KUONのブログへようこそ。

ブログタイトル変えました。中身は変わらずKUONです。

遺された言葉。。

  







国のため、大切な人のため、国と大切なひとびとの未来のために、散って行かれた方々がおられます。

さまざまな地で、若い命が散ってゆかれました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

特攻隊の遺書【Japanism】  


18歳の回天特攻隊員の遺書


お母さん私はあと3時間で祖国の為に散っていきます。

胸は日本晴れ。

本当ですよお母さん。

少しも怖くない。

しかしね、時間があったので考えてみましたら、少し寂しくなってきました。

それは、今日私が戦死する通知が届く。

お父さんは男だからわかっていただけると思います。

お母さんは女だから、優しいから涙が出るのではありませんか。

弟や妹たちも兄ちゃんが死んだといって寂しく思うでしょうね。お母さん。

こんなことを考えていましたら、私も人の子。

やはり寂しい。

しかしお母さん。考えてみてください。

今日私が特攻隊で行かなければ、どうなると思いますか。

戦争はこの日本本土まで迫って、この世の中で一番好きだった母さんが死なれるから私が行くのですよ。母さん。

今日私が特攻隊で行かなければ、年をとられたお父さんまで銃を取るようになりますよ。

だからね。お母さん。

今日私が戦死したからといって、どうか涙だけは耐えてくださいね。

でもやっぱりだめだろうな。

母さんは優しい人だったから。

お母さん、私はどんな敵だって怖くありません。

私が一番怖いのは母さんの涙です。



【特攻隊員の遺書】

 戦いは日一日と激しさを加えて参りました。
 父母上様、長い間お世話になりました。私も未だ十九才の若輩で、この大空の決戦に参加できることを、深く喜んでおります。
 私は潔く死んでいきます。
今日の海の色、見事なものです。決してなげいて下さいますな。
 抑々海軍航空に志した時、真っ先に許されそして激励して下さったのは、父母上様ではなかったでしょうか。既に今日あるは覚悟の上でしょう。私も魂のみたてとして、ただただ大空に身を捧げんとして予科練に入り、今日まで猛特訓に毎日を送ってきたのです。今それが報いられ、日本男子として本当に男に花を咲かせるときが来たのです。
 この十九年間、人生五十年に比べれば短いですが、私は実に長く感じました。数々の思出は走馬燈の如く胸中をかけめぐります。
 故郷の兎追いしあの山、小鮒釣りしあの川、皆懐かしい思出ばかりです。
 しかし父母様にお別れするに当たり、もっと孝行がしたかった。そればかりが残念です。随分暴れ者で迷惑をおかけし、今になって後悔しております。
 お身体を大切に、そればかりがお願いです。親に甘えた事、叱られた事、皆懐かしいです。育子、昌子の二人は私の様に母に甘えたり叱られたり出来ないかと思うとかわいそうです。
 いつまでも仲良くお暮らし下さい。私も喜んで大空に散っていきます。
 平常あちこちにご無沙汰ばかりしておりますから、何卒よろしくお知らせ下さい。お願いします。御身大切にごきげんよう。

     神風特別攻撃隊 大和隊員   一飛曹 塩田 寛 18才
              昭和19年10月26日 レイテ沖にて特攻戦死


待ちに待った晴れの出陣を、明日に控えました。
 突然でいささかあわてましたが、大いに張り切っておりますので、何とぞご安心下さい。
 生を享けて、ここに二十二年になります。何の恩返しも出来ず誠に申し訳ありません。何とぞお許し下さい。
 国家のために散って征くことを、最大の孝行としてお受け下さい。
 私が戦死したと聞きましたら、赤飯を炊き、黒い着物など着ず、万歳と叫んで喜んで遺骨を迎えてください。
 多分骨はないものと思いますから、体操シャツを一枚送ります。
 これは昭和十七年七月十一日土浦航空隊に天皇陛下が行幸されたときに使用した記念すべき品です。私と思って大切にしてください。
 今となっては別に言い残すことはありません。
 とにかく、命のあるうちは徹底的に頑張り抜く覚悟でおります。必ずや、敵空母の一隻や二隻は沈めてみせるつもりです。
 取り急ぎ乱筆になりました。感無量で何もかけません。これでペンを置きます。
 ずいぶんとお元気で、いつまでも暮らしてください。 小父さん、小母さんたちによろしく。ではご機嫌よう。さようなら。

 母上様

    神風特別攻撃隊 第二御盾隊  
海軍上等飛行兵曹 小松 武 (高知県)
         昭和20年2月21日 硫黄島周辺の艦船攻撃中戦死

何も書く事はありません。 只御両親様及び久美子の健在を祈るのみ、勲は決して人におくれはとりません。潔よく散るのみです。目標は正規空母です。十日位したら徳島海軍航空隊第14分隊5班、上野功君に便りして下さい。 写真は受けとったと泣かずにほめて下さい。幸多かれと祈るなり、親戚の皆様に宜敷く。孝養を頼むぞ久美子、安よ頑張れ。
 宮崎航空基地にて

御両親様          
神風特別攻撃隊第六菊水隊
            昭和20年5月10日 午后5時48分
               海軍一等飛行兵曹 伊東 勲 享年20才
                  大分県九重町町者原出身 乙飛18期
 


 攻撃直前記す。
 御姉上様、合掌、最後に当たり何も言うことはありません。僕が常夏の国南米伯国より日本の国へ帰って、何も知らない僕を、よく教え導いてくださったことは、心から感謝しております。
 身を海軍に投じて以来未知の生活、日本の兵隊生活は最後の魂の道場でした。海軍に入営してより、日夜の訓練によって心身共に磨き清めて来ました。今、国のために散って行く私です。
 日本に帰るときに母様より呉々も言われた事、頼まれたことを果さずに散ってゆくのは心が残ります。
最後に年老いた両親に迷惑かけたことを、深く悔やんでおります。
 今私は澄んだ気持ちです。白紙の心です。皆々様もお元気に。
では私は只今より攻撃に行きます。再合掌。

姉上様

    昭和20年8月9日
          一飛曹 高須孝四郎 23才
        神風特別攻撃隊第七御盾隊第二次流星隊員として、
本州東南洋上にて戦死


 謹啓 御両親様には、相変わらず御壮健にて御暮しのことと拝察致します。小生もいらい至極元気にて軍務に精励いたしております。
 今までの御無沙汰致したことをお詫び致します。本日をもって私もふたたび特攻隊員に編成され出撃致します。出撃の寸前の暇をみて一筆走らせています。
 この世に生をうけていらい十有余年の間の御礼を申し上げます。
 沖縄の敵空母にみごと体当りし、君恩に報ずる覚悟であります。男子の本懐これにすぎるものが他にありましょうか。護国の花と立派に散華致します。私は二十歳をもって君子身命をささげます。
 お父さん、お母さん泣かないで、決して泣いてはいやです。ほめてやって下さい。
 家内そろって何時までもいつまでも御幸福に暮して下さい。生前の御礼を申上げます。
 私の小使いが少しありますから他人に頼んで御送り致します。何かの足しにでもして下さい。近所の人々、親族、知人に、小学校時代の先生によろしく、妹にも......。
 後はお願い致します。では靖国へまいります。

     四月六日午前十一時記す
         神風特別攻撃隊第二御盾隊銀河隊

            昭和20年4月7日
               海軍一等飛行兵曹 松尾 巧 享年20才
                      佐賀県出身 乙飛17期



 今度攻撃命令を拝して、出撃することになりました。日本男子の本懐これに過ぐることなく、喜びに耐えません。父上様方も聞かれましたら、さぞかしご満足されることでしょう。
 今更言う事はありませんが、一寸の孝行もせず、ただただ二十年の人生を育てて下された父上様、母上様、祖母様方に何とお詫び申し上げてよいか判りません。
 まだ戦争に行ったことがないので不安な点もありますが、弾が命中したら、必ずや敵の空母を撃沈します。
 突然でさぞかし驚かれると思いますが、立派に男子の本懐を全うします。
 出発まで時間がありません。一言、最後の言葉を。


     昭和20年4月7日
          二飛曹 清水雅春 18才
             神風特別攻撃隊第三御盾隊として、
沖縄海域にて特攻戦死


すべて原文のまま。「予科練資料館」より。

勝手ですが、この記事へのコメント、いただきましても、お返事は無しということにさせていただきます。



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コメント

傅くって何?

お早うございます
(嘘うちょ・今21時です)
お気持ちは有り難いのですが
それでは『気』がすみません
よって
返事はウナブログに書きます
飛行機乗りは一人として
『堕ちる覚悟を待たず』にはおりません
わたくしは今日を生き永らえたことは
皆様のお陰だと思っております
今日も
儲かりました・・・感謝!
謝々!であります。

親が悲しむことを心配した手紙。
出撃前の集合写真の、子犬を抱いた少年兵たちの笑顔が浮かびます。

「すべての人にあやまりたい」とのお言葉は、
やはり違う、と思いました。

それでは慰霊ではなく謝罪になりますね。
誰に対する謝罪か。
パラオに散った日米の兵たちに?
そうは聞こえませんでした。

おふたりと我々一般人との心はこんなに離れていたのですね。
単に、せれぶ、な、お方々だったのですね。

なんだか、また神様、怒っちゃうんじゃないかな、と、
不安な気持ちになりました。

偏りすぎかなぁ・・・・

ちょっと前にテレビで
和歌山の田辺に特攻艇基地があったと放映してました。
「震洋」と言うそうです。
回天や桜花 は本や映画で見ましたが
和歌山にもあったと初めて知りました。

靖国や知覧は数度づつ行った事があったし
昔、親が特攻隊員の遺書の本を読んで置いてあったのを
小学生の頃読んだ覚えがあります。

学校では何も学んだ事がないです。
『個』だけではなく『公』の為に生きる精神。
遺書を国語の教科書にすればいいのにと思います。

偏りすぎかなぁ・・・・

いつもブログを拝見させて頂いている若輩者です。初めてコメントさせて頂きます。
お返事が頂けないのは承知の上です。
それでも、どうしても、コメントを残したく。

既にその名誉も回復されている方々をあえて再びA級戦犯と、態々形容なさったあの方は。
ご自分も、こう言った遺書を残した若者達が命を散らして戦ってくれたからこそ、その地位に就く未来を手になさったと言うのに。
諸々振り返る事もせずに切り捨てなさったのだと改めて悔しく、悲しく。今年の年頭までお慕い申し上げていた思いの遣り場もなく。
南方に無理矢理の御幸なさって、那辺への謝罪だったのかも疑わしい。

すみません。思いの吐露にコメント欄を使わせて頂きました。
お見捨ておき下さい。

熟女 N 様

私は、和歌山、田辺の隣の町で、育ちました。

特攻隊 基地知りませんでした。

というか、
数日前まで、戦争について、真剣に考えたり、読んだ事、ありませんでした。

今、こちらのブログで、勉強しています。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑とかも、
こちらのブログのコメント欄を読んでから、知った次第です。

すみません。


このままの今上と次代なら、

更新ありがとうございます。

特攻隊の方々の遺書を拝読し、胸が締め付けられる思いで一杯です。

少々、長い独り言をお許しいただけたら、私が歴史に関心を持ったいきさつを書かせていただきたいと思います。

私の大伯父も、輸送船を雷撃で沈められて亡くなったそうです。
台湾の高雄から出港し、海峡で雷撃に遭い、日本を目の前にして亡くなったそうです。
隣を航行していた僚艦に乗り組んでいた近所の方が、祖母に、兄(母の伯父)の船が沈んだことを、知らせに来てくださったと、母から聞きました。

その話を聞いて育ったからか、子供時代から、戦争映画も見ましたし、大和和紀さんの「はいからさんが通る」を愛読していました。

歴史、特に近現代に関心を持ったきっかけでもあります。
だから、学校の日本史は、物足りなくてたまりませんでした。
建国神話も無視、近現代もスカスカ、たまに出てくる戦争の話はプロパガンダの嘘ばっかりでしたから。
日本の美点も、国柄も教えない学校の勉強の穴を埋めたくて、古典や歴史を読み漁りました。

「戦艦大和ノ最期」は、本で読み、中井貴一さん主演のドラマも見ました。
大河ドラマも、篤姫や龍馬伝くらいまでは見ていました。
秋山好古の人物の大きさに惹かれ、「坂の上の雲」のドラマを歓迎しつつ見始めましたが、日本を悪者に描く反日ぶりに嫌気が差して、じきに見なくなりました。「海にかける虹」という、山本五十六の生涯を描いた12時間ドラマも、再放送の度に見ていました。

「宇宙戦艦ヤマト」が大好きで、これこそ、日本人のチームスピリットを表した作品だと思っています。
ヤマトを降りてからも、地球の危機の度に集まって来て、地球を救うためにヤマトに乗って旅立つ乗組員達に、英霊の皆様の気持ちを想像していました。

軍隊のこと、英霊の皆様のおかげで私達の今があるということを、感覚として分かっていました。

大伯父も含め、後に続く世代に思いを馳せつつ、後に続くもの、愛する者を守るために戦ってくださった方々を、今上両陛下は貶め、美智子様に至っては、犯罪者呼ばわりです。

新約聖書に、「罪なき者は、石もて打て」とあります。
もしも、今上両陛下が、このまま、秋篠宮様ではなく、徳氏と雅子夫人を次代として即位させるというのなら、私は、今上両陛下と徳氏と雅子夫人に、一生分の怒りを込めて石を投げるでしょう。

読みながら、、、

他のブログで見た、
特攻隊員の最期の笑顔の写真、そして、
特攻隊員が子犬を抱いて和む笑顔の写真と
重なってしまいます。

精一杯の笑顔と、
子犬を囲む和やかな一時の笑顔の
違いが、悲しい。

遺骨の代わりに、 親元に写真が届けられると思って、
一生懸命に笑顔をつくったのだろうか。

この頃の二十歳の何と大人なことか…
まず、それに驚嘆させられますね。

あの時代が、精神を大人にしたんでしょうか。

私も知覧で、戦死された若い若い人たちのお手紙を拝見しました。
誰一人、誰一人
死にゆく事を畏れたり、自分の運命を呪ったりしていないこと。
残された写真の明るい笑顔。
すべて私には衝撃でした。

ただ、後に残る父母、兄弟の心配だけをして。

あの時は、涙と鼻水の大合唱でした

いま、こうして平和に暮らしていける幸せにどんなに感謝してもしたりないということを改めて感じました

毎日、つまらない愚痴や不満でいっぱいの私でしたが、
本当に戦争がないということは、
それだけでありがたいことだと
しみじみ思います。

胸が締め付けられて、…

祖父は戦死。伯父は特攻隊の生き残りで、精神を病んでしまったと、言う母に育てられました。
母は、戦地からの祖父の手紙を亡くなるまで、肌身離さず持っていました。小さい頃、その伯父から特攻隊のこと、戦地や戦友のことを聞き、
飛行機の音がすると、怖くてたまりませんでした。戦争では、皆んな心に傷を受けています。勝った負けた
の結果ではありません。全てが
犠牲者とも言えると思います。
ですから、天皇皇后陛下には、
ただただ、労いの言葉と祈りを捧げ
て頂きたいのです。戦犯などとの
決めつけは、止めていただきたい。
他国への配慮も、政治的解決に委ねていただきたい。ただただ、鎮魂の
祈りの中に…。

美智子さんノーブラ。

ノーブラで参拝。あり?。

日記、泣きながら読みました。

気高い魂の持ち主ばかりです。

百田尚樹著「永遠の0」を読んだ後も涙が止まらなかったことを思い出しました。

これでも「戦犯」は存在したのでしょうか…?

......コメントを下さった皆さま。

ありがとうございました。

この清冽な魂の(と書くさえ、自分が偽善者めいて恥ずかしいのですが)若い方々の遺書に、何も言えない、言ってはいけないな、と思って、えらそうに返事はしませんとなど、申しました。

今の気持ち、みたいに、書かせていただきたいと思います。


@ウナさん。

人から聞いた言葉ですが、

「一日生涯」

って、いいなあと思っています。なかなか、身の周り雑駁なので、この心境には行きつきかねる、ですが。(笑)。

ウナさんは確か、飛ぶヒトでなく、潜りビト、でしたよね?。海の中、綺麗でしょうね。

撃墜された特攻機も、戦艦大和も、ずっと長い間、海の中。




@ジェリコさん。

>おふたりと我々一般人との心はこんなに離れていたのですね。
>単に、せれぶ、な、お方々だったのですね。


これ読んで、胸が、ずっきーんとしました。

こういう風にはっきり、思ったことはまだ、無かったような。でも、そうなんだな~と(当たり前なのですが・明確に)感じて、片思いが決定的に「だめ」になったと思い知ったような。置いてけぼりくったような。妙な淋しさを、感じます。




@熟女Nさん。

今にして思えば、学校の先生は、こちらには全く関心の持てない身内の話をしたりして時間を潰しはしましたが、学年の終わりになると、この先は家で読んでおきなさいと、教科書パッタり閉じていたような。ギリギリ、広島の原爆まで、でしたね。

私の夫も数年間、高校の教師をしていました。口癖は「諸悪の根源はニッキョーソだ」。あと、何年か前まで、仕事しながら大学で講義をしに通っていましたが、蹴っ飛ばすみたいに辞めて、ボロクソに言うこと言うこと。ぜんぜん何も知らない学ばないセンセイたちのことを。教師が単なる労働者になって「聖職」でなくなったから、と、今でもうるさいです。そのへん(だけ)は気があっているかな。(笑)。

>『個』だけではなく『公』の為に生きる精神。

これが、失われた世界。まず自分であることが、当たり前になった世界?。

Nたんのご両親、ご立派と、ブログを読んで感じること、多いです。フツーにまともな庶民道。きっぱりと美しいと、感じさせてもらっています。




@レリエルさん。


初めまして。コメントありがとうございます。

身の震える思いで、したためて下さったお気持ちが伝わります。

一つ一つのお言葉にあれこれ、申すは叶いませんが、お気持ちは、よく、伝わっています。

年初までは「お慕いして」おられたから、よけいに、お辛いのだろうと推察します。私も、

全く同じです。

まさか、まさかが確実になっていった、ここ数か月。疑いようの無いことを実感することが、いわば、辛い。けれど、本当。

全く違うお方であったと。やはり、言わねばならないです。

美智子さまは「違っていた」と。

よろしければまた、いらして下さいね。…

読み捨てできませんでした。



・・・・・申し訳ないことですが、今日はここまでになります。

明日の夜まで留守にします。

帰りましてから再び、書かせていただきたいです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


それから・・・皇后陛下は、まことに「ノーブラ」でいらっしゃいました。拝の後、階段を(足がお辛かったでしょうが)お降りになられる時。


揺れていました。おちちが。

去年・・一昨年? 軽快なフットワークでテニスをなさって、首と腕の痛みを案じていた皆が、!? となった、あの時と同じ。

ブラ無しでいらっしゃいました。

枝葉のことをつつくでないが、呆然となります。そのあたりを徘徊されるばーちゃんとは、お立場、おられる場所が異なります。

たる、たる、と、揺れる、皇后さまのおちち。

周囲はあれを、どうしてさしあげることも出来ない、しないのでしょうか。

海外の葬儀参列、
パラオ慰霊、
皇太子の諸問題の放置、
に比べたら、

ノーブラ…
一本眉…
人畜無害に思ってしまった。

昭和天皇の愛された庭の木々を
伐採されてしまう方、
「夫の家の墓 参り」の感覚なのでしょうか。

それにしても、
ドレスの仕立てが、すごいですね。
お尻やウエストのライン、ピタッと決まってますね。
綺麗ですね。


多分、もう、周りも、
イエス マン、
ばかりなのでしょう。
(進言する人、できる人がいれば、
東宮の惨状もあれ程にならなかったと思います)

気に障らないように、
勤務時間を、過ごす。

年金問題と一緒、面倒な事は
先送りの繰り返し。

しっかりした若者たち

くおんさま、今晩は

手紙の内容のしっかりした感、
親に対する礼儀、
ネットで文字を見ましたが、その達筆さ、

衝撃でした。
まだ、ほんの17才前後とは…
この大人感は何でしょう!
彼らの親は明治生まれですね。
江戸時代からさほど遠くない時代の、その余韻を残す世代の親を持つ若者なんですね!
かくも日本の古き時代の教育は、「日本」 をしっかり軸に据えたものであったかと、感動の衝撃です。

戦争に行ったのは大正生まれの人達ですね。
ありがとうございました。
日本本土に残る、近しい人遠き人区別なく守るため、
命を差し出した。
このような方たちに、ひたすら頭を下げこそすれ、戦犯などと口が裂けても言えるはずもなく…

最近、皇后様は生粋日本人なのだろうか?との疑問が拭えません。

釜山の灯りを情感たっぷりに詠んだ歌を見ましたが、「郷愁」に感じました。
今となっては、皇后様の様々な言動が腑に落ちる思いです。
マサコヒと同郷かもと…

結局、お返事になってしまいました~(笑)。

おそくなりました。



@プリンさん。

後で、まとめて書かせていただきますね。



@あさき さん。

「はいからさんが通る」。私もリアルタイム読者でした。漫画もよく読みました。まだ「女の子は本なんか読むな台所にいろ」の匂いの強かった時代に、女性漫画家たちは、凛々しくさっそうと、自分の意志を持って生きたい女の子たちを描いていた。

子どもの頃から・・水野英子(「星のたてごと」何より「ファイヤー!」)、一条ゆかりの乾いた感性が好きだったし、里中満智子も、同じパターンや、と思いながら熟読。古代史なんかにも触れましたね。大家ちきはセンス良すぎた、西谷祥子さん頑張っていた、そして池田理代子・・・。西原理恵子を尊敬しています。話がそれました。

宇宙戦艦ヤマトは、涙が出るから語れないんです。絵は、あの絵、わたし好きでないんですが・・・カラオケ行くと絶対、テーマソング唄います、ものすごく揺さぶられます。

いま、あれこれ思うのは。ものを言い過ぎる、言わせすぎる。自分が子供だった頃は理不尽に思った「大人に口答えするな」は、あれでよかったと思う。まだ何も解っていない幼い脳味噌の人間未満に、いっちょまえの口をきかせて、それを大人の都合で持ち上げて囃して、用が済めば落とす。じっと、体内、脳内で悔しさも発酵させ、熟成させろ、と考えています。もっと、本当の意味で、子どもたちを大切にじっくり育ててやらなあかんのと違うか、と、思っています。

言いたいことが溢れて、まとまりません。

>大伯父も含め、後に続く世代に思いを馳せつつ、
>後に続くもの、愛する者を守るために戦ってくださった
>方々を、今上両陛下は貶め、美智子様に至っては、
>犯罪者呼ばわりです。

子を持てば、自分のためだけには生きられなくなります。今子どもである世代が、日本の中枢になる時に、あの体たらくの皇室では、と、思うのはそれだけ。

冷静に考えればわかる・・・愛子さまがペットボトル持って女子会。なんて記事を、垂れ流している、情けない、

怒りの石を投げられる前に。自ら決然と、貴賓らしく、などと、ずっと考えていて、何度も書きましたが、どうもそれは、いわゆる「武士道」、イザの時にかくありたい、と、願う気持ちが思わせたことで・・皇室に武士道は当てはまらないと言う教えが、ずんずんと身に滲みます。

カヤをかぶってお暮らしだった天皇もおられた・・着衣も寝具も無く・・・皇室の長い歴史。

一般人より醜く、だらしなく、道徳心も無く、まともなプライドも無いように見える(そうとしか見えない)内廷皇族がたは、後の世に、どう、書かれるのでしょうか。

武士なら。是非はともかく、恥をそそぐ道は、あったと思う。

わけのわからないことを書いてすみません。



@プリンさん。

あの青年たちが遺した言葉は、もっともっと、沢山あります。

「きけわだつみの声」など本も沢山出ています。独身で逝った方々ばかりでなく、幼い娘さんに当てた、お父さんの気持ちなどもあります。

あの、子犬の写真はとても有名なものですが・・・。

9:11のビルに飛行機が突っ込んで行ったリアルなテレビ映像を呆然と見た、その月の歌会に、こんな一首も出しました。

  手の上にひよこはかくも柔らかく
  もごもごと温し 戦争になるのか

あの時ブッシュが「ウォー!」と発音した声を、聞いていて。




@たまき さん。

私の短歌の師は、青島からの引き揚げ者で、皇室には独自の感覚を持っておられたのです。

自分専用の「ねえや」を付けられた生活から一転。引き揚げ直前に亡くなったお母さまの遺骨と僅かな荷物を持って幼い弟の手を引いて乗船。万葉集を介して恋文を送り合った恋人は行方知れず。帰りついて、大和の旧い家に身を寄せ、跡取りのイトコと、親やきょうだいを食べさせてもらうのを条件に結婚。舅姑小姑、歩けない祖母、夫さんは敗戦のショックでアル中になり(もう一人こんな先輩がおられました≫刀を振り回して暴れる、ご飯を炊いたことのない育ちで、それを嗤われ、生まれた子の次男さんは障碍を持っておられ、その子を抱いて軒下に隠れ、冬の川に飛び込み、としているうちに、長男坊やが淋しさで口がきけなくなり。ある日、とぼとぼと破れたもんぺで村道を歩いていたら、名を呼ばれ、振り向いたら、万葉集で恋を語った恋人だった。

恋人は、待てなかったと誤解して縁は途切れ、と、そんな方でしたが、根性出してお二人育て上げ、結婚もさせ、そこに生まれた孫を、息子さん中途失明でお嫁さんが働くので自分で受け持ち、保育園の送迎から家事万端引き受けながら短歌だけを支えに、小さな旅行などもせずにおられた。

知覧へだけは、行かれました。たくさんのうたを詠まれました。

  明日は発つ発てば死ぬるを日の本の
  君らの笑顔何ぞ眩しき

  安穏と泣くはならじとみずからに言ひ聞かせども
  知覧の笑顔

  ミッチーと人らはやすを黙々と
  慣れざる鍬をふるへり今日も

今に思えば、師は武家の筋の方でした。一心に育てられた男児三人のお孫さんは全員、T大、K大。晩年のお祖母さまに優しい孫さんでした。気にし続けた息子さんが逝かれた半年後、安心されたのか、逝かれました。

ただ一人の女性を偲んでも、こんな話になります。

平和ってありがたいと、いつもは、そんな風にも感じないでいる気がします。




@ちりぬるを さん。

>ですから、天皇皇后陛下には、
>ただただ、労いの言葉と祈りを捧げ
>て頂きたいのです。戦犯などとの
>決めつけは、止めていただきたい。
>他国への配慮も、政治的解決に委ねていただきたい。
>ただただ、鎮魂の
>祈りの中に…。

お母さまのお兄さまが、特攻隊の「生き残り」(これも酷い言葉ですね)でいらした。そういう方も、沢山ですね。ご当人も周囲の方も、お辛かったでしょうね。

自分のことを、今日は書いてしまっていますが。

・・・結婚してほどなく、姑が「行くよ」と言うのに、黙って従いました。下着やパジャマなどを、お菓子やノートを買って行くのが習いとなりました。お小遣いも入れるのでした。

行く先は、窓のすべてに鉄格子のはまった病院。玄関やロビーはそれなりに立派ですが、面会室は無機的でがたがたの椅子やテーブルが。そこへ、やあ、と手をあげて姑に挨拶して入って来たのが「Iくん」でした。

舅のきょうだいの実数がわからないと、書いて笑われているのですが、事実なのであって、舅の家は「本家」であったので、望まれずに生まれてしまった親戚筋の子なども、引き取って一緒に、育てていた。これが真相。母親は外の人なのはわかるが、父親が本当に親戚の誰かかどうかも不明、の子もいたとか。あれこれ余裕のある間は、なんとか、一番末の方の子、扱いで回っていたのが、空襲で家は焼け、当主は死に、長男(舅)は生死も判らぬどこかにいて、の最中、I君は十分な精神的ケアも受けられず(今のように精神的外傷なんとかとも無縁)、群がって食料にありつく知恵も無く、少しずつ変化が進んで、子ども時代の私の夫を階段から突き落としたり腐った肉を食べさせたり、池に落したりが重なって、病院へ入れた。

きょうだいたちは、いい職に就いたりの方とは付き合って、I
君とは付き合わず。長男のツマである姑が、毎月一回面会に通い、その長男のツマである私に、バトンを引き継ぐべく、連れて行ったのでした。

「I君」は、穏やかな長身の男性で、私を「K君の奥さんですか」と言って、目の前で「10億円」の小切手を書いて、プレゼントしてくれました。ちゃんと厚紙を切った小切手で、ありがとうと私はもらいました。疎開先はどこでしたか、と言葉も丁寧で、和歌をたくさんしたためたノートも、プレゼントしてくれたのでした。よく喋って下さいました。

亡くなるまで、肝臓などの入院時には付き添って、なんとかお世話をさせてもらいました。姑は、I君を、全く女性も知らず、皆に見放されて可哀そうに、と言っていました。いくばくかあったI叔父さんの通帳の中身は、どうも同母の兄弟だったらしい(その二人だけが他の皆と顔立ち体つきが似ていた、)Hさんが相続した。一度も見舞に行かなかったくせに、と姑は怒っていましたが、H叔父さんは、ええとこから奥さんをもらっていて、自分でも弟らしいとわかっていた「I」
君のことは隠し通したのでした。私は距離が姑より遠いので、仕方ないかも、と、思ったのです。苦しい立場だったでしょうに頑張って、超大企業の重役まで、H氏は行かれました。

みんな、必死。生きることに。

空襲で、舅の姉が片足を飛ばされたのですが、その脚を、持たされた記憶が、生涯残っていました。さまざまなエピソードがあるのですが、精神病院には、主に男性の中に「天皇」や「閣下」や「大将」が、沢山、おられました。今はもう、すべて、亡くなられたでしょう。

過ぎた時は帰りません。

私も、ちるぬるをさんと同じ思い、けたたましくお出かけなさらなくても、天皇陛下でなくては、余人では叶わぬお立場なのですから、亡き方々への思いを、神事にこめて、地味に真摯に捧げていただくわけにはいかないものかと。

すべての人に謝罪したいなど、両陛下に仰っていただいては、困ります。と、思っています。いけません、勝手なことをなさっては。と、思います。おかしなことを、あれこれと。本当に心配です。



@ノーブラさん。

初めまして。この回限定のHNですか? (笑)。

よく、書いて来て下さいました、ありがとうございます。

あざわらうつもりは無いです。でも「あり」とは思えません。

言い難いことなのでよけいに、周囲が、など思いますが、たぶん、何事もお聞き入れになれない状態なのかしら。

惨状ですね。黙っていても、見えることなのですよね。




@hortenciaさん。

こうべを垂れて、泣くしか出来ません。

泣いてすぐ忘れる、でなく、ずっと、思い続けていなくては、と、思います。

美智子さまのあの発言を、一般的な感覚で、と擁護する人。

美智子さんは、どこもここも、すべて、何もかも、一般的、でくくれあい、くくってはならないお立場の方だと、考えれば、そんな言葉は出てこないと思う。

ね。





  

お返事させていただきます。


@プリンさん。

う~ん。一本眉さん、と呼ぶのはいかがでしょうか、ですね。仕方の無いことは、言い難いですね私は。エエカッコみたいですが。(笑)。

でも、ノーブラは、ノーグッドと思います。これは引っ込めません私は。ブラが苦しいなら、目立たないやり方を、とか。お節介では無い。皇后さまだから、そう、考えます。おかしいよ、あれ。

・・昭和天皇の愛した庭木を伐採、くらいのことは大したこと無い。そこへ、55億円の邸宅を新築されたと言われています。この話は私は、確信持ちきれない部分があるので控えますが。

美智子さんお住まいは新築、東宮御所も、そして、秋篠宮両殿下の御新婚のお住まいは、一般の少し広い程度の職員住宅をあてがわれた。

秋篠宮ご夫妻は、そんなこと、気になさらないでしょう。文句も不足もお持ちでなかったと思います。今のひどい扱いも。

そんなところにお気持ちは無い。泰然としておられます。

それだから「皇族」と感じるし、そんな両殿下を、素直に仰がせていただきます。


>年金問題と一緒、面倒な事は
>先送りの繰り返し。

これ、めっちゃリアルで、花丸100点!。(笑)。




@ 佳世さん。

このこと。言い尽くされた感もありますが、ブームのように言うのでなく、ずっとずっと、言い続けましょうね。

ずっと言う。(笑)。

あれで、全く「解っておられなかった」ことが、解ってしまいました。馬脚を現すって、ああいうことですかね。

つい口が滑って、と、言う人もいますが、心に無いことが、ああした場面で出得て来るとは思えないです。

>日本本土に残る、近しい人遠き人区別なく守るため、
>命を差し出した。
>このような方たちに、ひたすら頭を下げこそすれ、
>戦犯などと口が裂けても言えるはずもなく…

私、映画「東京裁判」を見た時、東条英機を演じた津川雅彦が

「南京大虐殺は無かった」

と言い切った時。憤然として、東条があんなことを言う映画なんか作って、と、怒ったのです。あの時の自分をはっきり覚えています。気が付いてよかったと、思います。



たまりかねて吐露した思いに丁寧なお返事を下さり、本当にありがとうございます。
辛い思いに寄り添ってくださるコメントで、慰められました。

本当に「全く違うお方であった」「違っていた」そう言う事なのでしょう。

これじゃ浮かばれない。
そう思って責め立て罵りたい気持ちもまだ多分にありますが
区切りをつけて自分の出来る事に向かう事にいたします。

本当にありがとうございました。

レリエルさん。

詳しくはお問いかけできませんが、何か深い思いがおありだったのですね。

私は、コメントを下さった方々と、何かどこか、触れ合える部分があったら幸せ、もしかして、そんな思いが見えない力の儚くても「無」では「有」の力になるならいいなと、思うものです。

過分なお言葉をいただきまして、ありがとうございます。

よろしければまた、お立ち寄り下さい、そして、あの邪なものたちが、潰えますように、の願いはずっと同じと思うと、言わせて下さいませね。

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