいますから。

神道の長の家にだって、いますし・・・。ね。悲惨です。




@メゾピアノさん。

発表会に出るって、出られるって、すてきですね。

気分も引き締まりますね。私は楽器は、若い頃、例のごとく、フォークギターを。(笑)。ギターに夢中になって、倉庫の址みたいな部屋をわざわざ探して住んで。

後にロフト、なんて流行して来た時、ワタシはもっと早くから倉庫をみつけたわよん、なんて、一人でいきっていましたね。

長女は、あとの続くダンサーさんたちがポールダンスをしてゆき易いように、と、社団法人を立ち上げているのです。日本でのダンサーの地位はとても低くて、認めてもらいにくい。頑張って突っ走って来たのですが、小さな手術が必要になって、少し休むのです。それもいいことと思います。

動画は、ものすごく初歩的なレッスン風景です。

黑い衣装で、まだへたくそなのが、次女です。教えているカラフルなのが、長女です。

20代の頃にはそんなに仲のいい姉妹では無かったのが、ここへ来て仲良くしているので、嬉しいKUONです。(笑)。

練習、お励み下さいね。






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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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